第四章 朝靄とともに ~第七節~
☆
そこはとても薄暗い部屋だった。
この国の建築物の構造にはまだあまり詳しくはないが、ここがふつうの部屋でないことだけはシャジャルにも何となく判る。ひとつも窓がないし、空気はどんよりと淀んで湿っていた。
そこに、十人以上の少女が押し込められていた。いずれもシャジャルと大差ない年頃の娘ばかりで、みんな一様に痩せている。声を殺して泣きじゃくっている者もいたが、大半の子は泣く気力もないのか、薄暗い目をして膝をかかえていた。
数刻前、シャジャルをここへ連れてきた気味の悪い猫背の男が、周りにいた少女たちに、シャジャルの面倒を見てやれと命じていたが、粗末な寝台に横たわる彼女に声をかけてくる者はまだいない。それはおそらく、シャジャルがひと目で異国人と判ったからだろう。
こうした反応は特に珍しくもない。仲間たちとともに行動していた時でも、シャジャルを見たこの国の人間は一瞬動きが止まり、目を丸くする。同じ異国の生まれとはいえ、シャジャル以外の仲間たちはおおむね髪も瞳も黒く、この国の人々と並んでもさほどの差はないが、シャジャルの銀色の髪や青い瞳はあまりに異質だった。
それを思うと、あの三人は少し変わり者だったのだろう。誰に命じられたわけでもないのにシャジャルを助け、介抱までしてくれた。あのままいっしょにいたら、仲間たちと再会する手伝いもしてくれたかもしれない。
「…………」
思わず笑みがこぼれそうになり、シャジャルはそれを長い溜息でごまかした。その身じろぎに気づいて、周りの娘たちがびくっと怯えを見せるのが、シャジャルにはまた滑稽だった。
白蓉たちの顔を思い浮かべながら、そっと首に手をやる。そこにあるべき細い鎖の感触が失われていることを確かめ、シャジャルは落胆した。
しかし、シャジャルはこうしてまだ生きている。生きているかぎりあきらめるなというのが主人の教えだった。
さいわい、薬湯のおかげでシャジャルの熱は峠を越えた。じきに熱は治まるだろう。白蓉にあれこれ食べさせられて、いい寝床でたっぷり睡眠を取らせてもらったおかげでかなり体力も回復している。
自分はここにいる娘たちとは違う――シャジャルにはその自覚があった。無駄に泣いたりわめいたりしても何も事態は好転しない。だから今は静かに横になって、平熱になるのを待つのが最善の手だった。
☆
翌朝、濃い朝靄が立つ中をやってきた歩兵
半刻ほどそのへんをぶらつき、文先生から形ばかりの事情を聞いたほかは、広間で青霞と茶を飲んでおしゃべりをしただけで、すぐにまた役所へ戻っていってしまった。一応、宿の周辺の捜索もするとはいっていたが、あの様子だと口先だけだろう。
「……判ってたことだけど、ずいぶんと仲がいいみたいだな」
青霞たちとさっきの都頭が顔馴染みなのは、はたで見ていてすぐに判った。たびたびここで何かしらの事件があって顔を合わせているのか、あるいは仕事を離れてあの都頭が客としてよくここへ来るのか――少なくとも後者はありえないだろう。
荷物をまとめながら、獅伯は小声で先生に尋ねた。
「先生はどう思う?」
「やはりあれはふだんから金を握らされているという感じでしたね。……まあ、もめごとが起きた時に備えて、日頃から地元の小役人たちにつけ届けを欠かさないのは商売の基本ではありますが」
「どっちにしろ、これで手詰まりだな」
いかに獅伯が青霞とねんごろになっていようと、宿全体を家捜しさせてくれるとは思えない。さらに役人までが青霞の肩を持つのであれば、これ以上打つ手はなかった。
「――そんじゃ先生、わざとらしくない演技、頼むよ?」
「ええ」
「逆にあんたは泣くなよ?」
「判ってますよう」
出立の準備を終えた獅伯たちは、羽仙閣を出て青風楼に向かった。
「もうご出立だなんて残念ですわ」
着飾った女たちをずらりとしたがえ、青霞が獅伯たちの見送りに出ていた。金払いのいい上客は、こうして見送りも盛大になるのかもしれない。
「見ての通り、兄が落ち込んじゃってさあ」
がっくりと肩を落とし、ずっとうつむいたままぶつぶついっている文先生を指差して、獅伯は苦笑交じりにいったた。
「あの娘に逃げられたのがよほどこたえたみたいだけど、ずっとこんな調子でいられちゃ困るんでね、とりあえず
「そうでございますか。でしたら、帰りにでもまたお立ち寄りくださいませね?」
「うん、そのつもりだよ。絶対にまた来るから」
未練ありげな青霞の手を握り返し、獅伯は桟橋に向かった。
徳雄や徳甲の姿はなかったが、どこかからじっと見られている気がする。その視線を意識しながら、獅伯はことさら聞えよがしにいった。
「兄さん、そんなに異国人の奴隷が欲しいなら、
「簡単にいってくれる……」
文先生は船底にしゃがみ込み、重苦しい溜息をついた。
「何があったのかは存じやせんが、宿は最高だったでしょう?」
来る時に世話になったあの陽気な船頭が、川底に竿を差して舟を出した。
「ああ、いい宿だったね」
落胆の演技を続けている文先生と、シャジャルを案じて泣くのを必死にこらえている白蓉には、とても船頭とやり取りする余裕はないだろう。宿で満たしてもらったばかりの瓢箪の酒をさっそくちびちびとやりつつ、獅伯はうなずいた。
「――そのぶん宿賃もかなりのもんだったけど、正直、あそこが客でいっぱいになることってあるわけ? ちゃんとやっていけてんのかな?」
「あそこはとにかく太い常連客が多いんですよ。もちろん、お客さんがたのように、旅の途中にふらっと立ち寄るかたもおりますがね」
「常連? こんなところに?」
「へえ、いるところにはいるもんでやすよ」
「ふぅん……おれも金さえあれば常連になりたいもんだけど」
船頭の言葉に何か含みがあるのを感じながら、獅伯はついに返しそびれた珊瑚の簪を手に、遠ざかっていく青風楼をじっとかえりみた。
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