天花寺陽はまかせない。
放課後。今日は予備校もないからと、例によって橘花に言われるがままにゲームセンターへ赴き、不毛な争いを繰り広げて。
珍しいことに通算戦績で勝ち越したことに橘花が増長して、「ファミレスに行こう。そして奢れ野郎共、私が王だ」と宣い我先にと歩いていく。
「まあ負けたし仕方ないんじゃね?」と笑う咲花に呆れつつ、期間限定のパフェがどうのと機嫌良く口ずさむ橘花に続いてゲーセンを出てしばらく。
いくらか涼しくなってきた気もする風を受け、秋だなあと季節の移ろいに趣を感じていると、通りかかったらしい他校の制服を着た女子が立ち止まり、驚いた表情を浮かべた。視線は橘花に向かっていて、橘花の方はうわあ最悪と言わんばかりに顔を歪めた。
「菜々美じゃん」
「天花寺…」
驚きつつも喜色を湛えるてんげいじと呼ばれた女子。対して橘花はもう、本当に嫌そう。苦虫を噛み潰した表情の例として教科書にでも載せられそうなくらい。
「え、めっちゃお久じゃない? 卒業して以来だっけ?」
「あ、そうデスネー…」
「ちょっとよそよそしいのウケるんだけど」
けらけらと笑う天花寺、目があちらこちらと泳ぎまくりの橘花、置いてけぼりの俺と咲花。事態は混沌を極めていた。
「そっちの二人は友だち?」
そこでようやく俺たちへと視線を向ける。流れるようなブロンドにぱっちりとした猫目、着崩した制服。目が青いのはカラコンだろうか。えげつない美人であることは疑いようもないが、それよりこの人校則とか大丈夫なのか。
「まあ……はい……」
よくわからないが気まずそうに肯定を示す橘花。とりあえず挨拶くらいはしておくべきだろうか。
「はじめまして、花霞です」
「ども、咲花です」
「どもども、菜々美と同中の天花寺陽です。よろしくー」
珍しい苗字だと思うと同時に、どこかで聞いたか或いは見た名前な気がした。しかしどうにもはっきりと思い出せない。
「では宴もたけなわですが今日はこのあたりで解散ということにしましょうありがとうございましたお疲れ様ですまたいつか会いましょうさようなら」
もしかして、どこかで会ったことがないだろうか。俺が天花寺にそう尋ねようとしたところ、尋常じゃないくらいの早口で訳のわからないことを捲し立てて、橘花はそそくさとその場を去ろうとした。
「あれ、ファミレス行かねえの?」
そう言った咲花を、ばっと振り返ってぎろりと睨む。相変わらず迫力には欠けるが、普段以上に必死さは何となく伝わってくる。
想像に過ぎないが、天花寺と俺たちが絡むと何かしらの不利益を橘花が被るか、そうなる可能性が高くなるのだろう。大方中学時代の話といったところか。大変興味深い。
「んー、あー、そういう話もあったかなーって、気がしなくも…」
「言い出しっぺはお前だろ」
「花霞ちょっと黙って」
「黙るのはいいけど、期間限定のパフェ今日までだぞ」
「……くぅ」
俺と咲花による追い討ち。よくわからんが期間限定のスイーツは譲れないらしい。さらにそこへ天花寺が続く。
「え、何、今からご飯行くの? 私も着いていっていい?」
「ぜっっったい駄目。二人もそうだよね? ね!? ほら早く駄目って言って!」
必死過ぎだろこいつ。
「俺はいいぞ。咲花は?」
「俺も。橘花の昔の話とか聞かせてほしいよな」
「よしきた何でも聞いて!」
「そんな……」
テンションぶち上げの天花寺と、楽しくなりそうな気配を察知した咲花が先を行く。それを見送りつつ、がっくりと肩を下ろす橘花に一言。
「諦めろ」
自分で歩こうとしない橘花の首根っこを掴んで、半ば引きずるように二人の後を追った。
× ×
所変わっていつものファミリーレストラン。普段三人で座る一番奥の席に天花寺を含めた四人で着席。壁際に橘花、その横に俺、橘花の前に天花寺、その横に咲花という構図。
「なんで私が端っこに追いやられてるの?」
「「「逃がさないため」」」
「…………」
「何頼む?」
「ドリンクバー四つと、ポテトと……あとはなんか各々適当で」
「ていうか二人マジで奢ってくれんの? 私初対面なのに」
「天花寺だけ出させるのもなあ」
「橘花の弱みを握れると思えば安いもんだろ」
言い切るより先に脇腹を殴られる。しまった、隣に座ったのは間違いだった。
