茶会事件

 とある日の昼下がり。この後の授業は睡魔との戦いだなあと、徐々に重くなってくる目蓋に抗っていた時だ。

「なんで午後の紅茶って午後なんだろ」

 手に持ったペットボトルのラベルを見つめて、前の席に座る橘花はそんなことを呟いた。

「午前の紅茶だと語呂が悪いからだろ」

 心底どうでもいいので適当に応じたところ、「もっと真面目に考えて」と睨まれた。真面目にと言われても、これはどう考えても真面目に論じるような話題ではないだろう。

「わざわざ午後のって名付けるくらいなんだよ。何かしら理由があるはず」

「まあそれは…」

 たしかにそうかもしれない。だが、こうもくだらない議題で今までにないくらい真剣な表情をされると、どうしても面白さが勝ってしまう。もう少しシリアスな場面でその顔してくれ。

 とにかくさっさとこの話題を流してしまおう。そうしてスマートフォンを取り出し、みんな大好きグーグル先生を開こうとしたところ、橘花が俺の手からスマホを強奪し窓の外に投げ捨て何考えてんだお前ふざけんなマジで。

「文明の利器に頼ってたら私たち人間はいつかダメになってしまうんだよ」

「それは俺のスマホをダメにしていい理由にはならねえ」

「大丈夫だよ、下の階に咲花いるから」

「だから何なんだよ」

「咲花がしっかりとキャッチしてくれてるんだよ、文脈でわかりなよそれくらい」

「わかるわけねえだろアホかお前」

 窓から顔を出してみると同じようにしている咲花と目が合った。ひらひらと掲げる手には俺のスマホ。なんでだよ。

「今からそっち行くわー」

「ああ、そう……」

 間もなくやって来た咲花によって返還されるマイスマホ。傷一つないところを見るに、本当に咲花が受け止めてくれたのだろう。

 「後輩に呼ばれてたまたま下の教室にいたんだよなー」と笑っている咲花へ、礼を言いつつ経緯を説明する。

「俺は紅茶飲まないからなあ」

 そういう話ではないのだが。

「でも紅茶って本場はイギリスとかだろ? その辺にヒントないかな」

「ふむ、たしかに」

 厳かに相槌を打つ橘花。まあ、アフタヌーンティーを直訳すれば午後の紅茶だからそういうことだろうと思う。

「そういえばさ。単に紅茶って言っても色々種類あるよな。ダージリンだのなんだの」

「なんかそれ、産地の違いらしいな。詳しくは知らんが」

「そういう産地の名前がついてるの、エリアティーって言うんだよ。それぞれ味とか香りに違いがあるとか」

「橘花詳しいな」

「全部天花寺から聞いた」

「あいつ何でそんなこと知ってるの?」

 天花寺陽、本当に知らないことなど存在しない可能性が浮上している。

「あとあれだってね。緑茶と紅茶は発酵度合いの差があるだけで同じ茶葉らしい」

「それは知ってた」

「漫画の知識だよな。花霞の家で読んだ」

 花嫁が等分される話でそんな件があったなと思い出す。二人ともうちで読んで知っていたのだろう。

 しばらく「うーん」と唸っていた橘花がおもむろに天井を見上げる。さらに「アフタヌーンティー行きたくなってきたね」と呟いた。

 たしかに、話しているうちに紅茶の気分になってきている。

「そうだなあ」

 普段は飲まないと言っていた咲花も同様の様子。これはもう、確定事項と言っても差し支えないだろう。

「週末にでも行こっか」

「さんせーい」

「花霞今日予備校あるよね。天花寺にも声かけといてよ」

「お前がライン送ってやれよ。その方が喜ぶだろ」

「天花寺とのメッセージの履歴増やしたくないんだよね。誘導尋問の上で何かしら言質とか取られそうで」

「……まあ、話しとくわ」

 あいつに弱味を握られたくないのはよくわかるから、とりあえず了承しておく。

 しかし天花寺のことだから、そんな橘花の思惑すらも見透かしてそうなものだが、言っても詮無いこと。そもそもあの裏ボスの前ではどんな知略計略権謀術数も水泡に帰すに違いない。

 それこそ天花寺と茶会などしようものなら、知られたくない情報まで引き出されそうな気もする。

「……やっぱ天花寺呼ぶのは…いや待てよ…」

 橘花も一旦は似たような結論に至ったらしいが「三人がかりならワンチャン」とか「無理やりに迫れば」とかぶつぶつ呟いていて、馬鹿なことを考えているのが筒抜け。神妙な顔をしたかと思えば、にやりと口角を上げる。

「三人で天花寺を盛大に持て成そっか!」

「いい笑顔だなあ」

「痛い目見るのわかりきってるのにな」

 言いつつ、天花寺に『ティーパーティーの時間だ』とメッセージを送る。ものの数秒で『菜々美は午後ティー好きだもんね』と返ってきて戦々恐々。どこまでわかっていてこの返事をしたのか。続いて『とりあえず週末空けとくね~』とメッセージを確認したところでスマホをカバンへ放り込んだ。どこからか見聞きしてるんじゃないのかあの女。

「とりあえず天花寺も大丈夫らしい」

「マジで? 連絡早いな」

「『ティーパーティーの時間だ』しか言ってないのに週末空けとくって言われた俺は震えが止まらんが」

「……これは入念に作戦を練る必要があるね」

 そして週末。

 本当にやめておいたほうがいいという俺たちの忠告を、独断で無視した橘花が一体どんな目に会ったのか。

 それはまあ、割愛しておこう。

 ご想像にお任せ、というやつだ。

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