第五章 彼にとっての蟋蟀 ~第三節~

「不意討ちで踏み込まなければならないことを考えると役所は通せない。廂軍しょうぐんも動かせないだろう。そうなると、まずは志邦さまについている麗宝と自分、月瑛どの、手を貸してもらえるのなら、そちらの獅白どの」

「あとは?」

「……あとは、この屋敷ではたらいている郭家ゆかりの若者たちか」

「ちょっと、ここではたらいてる若い連中って――」

 彼らが棒の稽古にいそしんでいるところを月瑛もたびたび目にしたことがあったが、まさかあれが青風楼に踏み込むためのものだとは思わなかった。屋敷に忍び込もうとする盗人を追い払うのならまだしも、彼らの腕前では、とても本職の男たちの相手など務まらないし、何よりも数が少ない。

 月瑛は眉間に寄ったしわを指で押さえ、忠賢に確認した。

「……ねえ忠賢どの。わたしが見たかぎり、ここで棒の稽古をしてるのって、せいぜい一四、五人くらいだったと思うんだけど――わたし、数え間違ったかな?」

「いや、全部で一六人だ。……ほかにはいない」

「は?」

 面白くもなさげに茶を飲んでいた獅伯が、呻くような忠賢の言葉を聞くなり、不機嫌そうに身を乗り出してきた。

「向こうは五〇とか六〇とかいってるのにこっちは一六人? あんたそれ本気でいってんの!?」

「……仕方がないことなのだ。青風楼を急襲することが事前に露見しては、策が破れるだけでなく、内応するために宿に残っている志邦さまたちまでがあやうくなる。囚われている娘たちまで危険にさらされるかもしれん。だから絶対に、この策に内通者がかかわることは避けなければならないのだ」

「いや……それは判るけどさあ、その一六人だって、別に一族の腕利きとかじゃないんでしょ?」

 獅伯が意見を求めるように月瑛のほうを見る。月瑛は力なくうなずき、大袈裟な溜息といっしょに答えた。

「ふだんは鍬を振り回したり薪を割ったりしてる連中だから、酒浸りの用心棒よりは体力はあるかもね。……でもそれだけさ。腕前のほうもお察しの通り」

「だ、だからこそ、月瑛どの、獅白どのには期待しているわけで――」

「あのさあ――」

「まあまあ、獅伯さん、それは今いっても仕方ないでしょう?」

「そ、そうですよう! 期待されてるっていわれてるんですから、むしろやる気を見せてくださいよう!」

「おれたちに何人斬らせるつもりなんだって話だろうが!」

 苛立ちを必死に抑えている獅伯と、それをなだめる文先生と白蓉を見ていると、月瑛のうんざり顔もおのずとほころんでしまった。

「何だかんだでその気になってくれてるのかい? 獅伯にいさんは本当に素直じゃないねえ」

「姐さま! そういうことをいうと、また獅伯さまがへそを曲げちゃいますよう!」

「……本気で鬱陶しいな、この女ども」

 腹癒せのつもりか、獅伯は忌々しげに舌打ちすると、白蓉の前にあった胡麻団子をかっさらって口に放り込み、ふたたびそっぽを向いてしまった。

 代わりに月瑛は手つかずだった自分の団子を白蓉にゆずり、獅伯に尋ねた。

「真面目な話、向こうにはどれくらいの手練れがいるんだい?」

「用心棒どもは、たぶんおれやあんたにとっては数に含めなくていいだろ。うじゃうじゃいそうだってことだけが問題だろうが、そいつらを除けばたぶん三人だ」

「三人? ふたりじゃないんですか?」

 文先生が怪訝そうに聞き返す。しかし、獅伯はかぶりを振って続けた。

「青風楼を仕切ってるのは女主人のりょうせい。その弟のとくゆうとくこうってのが荒っぽい仕事を任されてる。盗人に間違われて徳雄のほうと軽くやり合ったことがあるけど、まあ、強いには強いな。やたらでかい上に力が強くて、二丁の板斧を延々と振り回していられるようなやつだよ。ただ、とんでもなく馬鹿だ」

