Ⅶ イシュの街-真実

リルリの懸念は大きく外れて、イシュへと帰る道程では一度もオウルベアに遭遇することがなかった。

警戒を維持しながらも最大速度で移動することができたので、一行は往路よりもかなり短い時間でイシュに帰ってきていた。


「まさかオウルベアまで居なくなってるなんて、超ラッキーだったね!」

「ええ。私達に恐れをなして、逃げ出したのかもね。」


リルリだけでなく、戦闘で危険にさらされることのなかったキョウカまでが露骨に浮かれていた。というか、いつからこの二人はこんなに仲良くなったんだ、とユーリは首をかしげる。


「戦闘を避けることができた、という意味では確かに喜ばしい。ただ、これが何か良くないことの前触れでなければいいが。」


「もう、ユージンはいっつもテンション下がることばっかり言うんだから!そんなこと言ってるから顔に皺が増えるんじゃない?」


とうとうユージンにまで軽口を叩くリルリに、キョウカの手刀が炸裂する。


「さて、ここからが本題だ。」


おふざけはここまでだ、と言外に諭されたリルリが、さすがに口を閉ざす。目の前には、街の入り口よりもはるかに厳重な警備が敷かれた工場地域への入り口。


「ここから先は、関係者以外立ち入り禁止となっている。早急に去れ。」


入り口に視線を向けた瞬間に、二人組の衛兵が武器を構える。それは威嚇の構えではなく、明確に攻撃の意志をこちらへと向けていた。ただ、その構え方は基本に忠実なもので、異能を行使する気配もない。このレベルなら、ユーリ一人でも制圧は容易だろう。ユーリはユージンへと視線を送る。しかしユージンは、ユーリの視線を制しながら一人で歩を進める。


「私は、ユージン。この街のギルドで傭兵をしている。此度は火竜討伐の件で、ギルドマスターに確認したいことがあって参じた。ギルドマスターへの面会を願う。」


「残念だが、何人たりともここは通さないように、というのがギルドマスターからの指示だ。お引き取りいただきたい。」


「この先の工場で何を作っているのか、その証拠をドラグロス山で見つけてきた、と言ってもか。」


ユージンが突然声を張り上げた。目の前の兵士は、その迫力に思わず身を竦める。というか、リルリとキョウカですら唐突な大声に圧倒されていた。不測の事態に備えていたユーリだけが動じることなく、ユージンの思惑を汲んでいた。

このレベルの兵士に警備を一任しているとは考え難いので、別の人間が遠隔で監視している可能性が高い。さっきのユージンの声量なら、精度の悪いマイクでも音を拾っただろう。


「いいだろう。その方々をお通ししてくれ。後は僕が引き受ける。」


その声は、衛兵の後ろ、ドアの脇にあるスピーカーから発せられていた。指示を受けた衛兵は、すぐさまドアの両脇に跪く。それと同時に、鋼鉄製のドアが自動で開いた。


「足元にある、黄色の誘導線に従って歩いてくれ。ルートを一歩でも外れれば、自動迎撃システムが作動してしまうから気を付けて。」


一行はユージンを先頭に、誘導線に従って歩いた。裸電球によって最小限の灯りだけが確保された通路は、天井にも壁にも幾重ものパイプが走っている。時折現れる壁面のドアにはアルファベットと数字で区画が振られていて、一見しただけでは何をする為の部屋なのかわからない。天井の至る所に自動小銃が吊るされているので、その扉に近付くことすら憚られる。


通路は時に折れ曲がり、上り、下った。

自らがどれくらいの時間歩いているのか、どこを歩いているのか、どの方角を向いているのか、全く分からなくなった頃に、ようやく開けた部屋に到着する。


「よく来てくれた。長い道のりを歩かせて、すまなかったね。」


無機質で広大な部屋の中を、等間隔に立っている燭台が照らしていた。よく見ると、それは燭台のような飾り細工がされた電灯だということがわかる。

その電灯の先に佇む豪奢な椅子に、一人の男が腰かけていた。

緑色のくせ毛がもっさりと広がっているが、身に纏う白衣のせいか不潔さは感じられない。フレームのない丸眼鏡の奥の瞳は叡智を湛えた深緑で、ユーリ達を優しいまなざしで見つめていた。


