第2話 迎
うさグラビティーという言葉をご存じだろうか。これは、生息密度の高い場所に生物が引き寄せられる現象のウサギ版であり、同胞が数多存在するここ、ウサギの底の星で最も強い。多くのうっかりした子たちが降ってくる原因になっている。
うさぴょんワームホールという言葉をご存じだろうか。これは、超遠距離の天体から生物種が降ってくる際に通る時空の穴のウサギ版であり、太陽系外の子は無意識に利用している。
『MOHUMOHU』というペットショップを作ったのは月から落ちてくるウサギたちがいることに気付いて、送り返す方法を見つけ出したからだ。白くてもふもふとした彼らはやはり、寂しいと弱ってしまう。ウサギは群れだ。独りにしてはいけない。同じ境遇の私は放っておけなかった。遠く、オリオン座の南、恒星アルネブからうっかり落ちて来た、アルネブドロップの私は。
「やべー! 岡山! クッソ久々に来たけど超都会じゃん。で、今回はどこ落ちてくんの」
冬の都会の足早な夕日を浴びる駅から降りた私の隣には、ひとりの人影がある。正真正銘、底の星の彼女。名前は確か――。
「コタマさんの飼い主さん、ルナドロップは基本的に夜にしかうっかりしないので、私たちが保護できるのは日が暮れてからになります。それに今回は複数匹の予感がします。共鳴により、私たちには分かるんです」
「
「ありがとうございます、りりぴょん」
「二年も経ってりゃひとのいうことくらいちゃんと聞いてくれると思ったのにさぁ……」
またうっかりしてしまったらしく、もう見慣れてしまった呆れ顔が私を見る。随分前の話になる。私はこの底の星の彼女にルナドロップの回収と帰還を手伝ってもらった。加えて、その際に渡した名刺を仲間へ送る用のそれと間違ってしまった。紙に電話番号と私の位置を伝える移動住所が表示され始めたのは、別れて一週間後の話になるらしい。これも一つの縁だ。そういって、新しい仕事を探している彼女は私のウサギ回収を手伝ってくれている。頻繁に落ちてくるわけではないが、これで三匹目だ。
りりぴょんがスマートフォンを確認している。岡山市は夜から雨で、その心配をしているのだろう。だが全く問題はない。今回は助っ
・・・・・・
「土砂降りじゃねえか。山陽本線も止まって新幹線も遅延してっから、ワンチャンいまからでもいけるカプセルホテル探すしかないな」
「大丈夫! 私たちには強力な味方が――ってわ、うにゃぁ」
「当たり前のように風にあおられて足滑らせて川に流されかけるんじゃない」
時間は過ぎて、夜のこと。うさ耳隠しフードがあだになった。着込んだコートごとぶわっと風を含んで倒れかける。りりぴょんがその手を掴んで引き戻してくれなかったら、あえなく私は背後の川に頭から突っ込むところだった。続く土砂降り、鳴る洪水警報。複数の電光掲示板が流すコマーシャルは、人の消えた駅前の喧騒に飲まれて音を失った。雷鳴が轟き、もはや傘は役に立たない。背中のウサギキャッチ網入りのカバンもびしゃびしゃだ。しかし、一旦私たちも駅前のモールに避難しようと叫ぶ女性の奥にもう一つ気配がした。思わずぴょんと耳が生える。仲間が到着したのだ。
「りりぴょん、ジャンプ!」
「おわぁあああああぁああ」
突風に乗るという表現が正しかった。華奢な彼女を捕まえて全力で飛び上がると、黒い影が眼下に滑り込んで足場になる。体長二六メートルと少し、細長い外骨格に二対の翅を持つ鳥。
「彼女はドラゴントリウサギ、ミアプラキドゥスドロップさんです」
「もうウサギじゃねえじゃぁあん!」
都会のビル群が切り分けた空をすり抜ける。在来線一車両分より大きな巨鳥っぽい仲間の背に乗って飛びながら、目を回すりりぴょんを撫でていると、ウサギ落下ポイントに到達した。吹き荒れる暴風。腕のなかの彼女は底の星のなかでもかなり胆力がある方らしく、少しすると調子を取り戻して濡れた髪を掻く。凛としたその視線を、変わらず土砂降りの周囲に向ける。
