Ⅳ イシュの街
◇
見渡す景色の向こう側が、わずかに霞んでいるような気がしていた。それが確信に変わる頃、霞む景色の向こう側に人工的な建造物のシルエットが浮かび上がってくる。
「やっと見えてきたね。あれがイシュの街だよ。」
リルリが歓声を上げる。その様子を見る限りでは、本当に寝ている間の記憶がないらしい。
今朝も繰り返されたあの惨状を思い出して、ユーリは嘆息する。それはイシュの街なら寝床が別々になるであろうことに対する安堵の溜息でもあった。もちろん、寝床が分かれるのを残念に思ってしまう邪念がないわけではなかったけれど、それより安堵が勝るほどに、ユーリの体力と理性はギリギリだった。
街が近付くにつれて、視界を霞ませるものの正体が見えてくる。
それは街の中心部に乱立する煙突から吐き出される煙だった。数十本の煙突から絶え間なく煙が吐き出され、本来は青いはずの空をくすませている。ユーリ達が立っているのはイシュの街から見て風下なので、煙の全てが吹き付けるように流れてくる。
「工場、なのか?」
「民家にしては規模が大きすぎるし、あれだけの煙突が全部お風呂屋さんではないだろうから、工場だろうね。わたしもイシュは初めてだけど、レキの村とは全然違うね。」
二人して立ち尽くしたまま、しばし遠景に霞む工場群を眺める。しかし、じっと目を開けていると目が痛くなるので、長時間は眺めていられない。
公害に対する法律…はハコニワの世界に期待するべきではないだろう。ユーリが元居た世界でも、公害に対する規制は複数の深刻な公害病と、その犠牲者達の上に成り立っていたのだから。
ほとんど濃霧のような煙に覆われた街道を抜け、街の出入り口である門までたどり着くと、視界は少しだけ晴れた。煙突の位置が高い故に、煙はほとんど街の外へと流れていくのだろう。とはいえ、門を守る衛兵は大仰な鎧とともに防塵マスクのようなものを着用していた。
「火竜討伐の方?」
衛兵が、開口一番に尋ねてくる。ユーリが頷き返すと、それ以上何も言わずに街の中へと通された。どうやら、衛兵が飽き飽きするくらいに、ハコニワ全土から火竜討伐の志願者が来ているらしい。そのセキュリティの緩さに違和感を覚えながらも、ユーリとリルリはイシュの街へと足を踏み入れる。
門の向こうは、石畳の大きな道がまっすぐに工場地帯まで伸びていた。道の両側は石造りの建物が立ち並んでいて、そのほとんどが商店のようだ。呼び込みの声と、それに応じる住民や冒険者の声が溢れる商店街は活気に満ちている。
道の突き当りである工場地帯は高い壁で覆われており、街の入り口よりもはるかに厳重な警備が敷かれている様子だ。まっすぐ見晴らしのいいメインストリートから脇道に逸れると、毛細血管のように細い路地が広がっている。その毛細血管の一つ一つにも、商店や住居がびっしり並んでいて、どの路地からも人がひっきりなしに出入りしている。
「なんというか、別世界だな。」
ユーリが思わずそう漏らすのも無理はない。
人口が数十人のレキの村しか知らないユーリは、ハコニワ全体の文明レベルがその程度であると思い込んでいた。しかし、イシュの街は建築様式から生活レベル、住人の人数まで、レキの村とはあまりにも異なっていた。ユーリが元居た世界と比べると劣るものの、レキの村で生まれ育ってきたリルリのような人間からすると、この街は数百年分タイムスリップしたように見えるだろう。
「これは、街灯、だよな?ということは、イシュには電気が?」
ユーリは通りに沿って等間隔に並んでいる柱に手を置く。その柱の先端に付いているのは、どう見ても電灯だ。
「だね。あんなにたくさんの工場を稼働させるだけの技術力があるのだから、不思議ではないよ。レキの村にもあったらいいのにね。」
