中の巻
彼はリールにかかった蜘蛛の巣を取り払うと、再生した分のフィルムを映写機にセットした。
修復に手間をかけたわりに、上映してみたらほんの5、6秒でしかない。
むろん音もなく、雨垂れの酷い乱れた画像が網膜に焼きつけられて終わった。
フィルムは5分弱あるというから、全体からすれば未修復も同然だった。
上映が終わると、彼は室内灯のスイッチをひねった。
フィルムがあまりにも唐突に始まり、たちまち終わってしまったため、目で追うのがやっとだった。
「見えたか?」と、彼が溜息混じりに言った。
「見えたも何も、あっ映ってる、と思ったらお終いじゃないか。俺にはよくわからなかったが、やっぱり塔に見えたのか?」
「ああ、塔というより煙突に近いようだな。それに、てっぺんに誰かいただろう。画面の上のほうで何かちらっと動いたのに気づかなかったか?」
「それは……」
見間違いだろう、と指摘しかけて気づいた。
その煙突の上の人影こそ、彼の祖父その人なのだった。
彼の祖父は熱心な共産党員で、大戦後の復興期には労働者階級の英雄だった。
働いていた工場で、整理解雇されかけた労働者たちを守るため、煙突のてっぺんに不眠不休で居座り、抗議文をばら撒き続けたからだ。
激しい抵抗運動を力でねじ伏せようと、工場側が暴力団を送り込んできたため、事は流血事件にまで発展して世間を大いに騒がせたが、煙突に昇った彼の祖父は、消防隊の放水や警察の威嚇にもついに屈しなかった。
結局、抗争は中央労働委員会の調停で工場側が折れ、煙突のてっぺんでビラを撒き続けた彼の祖父は英雄に祭り上げられたのだが、フィルムには、その姿が捉えられているようだった。
彼はフィルムを撒き戻すと再び室内灯を落とし、映写機のスイッチを入れた。
リールがカタカタいいながら回り始める。
白い画面にまた何か映った。
煙突らしき細長い柱状の影と、そのてっぺん……。
「あっ」
突然、隣で彼が声を上げた。
しかし、私は吸いつけられたようにフィルムに見入ったまま、振り返る余裕すらなかった。
フィルムは何事もなくそのまま数秒間回り続け、空白になった。
身じろぎもしない彼の代わりに、私が映写機を停めた。
離れの狭い床いっぱいに、まるで紙テープでも投げたように未修復のフィルムが散乱して、彼はその中に蒼白な顔で立ち尽くしていた。
青紫の唇がわなないている。
「おい、フィルム終わったぜ」
私は放心している彼の肩をつかんで揺さぶった。
我に返った彼が一歩後ずさった拍子に、足元でフィルムが硬い音をたてた。
「どうかしたのか?」
私が不審に思って訊ねても、彼は首を振るだけだった。
「いや、何でもない」
そう答えて、すぐ普段の平静さを取り戻したので、私も深くは追及できなかった。
何気なく振舞ってはいても、確かに怯えている。
何に?
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