第二章 瑠璃色の甍 ~第三節~
「近頃は何かと物騒でしてね、金もないのにウチの宿に泊まろうってケチな了見のやつならまだましなほうで、中にはいきなり盗賊に早変わりする手合いもいないわけじゃねえんで……どうもすいやせんでした」
むしろ本人のほうが盗賊ではないかと見まがうような面相の男たちが、頭をかきながら舟を出す準備に取り掛かる。
「まあ! わたしたちが賊に見えたんですかぁ?」
この一行の中で誰が一番賊に近いかといえば、月瑛の片腕として間諜まがいの真似をする白蓉のはずだが、少女はそんなことはおくびにも出さず、さも心外だといわんばかりに頬をふくらませた。
「いえね、そういうタチの悪い連中もいるってことで……」
「判るよ。いざ向こうまで運んだのに実は文なしだったってことになったら二度手間だしねえ」
「そ、そういうこと! お判りいただけて何よりで! 何しろウチの宿は客筋のよさも含めてご贔屓いただいてますからねえ」
「だってさ」
獅伯は先生を引っ張って馬車のほうに戻ると、まだ少し不満そうな顔をしている白蓉も含めてこそこそと話し合った。
「とりあえずこの場は、先生が主人でおれはその弟、娘っ子ふたりはおれと先生の妹ってことにしておこう」
「わ、私が主人?」
「ほかにどう説明するんだよ? 馬鹿正直におれたちの関係を説明したところで胡散臭いって思われるだけだぞ?」
「それはそうかもしれませんが……」
「旅の目的は先生が考えてくれ。おれには思いつかない。……それと白蓉、あんたの衣をもう一枚出せ」
「はい?」
「肌や髪の色を見られたら、兄妹じゃないのが即ばれる。というか、今のこの国だと、異国の人間てだけで怪しまれるだろ?」
「いわれてみればそうですね……白蓉さん、お願いします」
「あ……判りましたぁ!」
「……そんじゃ行こうか」
荷台に横たわっていたシャジャルを白蓉の着替えでくるむようにして、獅伯は小舟に乗り込んだ。
「馬車はここで預かってくれるんだろう?」
「へい、ちゃんとお帰りの時まで面倒を見させていただきやす」
「ところで……そちらのお連れさんは?」
「馬車に揺られて悪酔いしたんだよ。早くちゃんとした床で寝かせてやりたいんだ」
シャジャルの顔を覗き込もうとする男の視線をさりげなくさえぎり、獅伯は舟の舳先近くに陣取った。
「それじゃまいりましょう」
船頭役の男は相好を崩して棹を取り、中洲に向けて岸を離れた。
「獅白さん」
獅伯のすぐ後ろに座った文先生が、獅伯にそっとささやきかけた。
「敷居の高い宿だというわりには……その、妙だとは思いませんか?」
「何が?」
「この船頭たちの言葉遣いがぞんざいにすぎるというか……近隣の素封家たちを最初に出迎える立場の者としては、ちょっと言葉遣いが悪いというか」
「そう? まあ、顔つきは凶悪なのが揃ってたけど」
「そうですよ! 都の名だたる酒楼であんなふうに客を出迎えるところなんてありませんから! 本気で金持ちをもてなそうという一流の店は、こういう細かいところにまで気を配るものなんですよ!」
「てか、先生はそういう店に行ったことがあるわけ?」
「そ、それは……まあ、他人にご馳走してもらうという形でしたが、何度かは」
先生の言葉から急にいきおいがなくなる。そのあたりはあまり深掘りされたくないのかもしれない。
「何だかんだで田舎だから徹底してないのかな?」
「それもありえますけど……でも、もしその宿に泊まって不当な宿賃を請求されたりしたらどうするんです?」
先生は鼻歌交じりに棹をあやつる船頭を肩越しに一別し、低い声でいった。
「……舟がなければ行き来できない中洲にある宿ですよ? もし何かあっても簡単に逃げ出せないじゃないですか!」
「それさあ、舟に乗ってからいうなよ。乗る前にいいなよ。引き返せなくなってからいうって、あんたわざとやってる?」
「わ、わざとなわけないでしょう!? いちいち舟が必要だなんて行き来が面倒だなって思って、それではっと気づいて――」