リルリが唇を尖らせる。確かに、電気が通っているかどうかは生活に大きな差をもたらすだろう。レキの村に電気が通れば、米の脱穀や洗濯が劇的に楽になるはずだ。もっとも、脱穀機や洗濯機を作る技術があれば、の話だが。
「まずは、拠点になる宿探しからね。観光はそれからでも遅くないでしょ」
そう言って、リルリは門の一番近くにあった宿へと入っていく。
一番小さくて安い部屋を取ったにも関わらず、部屋には水道が通っていた。トイレも水洗式で、なんとお湯の出るシャワーまで備わっている。
「シャワー…。しかも、お湯が出る…。」
ほとんど泣きそうな声で、リルリがつぶやく。
「レキの村には、シャワーどころか水道もなかったもんな」
レキの村から出たことがないリルリは、シャワーを見るのが生まれて初めてのはずだ。リルリの年齢を考えると、シャワーに感激して涙を流したくなる気持ちもわかる気がした。
そんなことを考えているユーリに目もくれず、リルリは迷いない手つきで二つの蛇口を回して水温を調節していた。
「で、あんたはいつまでそこに居るつもりなのよ!」
リルリに背中を蹴られて、ユーリは浴室の外に放り出される。
ぴしゃりと閉められたドアの向こうからは、衣服を脱ぎ捨てる衣擦れの音、シャワーの水音。そして、リルリの恍惚とした吐息。
それらはあまりにも鮮明で、ユーリとリルリを隔てるドアの薄さを彷彿とさせた。
こんなにも薄い、そして鍵もかからないドアの向こうに、一糸纏わぬリルリが居る。
「こんなギャルゲーみたいな展開、本当にあるのかよ…」
ギャルゲーの主人公みたいに風呂を覗く度胸のないユーリは、ひたすら悶々とする他なかった。
◇
リルリがとてもとても長い時間をかけてシャワーを堪能していたせいで、街へと繰り出したのはお昼を回ってからだった。
「大きいギルドなんだし、わたし達は招かれているわけだから、送迎車くらいないのかしら。せっかくシャワー浴びたのに、また工場の煤まみれになっちゃう。」
手元に広げた街の地図を見ながら、リルリが愚痴る。
地図によると、イシュの街のギルドは十字に走ったメインストリートの北側、ユーリ達の宿から見て、街の中心に広がる工場地帯を越えた先にあった。工場地帯には入れそうにないので、大きく迂回する必要がありそうだ。
「仮に送迎車があったとしても、俺らなんか迎えに来てくれないだろうな。さ、愚痴を言う暇があるならとっとと足を動かそう。街の様子も見ておきたいし。」
「あんまりキョロキョロしないでよ。田舎者なのバレるでしょ。」
不機嫌な様子でずんずん進んでいくリルリを見失わないよう、ユーリは慌てて追いかける。大仰な工場を大回りしてさらに十分ほど歩いた先に、目的の建物はそびえていた。
「うへえ、ユーリ、迷子になんないでよ。」
レキの村の酒場よりもうんと広いイシュのギルドは、大勢の人がひしめき合っていた。
その大半が大仰な鎧を着ていたり、大きな剣、派手な大杖を持っているので、物々しい雰囲気に満ちている。
迷子になったら困るから、と言ってリルリに手を引かれたまま、クエストが貼り出された掲示板へと向かう。
納品や作業依頼のクエストよりも、討伐に関するものが圧倒的に多い。その場所も、イシュの近郊だけでなくハコニワ全土に及ぶようだ。その中でも、一際目を引く大きな赤い文字で張り出されているのが、件の火竜討伐だった。
「おじさん、これ、わたしらも参加する!」
リルリが火竜討伐の張り紙を指さしながら叫ぶと、喧騒に満ちていたギルド内がしんと静まり返った。
「これって、火竜討伐か?」
「ええ。受注はここでいいのよね?」
「悪いが、あんたらじゃこのクエストは無理だ。出直してきな。」
ユーリを一瞥し、その一方でリルリは頭のてっぺんからつま先まで舐めるように眺めてから、ギルドの係員が吐き捨てた。
なんだよ、女子供じゃねぇか。いつからここは託児所になったんだ?
