第六章 胸に咲く珊瑚 ~第四節~

 確かに獅伯は人を斬る。旅の途中で賊に襲われることも多いし、路銀のために用心棒をすることもしばしばだった。だから、人を斬って生きているといういい方も間違ってはいない。獅伯も斬る相手が悪人かそうでないかにこだわりはするが、やっていることを突き詰めれば、それはやはり人殺しでしかなかった。

「別に獅伯さまに幼い娘をさらってこいなどとは申しませんわ。どのみち当分の間はこの稼業もお休み……ほとぼりが冷めるまでは、どこかよその土地でおとなしくしていなければなりませんけど、ほかにも稼ぐ手立てはいくらでもございますし、獅伯さまの腕前であれば――ねえ?」

「絶対悪いこと考えてるよね、あんた?」

「いい酒を飲み、うまいものを食べ、美しく着飾る――殿方なら女を抱くということもございますけど、いずれにしろ、それ以外に生きる上での楽しみがありますの? それがかなうのなら誰だってそうするでしょう?」

「そういうのは人に迷惑をかけずにやるもんじゃないの?」

「あら、わたくしどもが獅伯さまに何かご迷惑をおかけしましたかしら?」

「おれたちの連れをさらってっただけで充分だと思うけど……いや、あんたに口で勝とうってのがまず間違ってた」

 言葉でいさめて改心する相手なら、そもそもここまで大掛かりな悪事などやらないだろう。改心するどころかこちらまで仲間に引き込もうとする青霞には、これ以上何をいっても意味はない。

「……馬鹿な獅伯さま」

 獅伯が苦笑を消し去り剣を構え直すと、青霞は小さく嘆息してかぶりを振り、首の後ろに右手を回した。

「わたくしと夫婦になってとお願いしているのに、それを拒むだなんて……」

「あんたの器量がいいのは認めるよ。……だけどさ、人間、見た目がすべてじゃないんだよね」

「ならば器量だけでないところもお見せしましょうか?」

 冷酷に微笑んだ青霞の後ろ襟から細身の剣がすべり出てくる。それを手にするや否や、青霞は獅伯に斬りかかってきた。

「っと!」

 不意に伸びてきた鋭い剣先に、獅伯は大きく後ろへ飛んだ。青霞がまとう白地に青い花柄を散らした衣は、川面に濃く立ち始めた靄ににじむようで、彼女の動きを見切りにくくさせている。激しくはためく袖や裾の動きも、彼女との間合いの取り方を迷わせる一因になっていた。

「何かしらの心得があるってのは判ってたつもりだけど――これは、思ってた以上に、あ、あれだな!」

 思わず浮かびかけた獅白の苦笑が凍りつく。右手で剣を振るう一方、青霞の左手が彼女の髪に伸び、簪を引き抜いて飛刀代わりに投じてきたのである。

「いつっ……」

 ごていねいに目を狙って飛んできた簪は、わずかに首を振ったおかげで頬を浅くえぐっただけですんだ。ただ、それが獅白の隙を生んだことに変わりはない。

「ほ、ほんと、こういうことに慣れてるんだね、あんた――!」

 青風楼の梁上、じりじりと下がりながら受けに回る獅伯を、青霞の無数の刺突が追い立てていく。かわしそこねた切っ先が獅伯の腕や肩口に小さな傷を刻み込み、冷ややかな川風に霧のような血煙が舞った。

「これでも若い頃は、このあたりの街道すじでは“だつちょう”と呼ばれて恐れられておりましたのよ?」

 鬼鳥とは空を飛ぶ妖怪のことをいう。要するに、道行く人を襲っては身ぐるみ剥いでいく妖怪のように強い女という意味だろう。

「いや、追い剥ぎの過去を誇られてもなあ――」

「誇るだなんてとんでもない……あまりに目立ちすぎて、たびたび河岸を変えるはめになりましたわ!」

 青霞の剣には迷いがなかった。特にどこかで修業をしたというより、生きるか死ぬかという日々の中でおのずと鍛えられた剣という気がする。

 しかも、ただ相手を一瞬でも早く殺すことしか考えていないからか、その動きは驚くほど速くて無駄がなく、この高さから足をすべらせて転げ落ちることなど微塵も考えていないかのように、獅伯すら鼻白むほどに大胆だった。

