会話に非ず!
四
モニターに写る私の眠そうな顔を緑色の正方形が囲っている。その上には「36.1℃」の文字。
この天性のジト目をどうにかしてくれ、と鏡写しの私に懇願する。睨んでると勘違いされていちゃもんをつけられる時ほどイライラするものはない。いくらといてもハネる髪の毛もなんとかしてくれ。しかも金色とはどういうことだ。目立ちたい人間欲張りセットを頼んだ覚えはない。
登校すると嫌でも自分の姿を見せられるのは一種の苦痛だった。
私は手を消毒してから朝の挨拶担当の先生に軽く一礼して教室に向かった。
時計を見るとちょうど八時。まだ人がまばらな時間帯だ。教室のドアを開けて入ると、廊下のじめじめした空気とは対照的な冷えた空気に包まれる。あまりの気温差に鳥肌が立つ。
目に入ったのはぼーっとスマホの画面を操作している彼女だった。すると入ってきた私に気づいたのか顔を上げた。目が合う。一瞬の後、彼女の顔がぱあっと明るくなった。あのハッピースマイル。
嫌な予感がする。
「おはよう!!!」
マスクを吹き飛ばすレベルの声量に驚いて肩が上がる。同時に体がカッと熱くなった。先に来ていたクラスメイトたちが一斉に彼女を見た後すぐにこちらに視線を移す。
私は半ば教壇に身を隠すようにしながら彼女のもとへそろそろ歩いた。
「お、おはよう……」
目を細めて屈託のない笑顔でこっちを見てくる。
席に着くと彼女はその表情を崩さずに向き直った。
「あっ、ねえ紀美ちゃん!さっきあたしが何見てたか気にならない?」またこっちを向いてきた。忙しない。
まあ、気にならないと言えば嘘になる。昨日も校門前で何かを熱心に見ていた。
「何見てたの?」
「ツイッター。相互がUFO目撃情報あげてたの。ほら」差し出されたTLの画像には、確かに空中で浮遊している三日月型の物体があった。
アカウント名は『UFO研究家・オフ』。うさんくさい名前だし、画像はどう見ても加工だ。
「加工すぎて面白いでしょ?」
ずっこけそうになる。
「じゃあ何で見せたの……」
「たまにあるのよ、加工だと思えないやつ」
「……本物を探してるってこと?」
サムズアップ・アンド・ウインク。どうやら正解らしい。
「加工したやつは」
まさか通報するとは言わないだろうな。
「出来栄えが良かったらそっとリツイートしてるけど……」いつものことだというように言う。
野生の天然を見つけてしまった。場合によっては通報よりタチが悪いかもしれないぞ、これ。
「フォロワーにさ、なんとか警察とかっている……?」
そう聞くとフォロワー欄を探し始めた。
「あ、いた!『UFO警察〜嘘を許さない〜』だって。他にもなんかいっぱいいるけど、この人たちがどうしたの?」
ああ、かわいそうに。彼女は無自覚のままにリンチ場への誘導役を買って出ていたのだ!
「いや、ごめん、何でもない」
私はここで自分自身に驚いた。てっきり自分には会話を続ける才能が無いのだと思い込んでいた。
いわば、普通の女子高生のような会話。それができることに驚いた。彼女が触媒として働いたのかは分からない。昨日の会話は途切れ途切れだったし、もしかしたら私の方が覚醒したのかもしれない。
「紀美ちゃんは普段何してるのぉ?」眠そうに左目をこすりながら彼女が言った。なんというか、本当に忙しない人だ。
普段……帰ってご飯食べて寝て起きて課題やって寝る……?社畜ならぬ学畜じゃないか。聞かれて初めて気づいた。まあ、たぶんここでいう「普段」は「趣味」の意味だろう。趣味なら一応ある。
「怪談読んでる!」
「えっ……」
何か恐ろしいものでも見たように目を開く。私の得意げな顔とは反対に青白くなる顔。そのあとどんな言葉が出てくるのか、頭で数パターン試した。『あっ……そういうの信じるタイプなんだ……』いやこれはありえない。それこそどの口が言う案件だ。『い、良い趣味だね!』これは辛すぎる。『……(無言で前を向く)』不登校になってしまうかもしれない。
しかし沈黙を破ったのは一時限目のチャイムだった。教壇を見るといつのまにか化学教師が授業プリントの用意をしていた。
「ひっ昼休みまた話そ!」彼女は慌てて授業の準備を始める。
結局このときは彼女の表情の真意を明らかにできなかった。喉に魚の骨が引っかかった時みたいに、私は悶々とした。
待てよ、話の流れ的に当たり前の結論を忘れていた。
もしかして、怖いの苦手?
五
昼休みじゃなくて授業合間の休憩時間で良いじゃないか、という甘い考えは崩れ去った。今日は何週間かに一回やってくる、小テストラッシュの日だった。
一時限目、化学の小テスト
二時限目、古文単語の小テスト
三時限目、英作文の小テスト
四時限目、漢字の小テスト
昨日何もやっていなかったツケは重い。休憩時間は単語帳や教科書を開き、授業中は目を盗んでせっせと内職。あっという間に昼休みはきた。
「紙子さん、単刀直入にいくけど、怖いの苦手だよね?」
「えぇっ!?!?!!!」
声でかっ。それでも人の慣れは素晴らしいもので、もう目線は気にならなくなっていた。いや、嘘。さすがに後ろの席のため息は気にする。私はまた体が熱くなった。
「逆に紀美ちゃんは怖くないの……?」目をキョロキョロさせながら眉をひそめて彼女が聞く。
「怖くないかなぁ……私はアブダクションの方が怖いかも」
そう言うと彼女は確かに、とケラケラ笑って頷いた。私もつられて頬が緩む。
ころころ変わる表情や雰囲気はどこか人を惹きつけるものがあった。こんなに魅力的なのに――私はまるで人の財産を勝手に無用の長物呼ばわりするように考えてしまった。
でも、視点を変えれば、そんな魅力的な一面を私が独り占めしているともとれる。私はちょっと嬉しくなった。
「笑ったら可愛いじゃん、しき」
突然に、確実に、そして優しく私を貫いた彼女の言葉。心臓が一瞬だけ止まったような気がする。同時に周囲の時間も固まったかもしれない。今、この空間には私と彼女しかいない。そう確信してしまうほどに、衝撃だった。
「あ……えと……その……」私は必死になって言葉を探した。扉をこじ開けてくれただけではなく、暖かく迎えてくれた、彼女に礼を言いたかった。
「ゆり――ゆりで良いよ」
「ゆ、ゆ、ゆり、その、ありがと」これまでのことも全部ひっくるめての感謝を、伝えた。
すると、
「しきは目も可愛いし金髪もよく似合ってるよ?」
私は沸騰した。
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