八月の影 13 終わりの始まり

「こちらはもう落ち着いて…。」

 静市真也から電話がかかってきた時には、新宅の周囲に張り付いていた記者たちも蜘蛛の子を散らしたように消えてしまっていた。神足父子は新宅には帰宅していない旨が秘書課から報道各社に既に通知してあったにもかかわらず屯していた記者も、さすがに告別式が始まるとそちらに向かったのだろう。誰が考えた嫌がらせなのか神足光代の出席も同じ文書の中に記載してあったので本宅を張っていた記者はご丁寧に告別式のホールに着くまで神足光代の乗った車を追ったようだ。人という生き物は喜びより悲しみに、琴瑟相和する夫婦より葬儀にも別々に出席する離婚寸前の夫婦関係により興味を示すものだ。しかも上場企業の御曹司の突然の事故死だ。不仲の義母に注目が集まるのは当然だろう。ひょっとすると神足光代出席の文言は新宅に注目を集めないために神足汪が加えさせたのかもしれない。

岩倉武が本宅のインターフォンを押すと呼び出し音の途中ですぐに北野洋子のか細い声が答えた。

「はい。」

テレビの音声がインターフォン越しに聞こえるが、外からはカーテンを閉め切った新宅に人の気配は皆無だ。長年愛人として生きた北野洋子が息をひそめて暮らすこの家はずっとそうだった。

「奥様、記者はいなくなりましたが暫く外出は控えてください。警備の者を置いておきますので外向きの用件はそのものに申し付けてください。」

「いつもありがとうございます。」

先妻の子である長男が亡くなって神足家の後継者が自分の息子だけになった今、彼女の心中にはどのような景色が映っているのだろう。人知れず歓喜の雄叫びをあげていても不思議ではないが、高校生の息子がいるとは思えない少女のような容姿のお陰で下世話な想像とは無縁に見える。それに神足汪は未だ神足光代との離婚が成立していない。これでは息子のためにも手放しで喜んでもいられまい。今後、後ろ盾のないまま神足涼が神足海運の後継者に指名されれば神足家の求心力は確実に小さくなっていく。最悪神足グループの瓦解すらありうる、とは岩倉武の情報源のひとつでもある業界紙の記者の見立てだ。そしてその記者はこうも言っていた。それを避けるために神足光代との離婚そのものが取りやめになるかもしれない、と。十分な規模とは言えないが神足光代の実家の唐橋資材なら涼の後ろ盾となりえるからだ。今日のマスコミへのリークが神足汪の指示なら神足汪にとって光代との離婚は確定事項のようだが、神足光代を切るのならまだ高校生の息子が後継者として自分の足で立てるようになるまで誰に庇護を頼むつもりだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る