第7話 千寿ハルカ(3)

 男が去ってからきっちり5分後、ハルカは男の待つ1025室に向かうため、エレヴェーターへと乗り込んだ。


 行き先階数ボタンを押す指は、緊張のために震えている。


 平日の昼間という事もあってか、ホテル内はそれほど混雑しておらずエレヴェーターは空いていた。

 エレヴェーターの中にいるのは客のスーツケースを持った制服姿のボーイと、高級そうなスーツに身を包んだ老紳士、そして黒い革製のパンツに黒いシャツという出で立ちで、頭にはウエスタンハットを目深に被ったちょっと不思議ファッションをした青年だけであった。


 ハルカはその中の誰とも目を合わせることなく、エレヴェーターの一番奥に陣取ると、持っていた鞄の中から読みかけの経済誌を取り出し、それで顔を隠すようにした。


 こんなところで「女優の千寿ハルカさんですよね?」などと声を掛けられたりしたら大変だ。


 実際に街中などで突然見知らぬ人から声を掛けられたり、サインや写真を求められたりする事が多いのだ。これはテレビなどに出演している以上、仕方のない事だと普段は思っているが、今の状況で声を掛けられるのだけはどうしても避けたかった。


 エレヴェーター内は、何ともいえぬ緊張感のようなものが支配していた。

 誰一人口を開く事もなく、エレヴェーターが上昇して行くモーター音だけが、その空間を支配している。


 おそらく、そんな事を気にしているのはハルカだけであっただろう。

 一緒にエレヴェーターに乗っている他の人間にとっては、いつもと変わらぬエレヴェーター内に違いない。


 エレヴェーターが7階に到着すると、ハルカの存在に気がつく事もなく老紳士とボーイは降りていった。


 残ったのは、ウエスタンハットの青年とハルカだけである。


 行き先階数を示すボタンは、ハルカの押した10階とウエスタンハットの青年が押したであろう13階の階数番号がオレンジ色の光を灯していた。


 エレヴェーターの現在地を示す階数のデジタル数字が、9階から10階への表示に変更された時、ハルカの前に立っていたウエスタンハットの青年が突然振り返り、口を開いた。


「あんたは13階へ行け。そこで待っている人間がいる。10階の始末は俺がつけてやる」

「え?」


 突然の事にハルカは意味がわからず、瞬きを繰り返しながら青年の顔を見つめていた。


 エレヴェーターが10階に着き、扉が開くとウエスタンハットの青年はハルカのことをエレヴェーターの奥へと押し込むように突き飛ばし、自分だけ降りていってしまった。


 ハルカはわけもわからぬまま、エレヴェーターから降りていくウエスタンハットの青年の背中を見つめていた。

 気のせいかもしれないが、青年の腰の辺りは妙な形に膨らんでいるように見えた。

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