花火が終わるまでは恋人でいいよ。

高央みくり

第1話

ぼとぼととフロントガラスの上に数多の雨粒が落ちては跳ねる。せかせかと忙しそうにワイパーが頑張って流してはくれているけど、そんなのもお構いなしに雨はぼとぼととしきりに降り注ぐ。

車内に流したままのラジオが現在の時刻を教えてくれる。午後七時半。本来なら今頃このフロントガラスの向こうには、いくつもの大輪の夜空の花が咲き誇っていた頃だったろうに。……そうは言っても、花火大会が雨で中止になって安心していたのも事実だった。花火を見ると、高校時代の甘酸っぱい思い出に押しつぶされそうになるから。

そんなことを考えながらぼんやりとスマホの画面を眺めていると、後部座席側のドアが開く音がした。

「いやあ、助かっちゃったな。ありがとね、迎えに来てくれて。まだしばらくこっちにいるんでしょ?お礼に今度ラーメン奢るわ」

傘を閉じる音。美和ちゃんが足を踏み込んだ瞬間に人二人分、左側に車体が揺れる。

「気にしなくていいよ。お代はアニキがなんかくれるって」

美和ちゃんが扉を閉め、シートベルトを着用したのを確かめてからエンジンをかけ直す。息を吹き込まれたように車が大きく揺れる。自分のシートベルトも確かめてアクセルを軽く踏み込むと、息を吐き出すようにゆっくりと車は走り出した。雨粒がたっぷりついたミラーに映る病院の電光掲示板の文字がどんどん遠くなっていく。


『本日のお便りを紹介します。S県のレッドラケットさんから頂きました。レッドラケットさん、お便りありがとうございます……』

地面を流れていく雨水をタイヤで弾く音、ワイパーの稼働音、エンジンの音。それからさっきから流したままになっているラジオの音が、この車の中の全てだった。

美和ちゃんとはもう十年近い付き合いになる。けれど帰省した時くらいにしか会っていない。……帰省自体、してたのは最初の数ヶ月くらいだけで今はもう全然してないけど。

長い付き合いとはいえ、空いた時間が長すぎるとなんとなくどう接していいのかわからなくなってしまう。ましてや、貯金を崩してやっとのことで購入したばかりの俺の車に乗せることになるなんて。アニキは「家から十分くらいの距離だから大丈夫だろ〜?」なんて簡単に言うけど、雨の日の十分だぞ?!こちとらまだ初心者マークだし、緊張ですでに手が手汗でベットベトだわ。

信号待ちをしながら俺は内心アニキに向かって悪態をついた。

ビビリを舐めるなよ、ビビリを!

赤信号をじっと見ていると、ルームミラーに映った美和ちゃんの姿が視界に入る。しばらく会わない間に、うんと大人の女性みたいになってしまったなと思う。俺の知っている美和ちゃんといえばポニーテールに学校指定のジャージ姿がトレードマークのThe・運動部の子!って感じの子だった。

ルームミラー越しに見える美和ちゃんは肩上に切り揃えられた髪を耳にかけ、ロング丈のワンピースの上からカーディガンを羽織っている。二十代を過ぎてジャージにポニーテールなわけがなかったけど、俺の中の美和ちゃんに関する記憶はその時代で止まったままだった。だからこの街を出て数年で、こんなに大人の女性らしくなっていたなんて想像もつかなかったんだと思う。……今の美和ちゃんはなんだか知らない人みたいだった。

思えば上京してから今までこの街にあまり帰ってこようと思わなかったのも、街や人の変化を受け入れられない気がしたからなのかもしれない。

物思いに耽っていると、あの頃と変わらない美和ちゃんの声がした。

「おーい、正志くん」

「えっ、なに?」

内心ぎくりとする。美和ちゃんのことを見ていたのがバレたのかもしれない。恐る恐るルームミラーを覗くと、美和ちゃんはおかしそうにクスクスと笑っていた。

「どうしたの?信号、青だけど」

へ?青?

気づかなかった。ボサっとしてる間に信号はとっくに青に変わっていたらしい。

は、恥ずかしい〜!