火竜を狩れるほどの実績があるのか?見たことない奴だぞ。
連れの男、あんなほそっこい腕で剣を振れるのか?
で、でけえええええええええ!すげえ揺れてるぞおい!
おい、お前、声かけて来いよ。隣のもやし男くらい、一撃で捻れるだろ。
なるほど、そもそも見た目から舐められているわけか。
周囲の雑音に対して、ユーリは小さく溜息をついた。レキの村に転生してから、害獣相手とはいえ命のやり取りは何度か経験してきた。その経験から、対峙した相手の経験値くらいなんとなくは察せる。
色々と面倒なので、雑魚を相手にひと暴れしてやろうか。
嫌でも聞こえてくる軽率な発言を聞き流しながら、ユーリはそんなことを考えていた。
それは普段のユーリなら絶対に考え付かないような暴力的な解決策だが、この状況なら致し方無いとユーリは判断する。こそこそ聞こえてくる野次の中には看過できないものもあったような気がするし。
「なんでよ!わたし達はここのギルドマスターからの要請があってきたのよ!」
リルリがギルドの係員に食って掛かる。それと同時に、周囲からは隠す気のない嘲笑が漏れ聞こえた。そして、リルリに向かって遠慮なく向けられる、下卑た視線。
怒りに任せて、ユーリは太刀に手をかける。
その音や殺気に反応する人間は、誰も居ない。やはり、その程度の人間の集まりということだろう。その事実を観測して冷静さを取り戻したユーリは、それでも太刀から手を離さない。
一瞬で周囲の間合いを把握し、ユーリは太刀を抜いた。周囲の人間に刃を当てないように一薙ぎし、カウンターに太刀を突き立てる。リルリににじり寄っていた何人かの男の前髪と、ギルド係員のネクタイが、主を失って床に落ちる。
誰もがその速度に反応できていないので、ざわめきの声が起こったのはユーリがカウンターに太刀を突き立てた数秒後だった。ギルドの係員が、自身のネクタイが切り落とされているのに気づくのに、さらに数秒。
「まだ舐めた口きける奴がいるなら、出てこい。」
大勢の人間が溢れるギルドは、しんと静まり返っていた。誰もがユーリの突然の立ち居振る舞いに憤慨しつつも、その迫力に気圧されていた。
やっぱり、雑魚ばかりだったか。
ユーリはカウンターから太刀を引き抜き、鞘に納める。それだけの動作で、ギルド内は再びざわめいた。まだ足りないか?そう問いかけるように、ユーリはギルド係員を睨みつける。
「やめた方がいい。」
声がしたのと、ユーリの眼前にメイスが突き付けられたのがほとんど同時だった。
「確かに、君の選んだ手段は、一番手っ取り早いだろう。しかし、むやみに暴力を行使するのは強者の振る舞いとは言えない。そうは思わないかね。」
それは、長い黒髪を後頭部で束ねた長身の男だった。
年齢はユーリよりもずっと上で、その落ち着き払った声には静かな威圧が滲んでいる。ただ、その威圧はユーリの行動を抑止する為のもので、主だった敵意は感じられない。
ユーリも相手に敵意を向けないように注意しつつ、相手を観察する。
突き付けられたメイスは、打撃用には不要と思われる大きな宝石のようなものがついていた。それに、身に纏っているのは大仰なメイスには不釣り合いにも見える軽装の鎧。
「あんた、そんなメイス持っているけど、近接タイプじゃないな。遠距離の魔法型に遅れを取るほど、俺は遅くないぞ。」
あんたほどの相手に、手加減できるほど器用でもない、というのは言外も伝わった。
「なるほど、異能者…脚力か。確かに近接は分が悪いな。」
男は、静かにメイスを収めた。ユーリも、太刀にかけていた右手を降ろす。息を吞んでいたギルドの係員やリルリを含めた周囲の人間が、ようやく自らが呼吸すら止めていたことに思い至った。
