八月の影 10 終わりの始まり
雅に向かって踏み出そうとした涼はいつの間にか後を追ってきていた静市真也に腕を掴まれた。その人らしくないその行為の理由は
「来たのか真太郎、雅ちゃんも京香くんもよく来たね。」
その言葉が投げられた先…雅や真太郎や真太郎の後ろにいたその人だったに違いない。
「四宮先生もご一緒だったんですね。涼君悪いが今鹿ヶ谷会長が来られた。御令孫と一緒だ。だから…。」
涼がその言葉に振り返ると兄の婚約者だった人がハンカチを目に当てながら父と話していた。それは美しい悲しみの標本のような光景だった。だがそれはただそれだけの事だ。
「すまないが今取り込んでるから焼香はちょっと…。本当にすまないが…。」
静市真也がその残酷な謝罪の言葉を本当は誰に向けているのか、涼には痛い程わかっていた。きっと静市真也は兄が大切にしていたものを知っていたのだ。だからこそ涼はその心遣いを無にしないためにもただ俯いてその場を後にしなければならなかった。だが足が自分の元は思えないほど重い。父の傍に帰れば、自分も嘘くさい見世物に加わらねばならなかったからだ。ずっとおざなりにされていた涼の痛みは雅に共鳴して漸く震え出したかと思ったのにまた置いてけぼりを食らってしまった。スプリンクラーの雨の降る夏の太陽の下でも本当の雨の降る冬の街角でもそうだったように黒いスーツが離合集散を繰り返す葬儀場の静かな喧噪の中でも雅の姿に吸い寄せられる。それはどんな時も変わらない。ずっと昔から決まっていて、この先、ずっとどこまでも続いて行く。だからこれからもずっとこうして彼女を探し続けるはずだ。それは、真夏の太陽の海岸から始まって何度も何度も、手に入れた途端、直ぐに涼の手をすり抜けていく。最後に振り返ると雅がまた黒いスーツの渦に飲み込まれていった。その時“彼女”の背中と雅が重なって見えた。不協和音のような存在のその人こそがきっとこの場の誰よりも…恐らく涼や父よりも浤がここにいてほしい人であるのに。
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