第二章 瑠璃色の甍 ~第二節~

「……?」

 あらたにやってきた男たちは、明らかに官軍のものと思われる鎧兜を身に着けていた。先頭に立ってそれを率いているたのは、兜こそかぶっていないが、やはりしっかりとした鎧をまとった押し出しのいい青年で、累々と転がる死体を見てあからさまに顔をしかめている。

「こ、これは……!」

「待て、早まるな」

 驚愕した兵たちが月瑛を見て剣を抜こうとするのを制し、青年は静かに深呼吸してから切り出した。

「これは……貴公がやったことか?」

「ああ」

 背中の剣から手を離し、月瑛は答えた。

「何者だ?」

「ま、用心棒ってところさ。最近このへんじゃ小さな村が次々に襲われて、若い娘がさらわれてるらしいじゃないか」

「……その通りだ」

「見たところ、お役人さんかい?」

「ああ……うったえを受けて、村々を見回っていたところだ」

「そりゃありがたい」

 砕けた椅子の代わりに卓の上に腰を下ろし、月瑛は干し肉を口にした。

「……あんたたちが遅れてきたおかげで、わたしもこうしてうまいものにありつけたわけだ」

「耳に痛い皮肉だな。……だが、その言葉は真摯に受け止めねばなるまい」

 青年は馬を下りると、月瑛に向かって包拳とともに一礼した。

「自分の名はかくちゅうけん県で騎兵都とうを務めている」

「へえ」

 都頭といえば、兵を率いて賊を取り締まる役人である。その話から察するに、月瑛が斬り伏せた男たちには、かねてより役人たちも頭を悩ませていたらしい。

「なら、これであんたたちも枕を高くして眠れるってわけだ」

「いや……」

「……何だい? 浮かない顔だねえ?」

 忠賢と名乗った青年は重い溜息をつき、部下たちに死体を片づけるよう命じる一方、月瑛を手招いて村の門を出た。

「ただひとりであれだけの賊を倒すとは見事な腕前、感服いたした」

「いやいや、それほどでも……」

西華山せいかざん……しゅうもんあたりの名のある剣客とお見受けしたが、ご尊名をお伺いしてもよろしいか?」

「それは……」

 忠賢の言葉に、内心、月瑛は驚いていた。わずか五、六人ほどの賊の死体に残った傷口だけで、忠賢が月瑛の流派を見抜いたからである。より正確にいうなら、とても剣の達人とは呼べない忠賢に、達人顔負けの眼力があったことに驚いたのである。

「悪いけど、事情があって流派も名前も明かせなくてねえ。今のわたしはただの名なし、修行を終えて山に戻って、初めて師父から名前をあたえられるのさ。いわば流派の掟みたいなもんでね」

「そうだったか……不躾なことをお聞きして申し訳ない」

 忠賢ははっと目を丸くして月瑛を見つめ、次いで顔を赤くして頭を下げた。

 剣の腕はせいぜい田舎の都頭が務まる程度、それに反して見事な眼力を持ち、押し出しのいいなかなかの美丈夫であるにもかかわらず、明らかに女慣れしていない――この郭忠賢という青年はいろいろとちぐはぐすぎて、それが月瑛には何とも好ましく、つい噴き出してしまった。

「……いや、まあ、さすがに名前がなくっちゃ旅先では不便だからさ。必要な時はとうはくようって名乗ってる。だからあんたもそう呼んでくれてかまわないよ」

「唐……白蓉どのか」

 月瑛が本名を名乗らなかったのは、以前、鄂州がくしゅうで派手な斬り合いをしたせいで人相書が出回っているからである。しゅうまで来ればひと安心と思いたいが、用心に用心をかさねて、咄嗟に妹分の名を騙ったのである。

「で? 都頭の忠賢どのはわたしに何か用があるのかい?」

「あるといえばある……実は、まだ全容は掴めていないのだが、村を襲っていた賊どもはこれだけではないのだ」

「……ほかにまだ仲間がいるってことかい?」

「少なくとも、私がお仕えする志邦しほうさまはそう推測しておられる」

 そこで相談なのだが――と、忠賢は続けた。

「……実は志邦さまは、一連の騒動の黒幕を突き止め、手下もろとも一網打尽にしようとお考えなのだが、白蓉どのにもご助力願えまいか?」

「つまり……斬り合いになった時に助っ人が欲しいってわけ?」

「まあそういうことだ。どうだろうか?」

「さて……」

 月瑛は眉根を寄せて腕組みした。

 正直にいえば、これ以上厄介な仕事を引き受けている場合ではない。はくたちとこれ以上離れてしまうと、追いつくのが難しくなってしまうからである。忠賢の申し出をていねいに固辞し、先を急ぐべきだろう。

 ただ、ひとつだけそれに優先させるべき問題があった。

「……なあ、忠賢にいさん」

 月瑛は気安げに忠賢の肩に手を回し、ことさら低い声でいった。

「聞いた感じ、そいつは命を張る必要のある仕事じゃないかい?」

「それは……まあ」

「ということは……判るだろう?」

「も、もちろん、礼なら充分に……」

「いくら?」

「は!? いや、私にはそこまでの権限はないので何ともいえないが……し、しかし、志邦さまのご実家は、池州でも指折りの大地主だ」

「充分に出せると?」

「お、おそらく……いや、かならず!」

「信じてやるよ」

 忠賢の胸をぽんと叩き、それから月瑛は門のところの馬たちを指差して、

「――ああ、ついでにこの馬、あんたらのほうで買い上げてくれるかい?」

「賊どもの馬か? ならば軍で召し上げて――」

「違うよ。こいつはみんなわたしのさ」

 月瑛は忠賢の口を手でふさぎ、にやりと笑って首を振った。

「……けど、さすがにこれだけの馬を連れて旅を続けるのは邪魔だからさ。ついでだからその文洛さまってのに買い取ってもらって、代金はこの村のみんなに渡しておいてくれると助かるんだけどねえ」

「ど……それでいいのか?」

「いいのさ。酒代だよ」

 そういって月瑛が微笑むと、忠賢はまた顔を赤くした。


          ☆


 どんどん暗くなっていく空を見上げて獅伯がせわしなく手綱を鳴らしていると、不意にぶん先生に袖を引かれた。

「あ! 見てください、獅伯さん!」

 先生が指さす先に、湿った風を受けて弱々しくたなびく青い旗をかかげた桟橋があった。近くには小さな馬小屋があり、数人の男たちがたむろしている。視線を転じると、川面から立つ薄い靄の向こうに楼閣らしき影も見えた。おそらくあれが話に聞いた中洲にあるという青風楼せいふうろうなのだろう。

「なあ、あんたたち」

 馬車を下りて桟橋に歩み寄り、獅伯は馬小屋の前で焚き火を囲んでいた男たちに声をかけた。

「――あれが青風楼かい?」

「へえ、その通りで」

「あそこへ行きたいんだけど、あんたたちに頼めばいいのかな?」

 桟橋には小舟が何艘か浮かんでいた。宿を訪れる者は、ここに馬を預け、この舟で中洲へと渡るのだろう。

「…………」

 男たちはじっと獅伯たちを見つめていたが、なかなか立ち上がる様子がない。風体からこちらの懐具合を値踏みしているようだった。

 獅伯は軽く溜息をつき、懐から小さな粒銀を取り出して投げ渡した。

「長旅でちょっと薄汚れて見えるかもしれないけど、ちゃんと金なら持ってるよ」

「とと……こりゃどうも、へへへ……」

 渡し賃に粒銀を払う金離れのいい客と判ったとたん、男たちは慌てて立ち上がった。

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