第六章 胸に咲く珊瑚 ~第六節~

「玉やら璧やら錠金やら……金目のものは多いのですがね」

 青霞の鏡台を調べていた志邦が溜息交じりにぼやく。

「――このままでは、単に青風楼一党が幼い子供たちを誘拐していたというだけで終わってしまいます。彼女たちの“お得意さま”につながる手がかりでもあればいいのですが……」

「そうですね。買い手がいる以上、同じような商売を思いつく連中がまた現れないともかぎらない――あっ?」

 離れにあったような隠し扉なり何なりないかと、床に這いつくばって調べていた文先生は、寝台の裏側に文箱がくくりつけられていることに気づいた。

「大人、これを――手紙の束のようです」

 文先生は寝台の上に文箱の中身を広げ、志邦を呼んだ。

「これは……馴染みの客とのやり取りのようですねえ」

「……ええ」

 志邦と手分けして手紙の中身を確認しながら、文先生は重苦しい溜息をもらした。

 これがあれば、青風楼を贔屓にしていた客たちの素性ははっきりする。ただ、いずれも宿のもてなしに対する謝礼や、単なる時候のあいさつの手紙といってしまえばそれまでで、彼らが青風楼の裏稼業の顧客だったという証拠にはならない。

「どれもこれも当たり障りのない内容の手紙ばかりですね……おそらく、見られてまずい手紙は、読んですぐに処分していたのでしょう。青霞という女性は非常に用心深くて狡猾なようです」

「確かに証拠としては使えませんね」

 さすがに志邦も、これには落胆の表情を見せていた。

「ただ、梁青霞がわざわざこれを隠して残していたということは、おそらくこの手紙を送ってきたのは、彼女から娘たちを買った顧客なのでしょうね」

「このままでは確たる証拠にはなりませんが、この手紙の差出人をひとりひとり当たっていけば、いずれもっと確かな証拠に……えっ?」

「どうしました、吉州きつしゅうどの?」

「これを――」

 一通の手紙を志邦に差し出し、文先生は小さく唸った。

 ふた月ほどまえの日付がついたその手紙は、知人への祝いの品に何か珍しいものを贈りたいので、青霞に適当に見つくろってもらいたいというようなことが記されていた。深読みすれば、見目のいい娘を用意してくれという遠回しな催促、あるいは依頼の手紙と読めなくもないが、やはり証拠としては弱すぎる。

 ただ、文先生の表情がいっそう渋いものに変わったのは、その差出人が思ってもみない大物だったからであった。

ぼんぶん……? 范将軍? まさか――」

「これは……もしこの手紙が将軍ご自身の手によるものだとすれば、出方をよく考える必要があります。ひとつ間違えば知県大人のお命があやうい」

「范将軍とは、そんなお人であられますか……」

「私も将軍の人となりは存じ上げませんが、いずれにしても、相手は右丞相の娘婿、そうでなくとも今の軍中に重きをなすおかたです。それこそ動かぬ証拠でもないかぎり、真偽を問い詰めることすらはばかられるでしょう」

「田舎の知県ごときがどうにかできる相手ではございませんな、確かに……」

 ついに志邦は自重の笑みをこぼし、その手紙だけを懐に押し込むと、残りの手紙は文箱に戻して小脇にかかえた。


          ☆


 乱戦の中で不意に繰り出した掌底は見事に間合いをはずされた。逆に青霞は獅伯の胸を突こうと、細身の剣を繰り出してくる。

「ちょっ……!?」

「無作法ですわね、獅伯さま!」

 反射的に身を引こうとした獅伯の体勢が崩れる。いつの間にか獅伯が踏んでいた青い衣の裾を、青霞が素早く引いたのだった。

「江賊上がりのわたくしにとって、こんなもの、足場が悪いうちには入りませんわ。 獅伯さまも存外にだらしないこと!」

「むっ、無茶いうなよ! おれは船旅なんかほとんどしたことないんだから!」

 海に現れる海賊に対し、江――すなわち長江に現れてほかの船を襲う賊を江賊という。不安定に揺れる船の上で毎日のように命のやり取りをしてきたのなら、すべりやすい足場に慣れているのも道理だった。

