第6話 千寿ハルカ(2)

 帝都ホテルのカフェラウンジに腰を下ろしたハルカは、雑誌で顔を隠すようにしながら辺りを目だけで窺っていた。

 雑誌は経済誌で、アメリカにある半導体メーカーの会長がいかにして、成功を収めたかなどの特集記事が書かれていたが、いまのハルカの目にはそんな記事もただの文字の羅列としか見えていなかった。


 小路と名乗る電話の相手は、牧島康平と弟のことについて話があるといっていた。

 独特な関西訛りの喋り方をする小路という男は、一体何者なのだろうか。


 牧島康平と弟の関係について知っている人間は、ほとんどいないと聞いている。

 どこからか情報が漏れたということなのだろうか。

 もし、そうであったら、牧島を殺した意味がなくなってしまう。


 相手は何者だろうか。

 芸能記者だろうか。

 それともヤクザ者だろうか。


 もし芸能記者であれば、事務所の力で口を封じてしまうことは出来るはずだ。

 社長の牧島が死んだいまでも、事務所にはそのぐらいの力はあるはずだ。


 もし、ヤクザだったらどうしようか。

 様々な思いが頭の中を駆け巡り、ハルカは不安に駆られて行った。


 しかし、カフェラウンジでコーヒーを飲んでいるうちにハルカは落ち着きを取り戻し、正常な頭で考えをまとめられるほどにまでなっていた。


 もし相手がヤクザだったとしても、すでに牧島は死んでいるのだ。

 弟と牧島の関係を色々と言われても否定すればいいだけだ。

 もう、牧島はいない。

 死人に口なしというやつだ。


「あの……松田さんですよね」

 突然、背後から声を掛けられ、ハルカは声を上げそうになってしまった。


「おっと、後ろは振り向かないでください。それがお互いのためだと思います。雑誌を読む振りでもしながら私の話を聞いてください」

 慌てて後ろを振り向こうとするハルカに対して、背中合わせに後ろの席に座っている男が注意の言葉を発した。


 ハルカはその男の言葉に従い、先程まで顔を隠すのに使っていた雑誌を再び顔の高さまで持ち上げると意識を背後へと集中させた。


「話は、小路から聞いたと思います」

 その言葉を聞いた時、ハルカはこの男が小路という先ほど電話をしてきた人間ではないという事に気がついた。


 小路と名乗った男は関西訛りのある喋り方だったし、背後から話しかけてくる男のように声は渋くなかった。


「ここでは人が多すぎて、話を聞かれては何ですから移動しましょう」

「え……」

「上に部屋を取ってありますので。部屋の番号は一〇二五です。私は先に行っていますので、今から五分後に来てください。鍵は開けておきます」


 それはハルカに有無を言わさぬ口調であった。

 お前に物事を決める権利はない。男の声はそう言っていた。


「それと、決して私の方を振り向かないようお願いします」

 男の声が終わると、ハルカの背後から気配が消えていった。


 ハルカは振り返って男の顔を見たいという衝動に駆られたが、男の「決して私の方を振り向かないようお願いします」という言葉が脳裏にこびりついていた為、振り返ることはできなかった。

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