Ⅷ 葛藤-答え
◇
まずはユージン、次にリルリ、そしてキョウカが道中で脇道へと連れられて行った。そうしてパーティーを分散させるだけでなく、わざと複雑な道を通ることによって方向感覚を狂わせるという徹底ぶりで、最後に牢に入れられたユーリは誰がどこに居るのかはもちろん、自分が工場地帯のどのあたりに居るのかも見当がつかなくなっていた。
ただ、ギルドマスターが言った通り、牢に入れられているとはいえ待遇は悪くなかった。
鉄格子や石造りの壁、石畳の床はどう見ても牢屋そのものでも、ベッドは明らかに別の部屋から運ばれてきた上質なもので、出された食事は転生前の世界でも食べたことがないほど豪華だった。
流石に武器は取り上げられたものの、牢のすぐ目の前、ユーリの目が届く範囲に安置されていたし、牢の前に見張りが立っているわけでもない。周囲に監視カメラが仕掛けられている様子もないので、プライバシーは尊重されている。それでいて渡されたベルを鳴らせばいつでも衛兵が来てくれるので、いよいよ不自由をすることはなさそうだ。
衛兵の目がないことを確認してから、ユーリは鉄格子に向き合う。
武器を取り上げられたとはいえ、ユーリには右足の異能がある。靴は奪われていないので、鋼鉄製のソールも健在だ。音を立てないよう両手で鉄格子を握り、右足で踏みつけるように、思いきり鉄格子を押してみる。しかし、鉄格子はびくともしなかった。
鉄格子以外の三面の壁と石畳、天井も同様に破壊を試みたけれど、結果は同じだった。明らかにユーリの異能を前提にあてがわれた牢屋なので、他の仲間の牢も同様に脱獄対策がされているだろう。
この状況では、脱獄も救助も期待しない方が良さそうだ。
諦めたユーリはベッドに身を投げ出す。少しでも体力を回復させようと目を閉ざすけれど、眠気など訪れるはずもない。
それでも、今の自分にできることなど何もないのだから、ユーリは無力な自分から目を背けるように、瞑目する他なかった。
こうして己の無力さに打ちひしがれる夜は、恐ろしく長い。
忘れているだけで、ユーリはそのことをよく知っている気がしていた。
◇
耳が痛くなるほどの静寂と、瞼の裏に広がる暗闇の中で、ユーリの脳味噌は勝手に思考を回転させ始める。
思考を閉ざす眠りが訪れない以上、ユーリは考えるしかない。考えずにはいられない。
頭の中を占めているのは、もちろんギルドマスターから聞いた話についてだ。
イシュの街で兵器が量産されていたこと。
その兵器を振りかざし、侵略戦争が起こるかもしれないこと。
その被害は、レキの村にまで及ぶかもしれないこと。
そして、火竜を倒せば、ユーリとキョウカは元の世界に帰れるということ。
要するに、概ねユージンが昨日語った仮説通りだった。
火竜さえ倒せば、これ以上火竜による死者は出ないし、イシュの食糧難も解消される。それは結果的にレキの村を守ることにも繋がるし、キョウカを元の世界に帰すことにもなる。
そして、火竜を倒せる可能性が最も高いのは、ユーリ達のパーティであること。
ギルドマスターの話を聞いて、それも確信に変わった。
昨日は結論を出すのを避けたけれど、やはり火竜は倒すべきであり、強力な異能を持つユーリ達にはその責任があるのは、考えるまでもなく明らかだった。
でも-
ユーリは目を開く。暗闇から解放されても、そこに仲間は居ない。
いつも手を握ってくれるリルリも、冷静沈着なユージンも、芯の通ったキョウカも居ない。
だから、ユーリは独りで考え、独りで結論を出さなければならない。
-本当に元素龍である火竜を倒すことができるのだろうか。
ドラグロス山で遭遇した火竜を思い出す。
あの火球を至近距離で放たれた場合、それを避けることなんてできるのだろうか。
あるいは、火竜の攻撃をかいくぐりながら接近し、はるか上空を飛ぶ火竜を攻撃をすることが可能なのか。
仮に攻撃が成功したとして、人間の腕力で伝説の元素龍に傷をつけられるのだろうか。
気付けば、ユーリの手は震えていた。
そんなこと、できるはずがない。
理屈で考える前に、感覚がそう告げていた。臆すことなく幾度も死線を越えてきたユーリでも、あの火竜と対峙することを考えただけで恐ろしかった。