「なにしてんのよ、バカ!」
武器を収めてからも大男から視線を逸らさないユーリの脇腹に、リルリの右こぶしが突き刺さった。体勢を崩したユーリの首根っこに高速の手刀を叩きこんで完全に沈黙させてから、リルリは大男に満面の笑みで会釈をした。そのまま動かないユーリを引きずってギルドを出るまで、所要時間は十秒に満たなかった。
◇
「あんたね、本当に何考えてるの?確かにむかついたけど、あの人数を相手に大立ち回りを演じる気だったの?バカじゃないの?バカよね?というかバカじゃん!」
毛細血管のような細い路地の奥で、リルリはいつまでもぷりぷりしていた。
「ギルドにひしめいたいたのは、ほとんど雑魚だから問題ない。あの大男以外は。」
ユーリは突き付けられたメイスの威圧感を思い出していた。
あんなに目立つ長身なのに、音もなくユーリに忍び寄り、武器を突き付けるその瞬間まで気配を感じさせなかった。それに、右足へのわずかな体重移動を見逃さず、その一瞬だけでユーリの異能を見抜いた観察眼。間違いなく手練れだ。相手の魔法の性質にもよるけれど、本気でやり合っても勝てるかどうかわからない。
「でも、あの男…」
リルリが目を伏せて思案する。
「知っているのか?」
「ううん。結構いい男だったな、って。」
「お前なぁ…」
心底呆れるユーリと、まんざらでもない様子のリルリ。そして、二人に近付く足音。
「少し、いいかね?」
近付いてきたのは、さっきの大男だった。武器は納めているし、敵意も感じない。とりあえず、ユーリはわずかに警戒を緩める。
「先ほどは失礼した。私は、ユージン。この街のギルドで傭兵をしている。」
ユージンと名乗った男は右手を胸の前にし、恭しく一礼する。
「いいえ。こちらこそ先ほどは失礼を。わたしはリルリ、こっちがユーリ。レキの村から火竜討伐の招集で来ました。」
リルリに無理やりお辞儀をさせられている間も、ユーリはユージンと名乗った男から目を逸らさない。路地もここまで奥に来てしまうと、多少騒がしくしても通りまでは聞こえないだろう。要するに、この状況でリルリを守れるのはユーリだけだ。
「レキの村…ということは、あの古狼の森を抜けてきたのか?」
「コロウ、ころう、古狼…あ、狼?確かに森でいっぱい襲われたけど、大したことはなかったわよね、ユーリ?」
ユーリが頷く。ユージンは二人の全身を確認した後に、ふむ、と納得した様子だ。
「あの森を無傷で抜けられる人間は、この街のギルド員にはほとんど居ないだろうな。確かに、君達は強いようだ。火竜討伐への招集がかかるのも納得だな。」
「あんたも、あの森くらい無傷で抜けられるだろう?」
ユーリが尋ねる。ちょっと、失礼でしょ、と小声でリルリが注意する。
「戦闘スタイルの問題で、一人では少し難しいだろうがね。」
「なるほど。近接は奥に居る連れが?」
ユーリがユージンの背後に広がる暗がりを顎で指す。その隣でリルリが、えっ、もう一人?と驚いた声を上げる。ユージンは両手を上げて降参の姿勢。それはすなわち、害意があって連れを隠していたわけではないという釈明でもあった。
「ねぇ、ユージン。本当にこんな子供を勧誘するつもり?」
暗がりから現れたのは、控えめに言って超絶な美女だった。
艶やかな黒髪に、カモシカを彷彿とさせるすらりと長い脚。それでいて胸部や臀部は程よく柔らかそうで(胸部がリルリより小ぶりなのは言うまでもない)、ユーリの元居た世界の基準で言えば理想的なモデル体型と言えた。それでいて身に纏っているのはほとんど水着みたいな衣装で、胸元や下腹部を覆うように申し訳程度のひらひらとした布が揺れている。地面を穿つようなハイヒールは彼女の脚線美をさらに引き立て、右の手首と足首、あとは両耳に付いたゴールドのアクセサリーがエキゾチックな魅力を醸している。
