あーりーせれぶれいと

 用向きを済ませて駅へ向かうと、当たり前ではあるが帰路を行く人々でごった返している。夜の帳はすっかり下りて、帰宅ラッシュの真っ只中。新年度を出迎えるたばかりだから、まっさらな制服やスーツに身を包んだ人もたくさん。

 失敗した。無理に学校終わりに済ます必要はなかったかもしれない。とはいえ、予定を確認してみれば時間的に猶予があるわけでもない。

 柱巻きの広告に背を預け、げんなりしつつ改札へと吸い込まれていく人の群れを遠巻きに眺めていると、見知った顔が左右から流れてきた。

「「「あ」」」

 異口同音。

 咲花は嬉しそうに、橘花はシンプルに驚いていて、俺は何でお前らいるんだよと少しばかりうんざりしたような気持ち。抱いた感情はそれぞれだ。

「二人とも何してんの?」

 話をするなら、と、通行の邪魔にならないように端へ移動して。

 そんなことを言いつつ両手に抱えた荷物をごく自然に、あり得ないくらいシームレスに俺たちへと手渡して、橘花が疑問をそのまま口にした。

 これ、当たり前みたいに荷物持ちしてる俺らも大概だよなと思う。

「俺は買い物帰りだけど」

「俺も、あー……買い物、かな」

「なんで花霞はちょっと言い淀んだの?」

 なぜ今日に限って目敏いのか。訝る橘花になんと返事をしたものだろうかと迷っていると、咲花が助け舟を出してくれる。おそらく咲花も同様の用件だったのだろう。助かった。

「橘花は何してたの?」

「んー? 私も買い物。秋物の服、去年まとめて捨てたから」

「え、これ全部?」

「いや、花霞に渡したやつだけ。咲花のは日用品。洗剤とか」

「お前そういえば一人暮らしだったな」

「いろいろと大変だなあ」

 我が家に入り浸っているため忘れがちだが、橘花は一人暮らしだ。本当にほぼうちで過ごしているが、ちゃんと帰るべき家はあるのだ。

 余談にはなるが咲花は週に二、三日泊まっていき、橘花はそのくらいの頻度でしか家に帰らない。

「ところで」

 なにかを思い出したかのように、橘花が言う。

「買い物って言ってたけど、二人は何を買ったの?」

「…………あー」

「…………うーん」

「……え、なんなの?」

 橘花のリアクションは訝る、というよりは、どちらかというと怯えるに近い。

 それもそのはず。俺が馬鹿正直に物を教えるとは最初から思っていないだろうが、咲花までもが同様に口を噤むというのはあまりない。少なくとも咲花ならば素直に吐くだろうと予想していたに違いないのだ。

 ぐい、と咲花が肩に腕を回してくる。そのまま橘花に背を向けて咲花と二人、小声で密談に勤しむ。

「どうする?」

「どうするか……。適当に誤魔化してもいいけど、上手い言い訳が思いつかん」

「いっそ渡すのは?」

 咲花の提案にしばし黙考。予定としてはは数日後、少しばかり早い。しかし、このまま橘花がなにかを警戒したままその日を迎えてしまえば、計画自体が御破算になる可能性もある。橘花は平気でドタキャンする女だ。その展開はどうしても避けたい。