山の向こうから放たれてなお、あの速度と威力を誇る火球。
あんなものを至近距離で撃たれれば、避ける暇などあるはずがない。運よく直撃を避けられたとしても、爆風と熱波で助からないだろう。
それに、仮にあの火球をかいくぐって接近できたとして、千載一遇の隙をついて攻撃できたとして、それでもダメージを与えられる気がしない。相手はとてつもなく巨大で、数百年以上生きている伝説上の龍なのだから。
どう考えても、あんな化け物には勝てない。
あんな化け物を相手に、仲間を守り切ることなんてできるはずがない。
ユーリは頭から布団をかぶり、暗闇の中で体を小さくする。
仲間を失うことがわかっていながら戦いに挑むなんて、目の前の大切な人を守れないなんて、ユーリにはもう耐えられなかった。
震えるその手はいつの間にか血に染まっていて、それは火竜の爪によって貫かれたリルリの血であるような気がしてくる。弾かれたように両手をベッドのシーツで拭うけれど、もちろんそれは純白のまま。
覚えていないはずの、いつかの記憶。
血に濡れた両手。手の中で徐々に失われていく温度。
弱ければ、虐げられる。それが、摂理なんだ。そう言って嗤う誰か。
ユーリは弱い。だから、守れなかった。
ユーリは弱い。だから、火竜に勝てない。
火竜と対峙することで、ユーリはまたいつかと同じ悲しみを繰り返そうとしているのかもしれなかった。
気付けば、ユーリの両目からは大粒の涙がとめどなく溢れていた。
頭が痛い。吐き気がする。心臓の鼓動は今にも爆発しそうで、呼吸ができない。
なんでいつもこんな目に遭わなければならないのだろう。
どうしてこんな理不尽な決断を迫られているのだろう。
暗闇の中で頭を抱えながら、ユーリは自らの境遇を呪う。
だから、レキの村から出るのは嫌だったんだ。
あの村にずっと居れば、こんな風に決断を迫られることもなかったのに。
あるいは、こんな中途半端な異能なんてなければ、責任を押し付けられることもなかったのに。自分が何かを守れるかもしれないなんて、勘違いをすることもなかったのに。
こんなことになるなら、リルリの説得に耳を貸さなければ良かった。
逃げ出せなくなるくらいなら、パーティーなんて組まなければ良かった。
こんな惨めな思いをするくらいなら、弱い自分なんて生まれてこなければ良かった。
割れるように痛む脳味噌の隙間から、忘れていたはずの記憶が噴出する。
責任転嫁するなよ。お前が弱いから悪いんだろう。
いいから金持って来いよ。お前は弱いから、強い人間に奪われても仕方ないよなぁ。
殴られた頬の痛み、踏みにじられた顔に叩きつけられた空の財布の軽さ、目の前で破られた手紙、泣いている女の子、たくさんの嘲笑。
そして、血に染まった両手と、かすかに残る温もり。大勢の批判的な目。抱えきれない、絶望。
だから、閉ざした。
抱えきれないものを手放す方法なんて、自らの生を手放す以外に思いつかなかったから。
記憶の奥底に沈められたいつかの夜と、こうして一人ぼっちの暗闇で体を小さくして泣いている今の自分が重なる。
あの時、あの瞬間の絶望の手触りを、確かな記憶として思い出す。
いつかの自分が通った思考回路を、そのままそっくりなぞる。
自分にはまだ逃げ道が残されていることを思い出して、ユーリは安堵の涙をこぼす。
その気になれば、いつだって終わらせられる。
自らの弱さも、仲間を失う悲しみも、押し付けられた責任も、全部捨てて。
『ユーリが傷つくことで、傷つく人だっているんだから。』
どこまでも堕ちていくユーリを引き留めたのは、今ユーリが一番求めている声だった。それはきっと、いつかの夜には聞こえてこなかった声。
目を開いても声の主が居ないのはわかっているので、ユーリは縋るように目を強く結ぶ。その声を手繰り寄せる。その声の主のことを、思い出す。ユーリの心の中、その人は確かに居た。
自分を殺すことは、いつだって不思議と怖くなかった。
それよりも、戦うことが怖かった。
誰かに悪意を向けられるのが、誰かに傷つけられるのが、怖かった。
目の前で大切なものを失うことが怖かった。
自分の無力さを痛感させられるのが怖かった。
だから、この世界では自らの命に代えてでもリルリを守ると決めたのだ。
