4 所望する男
座長と貴族は、並んだ客が入っていくのとは違う出入り口からテントに入っていった。
「誰だ、アイツ？」
「ふむ……たぶん領主だ」
「えっ？」
座長たちにフィルが気を取られているうちに、アースは竪琴をサックに仕舞っている。
「帰るぞ……たまには一緒に食事でもするか？」
サックを担ぎ上げてアースが歩き始めた――
俺を食事に誘うなんて、珍しいこともあるもんだね、とパスタをフォークに絡め取りながらフィルが言う。アースはいつも通りシャンパーニュを口にしているだけだ。
二人が宿泊している宿の一階のレストラン、曲芸見物のせいなのか、客の姿はまばらだ。
「この街では商売しない、わたしもおまえと同じという事だよ」
と、アースが言う。
「暇だから誘ったか。旅の一座にはお手上げかい？」
「そういう事ではないのだが……」
相変わらず表情が乏しいアース、でもきっとこれは負け惜しみだとフィルは思う。
「それにしても、さっきの男が領主なら、少し用心したほうがいい。アンタの竪琴を物欲しそうに見ていた」
「
「そう言えば、ソーセージを焼き売りしてた男も領主さまを褒めてたな。代替わりって、前の領主は死んだのかい？」
「いや、せがむ息子に負けて領主の座を譲ったらしい。先ごろ奥方を亡くし、気力が失せたのも一因らしい――領内は安定している。息子でも大丈夫だと見込んだのだろうが……」
「なるほどね。まぁ、領主が替わろうと、下々には関係ない話だな」
口周りをナフキンで拭いてからフィルもグラスを煽る。アースと同じシャンパーニュだ。
「父親の方針を受け継いでいるならいい領主になるだろうさ。親か息子か知らないけれど、なんでも慈悲深いおかただそうだ――暮らしが立たない者に施したり？ あと何だったかなぁ」
フィルの言葉にアースの答えはない。
「商売しないんなら、明日には次の街に移るのか？」
「いや、やらねばならないことがある。それが終わるまでこの街に留まる――おまえもそうしろ」
今度は答えたアースだ。
「俺、も？ どうしてさ？」
まだ街を出るつもりはないが、素直に従うのもシャクだとフィルが問う。
「おまえもこの街にまだ用事があるだろう？」
用事なんかない、そう思いながら、ドキッと心臓が音を立てるフィルだ。キュアの歌声を聞いてみたい――
「用事なんか、あったかな……」
惚けるフィルにアースが
「あるはずだ……竪琴がそう言っている」
と、やはり表情を変えずに言う。
また竪琴かい？ フィルは
シャンパーニュを飲み干すとアースは立ち上がり、
「食べ終わったなら部屋に帰ろう。鍵が面倒だ、一緒に来い」
レストランの奥にある階段に向かう。二階に上がれば客室だ。
旅の道連れとは言っても、いつもは別々に部屋を取る。だけど今回は曲芸一座のお陰で二人部屋しか空いてなかった。お陰で一つしかない部屋の鍵をアースが預かっている。
「へぇ、今日は随分用心深いね。鍵なんか、いつもは気にしないのに」
フィルを気にすることなく行ってしまうアースを、慌てて追いかけるフィルだった。
ベッドに横たわり、何の変哲もない天井を眺めながら、そろそろ公演も終わるだろうか、とフィルが思う頃、部屋のドアがノックされた。竪琴の手入れをしていたアースが手を止めて声を張り上げる。
「何者だ？ こんな夜中に何用か？」
するとドアの向こうから、声を潜めた男が答える。
「あるおかたがそちらの竪琴を見て、是非とも買い取りたいと
「断る！」
即答だ。フィルが苦笑する。
「そう言わず……
「わたしは吟遊詩人。竪琴は商売道具、手放す気はない」
「そこを何とか……」
「そもそも、どうして本人が交渉しに来ない？
「
どうやら男は
「明日の昼間、また来るのだな。気が向いたら会ってやろう。だが、館には行かない。桜の広場にそちらが来るなら、だ」
僅かな間、ドアの外の男は迷ったようだが、やがて気配が静かに部屋から遠ざかっていった。
「曲芸一座のテントに豪華な馬車で乗り付けたヤツなんじゃないか？」
フィルの質問にアースが答える。
「そうかもしれないな」
「領主って言ってなかったか？」
「そうかもしれないな」
「行く気か？ 行ったら無理やりにでも取り上げられるぞ」
「そうかもしれないな」
事も無げに同じ答えを繰り返すアースにフィルが呆れる。事態の深刻さを、コイツ、判っているのか？ わざわざ俺が心配しているのに生返事ばかり、もう心配なんかしてやるものか――
アースが竪琴をいつものサックにしまい込んだ。
「では、休む」
気分を害していたフィルはそれには答えなかった。アースはゆっくりと寝台に横たわる。
フン、と思いながら、あの領主らしき男の使いが来たという事は、一座の公演は終わったのだろうか、とフィルの思考が戻っていく。
（キュアは一座を辞める気はないのかな？）
借金がありそうだった。返せない限り辞められないのか？ それとも辞めたくないのか？ いいや、客を取るのは嫌だと言っていた。ならばきっと本心では辞めたいはずだ……
（どれくらいの借金なんだろう？）
訊いてみるか？ 明日、またあの桜の木の下で待てば会えるような気がする。手持ちの額で足りるなら、こっそり懐に入れてやろうか？ 今までもあちこちの街で、貧困に
（もし足りないようならば――）
ひと働きするしかない。曲芸一座の公演は明日までと、チケットを売る小屋に張り紙があった。ならば明日、昼間に会えたら、公演が終わった後に会おうと誘えばいい。桜の木の下に来なかったら縁がなかったと諦めよう。俺が関わる相手じゃなかったってことだ。きっと一座の移動は明後日、渡すチャンスは明日の夜しかない。金が手に入れば多分キュアだって……
多分キュアだって、なんなのだろう？ その答えを見つけられないフィルだ。
（ま、明日、会えたなら、の話だ）
きっと会える、そう思っているのに自分に言い訳をする。そして会えるのが楽しみで頬が緩む。そんな自分に慌て、見られてはいないかとアースを気にする。アースは向こうを向いて横たわっていて、フィルの様子に気が付くはずもなさそうだ。
ほっとして、俺も寝るかな、と目を閉じる。それから思い出してこう言った。
「アース、明日は行かないほうがいい。絶対だ」
アースに聞こえたかは判らない。でも、言わずにはいられなかった。
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