「あら、意外と優男じゃない。」


小声でつぶやいたリルリを、キョウカが肘で小突く。


「姿勢は、そのままでいい。楽にしてくれ。」


跪こうとするユージンを制止し、その男は柔和な表情を見せる。


「改めて、僕がこの街のギルドマスターだ。街を治めるのもギルドの仕事であることを考えれば、実質この街の支配者である、と考えてもらってもいい。噂は聞いているよ。ユーリ、キョウカ。それに、ユージンとリルリ。キョウカとユーリは転生者、だったね。」


自分達のことを知っている…、それだけでユーリは先手を打たれた感覚を拭えない。それぞれの名前だけでなく、ユーリとキョウカが転生者であることまで知られているのなら、異能の内容まで知られていると考えた方がいいだろう、ユーリはそう判断する。


「それで、さっきの話を詳しく聞かせてもらえるかな。この工場で何を作っているのか、だったっけ。」


表情は崩さないが、身に纏う雰囲気は張り詰めたものに変わる。その物々しさは、これからの返答次第でいくらでもこの場が荒れることを彷彿とさせた。


「我々は、ドラグロス山で無数のクレーターを発見しました。それと同時に、何らかの機械部品とみられる金属片も。ああいった兵器のことを、転生者達の世界ではミサイル、と呼ぶらしいですね。」


「なるほど。状況証拠から考えて、そのクレーターは魔獣の攻撃ではなく、人為的、それも高度な技術を用いた兵器の可能性が高そうだね。ただ、それをここで作っているとする根拠は?」


「今、この瞬間、貴方が表情を一つも変えないのがその根拠です。甚大な破壊力を持つ兵器がイシュではない場所で製造されており、それをドラグロス山で使用しているのなら、イシュにも危険が迫っていることに他ならないですから。それに、ミサイルという単語にも聞き覚えがあるようですね?」


ふむ、と、ギルドマスターがユージンを見据える。


「ユージン。君は傭兵だと言っていたね。僕の下で直接働く気はないかい?」


「ありがたいお話ですが、今は別の話の途中です。」


そういうところも、嫌いじゃないよ、と言いながら笑うギルドマスターの表情には、まだ余裕が見える。こういった駆け引きは自分よりもユージンが長けているとわかっているので、ユーリは周囲への警戒に集中する。広大な空間だが、周囲に他の生き物の気配はない。


「優秀な君達の事だ。ある程度予想はついているのではないかい?それなら、先にそれを聞かせてくれないか?後からまとめて答え合わせをする方が手っ取り早いだろう。」


ギルドマスターの不敵な笑みは、ユージンを挑発しているようにすら見えた。それでも、ユージンは表情を一切変えることなく、淡々と話を切り出す。


「開拓地とされていたドラグロス山は、荒涼とした荒れ地でした。そんな場所を開拓地になんて、できるわけがない。すなわち、第二開拓地、そこに派遣した開拓部隊、開拓の妨げになる火竜討伐、全てがフェイクですね?」


どうぞ、続けて?と言わんばかりに、ギルドマスターは微笑みを湛えたままだ。


「ドラグロス山のクレーターは、火竜を殺す為、あるいは実証実験の為に、イシュから発射された兵器によるもの。実験ついでに火竜を殺せれば御の字、といったところでしょうか。開拓部隊は、その結果を目視で確認する調査隊を派遣するための建前。第二開拓地がフェイクであった以上、食糧難の解消はガスとの貿易に頼るつもりなのでは?火竜さえ討伐すれば、ガスまでの貿易路が確保できますから。」


「ユージン。やはり君は僕の下で働くべきだ。報酬なら言い値で払おう。」


それはユージンに対する賛辞であると同時に、ユージンの推測が当たっていると認めることでもあった。


「ありがたいお話ですが。…さて、私の推測は以上です。」


「ああ、そうだね。全て君の言った通りだ。ミサイルの実験ついでに火竜を殺せれば、と思っていたけれど、虫が良すぎる話だったね。」


ギルドマスターは肩を竦める。もちろん、嘘は言っていないだろう。ただ、そこに滲む余裕の色は、まだ消えない。


「火竜が、元素龍だったことはご存じで?」


「…それは、間違いないんだね?」

 