「菜々美が私以外にそういうことするの初めて見た」
向かいに座る天花寺はそう言って笑みを浮かべている。
店員を呼んで注文し、ドリンクバーで各々飲み物を調達して。
いい具合に一息ついたタイミング。さて、とりあえずというかなんというか。一旦自己紹介をするところから始めるべきだろう。そう考えたのは天花寺も同様だったようで、居住まいを正して、こほんと一つ咳払い。
「改めてだけど、天花寺陽。菜々美とは中学の時に仲良くしてた」
「仲、良く……?」
橘花は何か釈然としない様子。だが二人のやり取りからは、確かに気が置けない仲特有の雰囲気が伝わってくる。
「高校はどこ通ってんの?」
「東高の理数科」
「え、マジで? あそこ偏差値七十くらいあったろ確か」
天花寺が名前を出した高校は、この近辺だと相当ランクが高い部類に入る。おそらく中学生の俺が受験しても受かる確率は低い。それほどの難関校に通っているのだから、天花寺の学力も推して知るべし。
「天花寺って引くほど勉強出来るんだよ、こんなチャラチャラした見た目で」
「外見じゃ判断出来ないってことだよねえ」
そんな会話の最中、ようやく天花寺の名前をどこで見たのかを思い出した。
「なあ、天花寺って駅前にある予備校に通ってたりしないか?」
「あー、そうだ。花霞くん同じとこでしょ? よく考えたら名前見たことある」
俺が通っている予備校は、成績上位者の名前と順位が大仰に開示される。受験控えてる連中にそんなことして何か意味があるのかとか、そもそも個人情報だろうとか思わなくもないが、そういうのがモチベーションになる人もいるのだろう。
俺としては然程気にしてはいないが、赴けば嫌でも目に入る。
「いつも上の五人くらいには名前が入ってたよな」
「花霞くんだっていつも十位以内じゃん」
「よく覚えてるなそんなの」
「字の並びが綺麗な名字だなーって思ってた」
確かに、我ながら名字は気に入っている。花が霞むと書いて「かすみ」と読む名字は非常に珍しいのだ。おそらく全国に何人もいない。珍しさでいえば天花寺もなかなかだと思うが。
「そういえば」と咲花が口を挟む。
「俺ら全員、名前に花って入ってるな」
今さらと言えば今さらな話題。花霞、咲花、橘花、天花寺。奇妙な縁、共通項だが、こうも一貫性があると返って面白味に欠ける気もする。
「俺と花霞が仲良くなったのって名字がきっかけだよな」
「あ、そうなの?」
「そうだな」
中学に入学してすぐ、咲花の方から声をかけられた。あれはそう、二クラス合同の美術の授業中のことだった。
「絵を描く課題で、『花に所縁のある者同士一緒に外で花描こうぜ』って咲花が」
「うわあ、馬鹿…」
呆れたように言う橘花。「意味わかんねー」とけたけた笑う天花寺。天花寺の言う通り、今になって冷静に考えてみると意味が分からんのだ。
「あの頃の俺はどうかしてたんだよな」
「妙にテンション高かったよな、当時のお前」
知り合った当初の咲花は、今からは想像出来ないくらい腕白だった。そりゃまあ、少し前まで小学生だったのだから、落ち着きも何もあったものではないだろうが、それを踏まえてもやんちゃだったと言える。
しかしその年の秋口に親父さんが亡くなってからは、今のように一歩二歩引いた、落ち着いた雰囲気を醸すようになった。一週間ほど学校を休んで、その間に咲花のなかでどんな心境の変化があったのかはわからないが、咲花がそれで納得しているならそれでいいのだと思う。
さて、本題である。
「で、何で名前の話?」
「もしかしたら橘花と天花寺もそういうきっかけなのかなって。花を冠する者だし」
「あーなるほど」
そこのところはどうなんだろうかと、二人の様子を窺うと──。
「……え、どしたお前」
これ以上ないくらいわかりやすく、橘花は頭を抱えていた。
「いや…なんでもないです……」
「なんでもない奴のリアクションじゃないんだよそれ」
「菜々美との出会いっていうと──」
「天花寺黙って。ね、もっと楽しい話しよ? 近年の世界情勢とかさ」
「あ、思い出した。階段の踊り場でダンスダンスレボリューション事件」
「ふぐぅ」
「なんだって?」
妙な鳴き声と同時にテーブルに突っ伏す橘花は無視して、努めて冷静に聞き返す。吹き出しそうになったが堪えた。事件名だけで既に珍事の気配が凄い。
