第五章 彼にとっての蟋蟀 ~第二節~

「……何なんだい、この子は? こんな甘ったれだったかねえ?」

 いきなり泣きじゃくり始めた白蓉に毒気を抜かれたのか、月瑛は眉をひそめて獅伯たちを見やった。

「まあ……いろいろあったし」

「何がさ? というか、どうしてあんたらが雁首揃えてどうしてここに現れるんだい?」

「そ、そういう月瑛どのこそ、なぜここに?」

「わたしはまあ――」

 頬をぽりぽりかきつつ月瑛が言葉を選んでいるところに、下ばたらきの男を引き連れた官服姿の男が足早にやってきた。

「白蓉どの、どうなさった? いったい何の騒ぎだ?」

 男のその言葉に、白蓉は不意に泣き止み、いぶかしげに男を見やった。

「……はい?」

「――貴公らは何者だ?」

 男は疑いのまなざしを獅伯たちに向け、腰から下げた剣の鞘に左手をかけている。身分の怪しい連中が屋敷に来たとでも思って警戒しているのだろう。

 月瑛はそこで男を振り返り、苦笑交じりにいった。

「そう警戒しなくていいよ、忠賢どの。前に話しただろう? わたしが合流しようと思って先を急いでたってのは、この子たちのことなんだよ」

「ああ……白蓉どののお連れというのはこのかたがたであったか」

「はい?」

 男の口から自分の名前が出るたびに、白蓉はきょとんとした表情で姉弟子と男の顔を見くらべている。かたわらで聞いている獅伯と文先生にも、何が何だかまったく事情が理解できない。

「なあ先生、今、確か忠賢とかいわなかったか、この姉御?」

「そうですね」

 文先生は小さく咳払いし、うやうやしく拱手して男に切り出した。

「突然お邪魔した無作法をお許しください。貴池県の騎馬都頭、郭忠賢どのでいらっしゃいますか?」

「確かに自分が郭忠賢だが、貴公らはいったい……? こちらの白蓉どののお知り合いだそうだが」

「は? あ、いや、いろいろと混み合った事情があるようですが、まずはこれを。知県大人からの書状をお預かりしております」

「志邦さまからの!?」

「はい」

 獅伯の手からひょいとひったくった書状を男――忠賢に渡し、文先生は安堵の表情を浮かべて獅伯にそっとささやいた。

「……いった通り、本物だったでしょう?」

「まだ判らないだろ」

 獅伯は軽く舌打ちし、瓢箪の酒をあおった。


          ☆


「……おおよその事情は呑み込めた」

 何度もうなずきながら、忠賢は上役からの書状をたたんで懐にしまい込んだ。

「それともうひとつ、白蓉どの――ではなく、月瑛どの?」

「ああ」

「少なくともこの池州には、貴公の人相書は回ってきていない。もう偽名を名乗らずともよいと思う」

「そりゃ助かるよ」

「姐さまったら……勝手にわたしの名前を使ってたんですねえ。いきなり見ず知らずの人から名前を呼ばれて、何かと思っちゃいましたよう」

 冷たい茉莉花茶を飲んでいた白蓉が、そういっておかしそうに笑った。再会を果たした時、不安そうに泣いていたのが嘘のようだった。

「志邦さまの書状にもあったが……貴公らも月瑛どのと同じく、我々に手を貸してくれるということでよいのだな?」

「は?」

 窓の外を眺めつつ、胡麻団子をもちもちと咀嚼していた獅伯が、忠賢の言葉に慌てて振り返った。

「貴公ら? それってもしかしておれも入ってる? あのおっさん、勝手にそんなこと書いてたのかよ?」

「お、おっさん!? 知県大人に対して何ということを――」

「いや、おれにとってはただにこにこしてるだけのおっさんだったし。……それよりどうなんだよ? 貴公らもって」

「いや、志邦さまからの書状には、事情を話したところ、貴公らがこころよく協力を申し出てくれた、とあるが……?」

「いや、確かに話は聞いたよ? 何か……あれだろ? 子供がさらわれてるって話」

「うむ。志邦さまと自分の妹の麗宝は、その調査のために夫婦をよそおい、青風楼に逗留している。残念ながら配下に信頼に足る者が少ないために、知県大人みずからが身をやつして危険な任に就かねばならなかったのだ」