目の前で大切なものを失うくらいなら、あんな思いをするくらいなら、自分が死んだ方がマシだと思ったから。
でも、今は違う。
今、ユーリが死んでしまったら、きっとリルリを悲しませてしまうから。
たとえそれがリルリを守った結果であっても、リルリはきっと納得しない。自らの手で命を断ったなんて、尚更許してもらえないだろう。
そして、それはきっとリルリだけではない。
ユージンだって、キョウカだって、きっと同じように悲しんでくれるような気がしていた。
なぜなら、ユーリ自身がユージンを、キョウカを、リルリと同等に大切に思っていたから。
ユーリが仲間の事を大切に想っているのと同様に、きっとユーリも大切に想われている。
そんな当たり前のことに、ユーリは今更気づいた。
ベッドの中で、ユーリは目を開く。
さっきまで暴れていた心臓はいつの間にか落ち着いていて、涙も既に止まっていた。
布団を頭から被ったままなので視界は真っ暗でも、目を閉じればリルリの、ユージンの、キョウカの顔を鮮明に思い描くことができた。
今のユーリは、独りではない。
今のユーリには、仲間が居る。
ユーリの死を悲しんでくれる仲間が、ユーリが困っている時は支えてくれる仲間が居る。
ユーリが弱いなら、力を貸してもらえばいい。
ユーリ一人で守れないなら、みんなにも守って貰えばいい。
そんな仲間のことを考慮に入れずに勝手に火竜に勝てないと諦めるなんて、なんと傲慢なのだろう。
その事に思い至った瞬間、ユーリの視界は晴れる。
自分の命は、もはや自分ひとりのものではない。一緒に居る仲間達の為のものでもあるのだ。それならば、簡単に投げ出せるものであるはずがない。
それと同様に、自分の決断だって、自分だけのものではない。
ユーリが責任を投げ出してしまうと、きっと仲間を悲しませてしまう。
仲間を失望させるのは、仲間を裏切るのは、命よりも大切な仲間を失うのと同義だ。
絶望に凍えたいつかの夜とは違う。
仲間に胸を張れる自分である為に、責任を果たさなければならない。
仲間に死んで欲しくないから、仲間を守らねばならない。
仲間を悲しませたくないから、生きなければならない。
戦うことは怖いし、失うのも怖い。
でも、現実から逃げて仲間を悲しませることは、仲間に軽蔑されることは、もっともっと怖かった。
だからユーリは、ベッドから抜け出す。
そこが例えひとりぼっちの牢屋であっても、ユーリはもう独りではなかった。
◇
凝り固まった体をほぐすようにストレッチをしながら、ユーリはからまった思考もほぐしていく。
火竜を、討伐する。
イシュの街の為に、レキの村の為に、火竜に脅かされる全ての人々の為に。そして、元の世界に帰りたいと願うキョウカの為に。
冷静に事実だけを見つめれば、やはりその選択しかなかった。自分自身はこの世界から帰りたくないことは、一旦棚に上げる。
もちろん、不安や葛藤はある。
火竜を本当に倒せるのか。
仲間を守ることができるのか。
仲間を悲しませない為に、自らの命も守ることができるのだろうか。
それに、元素龍を倒したことによって生じる綻びは甚大なものになるだろう。
元素龍に怯えることがなくなったイシュが火種になって、大きな争いが起こるかもしれない。
でも、それが何だというのだ。
葛藤を断ち切るように、ユーリの右足が空を切る。
いつだってユーリは、最悪の事態を想定してきた。それが自らの命を守ることにもなったし、被害を最小限に抑えることにも繋がったから。
今回も最悪の事態を想定していたからこそ、動けずにいた。
でも、最悪の事態を想定することは、同時にリスクの先にある最良の結末を選べないことも意味していた。
火竜は、絶対に倒す。
仲間は、絶対に失わない。
自分にとっては異世界でしかないこの世界だって、自らの手で守ってみせる。
レキの村も、イシュの街も、全て守る。守ってみせる。
それが可能かどうかなんて関係ない。
だって、ユーリには全てを守るしかないのだから。
全部捨てられないなら、全部拾っていくしかない。
これから酷使するであろう右足の腱を伸ばしながら、ユーリは仲間達のことを思い浮かべている。
今のこの気持ちをリルリに言ったら、きっと笑ってくれるだろう。