全身が沸騰したみたいに熱くなる。漫画の世界だったら今の俺からは全身から煙でも出てるかもしれない。

「ご、ごめん!今、車出すから!」

滑るようになめらかに。それが俺の運転中のモットー。俺はアクセルをもう一度ゆっくり踏み込んで車を走らせた。

それにしても良かった。後ろから車が来てなくて。


「ねえ、お腹空かない?」

雨脚が弱まり、ラジオ番組も終盤に差し掛かった頃、美和ちゃんが提案を持ちかけてきた。

「ま、まあ」

俺は煮えきらない返事を返す。昼飯を食べてから何も食べてないしそろそろお腹は空く頃なんだろうけど、正直なところ緊張であまり空いてはいない。家に帰って安心したら空くかもしれない。

美和ちゃんはフロントガラスの奥を指差して言った。

「この先の交差点のとこに新しくコンビニできたからさ。そこで買い物してこうよ。真司まだ帰ってこないだろうし、ちょっとつまむもの買ってこ」


ーーーーーーーーーー


店のドアから一番近いところに車を止め、駆け足で店内へ向かった。

店内に入ると「いらっしゃいませー」と微笑みを浮かべたオーナーらしきおばちゃんに声をかけられる。

美和ちゃんが話していた通り店内の中はまだ出来たばかりだからか綺麗だった。外の夏の暑さはそのままに雨と湿度でべったりとした不快な暑さとは違って、空調が効いていて涼しい。

「さーて、お買い物お買い物〜」

「俺持ちます」

美和ちゃんが取ろうとしたカゴの持ち手を先に掴む。美和ちゃんは驚いたような表情を浮かべてからニカっと笑った。懐かしい。見た目がどれだけ変わっても、笑い方は同じなんだな。

「ありがと、正志くんやっさし〜♪」

美和ちゃんはスキップでもするような足取りで真っ先に冷凍食品のコーナーへ向かった。店内は十分に冷えているけど、冷凍ケースの並んだコーナーはさらに冷えているように感じる。

美和ちゃんは冷凍ケースの中を覗き込んだ。横に長く陳列された冷凍のケースには、アイスや冷凍食品の色とりどりなパッケージが並んでいる。

どうやら目的のものを見つけたらしい。美和ちゃんは冷凍ケースの中に手を突っ込み、「お好み焼き食える?食えるならたこ焼きもいけるよね」なんて言いながら、冷凍食品のお好み焼きとたこ焼きを二個ずつカゴに突っ込んだ。

俺が「うん」と相槌を打つと、さらに一袋ずつ追加する。

「知ってた?今日、本当は花火大会の日だったんだよ〜?あいにくの天気だけどねー」

美和ちゃんはそう言いながら、さらに冷凍食品のコーナーを物色した。

知ってるよ。さっきラジオのパーソナリティーのお姉さんが話してたからね。

「私、実は楽しみにしてたんだよね〜。定期検診の後にお祭りの屋台でお好み焼きとたこ焼き食べるの。あ、粉モンばっかじゃん!ってツッコむのはナシね」

美和ちゃんはぼやきながら、さらにかき氷のカップと焼きそばと今川焼きの袋を掴んでカゴに入れた。

それから俺たちは飲み物のコーナーに向かう。キョロキョロと辺りを見回したかと思うと、美和ちゃんはペットボトルのジュースの並んだケースの前で足を止めた。

「お酒はダメだからサイダーとコーラと〜……正志くんは何飲む?」

美和ちゃんは横開きのガラスケースから五◯◯ミリリットルのサイダーを取り出してカゴに入れながら俺に訊ねる。

「飲み物かあ」

たくさん並んだジュースのコーナーを上の段から左から右へ流し見していく。この前まで売ってなかったからこのライチ味のソーダは新作だろうか。無難なものから興味本位で飲んでみたくなるような奇抜な味がしそうなものまである。俺はその中からグレープ味の炭酸飲料を一本とってカゴに入れた。

それから他の足を運んでいなかったコーナーを物色して、会計に向かう。美和ちゃんは「他に何か食べたいものあったら入れていいよ」って言ってたけど、俺は特に何も入れなかった。というか、これ以上買っても食べ切れる気がしなかった。美和ちゃんは「遠慮なんかしなくていいのに〜」なんて言いながら、ポテチやお菓子を買い足した。

