私のエンケラドスがこんなにアツいわけがないっ

嶌田あき

氷のエンケラドスがこんなにアツいわけがないっ

 23世紀初頭になっても、私たちは孤独だった。

 環境破壊に疫病、3度目の世界大戦。噴火、地殻変動、先端テクノロジーの誤用。この100年間、私たちの文明は幾度となく消滅の危機に瀕した。けれど、生きながらえた。思ったよりもタフだ。

 国家の威信と存続をかけた競争は軍事から経済に、そして先端科学に舞台を移して続けられた。宇宙開発、AI、ゲノム編集、量子技術。ひと巡りして宇宙に戻った。手にした武器は超伝導量子コンピューターにクライオ電顕。目指すは零下の氷の星。なにもかもが極低温の新冷戦は、いつしか〈凍戦〉と呼ばれるようになっていた。

 私はたくさんの仲間とともに最新鋭の潜水艦を駆り、その最前線ともいえる土星の衛星エンケラドスにいた。


「そろそろかしら……。副長、現在位置は?」


 長い髪からひょこりと丸耳を立て、隣のツツミに尋ねた。

 私たちは、分厚い氷の下に広がる真っ暗闇の内部海にいた。表面を氷に覆われた、この直径500キロほどの小さな星は液体の水を持っていた。それゆえ、私たちはエンケラドスを〈土星の涙〉なんてふうに言う。小さく、儚い、ひと雫の涙。そこが太陽系内で最も生命のいる可能性がある場所だった。

 地球外生命探査は、さしたる成果も上がらないまま200年以上続けられていた。この間、異星人文明の遺跡と思われる恒星間天体が2例と、自然現象で説明できない系外惑星の減光が3種類、あとは片手で数えられる程度の電波シグナルだけ。


 これだけ探して見つからないということは、ひょっとしたら、もう異星人の文明は滅びてしまっているのかも。私たちは孤独だ――。そんな考えが、天文学者の間では一般的になっていた。

 だから、凍戦は人類の寂しさを紛らわせるための競争だった。娯楽だ。癒やしだ。ようは、人類は「宇宙で唯一の生命だ」なんていう重荷から解放されたいのだ。


「氷殻の重力場形状から、南緯74度、東経138度――目標水域と思われます、艦長」


 ツツミはふわふわに整えられた前髪をかきあげながら応えた。

 前世紀に実用化された人獣合成技術により、世界はケモ耳をもつ人々で溢れかえっていた。イヌ、ネコ、ウサギ、ウマ――。初めは興味本位で様々な動物種との合成が試みられたものの、やがて宇宙開発競争に向く種としてイヌ科の動物、とくにキツネとタヌキが定番化した。

 これは〈妖怪化〉と呼ばれるDNAレベルの若返り現象により、ヒトの平均寿命を遥かに越える長期間の太陽系内探査ミッションに耐えられることによる。


「ソナーに反応は?」


 私の声に、水雷長のブンブクは信楽焼みたいな体をふるふると小刻みに震わせながら「ありません」と画面から目を離さず応えた。


「女狐めっ。なかなか尻尾をつかませないですね」


 ブンブクが不満そうに腹のあたりをポンと叩くと、その音で反対側に座る機関長が驚いてぴくりと耳をたてた。

 この潜水艦の乗組員は私を含め全てタヌキベースの人獣で、みんな丸いケモ耳をもつ。これはNATO規格だ。純技術的な理由によるものであって、決して誰かの趣味とかではない。キツネやイヌを人獣合成に利用している国もある。


「もう少し様子を見ましょう。どうせ、あちらさんの目当ては分かってるんですし」


 私たちにはライバルがいた。キツネの連中だ。あいつらに先をこされるわけにはいかない――。私は耳を前後左右に傾けて海中音に気を配りつつ、長い髪を耳にかけた。

 宇宙は女の職場だ。そう言われるようになって久しい。妖怪化遺伝子の性染色体上の発現に性差がある関係で、宇宙探査に駆り出されているのは全て女性だからだ。

 私がブンブクをなだめつつ、機関長の丸い背中に機関停止を命じようとしたちょうどその時、

 