「彼女はキョウカ。私のパートナーだ。」
パートナー、という言葉に、一瞬だけキョウカの凛とした空気が揺らぐ。ただ、それは本当に一瞬で、半ば呆けるようにキョウカに見惚れるユーリは気付かない。
「なに見惚れてんのよ、バカ!」
リルリに脇腹をつねられ、ユーリはようやく我に返る。こんなに女性に見惚れるなんて、初めての経験だった。
「彼が見惚れるのも仕方ない。それが彼女の異能だからな。」
「ちょっと、ユージン、」
「キョウカ。信頼関係構築のためにも、ある程度の情報開示は仕方ない、ということは事前に決めてあっただろう。それに、彼、ユーリも君と同じ異能者だ。」
キョウカが驚いた顔で、ユーリを見つめる。ユーリも自分以外の異能者を初めて見たので、驚きを隠せない。
「込み入った話になる。よければ、我々の宿で話そう。」
返事を聞く前に、ユージンは歩き始めた。
その後に続いたキョウカの後ろ姿を、ユーリはいつまでも眺めている。人の視線を引き付けるのが異能?それに、異能者ということは、彼女も転生者なのか?
「だぁ、かぁ、らぁ、いつまで見つめてんのよ、この大バカ!」
リルリの手刀が再びユーリの後頭部に炸裂し、ユーリは引きずられながらユージン達の後に続いた。
◇
「まず最初に言っておきたいのだが、あのギルドの男は意地悪で君達に火竜討伐を受注させてくれなかったわけではない。あのクエストは最低受注人数が四人からなのだ。」
ユージン達の宿は、街の北側にあった。
街の北側は電気も水道も通っておらず、むき出しの地面に田畑が広がっている。周囲の建物もほとんど全て木造で、この周辺だけを見るとレキの村にそっくりだ。工場地帯から排出される煙のせいで、街の風上にあたるこの辺りしか農耕栽培ができない、というのがユージンの説明だ。
「最低受注人数?」
リルリが鸚鵡返しに尋ねる。レキの村で何度もクエストをこなしてきたユーリにも聞いたことがない言葉だ。
「そ。火竜討伐のクエストが公示されてから一週間。討伐に失敗したパーティは二十を超えたわ。だから、ギルドは四人以上でないとクエストを受けられないという制限を設けたの。雑魚でも四人集まればそこそこの力になるし、一撃で全滅もしにくいだろう、という判断ね。こんなこと、滅多にないのだけど。」
キョウカが髪をかき上げながら言う。そこからは目に見えない色気がぶわっと舞い上がっているかのようで、ユーリは視線を逸らせない。
「そのすごい色気、それが異能なわけ?大したものじゃないの。」
ユーリをいくら殴っても無意味だと悟ったリルリが、今度はキョウカに噛みつく。
「どうやらそうみたいね。人間の男だけじゃなく、魔獣にも有効よ。私が元に居た世界のゲームでいえば、敵の攻撃を引き付けるタンク職、ってところかしらね。彼にとっても、無駄に大きな乳袋をぶら下げている貴女より私の方が良いみたいね。」
鼻で嗤うキョウカ。
「おうおう、やけに噛みつくじゃねえの、姉ちゃん。ちょい表出ろや。」
鼻息を荒くして立ち上がるリルリ。慌ててなだめるユーリ。やれやれと言わんばかりに溜息をつくユージン。
「なぁ、キョウカさん。もしかして、あなたもこの世界に転生してきたのか?」
「キョウカ、でいいわよ。私もユーリ、って呼ぶから。その言い方だと、貴方もそうなのね。自分以外の転生者なんて、初めて見たわ。」
「異能を持った転生者は自らの身分を隠すことが多いから、仕方のないことだろう。ただ、もともとこの世界で生まれ育った人間から見ると、転生者はなんとなく雰囲気でわかる。そうだろう?」