「弟のほうは?」

「見た感じ、弟もかなりやるんじゃないかな? こっちは双剣の使い手だけど、ちょっと不気味な感じがする。兄貴がかなりの馬鹿だから、たぶん、実際に用心棒たちを束ねて指示を出してるのはこっちの弟のほうだろうな」

「ふぅん……なら、まずは弟を始末したほうがいいかもねえ」

 獅伯の軽い口ぶりからするに、確かにその梁兄弟はなかなかの腕前を持つのだろう。ただ、だとしても月瑛や獅伯を脅かすほどではない。一対一ならまず負けはないと計算できそうだった。

「――じゃ、もうひとりは?」

「青霞だ」

「え!? あ、あの美女が!?」

 大声とともに立ち上がった文先生を冷ややかに見つめ、獅伯はうなずいた。

「あの女、弟たちより強いんじゃないかな?」

「そ、そんなふうにはまったく見えなかったんですが……」

「……白蓉、その青霞ってのはどんな女なんだい?」

「判りやすくいうと、襟もとや袖口から色気があふれて垂れ流れてるような三十路女ですよう」

 姉貴分の問いに、白蓉は獅伯をじっと睨みつけたまま答えた。

「胸もお尻もおっきいし、綺麗な衣着てしゃらしゃら鳴る簪つけて、ほんとにもう判りやすいくらいにいい女って感じの人です。剣士っていうより妓楼の女主人っていったほうが通じると思います」

「へえ」

「確かに私もそういう印象ですが……彼女が剣を持ち歩いているところなんか見たことないんですよね。それとも、足の運びとかで判るものなんですかね?」

 確かに、ふだんの何気ない所作や歩き方に、剣士としての動きが出るということはある。しかし、世の中にはそこをうまく隠し通すことのできる剣士もいないではない。むしろ、自分の強さを声高に主張する剣士より、剣士であることさえ隠し通そうとする相手のほうがはるかに手強いといえる。

「けどまあ……そうだね、相手の身体に触れてみりゃあ判るんじゃないかい?」

 口もとの笑みを隠そうともせず、月瑛は意味ありげにいった。

「長年鍛えた身体ってのは嘘をつかないからねえ。じかに触れてみりゃ、そいつがちゃんと鍛錬してきた人間かそうでないかはすぐに判るさ。あとは細かな息遣いとかもね、武術家と素人じゃまるで違うもんだよ。……これでもし、ふだん衣で隠されてる見えないところに刀創があったりしたら、そいつは剣の心得があるって考えていい」

「なるほど……獅伯さんもそうやって彼女が剣士だと気づいた、と――」

「よかったな、おれの下心のおかげで強敵をひとり見落とさずにすんだ」

 完全に開き直ったのか、獅伯はそううそぶいて笑っている。そこで何かまたわめきかけた白蓉の口を押さえた月瑛は、真面目な表情で忠賢にいった。

「……そういうことなら、その三人はわたしと獅白でどうにかするよ」

「むしろこちらからぜひお願いしたいところだが……ただ、弟たちやほかの用心棒はともかく、その青霞という女については、できることなら生かしたまま捕らえてもらえまいか?」

「生け捕りじゃないとまずいのかい?」

「青風楼の一党が、まだ幼い娘たちをさらって売り飛ばしていたのは死に値する重罪ではあるが、それとて別の見方をするなら、娘たちを買おうという客がいればこその悪事……そうした客たちを捕らえるために、のちのち梁青霞の証言が必要になるかもしれないのだ」

「そりゃまあ、できればね」

 獅伯は立ち上がり、軽く肩をすくめてうなずいた。

「――ただ、手加減できない相手ってのもいるからさ」

「それほどの相手ですか、彼女は……?」

「やってみなきゃ判らないけど、あの頭の悪い弟よりはよっぽど強いよ、たぶん」

「そりゃあ気合入れないとねえ。……で、いつ踏み込むんだい?」

「あすの夜だ。空模様からいって、あしたの夕暮れ頃から雨が降る」

 忠賢は月瑛たちに志邦の策を説明した。

「雨、ねえ……」

 窓の外で揺れる鬼百合を眺め、月瑛は小さく笑った。

 どちらにしろ、月瑛の仕事は人を斬ることである。そういう意味では迷うことも面倒なこともない。月瑛がこんな稼業を続けているのも、その単純さのせいだった。

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