Ⅸ イシュの街-決戦

「元素龍は、今どこに?」


「街の北側、約一キロの地点でホバリングしている。さっきの衝撃は、その地点から工場の煙突めがけて放たれた火球によるものだ。煙突が倒壊したが、今のところ人的な被害は出ていない。」


ギルドマスターと端的な言葉を交わしたユーリは、仲間を振り返る。

ユージンも、キョウカも、リルリも、誰もが逡巡することなく頷いた。覚悟を決めていたのが自分だけではなかったことを知って、ユーリは思わず笑ってしまう。


「待ってくれ。」


ユーリ達の前に立ちはだかったのは、ギルドマスターだった。

 

「本当に、いいのか。」


「イチイチうるさいわね!今わたし達がやらなかったら、誰があいつをこの街から追い払うって言うのよ!あんたの為じゃない、わたし達はわたし達の意志で、わたし達の為に戦うんだから!」


リルリの言葉を聞いても、ギルドマスターその表情に戸惑いを滲ませていた。きっと、このような緊急時にユーリ達に選択を強いることに、後ろ暗さを覚えているのだろう。

 

「大丈夫だ。俺達は、ちゃんと考えて覚悟を決めた。」


「それでも道を塞ぐ理由が、貴方には在るとでも言うのですか?」


ユーリとユージンは武器を構えて一歩前へ出る。これ以上は、問答の時間が惜しい。


「そんなもの、あるわけがないよ。」


ギルドマスターが右腕を上げたその瞬間、掲げられた掌から数えきれないほどの閃光の矢が迸り、ユーリのすぐそばにある壁に大きな穴を穿った。


「正規の出口を目指すより、そこから出た方が早い。武運を祈っているよ。」


それ以上の言葉を交わすことなく、まずはユーリが飛び降りる。次にリルリとキョウカ、最後のユージンだけがギルドマスターに一礼してから飛び出した。

ユーリ達の姿が夜明け前の闇に溶けて見えなくなっても、ギルドマスターはずっとその方角を見つめ続けていた。




「ちょっと、これ、まずいんじゃない?」


珍しく狼狽した様子で、キョウカが言う。勢いで飛び出した一行は、思ったよりも長い自由落下の時間に戸惑っていた。


「うむ。このまま地面に叩きつけられたら、大怪我では済まないだろうな。」

「俺は右足で着地すれば多分大丈夫だけど、みんなはどうするんだ?」

「ちょっと、なんでみんなそんなにバカなの!?ユーリとキョウカはともかく、ユージンまで!」


絶叫しながらも、リルリは右手を地面に向け、最大威力の風魔法を発動する。猛烈な風によって落下の衝撃を和らげたおかげで、誰もが無傷で地面に着地した。

火竜からかなり離れているにもかかわらず、強い熱風が吹き付けてくる。そのおかげで、一行は迷うことなく火竜に向かって走り出す。


「みんな、本当にいいんだな?」


走りながら、ユーリは尋ねた。


「今更!さっさと終わらせて、一緒にレキの村に帰るよ!」

「言われるまでもない。思考の余地はあっても、悩む余地はなかったからな。」

「私は私の為に、よ。何度も言わせないで。」


別々の方向から、ほとんど同時に言葉が返ってくる。


「絶対に、誰も死なせない。もちろん、俺も死なない。必ず倒そう!」


みんなの返答が嬉しくて、思わず声が震える。


「なに当たり前のこと言ってんの?バカなの?」

「リルリの言う通りだ。今更前提条件の確認が必要か?」

「一番危ないのは私なのよ。しっかり守りなさいよね。」


そんな返答が返ってきたとしても、ユーリは少ししか悲しくならなかった。




「あれか!」


ユーリが街の北側上空の火竜を目視するのと、火竜が咆哮するのが同時だった。


「仕留めそこなった我々を追いかけてきたのかもしれんな。」


「ええっ!ここまで連れてきたのはわたし達のせいってこと?」


火竜が首を後ろに逸らし、火球の予備動作に入る。このまま撃たれたら、背後に広がっている耕作地に被害が出るかもしれない。


「ユーリ!右足出して!」


叫ぶキョウカに言われるまま、ユーリは右足を突き出す。キョウカはすかさずその上に乗って、姿勢を低くする。


「私が引き付ける!できるだけ高く蹴り上げて!」


思惑を察したユーリは、言われた通りにキョウカを蹴り上げる。ちょうど、火竜の視界を横切るように。

突如視界の端に飛び込んできたキョウカに驚いたのか、火竜は生成途中の火球をキョウカに向けて吐き出した。しかし、それは大きさもスピードも半端なので、キョウカには当たらない。はるか上空に放たれた火球は、そのまま燃え尽きていく。


「ああ、もう、みんな無茶ばっかり!」


火球の行方を見守ることなく、リルリは走り出していた。風魔法で上昇気流を作り出すことで、キョウカの着地をサポートする。


「我々も行くぞ!」


ユージンが最大火力まで溜めた魔力を開放し、火竜の背中が爆ぜる。新たな火球を生成しようとしていた火竜が、呻きながら体制を崩す。ユーリは、そのタイミングを逃さなかった。