ユージンがリルリに尋ねる。
「まあ、ね。この街にも、たくさんいるよ。ユーリやそこの女みたいに、際立っているのはほとんど居ないけど。」
リルリはいまだにキョウカを睨みつけている。放っておくと、今にも噛みつきそうな勢いだ。
「話を戻そう。私とキョウカは二人組でパーティを組んでいるのだが、どうしてもあの火竜討伐を受注したいのだ。そこで早い話、我々でパーティーを組まないか?」
ハァ!?と、大きな声を上げたのがリルリ、鼻で嗤ったのがキョウカ、ユーリだけがユージンの目をまっすぐに見つめて、続きを促す。
「もちろん、建前だけで構わない。ただ、火竜は非常に強力だし、そこに至るまでに凶暴な魔獣の巣も越えなければならない。戦力的に見ても、手を組むのは悪い話ではないはずだ。」
「あんた達が本当に組むに値する強さなのか、それは証明してもらえるの?ユージンはともかく、そこのお色気女よ。色気で魔獣を殺せるって言うの?」
すかさず、リルリが口を挟む。
「あら、その言葉はそっくりお返しするわ。ユーリは異能者だし、なによりユージンも認めているから安心だけど、貴女が戦力として機能するなんて、見た感じではとても思えないわ。そんな大きなものをぶら下げて、まともに動けるのかしら。」
リルリとキョウカの間で、再び火花が散る。ああ、やっぱり女は面倒くさい、ようやくキョウカに見慣れてきたユーリが嘆息するのと、ユージンが嘆息するのがほとんど同時だった。
「お互いの主張はもっともだが、とりあえずは形だけでもパーティーを組むべきだ。ユーリ達の事情は良く知らないが、元の世界に帰る方法について、興味がないわけではないだろう?」
「…どういうことだ?」
ユーリは慎重に尋ねる。キョウカに噛みつかんばかりだったリルリも、目を丸くしてユージンを見つめていた。
「一昨日、火竜がギルドマスターによって災害認定されたわ。これは、火竜が災害レベルの魔獣だと認められた証。これを討伐すれば、イシュの街で一番権力を持っているギルドマスターに接見が認められ、懐に入り込むことができる。この異世界の中でもっとも科学的に発展しているこの街の中枢に入りこめる、ということよ。ユーリならわかるわよね。」
ユーリは頷く。確かに、街の中央に広がる工場地帯は、ユーリが元居た世界と同じ文明レベルと言っても過言ではなさそうだった。
「この世界の魔法や伝承に精通しているユージンですら、異世界から何者かが召喚されてくる理由や、元の世界に戻る方法を知らない。ということは、残された可能性は科学的アプローチのみ。もちろん、それで帰れる保証だってないけれど、試す価値はある。でしょう?」
説明するキョウカの瞳には、強い意志が宿っていた。
「とにかく、我々の事情としてはそんなところだ。そっちの事情もあるだろうが、こうしてパーティーを組むところまでは悪い話ではあるまい。受注後に行動を共にするかはさて置き、受注の為にパーティーを組むところまでは同意してもらえるだろうか。」
一度だけ顔を見合わせたものの、ユーリもリルリもほとんど迷うことなく頷いた。
「ありがとう。では、今日はここで解散にしよう。明日の朝、出発の準備を整えてギルドで落ち合う。それでいいかな?」
頷くユーリと、キョウカにガンを飛ばし続けるリルリ、それを完全に無視するキョウカ。明日以降のことを考えて溜息をついたのがユージン。
こうして、ユーリが初めて組んだパーティーは最悪の初日を終えた。
◇
「くそ!あの露出狂女!腹立つ!」
ビールの空き瓶の底が、宿のテーブルを叩く。机の上に並んでいた沢山の空き瓶が崩れて、けたたましい音を立てた。