ギルドマスターが初めて表情を歪めた。

しかし、驚きはしない。すなわち、ギルドマスターは火竜が元素龍である可能性に思い至っていた、ということだ。


「予想がついていたのなら、なぜ討伐依頼を下げないのです?貴方ほどの方ならば、元素龍を討伐することの意味を、その討伐依頼を誰もが受けられるギルド掲示板に掲載する意味を、分からないはずがないでしょう。」


ユージンの言葉の中にほんのわずかな感情が混ざる。それは、この場においてユージンが初めて見せた揺らぎだった。


「民の為だ。」


寸分の迷いもなく即答したギルドマスターは、もはやその表情を歪めてはいなかった。それでいて、柔和な微笑みも浮かべていない。そこにあるのは、確かな覚悟だった。


「火竜の噂がここまで広まってしまった以上、人を殺した火竜がのさばっていることに安堵できない民は多い。ギルドとして討伐依頼を出さなければ、民の不満は行政に向かうだろう。行政への不信が募れば、国が揺らぐ。国が揺らげば、民の生活が揺らぐ。」


ギルドマスターは一度言葉を切り、全員と目を合わせていく。どの視線からも逃げることなく、真っ直ぐに向き合う。


「それに、民にとって第二開拓部隊は食糧難を解決する為に犠牲になった英雄だ。民の弔意や遺族感情を考えても、ギルドとして火竜を討伐しない手はない。それがたとえ元素龍だとしても、イシュは科学的に発展し過ぎた。伝承の龍を恐れる声は少ない。」


「だからって、討伐したらどうなるか、あんたならわかるでしょう?」


感情を爆発させたのは、リルリだった。


「もちろん、その危険性は理解しているつもりだ。でも、放っておけば民が飢える。それを回避する為にも、我々は一刻も早くガスまでの貿易路を確保しなければならない。

それに、今のイシュの科学力なら、万が一火の概念がこの世界から消えてしまったとしても、科学でそれを補うことができると考えている。調理は電気による電熱線、照明は電灯と言った具合にね。

実際に、イシュだけではなくハコニワ全土にその設備をいきわたらせる為の設備投資も行っているところだ。世界の理を変えてしまったことの責任は、僕が必ずとるよ。」


リルリから一瞬も目を逸らすことなく、ギルドマスターが断言する。その瞳に秘める覚悟を目の当たりにしたリルリは、でも…、と言ったきり、続く言葉が出てこない。


「貿易とミサイルには、何か関係が?」


再び口を開いたのは、ユージン。


「君はつくづく優秀だな。…交渉の手段として、暴力を用いることは否定しない。

考えてみたまえ。隣国が飢えている。喉から手が出るほどに食糧を欲している。その隣国は科学的に発展している。これらを総合すれば、足元を見られるのは必然だろう。民の最大幸福の為には、ある程度の手段を覚悟しなければならない。」


ギルドマスターの主張は、あくまで一貫していた。全ては民の為。きっと彼は、為政者として間違ったことは言っていない。それがわかるからこそ、ユーリは奥歯を噛む。


「第二開拓地はフェイクで、火竜をすぐには倒せない。そうすれば、直近に迫った食糧難はどうするつもりですか?」


ユーリは、思わず発言したユージンの顔を見る。その声には、明らかな批判の色が滲んでいたからだ。ユージンは、まっすぐにギルドマスターの目だけを見ている。


「ユージン、君が考えている通りだ。」


返答したギルドマスターが視線を送ったのは、ユージンではなくリルリだった。その意味を悟ったリルリが腰の短剣を手にするのを、キョウカが慌てて制する。


「聡明な君達なら、わかってくれるはずだ。元素龍が倒れたことによって生じる綻びは、イシュの科学力を以って抑え込む。確約はできないが、最善は尽くす。ガスとの貿易、レキの村を耕作地にすることについても、最初は暴力を掲げることを否定はしないが、最終的には僕が責任を以って最も多くの人が幸せになれる環境を作ることを約束する。それが、今のに実現可能な最適解だ。」


『我々』の部分を、ギルドマスターは強調する。その中にはきっと、イシュの街も、レキの村も、ユーリ達の事も含まれている。


「そもそも、この世界の今の形が間違っているとは思わないか。イシュの技術力があれば、レキの村の生活が向上するのは間違いない。長老は強硬でも、全ての村人が発展を望んでいないとは思えないんだ。それに、たとえ元素龍が相手でも、人間が魔獣に理不尽に殺されることがあってはならない。僕の妻や息子のような犠牲は、もう二度と生まれるべきではないんだ。」


