夏 その1


 今年の夏も、結局夏らしいことをしなかったなという話になった。

 海はおろかプールにも、祭りにも行っていない。夏らしいレジャーを楽しんでいない。はて、おかしい。俺たち三人はこの夏休み、ほとんど毎日集っていた。それなのにこの体たらく。

 しかして、「暑いから出たくない」という咲花の意見と「日焼けするから家にいたい」という橘花の主張。ついでに俺の「積みゲー消化したい」という願望。全てを加味すればそうなるのも当然だろう。

 自然と俺の家でひたすらゲームをする日々だったわけだ。楽しかったかと問われれば楽しかったと応えられる。しかし高校最後の夏、これでいいのかと問われれば首を傾げざるを得ない。せめて何か青春っぽいことがしたいと、全員の意見が一致して。

 協議の末、最終的にはとりあえず河川敷でキャッチボールをしようという結論が出た。


 × × ×


 すぱーんと小気味良い音をたててグローブに吸い込まれるボール。咲花のコントロールがいいのか、それとも俺のキャッチングが上手いのか。どっちでもいいかと、ボールを橘花に向かって放る。

 やや高めの放物線を描きつつ、橘花のグローブに収まる。ちなみに橘花は左利きだから、グローブは右手につけている。

「ナイスキャッチー」

「自分で言うなよ」

「いいじゃん、別に」

 少し膨れっ面になる橘花の投げたボールは、グローブを構える咲花の右側へと大きく逸れる。

「ちゃんと投げろ橘花ァ!!」

「ナイスぅ」

「何が?」

「さっきから花霞うるさいんだけど」

 誰のせいだよ、と俺と咲花の声が重なる。咲花は景気良く明後日の方向へ飛んでいくボールを追って猛然と走る。俺はというと橘花は意外と強肩だな、などとずれたことを考えていた。

「疲れたから休憩ー」

 橘花はそう言って、少し離れた土手に寝転がった。遠くへボールを投げた挙げ句、それを人に取りに行かせて自分は休憩ときた。いい身分だなこいつ。

「花霞も座りなよ」

 左隣の地面をぽんと叩く橘花に促されるまま腰を下ろす。

 首筋に浮かんだ汗や少し息が乱れているところを見ると、どうやら本当に疲れているようだ。

「体力ねえな」

 呟いた俺を、橘花は横目に睨む。しかし童顔ゆえか、まったく迫力がない。

「花霞と咲花みたいな脳筋じゃないんだよ」

「脳筋は咲花だけだろ。俺は普通だ」

「そうだね、花霞は中途半端に運動できて中途半端に勉強できるもんね」

「馬鹿にしてる?」

「うん」

「おい」

 けらけら笑う橘花を今度は俺が睨んでいると、咲花が走って戻ってきた。多少汗ばんではいるが、息を切らしてはいない。さすが体力テスト学年一位。

「薄情者め…」

「花霞が疲れたから休憩したいって」

「いや、こういうことを平気でするのは橘花だ」

 大正解。すべてお見通しのようだ。無駄に付き合いが長いだけはある。

「ねえ、外暑いからゲーセン行かない?」

 平然と嘘をついた上にそれを看破されたというのに、橘花のやつは悪びれる様子もない。咲花と顔を見合せ、同時に溜め息を吐く。結局のところ、俺たちは橘花に振り回される運命なのだろう。そもそもキャッチボールしたいと言ったのも橘花だ。我が儘がすぎる気もするが、それも今さら。

「どこのゲーセン行く?」

「駅前」

 咲花の問いに即答する橘花。

 この近所にはゲームセンターがいくつか存在する。駅前の店舗は、クレーンゲームやプリクラ、メダルゲームなど、比較的誰でも楽しめるゲームが多い。ついでに店員の女の子が可愛いというのも、橘花にとってはお気に入りポイントだったりする。

「やっぱり青春といえばみんなでプリクラだよね」

「「…………」」

「なんで二人とも黙るの?」

 青春って何だろう。

 浮かんだ疑問は咲花と同一だったようだ。それも青春、というのだろうか。もうよくわからなくなってきた。

「ほら、早く行こうよ」

 ぱっと立ち上がり、駐輪場の方へ駆けていく橘花は、とても楽しそうだった。

「自由な奴…」

「本当にな」

 おそらくは独り言。ぽつりと溢した咲花へ向けるのは同意の言葉。再度顔を見合せて、今度は同時に吹き出した。スポーツマンらしく爽やかに笑う咲花と、くつくつと静かに笑う俺。ひとしきり笑い、やおら立ち上がって二人揃って歩き出す。

「なんか、久しぶりに笑った気がする」

「最近の花霞って表情険しめだもんな」

「いや、まあ。いろいろあって」

「進路のこと?」

「…………」

「沈黙は肯定ってのがセオリーだよな。やっぱ親御さんにあれこれ言われんだな」

「…まあ、二人とも教師だとな。好きにしていいとは言うけど、言外にプレッシャーがなあ……」

「お前成績は良いし受験対策もしてるだろ? 大学なんて選びたい放題じゃねえの?」

「いや、選択肢が多いと逆に悩む」

「贅沢な悩みだな」

「咲花はどうすんの?」

「なーんも考えてない。お先真っ暗」

「橘花は……あー…」

「橘花も何も考えてなさそうだけど、あいつなら何やるって言われても驚かないかなあ」

「ほんと、言いたくないけど天才だよなぁ…」

「……そういえばあいつ、今日財布持ってんのかな」

「……手ぶらだったような」

 どこに行って何をするにしても奢らされる予感がして、この予感が的中するのはもう少し後の話になる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る