「ゆーり!まさか本気であの女と一緒にパーティーを組むつもりじゃないでしょうね!」
べろべろに酔っぱらっているリルリの手には、また新しいビールが握られている。
二つ並んだベッドの片方に寝そべりながら、ユーリはユージンとキョウカのことを、形だけとはいえ組むことになったパーティーのことを考えていた。
確かに、ユージンの言った通り、パーティーを組むこと自体は悪いことではない。
現時点ではクエスト受注の条件を満たす為だけのものだし、気に食わなければクエスト受注後にすぐ解散すればいい。ただ、ユーリが思い出していたのは、昨日リルリと一緒に抜けてきた森での戦闘だった。
森に入る前、ユーリはリルリに手を出さないよう言い聞かせた。
しかし、最初の戦闘で助けられた後も、ずっとリルリを戦線に立たせてしまったのが現実だ。
もちろん、リルリの戦闘能力が思っていた以上に高かったこと、狼の連携に対応するには二人で交互に捌くのが最も安全だったこと、それらを考慮したうえで最善策をとったに過ぎないのだけど、それを加味してもなお、ユーリはリルリを前線で戦わせたくないと思っていた。リルリの魔法なら遠距離からでも攻撃が可能だし、何より前線に出ればそれだけ怪我を負う確率が上がるからだ。
パーティーを組むということは、それだけ戦闘の幅が増えることを意味する。
ユージンにおいてはその強さは間違いないだろうし、そのユージンが相棒として認めているキョウカだって、ユーリの想像している通りか、それ以上の力を持っていると考えて良いだろう。キョウカが敵の攻撃を引き付ける盾の役割を果たしてくれるなら、ユーリの攻撃の決定力が上がるし、リルリだって遠距離をキープしつつ戦い続けることができるはずだ。そして、その役割上攻撃を受けやすいキョウカだって、リルリの回復魔法があれば安心して立ち回れる。
ユーリは集団での行動に苦手意識を持っていた。
それは転生前からユーリがすでに持っていたものらしく、魂にしっかりと根付いた苦手意識はパーティーを組むことに対して生理的な嫌悪感に近いものをユーリに抱かせていた。しかし、その嫌悪感に抗ってでも、ユーリはリルリを戦線から遠ざけたかった。
村のみんなに、リルリのことを頼まれたから。
そして何より、この世界に転生してきたユーリを助けてくれたのがリルリだったから。
なんとしてもリルリは自分の手で守りたい。
いや、守らなければならない。
それは、自分の命に代えてでも、だ。ユーリは固く決心していたのだった。
「おいこら、きいてんのか!」
ビールを持ったまま、リルリがユーリのベッドに飛び込んでくる。正確に言うと、躓いたリルリが倒れこんでくるような状況だったので、ユーリは咄嗟に抱きとめる。柔らかさとか、シャンプーの匂いとか、いろいろなものに翻弄されないよう、ユーリは咄嗟に自我を滅却する。
「わかってる。わかってるんよぅ…」
ベッドの上でユーリに抱き留められたままのリルリが、呻くようにつぶやく。
「パーティーは、組んだ方がいい。あの女もユージンも、きっとすごく強い。何より、あの女、キョウカが元の世界に帰りたがっているなら、それは絶対に手伝ってあげたい。キョウカのためにも、ユーリのためにも。ちがう?」
「そうだな。その通りだ。リルリは優しいな。」
ユーリは、リルリの後頭部を撫でる。口では色々言いながら、リルリはキョウカの力になってあげたいと心から思っているのだった。
「でもぉ、やっぱりむかつくあのおんなぁああああ!!!」
リルリの絶叫は、真夜中を過ぎても続いた。
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