「一年の時、たしか五月とかだっけな。全校集会だかなんだかの時間に、長話聞くのめんどくさくて屋上あたりでサボろうとしたんだけど」
本筋とは関係ないが、そのエピソードだけで天花寺とは仲良く出来そうな気がした。俺も咲花もその手の集会は大抵抜け出しているから非常に気が合うといえる。
「当たり前だけどみんな移動してるから、誰も校舎にいなくてさ。でも耳をすませば聞こえてくるわけよ、小粋なミュージックとステップを踏む音が」
「それが橘花だったのか」
「そうそう。あれ以来あんなに動いてる菜々美を見たことないよ」
「こいつ体力ないもんな…」
運動神経自体は別に悪くはないが、致命的にスタミナがない。そのあたりも昔から変わっていないらしい。
「そのくせ結構アクティブだよね。今はどうかわかんないけど、昔は即決即断即行動って感じ。二年の時、授業中おもむろに席を立ったと思ったら『中庭の鯉数えてくる』って言い放って出てったりしてたよ」
「それ先生とかクラスメイトは何も言わなかったの?」
「先生はただ呆然としてたね」
「そりゃそうだろ」
どんなに経験豊富な教員でも、授業中にいきなり鯉を数えてくるとか生徒に言われたことはないだろうし、そんな時の対処法など誰も想定すらしないだろう。
「クラスでも比較的浮いてたし」
「それも想像に易いな」
そんなやつ腫れ物もいいとこだ。
「あと菜々美って言えばあれかなあ。修学旅行の時の」
「ねえ、天花寺」
「ん?」
「お金あげるからもう喋らないでくれる?」
「そこまでする?」
「本当に諭吉差し出しててめちゃくちゃ面白いな」
いつ財布を取り出して一万円札を手に取ったのか、挙動が一つも認識出来なかった。橘花がこんなに素早く動けることを知れたのは一つ収穫かもしれない。
日本に存在する紙幣において最も価値のあるそれを前に、天花寺は聖母のように温かい微笑みを浮かべた。
「菜々美、悪いけどこれは受け取れないよ」
「天花寺……」
「私これ受け取ってもたぶん話しちゃうから」
「天花寺……!?」
橘花をこうも弄ぶとは。天花寺陽、何と恐ろしい女か。
その後も天花寺が何か話すたびにダメージを受ける橘花という構図が繰り返され、『はよ帰ってこい』と俺が母さんから急かされたことをきっかけにその場はお開きとなった。
× ×
帰り道。「マジで今日家出るんじゃなかった」「最低でも直帰するべきだった」などとぶつくさ文句を言いつつ項垂れる橘花を、「まあそういう日もあるって」とその隣を歩きながら適当に励ます咲花。
それを後ろから眺める俺と「楽しかったー」と一人楽しそうに伸びをする天花寺。
というかこいつ街中でエンカウントしてもよいキャラだったのだろうか。新たな仲間が加わるタイプのイベントだと思ったが、普通にラスボスの風格がある。
「いやあ、いいとこ中ボスだよ私は」
心まで読めるときてる。この場合読まれたのが心なのか地の文なのかはわからないが、全く敵わない気がする。
「ね、花霞くん」
不意に俺の名前を呼び、制服の裾のあたりを引く天花寺。橘花と咲花は先を行き、立ち止まった俺たちとは少し距離が開く。
「どうした」
「菜々美のことなんだけどさ」
何となくだが、シチュエーション的に橘花の話だろうなと思っていた。わざわざ距離をとったあたり、本人には聞かれたくない話なのか、あるいは聞かせたくない話なのか。
先ほどまでの陽気さとは打って変わって、表情からは真剣さが窺える。関係ないけど美人のマジ顔って本当に絵になるなあとぼんやり思った。
「菜々美ってさ、ちょっと変わってるじゃん」
「……ちょっと?」
「……結構、変わってるじゃん」
さっき散々掘り返したエピソードを思い返したらちょっとどころではない。間違いなく橘花菜々美は生粋の奇人だ。「さっきもちらっと言ったんだけど」と天花寺は話し出した。
「性格があんなんだから、周囲に馴染めなくて。……まあ、本人が馴染もうとしてたかって言われたらわかんないけど」
何となくだが、橘花にそのつもりはなかっただろうと思う。そもそも人付き合いが苦手なやつだ、積極的に他人と関わろうとはしないはず。
「そんなでも見た目がいいから好かれるんだけど、それが気に入らない人もいて。気取ってる、調子に乗ってるってね」