ギルドマスターの瞳には、深い悲しみの色が浮かんでいる。それが演技の類でないことは、誰の目にも明らかだった。そして、レキとイシュの間に何らかの交渉があったことを初めて知ったらしいリルリは、驚きを隠せていなかった。


「ある村は肥沃な大地を有効活用することなく前時代的な生活を送り、また別のある国は科学が発展しているのに民が飢え、また別の国がその貧困に付け込む。そんなの、絶対に間違っているじゃないか。僕の政策が実を結ぶまでには時間がかかる。その間に間違いなく誰かの悲しみが生じる。でも、誰かがやらないと、世界はずっとこのままだ。おかしいままなんだよ。」


「そんなの、あんたの傲慢じゃない」


リルリが吐き捨てる。その目は強い怒りに燃えている。


「確かに、今の時点では僕の傲慢だ。でも、最終的には今より多くの人が幸せを得らえる仕組みを作る。誰もが幸福な社会、それは不可能だ。だからこそ、『最大多数の最大幸福』だよ。」


ギルドマスターは、あえてここで言葉を切る。ユージン、リルリ、ユーリ、キョウカ、全員の顔を順番に見ていく。


「納得はできなくてもいい。それでも、僕の考えは全て伝えた。そして、君達の疑問もある程度は解消できただろう。その上で頼みたい。…火竜を、元素龍を、討伐してくれないか。君達以外に任せられる人間は居ない。」


リルリが小さく息を呑むのが聞こえてくる。しかし、それでも誰一人ギルドマスターから目を逸らさない。ギルドマスターも、その視線にまっすぐ応じる。


「無理を言っているのは承知の上だ。でも、火竜を討伐することの恩恵もわかってほしい。それに、火竜の討伐はユーリとキョウカを元の世界に帰すことにもつながるのだから。」


ユーリとギルドマスターの視線が、正面から交錯する。

完全にギルドマスターのペースに呑まれているとわかっていながらも、ユーリは驚きの表情を隠すことができなかった。




「場所を移そう。見てもらう方が早いと思うから。」


そう言って、ギルドマスターが玉座を立つ。まっすぐにユーリ達の方へと歩を進め、呆然とする一同の間をすり抜けていく。


「僕からつかず離れず、付いてきてくれ。近付きすぎても、離れすぎても、防衛システムが作動する仕組みだ。」


ユーリ達は、みな無言でその後に続いた。それが罠である可能性や、相手の発言の真意を考える余裕もなく、ただ従うしかなかった。


火竜の討伐が、元の世界に帰る方法?

まさか、本当にこの世界はゲームの中だとでもいうのか?

でも、どうしてそれをこの街のギルドマスターが知っている?

この男が転生者の世界間移動を管理しているのか?

ユーリは今の時点で得ている情報を用いて、様々な仮説を立てていく。しかし、そのどれもが確証には至らない。

 

「この部屋だ。先に言っておくが、この先で見るものについては他言無用で願いたい。」


ギルドマスターが扉に手をかざすと、その手の甲と扉に緑色の光を放つ紋章が浮かび、扉が勝手に開く。

そこは、小さな部屋だった。部屋の四隅には本物の蠟燭がびっしりと立っていて、中央の床には幾何学的な模様が描かれている。


「…魔法、陣?」

率直に思いついたことが、ユーリの口から漏れ出ていた。


「そうだ。この部屋の中に限るが、僕の魔法は大幅に強化される。ユージンなら、この魔法陣が何を意味するのか、分かるのではないかな?」


「使役魔法、ですか。」


さすがだね、とギルドマスターが満足そうに笑う。


「ユージンの言った通り、僕の魔法は使役魔法と呼ばれるものだ。具体的に言うと、対象者に何らかの動作を強要したり、行動を制限したりする。君達のような『転生者』をこの世界に呼んだのも、僕の使役魔法だ。」


ギルドマスターが淡々と説明する。しかし、ユーリの頭の中で使役魔法と転生者を呼び寄せるということがうまく繋がらない。使役と召喚は、全く別の能力ではないのか?すぐ隣に立つユージンも、眉間に皺を寄せて不可解な様子だ。