「艦長っ! 量子ソナーに反応。距離3000」水雷士からの声。

逆演算処理アンコンピュテーション。エンタングル切って。パタン照合。急いで!」


 私はブンブクを急かした。彼女はタタタと小気味よくキーボードを弾き


「フォックス級! KTN78。赤です」と不満そうに叫んだ。


紅狐レッドフォックス!? こんなところで何を……?」


 ツツミがショートボブの髪をがしがしとかきながらぼやく。


「艦長、どうします?」ブンブクの鼻息が荒い。今にでも魚雷をぶっぱなすと言わんばかりだ。


「赤いキツネがお出ましとは、ただ事じゃないわね」


 私が生唾を呑んだその直後、水雷士がヘッドフォンを付けたまま振り返った。


「魚雷発射管、注水音っ!!」

「猪口才な――もといっ、狐口才なっ!」ブンブクがコンソールをドンと叩く。 


「水雷長、落ち着いてっ! 相手はズル賢いキツネよ――なにか裏がある!」


 背筋にぞくっと冷たい感じがした。生命探査が行われている天体での破壊行動は惑星防護法違反である。


「魚雷発射音! 数2!」

「艦長、一体?」

「動いたら負け。動いちゃだめ!」


 この距離では、有線はない。こちらは無音航行中だったから音響誘導でもない。これは――


「化かしあいね。上等じゃないっ!」


 私の声に指令室の空気はピリっと引き締まった。


「電子魚雷戦用意。量子計算機、準備スタンバイ

「量子体積300で用意します」


 電信室からの即答。この潜水艦は単なる探査船ではない。

 私は「20秒で同定せよ」と追加指示を送り、薄暗い指令室で一同息を呑んで続報を待った。近代の魚雷戦は演算性能の戦いだ。


「敵音波受信。変調方式を解析中。QPE量子位相推定回路合成。計算終了まで10秒」

「デコイに入力、急いでっ」私が言い終わらないうちに「諸元入力完了。AUV自律型無人潜水機〈ドロブネ〉発進リフトオフ」とブンブクが告げた。

 艦橋前方からAUVが静かに離れ、囮音波を発し一直線に敵魚雷へと向かった。


「擬似反射波の送信を確認。敵魚雷、進路変更」

「よしっ」小さく拳を握るツツミ。私はすぐに「まだよ――捕らぬ狸の皮算用」と彼女をたしなめる。


「敵魚雷、あと20秒で本艦の真上を通過」


 ブンブクの声に指令室の全員が丸耳をそばだてた。狐の遠吠えのような敵魚雷のスクリュー音。いつ聞いてもイヤな音。続いてカチカチという甲高い威嚇音が響いた。


「フフ。背中に火をつけようってワケ?」


 私が鼻で笑うすぐ横で、気の弱いツツミは海図台に手をつき目を閉じ震えていた。指令室に緊張と安堵が入り混じると、ブンブクが「敵魚雷の進路、予想とズレてます!」と何か異変に気がついた。


「狙いは頭上の氷ね!」私が叫ぶとツツミは狐につままれたような顔をした。


「ダウン40度。急速潜航。20秒で深度500につけ! 冷やしタヌキになりたくないでしょっ!!」


 機関室にも激を飛ばす。直立していられないほどに艦が傾くと、総員耐衝撃姿勢の号令をかけた。


「敵魚雷、氷に着弾。3、2、1……」水雷士がヘッドフォンを耳から外す。

 ごごんごごごんという重低音と艦をギシギシときしませる衝撃波。粉々になった氷の欠片が擦れキイキイ不快な音を響かせていた。乱反射で当分の間ソナーは使い物にならなそうだ。私は耳を立て険しい顔で長い髪を一本に縛った。