一つ一つはお手軽な値段でも数がかさめばそれなりの値段になる。お財布を出そうとしたら美和ちゃんに手で遮られた。

「いいよ」

「じゃあ半分でも……」

「言い出したのは私だし、こういう時は大人を頼っておくものなの」

美和ちゃんはそう言いながら自動釣り銭機に一万円札を滑り込ませる。出てきたお釣りをしまってる間に俺は買ったものの袋詰めを済ませた。

「ありがとうございましたー」

店員のおばちゃんに見送られながら俺たちは店を後にする。雨はすでに上がっていて、自動ドアが開いた瞬間に雨を吸い込んだ草木と土の匂いが鼻を通り抜けた。湿気を含んだじめじめとした温度が体を包む。傘立てに立てかけられていた傘を手に、俺たちは車に戻った。

『こういう時は大人を頼っておくものなの』……か。

さっきの美和ちゃんの言葉を頭の中で反芻しながら思う。

俺もう大学生だよ。それに大人って言ったって三歳しか変わらないじゃん。

美和ちゃんから見た俺は、今でも子どもの頃のままなんだろう。俺の記憶の中の美和ちゃんが学生時代の頃のままアップデートされずにそのまま残っていたように。


コンビニからさらに三分ほど車を走らせたところに美和ちゃんたちが住むアパートはあった。美和ちゃんが木野と書かれた表札がかかった三◯二号室のドアを開ける。玄関で靴を脱ぎ、人一人が通れるくらいの通路を進み、奥にあるリビングにたどり着いた。机に開きっぱなしになったままの雑誌、上着のかけられた椅子を筆頭に、部屋のあちこちに生活感が溢れている。

……自分以外の家にあがるのってなんか久々な気がする。

「ごめん、そこにあるリモコンでエアコンつけといて」

「わかったー」

これか?

美和ちゃんに頼まれた通り側にあったリモコンでエアコンの電源をつけた。ひんやりとした空気が額の汗を吹き流してくれる。涼むのもそこそこにして、コンビニで買い込んだ物を冷凍庫に詰めるのを手伝うことにした。

美和ちゃんは「休んでていいんだよ?」って言ってくれたけど、あの量を美和ちゃん一人に任せるのはさすがに気が引ける。

冷蔵庫の扉にはメモとマグネットが並んでいた。きっと人に読ませる気がない癖字がアニキので、まるくて綺麗な字が美和ちゃんのものだ。メモのうち一枚には今日の日付と共に「正志くん、帰省」と手書きで書き込まれていた。……待っていてくれていた気がしてなんとなく嬉しくなる。

「地元帰ってきたのいつぶり?」

落ちてきたサイドの髪を耳に掛け直しながら美和ちゃんが言う。

「うーんと……去年は忙しくて帰れなかったから一昨年のお盆休みとかだっけ?」

「へー、そんなに会ってなかったっけ?でも知らなかったな〜。いつのまに免許取ってたの?」

「うん。やっと欲しかった車を買うために必要なお金が集まったからそれに合わせて免許とった」

「ふ〜ん」

美和ちゃんは手を洗ってから、お好み焼きの袋を開いて手際良く中身とトレーを電子レンジの中に押し込んだ。それからさらにボタンをいくつか押すと、ピピッとというおなじみの電子音と共にお好み焼きを乗せたターンテーブルが周り出す。……使ってる物が電子レンジとはいえ、なんか準備の手際が良いだけで料理が得意な人に見えてしまう。

「手伝ってくれてありがとう。おかげで早く終わっちゃった。さ、出来るまでそっちで待ってよ?」

美和ちゃんに促されるまま、俺はリビングのソファに腰掛ける。流れるような手つきでつけられたテレビには、いかにも夏休みの特番のバラエティー番組が映し出される。

アスレチックに挑戦する若手のアイドルたち。普段あまりテレビはつけないからか、あれが誰なのかわからない。美和ちゃんがテレビを観ながらあははと楽しそうに笑う。思い出してみれば昔からよく笑う子だったな。どんな時も楽しそうで、いつも周りを笑顔にしてくれて……それが眩しくて。だから好きになったのかな。

さっき買ってきたばかりの炭酸飲料のペットボトルの蓋を開ける。冷蔵庫に入れてなかったからか少しぬるい。ペットボトルの周りが蒸発して出来たジュースの汗でぐっしょり濡れていた。喉の奥に中身を流し込むと、じゅわじゅわと絡みつくように喉に染み込んでいく。……やっぱり冷蔵庫に入れておけばよかったな。

