第一章 少女たちの受難 ~第三節~

「……それで、どこへ行くつもりなんです、獅伯さん?」

 荷台から御者台のほうへ身を乗り出し、文先生が獅伯に訪ねた。

「いや、どこへってのは特に決めてないけど……あ、それとも先生は、苦しげに呻くあの男たちといっしょにあの場で夜明かししたかった? 今から戻る?」

「い、いえ、とんでもない! ……ただ、私たちだって休息は必要でしょう?」

「別にいいよ、先に寝てても」

「こ、ここでですか?」

「地べたよりはましじゃない? 揺れるけど」

 獅伯は文先生といっしょに荷台を振り返って笑った。

「――ほら、そこに立派な布団もあるし、順番に休んだら?」

「立派な布団て……湿った茣蓙じゃないですかぁ」

 男たちのやり取りを聞いていた白蓉が、荷台の端のほうにわだかまっていた茣蓙をめくり、そしてすぐに頓狂な声をあげた。

「――しっ、獅伯さま! と、とっ、停めて! 馬車を停めてくださいよう!」

「え?」

「いいから早く! あ、あと、明かりを!」

「何なんだよ、まったく……」

 手綱を引いて馬車を停めた獅伯は、竿の先端の提灯をはずして荷台のほうに回り込んだ。

「まさかお嬢ちゃん、またもよおしたからちょっと待っててってこと?」

「ち、違いますよう! これ見てください!」

 白蓉は獅伯の手から提灯をひったくり、茣蓙の下に隠されていたものを照らした。

「ひっ!? し、死体――?」

 文先生の口からそんな声がもれたのも無理はない。そこに横たわっていたのは白蓉よりもさらに幼い少女だったのである。しかも両の手首と足首は縄で縛られ、虜囚のようなありさまだった。

「…………」

 獅伯は少女の首に指を押し当て、静かにうなずいた。

「……死体じゃないな。面倒なことになった」

「は? な、何が面倒なんです?」

「いや、だって死体だったらそのへんに埋めていけばそれですむけどさあ、まだ息がある人間は埋めたらまずいでしょ?」

 確かに少女は死んではいなかった。ただ、脈は弱く呼吸も浅く、何よりかなり熱がある。獅伯には病気かどうかの診立てはできないが、どちらにしても面倒ごとの種には違いない。

「……何かの病気でしょうか?」

「ていうかさあ……」

 提灯の明かりを少女に近づけ、獅伯は顔をしかめた。

 あらためて確かめてみると、少女はせいぜい一二、三歳といったところだろう。肌は小麦色、髪は銀に近い明るい紫色で、それなりに旅を続けてきた獅伯も、こんな髪の人間には会ったことがない。薄く透けるような上質の布を身体に巻きつけただけの、肌もあらわなその姿は、それこそ異国生まれの踊り子を想起させた。

 少女がまとった衣とも帯ともつかない薄絹をぺらりとめくり、獅伯は呟いた。

「ひどく場違いっていうか……何、この子? どっから来たわけ? どう見ても異国の人間だよねえ?」

「ちょっと……やめてくださいよぅ、獅伯さま!」

 白蓉は無遠慮な獅伯の手をぴしゃっとはたき、目をつむったままの少女の顔を覗き込んだ。

「かなりつらそうですよう……」

 白蓉は自分の衣の袖で少女の額に浮いた汗をぬぐった。少女の頬は上気し、薄絹もかなりの汗を吸って湿っている。全身が熱を帯びているのに、ほっそりした身体は細かく震え続けていた。

「水が合わないと病にかかりやすくなるといいますからね。やはりこの子は異国から来たんでしょう。西域の人間かもしれません」

「西域って?」

「まあ、ひと口に西域といっても広いので――」

「そんな無駄口はいいから、先生、薬を出してくださいよう!」

「薬なんかそんな都合よく持ってませんよ。だいたい、薬というのは、患者の症状に合ったものでなければかえって毒になりかねないもので――」

「獅伯さまは!?」

 文先生の蘊蓄をさえぎり、白蓉が獅伯に尋ねる。が、獅伯も怪我をした時に使う軟膏くらいしか持ち合わせがない。そもそも獅伯は、これまで病気らしい病気にかかったことがなく、その手の薬のお世話になったこともないのである。