右足で思いきり跳躍し、火竜の高さを追い越す。それはいつもの跳躍よりも遥かに高いけれど、ユーリは特段驚くこともない。

そしてユージンの攻撃が命中した部位を目がけて、空を蹴る。

落下エネルギーと全体重を両腕に乗せて、背中に太刀を深く突き刺した。服が自然発火するほどの熱さの中、火竜の絶叫が刀身を通して全身に伝わってくる。


「まだまだぁ!」


この千載一遇のチャンスを逃してはならない。

ユーリは深々と突き刺した刀の柄に、右足で踵落としを決める。筋繊維を断つぶちぶちという感触を右足に伝わってくる。

ユーリは臆すことなく、深々と穿たれた刀の背を右足で思いきり蹴った。火竜の肉は信じられないほどの硬さで、普通の太刀なら折れていただろう。それでも、ユーリは躊躇せずに右足を振り抜いた。火竜の背中が大きく裂け、咆哮は更に大きくなる。太刀が火竜の背中から離れたことで、ユーリは空中に投げ出された。


いける。

ユージンの魔法と、特製の太刀、右足の異能、全てが合わされば、元素龍にだってダメージを負わせることができる。恐怖と興奮で酸欠になりながらも、ユーリは確信する。

視界の端で、地上の仲間達がこちらを見守っているのが見えた。リルリは、大きく右手を掲げている。

しかし、次の瞬間には、視界の反対側の端で火竜が首を振りかぶるのが見えた。

咄嗟に太刀を防御の姿勢で構えるけれど、空中のユーリに避ける術はない。そのまま、火竜の頭突きがユーリを直撃した。

とてつもない衝撃の中、ユーリが意識を失わなかったのは両腕のすさまじい痛みのおかげだった。痛みに耐えながらも、なんとか右足から地面に着地してダメージを抑える。


「大丈夫⁉」

 

絶叫しながら駆けつけてくるリルリ。キョウカはユーリと反対側に走り出して、火竜の気を引く。そのどちらにも一切視線を送ることなく、ユージンは魔力を練り上げている。


「ちょっと、やり過ぎじゃないの!?」


リルリの怒声が空に向けられるが、もちろん火竜には何の反応もない。激痛に顔をしかめながらもユーリが自身の両腕を見ると、両腕共に本来ならあり得ない方向に曲がっていた。でも、この程度で済んだなら奇跡だと言えるだろう。

リルリに手当てをしてもらいながら、ユーリは一人立ち向かっているキョウカへと視線を送る。俊敏なキョウカに対抗する為に、火竜は小さな火球を絶え間なく吐き出し続けていた。一つ一つの威力は格段に落ちているとはいえ、当たればひとたまりもない。キョウカは雨のように降り注いでいるそれらを、紙一重でかわしていく。


「駄目だ!」


とうとう、キョウカが体制を崩す。どう考えても、次の火球は避けられない。リルリを振り切って走り出そうとするけれど、間に合わない…!

何発もの火球が、キョウカが居た地面を覆い尽くした。キョウカの命運を確信した火竜が、火球を吐き出すのをやめる。

土煙が晴れると…、そこには煤まみれになりながらも無傷のキョウカの姿があった。その手には、自身の体を覆い隠せる大きさの赤い板を持っている。


「ユーリの斬撃で剝離したアイツの鱗よ。そう簡単に死んでたまるか!」


キョウカの無事を確認したユージンが、再び最大火力の魔法を放つ。しかし、それを察知した火竜は更に上空に舞い上がった。あの距離なら、ユージンの魔法も、ユーリの跳躍も届かない。その距離で、火竜は大きく口を開けて息を吸い込み始める。最大火力の火球を生成していると、ユーリには直感で分かった。


「高いわね。どうする?」


火竜を見上げながら、キョウカが言う。


「あれなら、俺でも届かないな。」

「届くとか届かないじゃないの!ユーリは安静にしてないと!」


手際よく手当てをしながら、リルリが叫ぶ。回復魔法と添え木による固定のおかげで何とか平静は保てているものの、太刀は握れそうになかった。


「策がないわけではないぞ。伸るか反るかは置いておいて、な。」


魔力を練るのを中断することなくつぶやいたユージンは、不敵に笑っていた。




「本当に、やるの?」


「ああ。私はそれしかないと思う。」


「私は良いけど、ユーリは大丈夫なの?」


「やれるかやれないか、じゃないよ。やるかやらないかだ。」


いまだにエネルギーを溜め続ける火竜を見上げながら、ユーリが言った。

傍らには火竜の鱗を持ったキョウカと、髪をほどいたリルリ。髪を束ねていたリボンは、ユーリの右腕で太刀を固定するのに使われていた。


「わたしの回復魔法は、傷を治すわけじゃない。痛みを感じなくしているだけなんだからね。絶対絶対、無茶はだめなんだからね!」


「わかったって。治療は、あいつを倒してからだ。」


実際に、ユーリの腕が治ったわけではなかった。太刀だって、まともに握れないからリボンで固定しているに過ぎない。だから、次の一撃で決めなければ。


「では、いくぞ。」

 