美和ちゃんの視線を感じた気がして、俺は美和ちゃんの方を見た。

「……何?」

俺がそう訊ねると、美和ちゃんは自分の両手の指をにぎにぎしながら答えた。

「正志くん、子どもの頃から好きだったよねえ、それ。今も飲んでるんだなって思って」

俺は半分ほど中身が減ったペットボトルを見た。ブドウの描かれたアメリカンなパッケージ。言われてみればそうかもしれない。小さい頃からこれのグレープ味が好きなんだ。

グビグビとさらに飲み続けていると、美和ちゃんは今度はとんでもない話を持ち込んできた。

「ねえ、『花火が終わるまでは恋人でいいよの話』って覚えてる?」

「ヴエッ!ゲホッ!ガホッ!」

飲んでいた炭酸飲料を咽せた勢いで噴き出しそうになった。視界の端に映ったテレビの画面の中のアイドルのうち一人が足を滑らせてプールに落下する。俺も穴じゃないけど、目の前にプールでもあったら今すぐに飛び込んででもここから逃げ出したい。

『花火が終わるまでは恋人でいいよの話』っていうのは、大まかにまとめれば、愚かな高校時代の俺が同級生の友人たちに向かって「夏休み中に彼女を作る!」って啖呵を切ったのは良いものの、もちろん全く彼女なんてものはできる気配もなく、最終的に美和ちゃんと花火大会に行った時に撮らせてもらったツーショットを見せることになった時の話だ。当時、俺と繋がりのある女の子でアイツらに怪しまれなくて済む相手といえば、アニキの同級生で家庭教師をしてくれてた美和ちゃんくらいしかいなかった。

「花火大会の日にさ、真司のやつドタキャンしてさ。結局、私と正志くんの二人で花火大会に行ったよね。でも私びっくりしたんだよ。いきなり正志くんがツーショット撮りたいって言うから」

覚えてないわけがない。あの日、アニキはどこから聞いたんだか知らないけどなぜかあの話を知ってて、面白がって俺たちを二人きりにするためにドタキャンしたんだ。

「やめて!黒歴史掘り起こさなくていいから!」

「いいよ〜って言ったら正志くんが急に泣きそうな顔で謝り出してさ。どうしたの?って聞き返したらツーショット撮る時だけでもいいから、彼女のフリしてもらえませんか?って言うんだもん」

で、事の顛末をバラすことになったと。美和ちゃんは俺が止めるのもお構いなしに話を続けた。あのことを思い出すだけでも顔から火が出そうだった。

「な、なんで覚えてるのそんな話」

俺は頭を両手で抱えながら言った。それを見て、からかうように笑いながら美和ちゃんは言う。

「だって、あの日もそのジュース飲んでたから思い出しちゃって」

俺のばか!記憶に残らないように他の飲み物でも飲んでおけばよかった。……でもそれだと逆に覚えてるかもしれないか。いつもと違うの飲んでるなって。

当時の俺は美和ちゃんに正直に話すことで許してもらおうとしていたんだと思う。本当に好きな人に彼女のフリをしてくれなんて言わなきゃいけない自分が情けない。

ピピピピとタイミングよく、電子レンジがお好み焼きの出来上がりを告げた。

「あーっ、お好み焼き出来たみたいだから俺、取りに行ってくるね〜!」

早くこの場を離れたかったのもあったけど、俺はソファから立ち上がるとキッチンの方に向かってそそくさと歩いていく。

電子レンジの蓋を開けると、出汁と魚介類の混ざった良い匂いがした。お好み焼きを取り出して空いたターンテーブルにたこ焼きをセットする。出来上がったばかりのお好み焼きにソースと青のりとカツオ節をかけてやると、部屋の中が一瞬でお祭りの屋台の香りに変わった。キッチンの向こうから「わあ、いい匂〜い♪」という美和ちゃんの嬉しそうな声が聞こえてくる。歩くだけでヒラヒラと踊るように揺れるカツオ節。生地からはぐれて皿に溢れ落ちるソース。