「で、どこにいるんだ」
「もうすぐ見えるようになります。――では、シリウスドロップさんお願いします!」
声と同時に爆光が開いた。視界の左手、岡山市の空、立ち込めた厚い雲から、一軒家ほどの大きさで超高明度の逆さの傘が、縁から複数本の糸を引いて落ちてくる。まるで軌跡を残す光の環のような有り様に、やっぱウサギじゃうわまっぶしと、りりぴょんの言葉が微妙に遮られた。全天の雨を吹き払い、かつ照明弾の役割を果たしている彼は、一昨年一等星から落ちて来たおっちょこちょい、シリウスドロップ、ヒカリハナサカサクラゲウサギだ。
「あれです!」
指をさして示す。逆さになってもがく白い仲間が二匹、進行方向の空に浮いている。ルナドロップだ。私たちには痛いほどわかる。故郷の星から落とされて、知らない場所に送られる。その孤独は、恐怖は、この場の全てのウサギが知っている。数秒の沈黙。誰しもの身体が意思に強張るなか、一番初めに動いたのは、底の星の彼女だった。
「分かった! 捕まえてくる」
「ちょっと危ない!」
りりぴょんは、背中のカバンを置き、そのまま脱兎も見習うべき速度で走り出す。そして、全くの躊躇なく飛び跳ね、両腕でルナドロップ二匹を抱き込んだ。同時に、シリウスドロップからの明かりが消え、雷鳴と豪雨が空を支配する。跳躍の瞬間、ミアが同じ速度で身体を滑り込ませなければ落下していただろう。黒い毛並みの上で、危ないじゃないですか、と私が声をかけると、彼女はルナドロップたちに舐められながら、笑顔をこちらに向けた。
「ひとのいうことを聞かないってのはこういうことだ……へへへ」
すごく勝ち誇った顔をしたまま倒れそうになるりりぴょんを抱える。何故だろうか、その安らかな表情に、私は見覚えがあった。そうだ。故郷にいたとき、うっかり落ちてきて友達になった子がいた。まだ小さかったその子の同胞たちが戻してあげたんだっけ。確か名前は――。
私たちは静かに目標地点を変えた。今夜彼女が心配していたホテルは要らない。うっかりウサギの支部の一つは、ここ岡山にある。
・・・・・・
「右から、シリウスドロップさん、ミアプラキドゥスドロップさん、ベガドロップさん、プロキオンドロップさん、カペラドロップさん、ポラリスドロップさん。来週くらいに帰れる予定のマーキュリードロップさんもいますね」
「うさぎじゃーん!!」
うっかりウサギ支部――私の数人の協力者によって経営されている二階建ての動物カフェ――の休養室で目を覚ましたりりぴょんは、キラキラした目で私たちを見下ろしている。そう、私たちはウサギなので、底の星の同胞たちと同じ形をとることができる。青に、茶色に、緑色に、黒に、灰色に。簡単に抱えられるサイズでうさ耳や尻尾を揺らして跳ねるウサギたちに、彼女は目をきらめかせている。仲間たちにはそれぞれ特徴があるが、ウサギの底の星の彼女のような形をとって会話が出来るのは、ここではニセヒトウサギ、アルネブ――ヒトの底の星――ドロップの私だけだ。私とほかの複数匹いるらしい同郷たちが、この星と仲間を繋げている。
今日保護したルナドロップも含めて数匹のもふもふに埋もれた彼女は、一通り遊んだあと、スマートフォンをいじりだした。もふもふのまま肩に乗って確認すると、帰りの電車が動き出す時間を確認しているようだった。
「うわー、取り合えずここに住みてえ……」
ぼやく彼女の検索タブを見ると、仕事を探している様子が分かる。彼女は理不尽な忙しさのために愛した子と過ごす時間を多く失ったらしい。りりぴょんがいままで手伝ってくれたことは仲間のみんなに伝えてある。今夜の様子もそうだ。なら、一つできる提案がある。すっと、人の形になって、後ろから抱き着くと、私は耳元で告げる。
「ねえ、リリぴょん。聞いて欲しいことが――」
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