「それも聞いた。……けど、別におれは手伝う気なんてないし」

 この若者は相変わらずらしい。あまりにも獅伯らしすぎる言葉を聞いて、月瑛は人知れず笑ってしまった。

「獅伯さま! シャジャルが心配じゃないんですか!?」

 卓を叩き、白蓉が立ち上がった。

「――シャジャルが消えたのだって、あちこちから子供たちがさらわれてるのだって、きっとあの宿屋が関係してるんです! あの女主人が黒幕なんですよう? だったら迷う必要ないじゃないですかあ!」

「証拠もないのに決めつけるな。証拠がなきゃどうにもできないからって、みずから乗り込んでる知県大人に申し訳ないとは思わないのか?」

「あの女主人をかばうんですか? まさか獅伯さま、本気で……?」

「……おい、何をいい出す気だ?」

「だ、だって――」

「どうしたのさ? その宿で何があったんだい?」

「実はですねえ――」

 白蓉は獅伯を睨みつけたまま、青風楼での顛末を月瑛に耳打ちした。

「へえ……思ってたより手が早いじゃないか、獅伯」

「それほめてんの? だったらどうもありがとさん」

 にやつく月瑛からふいっと視線を逸らし、獅伯はそれきり押し黙った。

「まあいいさ、獅伯がはたらかないっていうならわたしが倍はたらいてやるよ。その代わり、報酬はふたりぶんもらうけどさ」

「貴公がそういってくれるのはありがたいが……とにかく、今は話を進めよう」

 志邦からの書状の内容を踏まえ、忠賢が説明を始めた。

「――川岸に流れ着いた遺体をお調べになった志邦さまは、その娘が青風楼から逃げ出してきたのではないかと推測なさった。流されてきたであろう距離から逆算して、ほかにたくさんの娘たちを軟禁できそうな場所が見当たらなかったからだが、それ以外にも、しばしばあのあたりでは旅人が消えるという噂もあってな。志邦さまはかねてよりあの宿に目をつけていたのだそうだ」

「あの隠し通路を見て何となく察しましたよ」

 文先生が大きくうなずいた。

「――たぶんあの宿では、これぞと目をつけた客を襲って金品を奪っていたんだと思います。あの通路を使って夜中にいきなり踏み込めば、ほかの離れの客にはまずばれませんからね。しかも周囲は川で、舟がなければ逃げられにくい」

「宿屋の主人が客の懐具合によって追い剥ぎに早変わりするなんてのは、別にそう珍しいことじゃないけど、それってだいたい、人里離れた山深い峠の宿とかの話だからねえ。まさか大きな街からさほど離れてないそんなところで、堂々と盗人宿をいとなんでる連中がいるとは驚きだよ」

 もし獅伯がいなかったら、おそらく文先生はその日のうちに殺され、路銀もすべて奪われた上に、白蓉もそのシャジャルという異国の娘といっしょに囚われていただろう。用心棒と称して悪人面の男たちをたくさんかかえているのならなおさらだった。

「青風楼には、三日に一度、秋浦の商人が食料や酒を運んでくる。その分量から考えると、泊まり客以外であの宿にいる人間は一〇〇人ほどになるだろう」

「ひゃ……一〇〇人!? 確かにあそこは大きな宿でしたけど、そんなにたくさんの人ははたらいてなかったですよう?」

「ですよね……せいぜい二〇人くらいでしょうか」

「なら、残りはふだん顔を見せない用心棒と、捕まってる娘たちなんだろうさ。表には出てなくたって飯は食うだろうしな」

「志邦さまは、用心棒の数を五、六〇人と見積もっておられる。とはいえ、そのすべてがつねに宿に詰めているわけではなく、幼い娘たちをさらうために出かけることもあるはずだ」

「それにしたってかなりの数じゃないか。逆にさ、あんたらはどれだけ揃えられる予定なんだい?」

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