ようやくわたしのありがたみに気が付いたのね、なんて茶化しながら。
そうやってリルリが笑ってくれるから、ユーリもいつだって笑えたのだ。
ユージンなら、今は感傷に浸っている場合じゃないだろう、これからの身の振り方を考える方が重要だ、なんて言うかもしれない。
ユージンはいつだって正しいことしか言わないけれど、それはいつでも正しいことを選べるわけではないユーリにとって、それはとても頼もしいことだった。
キョウカなら、自らの危険を省みることなく、火竜を倒そうと言うだろう。
私は私の意志で、火竜を倒す。前にも言ったじゃないの。
そんなことを堂々と言ってのけるキョウカは、きっと異能に関係なく美しい。
目を閉じれば、みんなの顔が浮かぶ。みんなの声が聞こえる。みんなが言いそうなことが、容易に想像できる。いつの間にか、ユーリの心の中には仲間の姿があった。
悩みも葛藤も蹴り砕くように、ユーリの右足は空を切る。
体を動かすにつれて、どんどん脳内は明瞭になっていく。余分な感情がそぎ落とされ、思考が研ぎ澄まされていく。
かつてないほどの力が、右足に満ちていくのを感じる。
もう、悩むのは終わりだ。
考えることを放棄して一人閉じこもっていた自分の殻を脱ぎ捨て、ユーリは鉄格子へ一歩踏み出す。
明日ギルドマスターに接見するのを待つまでもない。
仲間を全員助け出して、今考えていたことを、覚悟を全て伝えよう。今のユーリには仲間が必要なことも、全てを守り抜く為に力を貸して欲しいことも、全て伝える。
ギルドマスターに答えを提示するのは、仲間で意思を統一してからだ。全員の意見を尊重したい、いつかユージンも言っていたっけ。
ユーリが覚悟を以って足を踏み出したのと、遠くから爆発音が聞こえてきたのがほとんど同時だった。
音は相当遠いのに、地面がわずかに揺らぐのを感じる。よほど大きな爆発だったのだろう。何が起こっているか尋ねる前に、近くに居た衛兵が慌てて走り去る音が聞こえる。
ためらうことなく、ユーリは鉄格子の前で姿勢を低くする。右足に力が集中するのがわかる。
今ならいける、さっきは一度諦めたはずなのに、そんな確信があった。
だから、ユーリは思いきり右足を鉄格子に打ち付ける。あんなに硬かったはずの鉄格子が、けたたましい音をたててはじけ飛んだ。
押収されていた太刀を腰に据えて、ユーリは走り出す。
衛兵の姿は一人もなく、ユーリを妨げるものは何もない。どこを探すべきか見当もつかないので、風が吹いてくる方向をめがけてとにかく走った。風上を目指したのは、一つの可能性に思い至ったから。
「あ、ユーリ!」
ずっと続いていた狭い路地を抜け、視界が開けた瞬間に、ずっと聴きたかった声が鼓膜を揺らした。そのことに安堵する前に、圧倒的な柔らかさがユーリの顔を覆い尽くす。
「一人で、決められたんだね。」
「ああ、リルリのおかげだけどな。」
抱擁するリルリを引きはがすと、その背後に呆れた顔をしているユージンと赤面しているキョウカも居た。抱擁を解いてもなおユーリの手首を離さないリルリと一緒に、二人へ向き直る。
「俺が最後か。遅れてすまない。」
「我々も、今合流したところだ。あの爆発の混乱に乗じて牢を抜け出し、途中でキョウカを助けつつ、リルリの風魔法に導かれるようにここへたどり着いた。」
「わたしも、爆発に乗じて牢を抜け出したとこまでは同じ。あとはこの広間で風魔法をぶっ放し続けたら、みんな気付くかなって。」
誇大する必要の一切ない胸を張っているリルリは、かつてないほどのドヤ顔だ。
再会を喜び合う間もなく、ユーリ達の居る広間に大勢の足音が近づいてくる。
「君達か。全員揃っているなんて、手間が省けて助かるよ。」
現れたのは、ギルドマスター率いる重装甲兵団だった。その数は三十以上。
ただ、今のユーリはその人数を相手にしても負ける気がしなかった。
「元素龍が現れた。だから、今、ここで、答えを聞かせてくれないかな。」
ギルドマスターはまっすぐにユーリの目を見据えている。それはきっと、ユーリと同じ覚悟を秘めた瞳だった。
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