「まったく……おふたりともいざって時に役に立たないんですからぁ」

 ぶつくさいいながら少女の汗をぬぐっていた白蓉が、何かに気づいたように驚きの声をあげた。

「あっ? この子、目を覚ましましたよう!」

「…………」

 うっすらと目を開けた少女は、わずかに瞳だけを動かし、自分を覗き込んでいる獅伯たちを順繰りに見やった。

「こ、こは……?」

 かさついた唇を震わせ、少女がかぼそい声で呟いた。やや訛りは感じられるが、それでもきちんと聞き取れるこの国の言葉だった。

「ここは……って、先生、ここってどこですかぁ?」

「えっと、池州の――いえ、詳しい地名までは私にも判りませんけど」

 文先生のその言葉を聞いた少女は、つらそうに熱い溜息をもらした。

「大丈夫? ねえ、あなた、名前は?」

「シャ、ジャル……」

「しゃじゃる……?」

「いかにも異国風の響きですね」

 文先生がぼそっと獅伯に耳打ちする。獅伯も思案顔でうなずき、少女を縛る縄を剣で断ち切って、何とはなしに背中の鞘に触れた。

「言葉が通じるのは好都合……かな? もしかしてこの子、ここに刻まれてる文字が読めたりする?」

「どうでしょう? 西域には大小たくさんの国があるといいますし、それだけ言葉も文字も多いですから……」

「あなた、どこから来たの? どうしてこんなところにいるの?」

 こそこそ話し合っている男たちをよそに、白蓉はシャジャルと名乗った少女に瓢箪の水を飲ませていた。

「わ、たし……」

「うん」

 シャジャルの口もとに耳を寄せ、少女の呟きをじっと聞いていた白蓉は、

「……途切れがちだからよく判らないんですけどぉ、どうも商売か何かで西域から来たけど、何か……とにかく仲間とはぐれて、そのうちに病にかかって、おまけにヘンな男たちに捕まったっていってるみたいですぅ」

「さっきの連中か……」

「ことによったら、白蓉さんもこの子といっしょにさらわれてたってことですね……」

 文先生はじっとシャジャルの薄っぺらな胸もとに視線をそそいでいる。それに気づいた白蓉は、ぎゅっと眉間にしわを寄せ、

「……先生、何を見てるんですぅ? まさかこんな小さな子供にも見境ないってことですかぁ?」

「え!? あ、いや、ち、違いますよ! ……というか、ひょっとしてまた気を失ってませんか、この子?」

「えっ?」

 先生の指摘通り、シャジャルはふたたび目を閉じていた。白蓉が何度呼びかけてもこれといった反応はなく、ただ不規則で荒い呼吸を繰り返すだけだった。

「と、とにかくまずは着替えさせなきゃ! このままじゃどんどん身体が冷えちゃいますし! ってことなのでぇ、おふたりはちょっとあっち行っててください!」

「はいはい」

「……獅伯さん」

 獅伯とともにその場から離れた文先生は、大きく溜息をつきながら馬車のほうを振ると、意見を求めるように小声で呟いた。

「私は白蓉さんを、もっとこう……さばさばしているというか、割り切りができる娘さんだと思っていたんですけど、意外にやさしいところがあるんですね」

「意外にっていい方はひどくない?」

 一六だったか一七だったか、とにかく白蓉も決して一人前の大人とはいいきれない年頃の娘である。しかし、あの月瑛とともに用心棒稼業で食ってきたという以上は、ふつうの娘よりははるかに多くの修羅場を見てきただろうし、自分が生き延びるために何をすればいいか、正しい判断ができる少女のはずだった。むしろ、自分の腕一本で生きていく自信がある月瑛より、非力な白蓉のほうが、自分の身を守るためにより打算的になれるに違いない。

 にもかかわらずその白蓉が、ああして行きずりの少女を助けようとしている。おそらく文先生には、そんな白蓉の行動が理解しがたかったのだろう。獅伯も同じことを感じないでもなかったが、もしかすると白蓉は、何かしらシャジャルに過去の自分がかさなるものを感じて、ここで見すごすことができなかったのかもしれない。何となく獅伯はそう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る