第3話 熱中症
日差しが強く照りつける夏のある日。二人は事故現場に入っていた。
本来ならば、警察が来る幕ではないものの、二人ほどの警察を呼んで欲しいと消防に頼まれ、楠谷と鴻ノ池が事故現場に派遣された。事故というのは、締め切ったアパートの一室で高齢者の女性が倒れていたという。発見者は親族の女性で、何度も何度もこういうことは起きているらしく、これまではその女性は助かっていたという。だが、今回の場合は発見するのが遅く、救急車に運ばれたものの搬送先で亡くなったという。
「あちぃ~」
楠谷がハンカチで額の汗を拭っている。
「何で俺たちが呼ばれなきゃいけないんだよ。そもそも、俺たちが出る幕じゃないでしょ」
「確かにそうですけど、消防によればミュンヒハウゼン症候群を疑っているみたいです」
「ミュンヒハウゼン症候群?」
楠谷が眉をひそめる。
「それって、確か自分に危害を加えて自分への同情心を煽るっていう精神疾患だろ?」
「そうです」
「でも、何で消防はそれを疑っているんだ?」
「その女性、熱中症で運ばれただけでなく、処方されている薬をわざと飲まなかったり、自分の手首を切って救急車を呼んだり・・・・・・。まあ、余程一人でいるのが寂しかったんですかね」
「まあ、そうだな」
二人は話しながら歩く。現場となるアパートの一室に入ると、殺風景な光景が広がっていた。既に救急隊によって一部荒らされているものの、楠谷は事件性がないと見込んでいた。
「確か、この辺で倒れていたんだよな」
「そうです」
「しっかし、この部屋暑いな~」
「ですよね。エアコンとかは無いんですかね?」
鴻ノ池は部屋を見渡す。しかし、冷房器具らしきものは見当たらなかった。不思議に思って、押し入れを開けてみる。そこに、無造作に放置された冷房器具があった。
「楠谷さん。これ、見てください」
楠谷が押し入れを覗き込む。
「わぁお。冷房器具、こんなところに閉まっていたんだ」
楠谷がいくつかの扇風機の中から、一つ扇風機を取り出す。その際、その扇風機が鴻ノ池の頭を直撃して「あ痛」と声を出す。
すると、二人の背後から「どちら様ですか?」と小太りな女性が声を掛ける。
「あ、すいません。警視庁の楠谷です」
「警視庁?」
小太りな女性が眉をひそめる。
「ああ、消防に頼まれてしまったんですよ。倒れていた女性、ミュンヒハウゼン症候群の疑いがあるって」
「ミュンヒハウゼン症候群?」
女性は首を傾げる。
楠谷は鴻ノ池に喋った内容を女性に話す。
「まあ、確かに、おばあちゃん、最近寂しい思いしてたからかな」
女性は顎に手を添える。
「ところで、亡くなられた女性に何か身体的な特徴とかはありましたでしょうか?」
「確か、少し足が悪かったような気がします。それに、心臓の持病を抱えていたような」
「なるほど。このアパートで訊く噂とかはありますでしょうか?」
「いや、特には無いと思います」
「そうですか」
楠谷が礼を述べると、二人は部屋を出る。
二人は車の前まで行くと、鴻ノ池が「あっ」と声に出す。
「どうした?」
「確かあの女性、ニュース番組で見たことがあります」
「え?」
「はい。確か、代理ミュンヒハウゼン症候群を抱えた母親が子どもを虐待死させた事件だったと思います」
「まさか!」
楠谷が急いで階段を駆け上がり、もう一度アパートの一室に戻る。
「どうかしましたか?」
女性は不思議そうに首を傾げる。
「詳しい説明は後にしてください。とりあえず、署に来て貰えますか?」
「私を署に連れてきて、どういうことなんでしょうか?」
女性は少し苛立ちながら話す。
「貴女、確か前に子どもを虐待死させて捕まりましたよね?」
「ええ。それが何か?」
「貴女が、おばあちゃんを殺したんですね」
その場が一瞬静まる。女性は「はあ?」と声に出す。
「何で私がおばあちゃんを殺すの⁉何のメリットがあるわけ⁉」
「ありますよ」
「何の⁉」
女性は楠谷を睨む。楠谷は一息入れる。
「おばあちゃんの遺産と、同情心を煽りたかった、そうですよね?」
女性は唇を噛み締める。
「・・・・・・ええ、そうよ。あの憎いおばあちゃんなんてどうでもよかった」
女性は一旦言葉を切る。
「正直ね、遺産なんてどうでも良いの。私はただ、憎いおばあちゃんを殺したかっただけ。私に向かって、執拗に早く結婚しろ、孫を早く見せろ、いっつもそんなことばかり言ってきて、本当にウザかった。だから、あんな奴を殺して遺族のフリをして同情心を煽って、自分を満たしたかった。だけどね、包丁で殺すなんてすぐバレるでしょ?そこで、熱中症で倒れたと言うことにしておけば単なる事故として処理される。そうすれば、私への同情心が沢山集まってくる」
女性は不敵な笑みを浮かべる。
「・・・・・・何で、殺したのよ」
「はぁ?」
「だから、何で殺したの‼」
鴻ノ池が机をパンッ、と叩く。楠谷と女性は思わず肩をすくめる。
「言ったでしょ。憎かっ・・・・・・」
「どんなに憎くても、殺しちゃいけないの‼憎くて、感情に負けて、それで殺すなんて・・・・・・」
鴻ノ池は一息入れ、微笑む。
「その時点で、貴女は負けだよ」
女性は涙を流す。
女性の悲しい泣き声が、外の蝉とこだまする。
その後、被害者の熱中症は女性によって人為的に起こしたものだと、女性により自供された。
二人は取調室を出て廊下を歩く。
「何で、憎いから殺しちゃうんだろう・・・・・・」
鴻ノ池がポツリと呟く。
「さぁな。人間、色んな感情があってついカッとなる生き物だよ。それで、思わぬ方向へ進んでしまったり」
「どうにかして憎い感情を消し去ることはできないのかな・・・・・・。そうすれば、殺人なんて起こらないのに」
「難しいな・・・・・・。でも、決して感情がマイナスに生かされる訳ではない。プラスに生かされることもあるはずさ」
「例えば?」
「そうだな・・・・・・。『好意』っていう感情がそうかな。プラスで言えば男女の交際関係に発展させることが出来るけど、マイナスで言えばそれが嫉妬に変わるって言うのかな」
「その例、何だか奥が深いですね・・・・・・」
「そうだな・・・・・・」
二人は、廊下を静かに歩いた。
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