「……ちょっと話が違うんじゃない、これ……?」

 かすめた剣に顎先を小さく削がれた獅伯は、ひりつく痛みに眉をしかめ、踏み込むと同時に掌底を繰り出した。


          ☆


 徳甲の双剣は、刀身が二尺もない代わりに刃幅と厚みがあり、見た目以上に重かった。おそらくそれは、徳甲が生まれ持った腕の長さを生かそうとした結果、たどり着いた形状であり、動きなのだろう。

「どこの流派かって聞くのも馬鹿馬鹿しいくらいの我流だねえ」

 月瑛と徳甲の戦いは、窓のない隠し部屋から三階の広間へと移っていた。白蓉たちが逃げていった地下の通路から少しでも徳甲を遠ざけようとして、月瑛が意図的に戦いの場をここへ移したのだが、それはかならずしも彼女にとって有利にはたらいたわけではなかった。

「……ちっ」

 大きな半円を描いて伸びてきた神速の剣先をあやういところでかわし、月瑛は舌打ちした。

 徳甲の動きは、西域の踊り子が躍るという胡旋舞を思わせた。軸足をふらつかせることなく、身体全体を高速で回転させ、両手に持った剣を叩きつけてくるのである。人一倍長い腕と双剣の重さが、独楽のような動きによってすさまじい破壊力に変換され、容赦なく月瑛を襲った。

「こいつと一対一になっちまったのはまずかったね……」

 あのいきおいで繰り出される一撃なら、おそらく人間の首などたやすく切断するだろう。周囲に仲間の用心棒がいれば、徳甲も彼らを巻き添えにすることを恐れて自重したかもしれないが、今この広間には戦うふたり以外に誰もいない。

「さっさと片づけて、小娘どもを追いかけないとな」

 徳甲はひときわ深く身を沈めてから床を蹴って跳躍した。それこそ腕の長い猿のような身軽さで月瑛の頭上を飛び越えざま、双剣ではさみ込むように首を狙ってくる。

「!」

 咄嗟にかわした月瑛の衣の肩口が裂けた。見切りが甘ければ、同時に両腕が落とされていたかもしれない。

 さらに徳甲は壁を蹴って反転し、体勢を崩しかけた月瑛の背後から襲いかかった。

「……確かに俺たちの剣は我流だが、それがどうした?」

 徳甲が気味の悪い薄笑いを浮かべた。

「……っ!」

 あやういところで徳甲の剣を打ち返した月瑛だったが、徳甲の剣を攻め手は止まらない。左右の剣が交互に、それもかなりの速さで次々に繰り出されるのに対して、月瑛はどうしても押され気味になっていた。

「猫では虎に狩りのやり方を教えることなどできん。誰もまともに俺に剣を教えられんのなら、俺がみずから編み出すしかあるまい?」

 特異な徳甲の戦い方は、衆にすぐれた平衡感覚や腕の長さなど、持って生まれた資質によるところが大きい。確かにその剣は誰かに教えられて身につくものでもなければ、誰かに教えられるようなものでもないだろう。

「……だとしても、虎だって? 自分でいうかい、そういうこと? というか、あんたは虎というより蟷螂さ、虫だよ、虫」

「口だけは達者だが、もうあとがないぞ?」

 驟雨のように間断なく繰り出される徳甲の剣を、じりじりと後ろに下がりながら、うまくいきおいを殺ぐように逸らしてしのぎ続けていた月瑛だったが、確かにもうあとがない。

「わざわざどうも――」

 壁際まで追い詰められた月瑛は、空いている左手ですぐそばの卓に置かれていた蓮を飾った水盆を掴んだ。

「はいよ」

「足掻くな、見苦しい!」

 かなりの重さのある、水の入った陶製の水盆を、徳甲の旋風は蓮の花もろともやすやすと断ち割った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る