「なに勝手に連れてきてるのよ!」


キョウカの怒声が、ユーリの思考を阻む。激昂するキョウカを諫めるように、ユージンはキョウカの手首をつかんでいた。


「そう言われると返す言葉もない。ただ、一つだけ釈明させてくれ。僕が召喚できるのは、元の世界から逃避する願望が強かった者や、死の淵に置かれながらも『絶対に死にたくない』という強い意志を持っていた者だけだ。今の世界から離れたい、身に迫る死から逃れたい、という意志を抱くのは、世界の外側へ抜け出そうとする強い力が働くことでもある。僕は、その力をこちらに引っ張り込み、境界を越えさせるだけだ。二人とも、心当たりがあるのでは?」


ユーリだけでなく、キョウカも沈黙する。その沈黙は、言葉よりも雄弁に二人の考えていることを物語っていた。

自らの意志に関係なく震えていた右手の手首を、リルリがそっと握ってくれる。


「使役魔法は、対照を制御する楔を打ち込むイメージなんだ。魔法陣によって強化された僕の魔力は、その楔に世界の境界を超えさせることに成功した。君達は、その楔に引っ張られたというイメージだね。さっき話した通り、君達が楔の誘引に逆らわなかったから、ここまで連れてこられたのだけどね。」


ここで、ギルドマスターが一度全員の顔を見回す。ひとりひとりと目を合わせ、全員の理解度を確認してから、説明は先へと進む。


「話を戻そう。使役魔法は、基本的に対象者に触れながら発動するものだ。そして一度発動すれば、使役者の課した命令を達成するまでは解けない。ここまではいいかな?」


ユージンが代表で頷く。どうやら、ユージンには使役魔法の基本的な知識があるようだ。


「例えば対象が魔物など脳の構造が単純なものなら、使役は比較的に容易だ。しかし、人間のように複雑かつ強い自我を持つ対象の場合、使役するのはより困難になる。自我が大きい分、それを抑制するのに大きな魔力を使うからだ。使役対象の自我や趣向に逆らうような命令を強制する際は更に強い魔力が必要になるから、使役時間が短くなったり、術者の実力次第ではそもそも使役させることが不可能な場合もある。逆に言えば、本人のパーソナリティに沿った内容の使役なら、使用する魔力も少ない。」


要するに、他者に何かを強制するということは、相応の力が必要になるということなのだろう。ユーリはそう結論付ける。

ただ、その理論で言うならば、異世界から人を呼び出し、さらに何らかの働きを強いるなんてことが可能なのだろうか。


「加えて、僕の場合は転生者をこの世界に引っ張り込むことに膨大な魔力を使っているから、魔法陣のブーストを用いても使役に使える魔力はかなり弱い。実際に、君達二人は確かに私の使役魔法によってこの世界に転生してきている、つまり僕の使役下にあるわけだが、心身の自由を奪われたことなどないだろう?」


ユーリは横目でキョウカを伺い見る。視線に気づいたキョウカは、首を横に振った。ユーリもキョウカと同じく、思考や行動を著しく制限された記憶はなかった。ということは、自分達に課せられた命令は…。


「もう二人にはなんとなくわかっているんじゃないかな。僕の使役魔法によってもたらされているのは、『火竜を倒さねばならない』という使命感だけだ。使役、と言うには弱すぎる命令だから、僕の使役魔法はほとんど召喚魔法として使っているのが実情さ。」


火竜討伐に対する使命感、それはユーリにも心当たりがあった。

転生前の世界でプレイしていた類のゲームに置き換えるのも、弱者を守りたいという考えも、全てはその使命感の理由を後付けで補強していたのに過ぎないのかもしれない。キョウカの場合は、科学技術を目当てにイシュのギルドマスターに接見するという理由を後付けすることによって、火竜討伐に対する使命感に説明をつけていたのだろう。


「ご存知の通り、転生者はこの世界の理を超えた異能を身につけている者が存在する。元素龍を倒すなら、その協力は不可欠だろう。僕なら、彼らが抱いている『今の世界から抜け出したい』という切実な願いを叶えてあげられる。その代わりに、少しだけお手伝いしてもらえたら嬉しい、程度にしか思っていないのだけどね。」


ギルドマスターは、ユーリとキョウカを見つめる。その瞳はとても優しく、慈愛に満ちているようにすら見えた。


「人間は、いつだって今の自分が置かれている世界しか見えていない。でも、本当はそんなことないんだよ。転生なんてしなくても、ほんの少し視野を広げるだけで、世界は無限に広がる。君達が君達らしく生きられる世界が、きっとあるはずなんだ。僕が異世界から君達を連れてきたのは使役の為なんかじゃなく、そのことに気付いて欲しいだけなのかもれない。」