認めるのは癪だが、橘花は見てくれがいい。それゆえ一定の人気があるというのだろうか、好奇の視線は向けられているし、時折呼び出されては告白なんかもされている。昔もそうだったであろうことは想像に易い。それを快く思わない者も、まあ、いるのだろう。
「難癖つけられて、嫌がらせとかもすごくて、酷い時はいじめに発展しかけたこともあった」
「ひどい話だな」
「私もそう思う」
橘花との付き合いの中で、唯一と言っていいだろうか。人間関係に類する話は聞いたことがない。
話の流れで小さい頃の夢はきかんしゃトーマスになることだったとか、初恋はアンパンマン号だとか。そんな馬鹿みたいな妄言はいくらでも耳にしているが、橘花の過去──特に周囲の人間に関する話題が出たことはない。
これまで橘花菜々美という人格を形成してきたであろう人間関係が、一切わからないのだ。
その点について俺も咲花も、わざわざ聞き出そうということはしなかった。普段からアホほど話題を提供してくる橘花だが、その口から友人知人にまつわるエピソードは出なかったから。触れられたくない部分なのだと直感していた。
「そうやって人間関係で凄く嫌な思いをしてきたから、いつの間にか他人を寄せ付けなくなった」
「……そうか」
知り合って間もない頃の橘花は、今となっては想像できないほど他人を寄せ付けない、いっそ物々しいとまで言えるような雰囲気を纏っていた。クラスメイトが話しかけても基本無視、しつこく構おうとすると「うるさい」「話しかけないで」「ほっといて」と、周囲との関わりをとにかく拒絶していた。
あの頃、橘花の瞳には何も映ってはいなかった。そんな橘花を、天花寺は唯一の友人として、気に掛けていたのだろう。
「今の菜々美すごい楽しそうでさ、私嬉しいんだ」
そこで一旦言葉を区切って、天花寺は俺へと向き直った。
「菜々美のことよろしくね」
笑顔でありながらも真剣に、真っ直ぐに俺の目を見てそう言った。
いつもの俺であれば何かしらひねたものの言い方をしようとしただろう。だけど天花寺には、その真摯な言葉に対しては、誠実に向き合うべきだと俺は思った。
「善処するよ。友だちだし」
「うん、よろしく、……あ、それと私とも仲良くしてくれると嬉しいかも」
「ええ……まあ、はい……」
こういう素直さ、明け透けな物言いは、俺にとっては少しばかり面映ゆい。言い淀んだ俺に、天花寺はむっとした。
「ちょっと、なんで嫌そうにするかな」
あまりにストレートな言葉に照れたとは言えまい。先を歩きつつ適当に濁すことにする。
「いや、ほら。お前といると、弱み握られそうな気がするから。……今日の橘花みたいに」
「そんなことしないって!」
そんなことをしてたのが本日のハイライトといったところだが、そのあたりはどういうつもりなのか。橘花と同じ轍は決して踏みたくない。
とはいいつつも、天花寺と友誼を結ぶこと自体が嫌なわけではない。
「まあ、あれだな。勉強するときとか呼ぶかもな。俺一人じゃ咲花の馬鹿は手に負えん」
「お、いいじゃん勉強会! どうする? 週一とかでやる? 」
「その頻度では会いたく──」
「ねえ遅いんだけど」
げんなりとする俺の横っ面へと、前触れなくリュックサックが叩き付けられる。
中身が空っぽならまだしも、ペンケースやら財布やら、それなりに物が入っているそれを容赦なく振るったのは勿論橘花だ。その後ろでは咲花が笑っている。笑ってないで止めろよ。
「天花寺とイチャイチャするのは勝手だけど、集団行動してるんだから和を乱さないでくれる?」
「イチャイチャしてないしそもそも殴ることねえだろ……」
「詳細は省くけど、今の私は虫の居所が悪いんだよ」
「省くまでもなく散々黒歴史掘り起こされたからだろ。天花寺相手だと分が悪いからって八つ当たりすんじゃねえ」
「別に八つ当たりとかじゃない。だいたい天花寺が相手でも私負けないし。たとえ骨が折られようとも喧嘩は心が折れなければ負けじゃないから」
「なんの話だよ」
「菜々美はこういうとこ可愛いよね」
天花寺の言葉へ「それはない」と即答したところ、橘花から盛大に蹴り飛ばされた。
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