少し離れた場所で魔力を練っていたユージンが言う。

その声を合図に、残りの三人が火竜の鱗に飛び乗る。そして最後に、リルリが風魔法で三人が乗った鱗を地面から浮かせた。


「いけ!」


ユージンが鱗が着地していた地面に魔法を放つ。鱗越しの衝撃で吹っ飛ばされないよう、三人は互いの体を支え合う。まるでロケットのような勢いで、三人を乗せた鱗は上空へと舞い上がった。

 

「二人とも、絶対に、生きて帰ってきてね!死んだら殺す!」


リルリの言葉を合図に、三人は推進力を失くした鱗から飛び降りる。ユーリを抱き締めるような格好のキョウカを、リルリが風魔法でさらに上空へと飛ばす。この時点で、ユーリ単体での跳躍よりもはるかに高度が出ている。


「私もここまで。ちゃんと決めてきてね。リルリの為にも!」


風魔法の推進力が切れるタイミングで、キョウカが抱擁を解く。


「ああ、必ず戻る!」


せーのっ、の掛け声で、キョウカはバレーボールのレシーブのようにユーリを上空へ打ち上げる。同時に、ユーリもキョウカの手を足場にして跳躍した。

もう火竜は目の前に迫っている。みんながつないでくれたから、ここまでこれた。ここまで届いた。後は、ユーリの仕事を全うするまでだ。


火竜は、まだ火球を生成している。蓄積された炎で膨れた腹部を見る限り、その威力はユーリ達だけでなく、街にも壊滅的な被害をもたらすだろう。だから、絶対に一撃で決めなければならない。


「いくら元素龍でも、ここは柔らかいだろ!」


渾身の力で、ユーリは火竜の左目に太刀を突き立てた。火竜の咆哮がそのまま突風となり、ユーリを襲う。それでも、ユーリは離れない。リルリのリボンが、火竜に深く突き刺さった太刀とユーリを繋いでいた。

空中で体を限界までひねり、突き刺した太刀を右足で蹴る。太刀が、ずぶずぶと沈み込む。涙なのか体液なのかわからない液体で、ユーリの体はずぶぬれになっていた。その液体も、火竜の吐息も、耐え難いくらいに熱い。皮膚が焼かれるとともに、リルリのリボンも焼き切れる。

 

「まだまだ!」


眼球の奥に埋まった太刀をめがけて、さらに蹴りを繰り出す。

火竜の咆哮は激しさを増し、ユーリを振り落とそうと首を振り回す。ごつごつとした鱗に左足をかけ、刃のように鋭い牙にしがみつくようにして、何とかそれに耐える。全身から血が噴き出すけれど、構うものか。


「これで、終われ!」


もう、全身が限界を迎えていた。どこが痛くて、どこが痛くないのかもわからない。あれだけ熱かったはずなのに、今は全く熱さも感じない。重力すら感じられない気がする。

そんな状況でも、次の一撃が最後になるという確信だけはあった。そして、その一撃で全てを終わらせるという覚悟も。

右足を振り抜く。眼球の中に、膝下まで埋まる。その奥にあった太刀に足が届いた瞬間に、火竜の目の奥で何か硬いものを貫く感触があった。それに合わせて、自らの右足から聞いたこともない鈍い音が聞こえた。

今までで一番大きな咆哮に弾き飛ばされるように、ユーリは宙に投げ出された。もう、指の一本も動かせない。こんな状況なら、着地は絶望的だろう。


自分にしては、頑張った方だ。


命の危機に瀕してなお、ユーリは穏やかな気持ちだった。落下していく頬を切る風すら気持ちが良い。


痛かった。熱かった。苦しかった。でも、それももうじき終わる。


それでも、ユーリは目を開いた。

だって、まだ死ぬことなんてできないのだから。

激痛に苛まれながらも、空中で体制を変えようとする。右足から着地できれば、まだ希望はあるかもしれない。反動をつけてみたり、重心を変えてみたり、動かない体を何とか動かそうと試行錯誤する。下から見たら、空中でもがく芋虫みたいに見えたかもしれない。


異世界転生モノって、なんというか、もっとカッコよくてスタイリッシュじゃなかったっけ?

こんな状況にも関わらず、ユーリは自らの惨めさに思わず笑ってしまう。

でも、足掻くのは止めない。惨めでも、かっこ悪くても、自分は生きなければならないのだから。


どんどん地面が迫ってくる。仲間が何かを叫んでいる。そうか、キョウカもリルリも無事に着地できたんだな。そのことに場違いな安堵を覚える。


ユーリが最後に目にしたのは、眼前に迫った地面だった。

そして、全身に走ったものすごい衝撃と共に、その意識は途絶えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る