「……いいから騒ぐなよ。いざとなったら舟をぶん盗って逃げればいいんだし」
「そ、それはまずいですよ! 下手に盗みをはたらいて人相書が出回ったりしたら、今後の旅が難しくなります!」
「それはあくまで向こうがそんな詐欺っぽいことしてきたらの話だよ。……だいたい先生の場合は、実際に宿に着いて酒の一杯も飲んだら、そんなこともうどうでもよくなるに決まってるんだからさ」
「は!? な、何をいうんですか!」
「ほらほら、病人が起きちゃうから、そう大きな声出さないでよ」
シャジャルをだしに先生を黙らせ、獅伯はひと息ついた。
おだやかな川の流れを横切り、靄をかき分けるようにして、一行を乗せた舟は中洲に近づいていった。
「……まるで川の中に浮かんでるみたいですねえ」
感嘆の吐息をもらした白蓉の言葉通り、青風楼は確かに水上に浮かぶ城のようだった。時に増水していきおいを増す流れに耐えるためか、川底からしっかりと積み上げられた頑丈な石造りの基礎の上に、小さな宮殿を思わせる七階建ての巨大な楼閣が、漆の赤さもあざやかにそびえている。周囲にはいくつもの離れが存在し、橋や回廊によって中央の楼閣とつながれていた。
「よくもまあ川の中にこれほどのものを築いたものですね……」
さっきまであれこれ気を回していたことも忘れたように、先生もまた感心しきりといった様子でうなずいている。
一方、宿のほうでも舟が近づいてくるのに気づいたのか、たくさんの赤い灯籠に火がともされ、中洲側の桟橋に美しく着飾った女たちが並び始めていた。
「……ああいうところは都の大きな酒家風ですね」
大仰な出迎えを見て文先生がぽつりと呟く。しかし獅伯は、同じ光景を見ても別に胸が躍ったりはしなかった。
「綺麗ななりをした女の子たちが出迎えてくれるっていうのは判るよ。……でも、後ろに控えてるあの男も都風なわけ?」
「はい? ……あ」
獅伯の指摘に目を凝らした文先生も、そこでようやく気づいたのか、眉をひそめて難しい表情を作った。
出迎えの女たちの後ろには給仕役とおぼしい男たちも並んでいたが、その中にひとりだけ、やたらとすさんだ空気をまとった小男がいた。まるで病人のように顔は青白く、頬が削げているが、そのくせ双眸だけはぎらぎらした輝きをたたえ、近づく小舟をじっと睨め据えている。
「……用心棒かな?」
「えっ?」
「たぶん、武芸者だと思う」
「ひと目見ただけでよく判りますね?」
「いや、だってあの男、腰から剣を下げてるし。左右に一本ずつ」
両手で剣をあやつるのはそう簡単なことではない。見栄や酔狂で双剣を持ち歩いているのではないのだとすれば、それ相応の腕を持った武芸者ということだろう。そして、そんな男が桟橋まで出てきているということは、その目的は初見の客の吟味としか思えなかった。
「も、もしかして……たちの悪い客だと判断されたら、あの男が立ちふさがって門前払いにされるということでしょうか?」
「どうかな……もしかしたら別の意味もあるかもね」
「は、はい?」
「いや、別に」
桟橋に横づけされ、舟が静かに止まる。出迎えの女の手は借りずにひょいと舟を下りた獅伯は、さりげなくさっきの武芸者を観察してみた。
遠目には小柄に見えた男は、実際には小柄でも何でもなかった。理由は判らないが、なぜかひどい猫背で、しかも首を前に突き出すような恰好で立っているのである。背筋を伸ばせば獅伯を見下ろすくらいの背丈はありそうだった。おまけに、だらりと垂らした両腕は地面につきそうなほどに長い。
男は無言のまま、しばらく獅伯と視線を絡ませていたが、やがてきびすを返し、宿の中へ消えていった。それと入れ替わるようにして、今度はほかの女たちよりも少し年嵩の美女がうやうやしく頭を下げながら出てくる。
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