「――くそ、何なんだよ、もう!」

 尻餅をつきそうになりながらも、どうにか青霞との距離を取ろうする獅伯に対し、逆に青霞は、獅伯を逃すまいと細かい突きを放ちながら間合いを詰めにかかった。

「いっておきますけど、もう情けはかけませんわよ、獅伯さま? あなたを刺し殺して、ほかの連中もみんな始末して、ここから逃れたら……そうですわね、喪に服してさしあげましょう。これでもわたくし、けっこう本気で獅伯さまのことが気に入っておりましたから」

「……そう?」

 獅伯がさっきもらした悪態は、自分の不甲斐なさに対する苛立ちが吐かせたものだった。簡単に窮地におちいってしまった自分への苛立ちではない。青霞を殺さなければ止められない自分の力不足に対する苛立ち、怒りがそういわせたのだった。

「だったらさ、おれも喪に服すよ」

 青霞の刺突を紙一重でかわしながらもどうにかその場に踏ん張っていた獅白は、唐突に地味な努力を放棄した。

「!?」

 傾斜のついた屋根からすべり落ちまいとすればするほど、獅伯の動きは制限される。青霞にしてみればそのほうが仕留めやすいし、足場の不安定さを意に介さない自分のほうがはるかに有利に戦えるだろう。

 だが、獅伯は無理に踏ん張ることをやめた。

「獅伯さま、あなた、何を――」

 尻餅をついたことで、獅伯の胸を狙って繰り出された青霞の突きが空を切る。そのままいきおいよく屋根の上をすべり落ち始めた獅伯は、ひょいと手を伸ばして青霞の足首を掴んだ。

「今度はあんたが踏ん張ってみる?」

「あなたって子は……!」

 さすがの青霞も、すべり落ちていく獅伯の体重まではささえかねたのだろう。青霞は片膝をついて姿勢を低くすると、足首を掴む獅伯の手を落とそうとした。

「おっと」

 すぐに手を引っ込めた獅伯は、そのまま軒先まですべっていくと、そのいきおいを利用して大きく飛んだ。

「逃がしませんわ、獅伯さま!」

「……だろうね」

 数丈ほどの高低差がある隣の離れの屋根の上へと着地した獅伯は、ひとたび懐に差し入れた左手を、振り返りざまに引き抜いた。

 足場のよくない屋根の上でなら有利に戦えると判った以上、青霞は獅伯を地上に逃がすことなくここで決着をつけようとするだろう。それが判っていれば、彼女がすぐに自分を追いかけてくるだろうことも容易に想像がついた。

「……!」

 がしゃんと瓦を踏み割って獅伯の前に降り立った青霞は、しどけなくくつろげられていた自分の白い胸もとを見下ろし、呆然と目を見開いた。

「ちゃんと返すっていったろ? 約束したことは守るのがおれの信条なんだ。代わりにあの子は返してもらう」

「こ……れ」

 青霞の震える手が、自分の鎖骨のつなぎ目のあたりに突き刺さった珊瑚の簪に触れる。すでに彼女の唇から漏れる呻きは、かすかに赤く泡立ち始めていた。

「な、ぐ……っ」

 青霞は簪を抜いて投げ捨て、血を吐きながら斬りかかってきた。だが、すでにそこには先刻までの速さはない。足の運びも乱れ、むしろ彼女のほうがすべり落ちてしまいそうだった。

「……おれも三日は喪に服して酒を断つよ。ほかならぬあんたのためだ」

 何の策もなく突っ込んできた青霞の突きをかわし、獅白は剣をひらめかせて彼女のかたわらを駆け抜けた。

「あ、は……」

 ざっくりと脇腹を斬られた青霞は、そのままよろめくように何歩か歩いたあと、前のめりに倒れた。あざやかな瑠璃色の上に赤い血の線を引きずって、青霞がすべり落ちていく。

 振り返った獅伯は軒先へ急いで手を伸ばしたが、わずかに届かず、青霞は真下の橋に落ちて欄干のところでいったん大きく跳ね、川の中に没した。

「…………」

 幾重にも波紋が広がる暗い水面を見下ろしていた獅伯は、わざわざ下りていって青霞の死体を確認しようとは思わなかった。そもそも、のどに穴が開き、脇腹から内臓をはみ出させて大量に出血した女が、このまま誰の目にも止まらず川を泳ぎ切って逃げおおせるとは思えない。

 それよりは、ほかの場所に向かった連中の心配をしてやったほうがいい――そう自分を納得させ、獅伯は剣を鞘に納めた。

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