「天花寺に文句言われそうだなあ……」

「まあ諦めようぜ、その辺は」

 こぼした溜め息は駅中の喧騒へと溶けていく。男子の悪巧みというものは、どうしても女子にはバレる運命らしい。

 振り返り、依然として眉を顰めている橘花へと荷物を差し出す。咲花も同様に。当たり前だが先ほど手渡された物ではなく、俺たちが買った物だ。

「ん」

「どーぞ」

「…………は?なに?」

「いいから受け取れ」

「悪いもんじゃないから」

「え、ちょっと」

 小さめの紙袋を無理やりに押し付けると、橘花は戸惑いながらも手に取った。

 咲花が何を買ったのかは知らないが、俺はアロマキャンドルにした。香りはなんだか忘れたが、気分が落ち着くやつを選んだ。

 しかし、当の本人は何故それを渡されたのか理解出来ていないようで困惑しきりだ。こいつ、本気で忘れているのか。

「お前、週末誕生日だろ」

「…………あっ」

「マジで忘れてたの?」

「いや、うん……。そうだね、すっかり抜けてた…」

「これ、こそこそ準備しなくてもバレなかったかもな」

「なー」

 気が抜けたのかぽかんとする橘花を見ていると、そういえばこいつは頭がいいのに生粋のアホだったなと思い出す。

 ──そもそもの話にはなるが、『菜々美の誕生日を盛大に祝おうの会』の 発起人は天花寺陽だ。

 二週間ほど前に何の脈絡もなく招待されたグループチャットは、発足してからというもの、日々大量に履歴を増やしていっている。おそらくは今この瞬間も、なんらかのやり取りが行われているだろう。

 グループのメンバーは天花寺に俺と咲花、さらにはうちの両親、咲花の妹と弟が一人ずつ。長女の菫と、次男の真白だ。

 まず会場として俺の家を使用するから父さんと母さんを引き入れて。

 次いで飾り付けなんかを咲花の妹弟たちが担当してくれることになったので、代表として咲花を除く上の二人がグループに参加することになった。

 本当の本当に橘花と関わりのある人を総動員していて、まさに『盛大に祝おう』である。

 余談だが天花寺の本気度がかなり高い。「もうこれで終わってもいい、だからありったけを」とか念能力者みたいな名言を残している。

「ねえ、これ今貰ってよかったの?」

「いいわけないだろ」

「俺らあとで天花寺に怒られる予定だよ」

 橘花の呈した疑問への回答は当然ノーだ。本来なら当日に贈られるべきもので、天花寺との打ち合わせでも決して橘花に気づかれないように、慎重にかつ迅速に物事を進めろとの御達しだった。

 正直な話、このあと天花寺にどんな目に合わされるのか恐ろしくて仕方ないのだ。本当にどうしよう。

「ふふ…」

 不思議そうな顔をしてプレゼントを抱えていた橘花は、天花寺に怯える俺たちをみて笑った。

 いつもみたいな気色の悪い含み笑いではなく、思わず溢れたような、まるで木漏れ日のような微笑みだった。

「ほんと、馬鹿だねえ二人とも」

 そう言いつつも本気で馬鹿にしているわけではないようで、慈しみさえ感じる声色に、俺は呆気に取られてしまった。

「橘花さ、なんか上手いこと天花寺のこと言い含めてくれよ。俺ら馬鹿だから思いつかないんだ」

「ふふん、よかろう。下々の頼みを聞いてやるのも貴族の義務、つまりはノブレスオブリージュだよね」

「いやー、よくわからんけど助かるわ」

「じゃあこれから花霞んち行って作戦会議しよっか。花霞、いいよね?」

「……あ、いや。うちじゃない方がいいんじゃないか。母さんあたりから天花寺に情報漏れるぞ」

「なんか今日の花霞テンポ悪いね。どしたの?」

「別に、なんでもねえよ」

「はいダウトー。普段の花霞なら私が下々とか言った時点で物申してますー」

 人の調子を乱しておいて、裏腹に橘花は絶好調だ。意地悪く緩んだ口元はいかにも橘花らしい。

 先ほどの温かい微笑みはどこへいってしまったのか。幻か何かだったのだろうか。

 特に何も言い返せず、逃げるように雑踏へ身を投じる。ニヤニヤしながら橘花が、にこにこしながら咲花が後に続いた。

「花霞んちを避けるなら、まあ私の家が一番安全だよね。二人とも着替えとか持ってきなよ」

「りょーかい」

「ご飯は作るのめんどくさいからウーバーでいいよね」

「まあ妥当だな」

「あ、あとあれだ」

「ん?」

「まだなんかあるのか」

「花霞、咲花」

 「何?」と異口同音。俺と咲花によるものだ。橘花は駆け足で俺を無理やり追い抜いて、ほんの一瞬こちらへと向き直った。

「ありがとっ」

 そうして颯爽と改札を通り抜けた橘花の言葉は、さながら春風のように、仄かな温かさを残して雑踏へと溶けていった。

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