コンビニでもらった割り箸を二つを忘れずに取って、俺は美和ちゃんの座っているソファの前にあるローテーブルの上に並べた。

「ありがとう。いただきまーす」

美和ちゃんはお行儀よく顔の前で手を合わせると、割り箸を割った。パキッという小気味のいい音がする。

箸で一口サイズに切り分け、まだ湯気の上がっているお好み焼きにふうふうと息を吹きかける。それからパクっと口の中へ運ぶと、あつあつ!と口をはふはふとさせながら美味しそうに食べた。

その一連の動作を眺めながら俺は訊ねる。

「美味しい?」

「うん。おいひい。……で、結局あの後どうなったんだっけ?バレたの?」

「その話続けるの?!」

「だって気になるんだもん。ツーショットくらいで誤魔化すことができたのか」

美和ちゃんはニコニコしながら俺の顔をじっと見つめた。他意はなくて、本当に興味本位で聞いているんだと思う。興味を示した物にのめり込んでしまうようなタイプの人だったから。

「隠しきれるわけないじゃん……」

俺は目を逸らしながら答えた。

ちらっと横目で美和ちゃんの顔を盗み見ると「だよね〜?!」と真顔で答えられた。

「私はバレるだろうな〜って思ってたよ。だって本当に恋人同士ならこうやって気まずそうにそっぽ向いたりしないもん。もっと堂々と彼氏です!って顔して写らなきゃ!」

美和ちゃんはポケットから取り出したスマホのカメラロールアプリをスクロールして、あの日の写真を開いて見せる。

日付は六年前の夏になっていて、浴衣姿の美和ちゃんとTシャツを着た俺の二人が写っていた。バックには夜空を彩る無数の花火、それから足元には出店の明かりや提灯の赤い明かりが見える。

写真に写った俺の顔はカメラ目線の笑顔で写った美和ちゃんとは違って、カメラのレンズに目も向けられず、言いたいことを飲み込むように唇の端を噛み、好きな子と初めてツーショットを撮る緊張と気恥ずかしさの入り混じった絶妙に微妙な顔をしていた。

あの日、事情を知った美和ちゃんは涙を流すほど爆笑してから、「じゃあ、花火が終わるまでは恋人でいいよ」と言った。俺たちは赤提灯と出店の並んだ石畳の道を手を繋いで歩いた。わたあめや焼きそば、屋台で色々買って食べたはずなのに、緊張してどんな味がしたのかわからなかったことを覚えている。

「せっかくだから景色の良いところで撮ろうよ」という美和ちゃんの提案で神社の本殿の裏にある階段を登ることになったけど階段にたどり着くまでの人混みがすごくて、花火の音を聞きながら階段を登る羽目になった。

あの時の「登ってる間は花火見えないね」と無邪気に笑う美和ちゃんの表情が今でも鮮明に焼きついている。階段を上がれば上がるほど、終わりが近づいている気がして焦る気持ちばかりが膨れ上がった。花火がこのまま終わらなきゃ良いのになと思った。いや、終わらせなきゃよかった。

俺が意気地無しの臆病者でモダモダしてる間に、気づいた時には美和ちゃんの名字が木野に変わっていた。木野真司、俺のアニキと結婚して。


ピピピピと電子レンジが今度はたこ焼きの出来上がりを告げた。

「取ってくるから食べてて」

立ちあがろうと前屈みになった美和ちゃんを手で静止させて、俺はソファから立ち上がった。

身重な女性をあまり動かさせたくはなかった。まだそんなにお腹の子は大きくなっていないみたいだけど、前屈みになるといくらかお腹の膨らみがわかる。妊娠四ヶ月、経過は良好らしい。来年の花火大会の頃には美和ちゃんはお母さんになっている。

夏休みだからという理由だけで帰省したわけではなかった。一週間後にアニキと美和ちゃんの結婚式がある。世間じゃデキ婚なんて言われるやつだろう。

現実とちゃんと向き合えば、俺の記憶の中で残り続けているあの日の花火大会を終わらせられる。恋心を昇華させて友達同士に戻れる。もう一度会うまではそう思ってた。……でも。

「花火、終わってくれそうにないなあ」

見上げた窓の外は曇っていた。あの日、もしも今日みたいに雨が降って花火大会が中止になっていたら。いや、あの日、花火が終わっても恋人でいてください!くらいの一言が言えていたら。ただ花火を見上げているだけじゃなかったら。


……俺は今でも、あの日の花火が終わるのを待っている。

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