「…それで、その使役魔法が解けたらどうなる?」


今にも涙が溢れそうになっているギルドマスターの瞳と向き合うことに耐えきれなくなったユーリが、口を開く。そんなユーリのことを、手首を握ったままのリルリが心配そうに見つめていた。


「世界の理は非常に強固でね。在るべき場所に還ろうとする引力のようなものが存在するんだ。僕の使役魔法という楔がなくなれば、転生者をこの世界に縛り付けるものがなくなる。転生者達は、引力に引かれるように元の世界に還されるだろう。」


「火竜を、倒さない場合は?」


それはすなわち、ギルドマスターの要請を断るということ。ユーリはその覚悟を以って言葉を発する。


「術者である僕でも君達にかかった使役魔法を外すことはできないから、他の誰かが火竜を倒したり、火竜が自然に死んだりしない限り、君達は元の世界に戻れない。そして、火竜による被害は拡大し、イシュの街は貧困にさらされるだろう。もちろん、僕はそうならないことを祈っている。それに、そうならない為の手段がないわけではない。」


唐突に、ギルドマスターが指を鳴らす。その瞬間、大勢の足音がユーリ達の元へと殺到する。


「気をつけろ!囲まれているぞ!」


ユージンが声を張り上げたのと、ユーリ達の退路を塞ぐように数えきれない重装甲兵が現れるのが同時だった。工場地帯の入り口を警備していた雑魚とは違う、洗練された精鋭達。この狭い空間で、この数。抗ったところで結果は明白だ。


「さっきも言った通り、使役魔法は本来対象に直接触れて発動するものだ。魔法陣のブーストがあれば、君達四人の思考を完全に奪って火竜を討伐させることだって可能なんだよ。ユーリも、ユージンも、この状況が正しく分析できないほど愚かではないだろう?」


淡々と告げるギルドマスターの前にも、重装甲兵が立ち塞がっている。これだと、ギルドマスターへの攻撃も難しいだろう。ユーリと同じ答えに至ったユージンが、苦い顔で構えていた武器を下す。


「勘違いしないで欲しいのは、もし君達が協力を拒んだとしても、僕はそんな強硬手段に出るつもりはない、ということだ。君達が自発的に協力してくれなければ意味がないと思っているし、手段を有していながらも行使しないことに意味があると、僕は考えている。」


「ほとんど脅迫じゃない」


リルリが吐き捨てる。ユージンと同様に武器から手を離しているものの、ギルドマスターを見据える目には明確な敵意が燃えていた。


「そう捉えられても仕方がないのはわかっている。ただ、僕だってたくさんの選択肢があるわけではないんだ。とはいえ、君達の自由意志を奪うことは金輪際ないということは、重ねて明言しておく。無条件に信じてくれ、と言うのも虫が良い話かもしれないが。」


ギルドマスターが左手を上げると、武器を構えていた兵士達が一斉に構えを解いた。


「すまないが、この街にはあまり時間がない。だから、明日には改めて回答が聞きたい。警備の都合上、それまでは独房で捕虜として扱わせてもらうが、必要なものは可能な限り用意させよう。…さあ、客人をお連れしてくれ。」


ギルドマスターが言うや否や、ユーリ達は後ろ手に拘束される。大人しく従うユージンと、まっすぐにギルドマスターをにらみ続けるキョウカ、ちょっとどこ触ってんのよバカと騒がしいのがリルリ。


「明日の返答次第では、俺達は飼い殺しか?」


ユーリはギルドマスターへと声を投げる。


「兵器の存在を公にされたり、レキの村にこの事実を伝えられた場合、事態が大きくなる可能性があるからね。申し訳ないが、協力いただけない場合はしばらく幽閉させてもらう。もちろん、全てが終わり次第、全員を無傷で解放することは約束するよ。」


その声には、明確な覚悟と、確かな悲痛が滲んでいた。その声を聞く限り、発せられた言葉には偽りがないように思えた。

装甲兵に連れられて、ユーリ達はギルドマスターから遠ざかっていく。ギルドマスターは、その深い緑色の瞳でいつまでもユーリ達の背中を見つめていた。



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