「敵艦はおそらく氷の破片の中でしょう」毅然として言うとブンブクは「化け物め」なんて敵の操艦に最大の褒め言葉を送った。


「磁気反応――右舷上方。氷の影です――魚雷発射管、注水音!」

「早い」

「発射! 数は……6!」


 水雷士の悲鳴を聞き、ブンブクは苦虫を噛み潰したような顔で私を見た。


「狐七化け狸は八化け。化かしあいなら、こっちが上よ! 水雷長、迎撃魚雷よ! 3番4番、発射よーい」

「準備できてます!」


 ブンブクにウインク。

 放射状に広がる6本の魚雷が目前に迫っていた。


「打てぇー」


 迎撃魚雷は極秘裏に開発を進めていた新兵器――化かしあいの切り札だ。自律航行し爆発、敵の魚雷を無効化する。その衝撃波を避けるべく、とにかく今は回避が必要だ。


「急速潜航っ!! スラスター出力120%! エンジン焼けても急いで!!」

「バーストモードON。スラスター温度上昇」と機関士。


 ぐももももっという低い推進音が響く。


「潜れ潜れ潜れぇぇぇええ」


 私は拳をにぎりしめた。


「迎撃魚雷、爆発まで距離あと300……200……100……」


 ガがゴごごごゴぐごゴゴゴゴゴォォォおオオオオオンッ――。

 敵艦の破壊音と迎撃魚雷の炸裂音を艦内の誰もが聞き「わぁ」と歓声が上がった。首を傾げている水雷士に気づいたが、ブンブクが「敵艦、浮上開始」と急かすので、有耶無耶になってしまった。


「本艦も続け。右30度。前進微速」


 背後に氷を抱えて逃げ道なく、誤爆する6つの魚雷と迎撃魚雷からの強い衝撃波を浴びながら未だ航行可能とは、敵ながらあっぱれだ。

 宇宙服を着込み、氷の上に突き出した艦橋から顔を出した。すぐ隣に横並びになった敵艦の艦橋から三角耳の女艦長が手を振っていた。


 外気温はマイナス150度。薄暗い空と、白く輝く氷。

 周波数を合わせた無線から、これから拿捕だほされるとは思えない様子の甲高い声が返ってきた。


「5分待って」

「3分だけ待つ。変なこと考えないで」


 ヨーコと名乗るキツネ目の女の手招きに応じ、私は彼女の艦に単身乗り込んだ。

 エアロックを抜けると士官室へ案内された。そこで見た2杯のカップうどんに、私は思わず息を呑んだ。

 

「大したものは出せないけど……」ヨーコが申し訳無さそうに頭を下げる。私はすぐに首を横に振った。これが噂に聞く宇宙うどんか。本物を見るのは初めてだった。

 2人同時に蓋をとると、湯気とともに広がる出汁の香り。やさしく揺蕩たゆたう昆布と鰹節の大海原にうるめ節のコクが泳いだ。一口含めば、まぶたの裏に浮かぶ青い海。


「――ぅはぁ」


 私も彼女も鼻をくんくんとさせ、15億キロ彼方の地球ふるさとに思いを馳せた。


「これは?」箸でつまみあげて首を傾げるとヨーコが「よ」と笑った。


「美味しい。知らなかった……宇宙は広いわね」と私。

 ずず。ずずず。

「別に狐の好物ってわけじゃない」

 はふほふ。ずずず。

「アハハ。そりゃそうよね。肉食だし」

 ずず。ずずー。


 小気味よい音をたて、私たちは旧交を温めるかのように話した。


「かき揚げだって、狸の好物じゃないわ」


 と言って最後の一本をちゅるりと吸う。汁に口をつけたヨーコが頬を赤くして目を細めた。


「ぜんぶ人間都合。あなたとも、友人として会えてたかもしれないのにね」


 私は「ありがと」とカップを置き席を立った。


「我々はついに紅狐レッドフォックスを撃った。艦は大破、乗組員もろとも冷たい海の底――こう報告すればいい?」

「なんだ、バレてたか。さすが狸八化けね」


 相手の魚雷6発も、こっちの迎撃魚雷も全て電子魚雷――音だけの欺瞞ぎまんだった。彼女たちには事情がある。それも、本国に隠しておきたいような何かが。


「ここに生命は居ないわ」ヨーコが吐き捨てるように呟いた。

「まだわからないじゃない」私は腕を組んで抗議した。


 生命探査の勝者がこの凍戦の勝者。ここで諦めるわけにはいかない。


「地球の連中に騙されてるわよ」とヨーコ。

「どういうこと?」

「別の生命が混入コンタミしてる可能性が高い、とだけ言っておくわ。たぶん、地球起源の――」

「電子生命?」

「おそらく。しかも意図的に」


 騙された――。通信タイムラグのせいで地球とは疎遠になっていた。

 電子生命はサイバー空間上の人工生命――つまりデータとプログラムの塊だ。ブロックチェーンにコードされた遺伝情報で自己複製でき、エネルギー的な代謝も行う。定義上の生命。今はAI不拡散条約により研究開発も製造も厳しく制限されているし、他の天体への持ち込みは惑星防護法違反だ。それなのに――


「そんなものが、どうしてここに?」


「それは――」とヨーコが何か言おうとしたところで扉がノックされ、通信士が顔を出した。

「艦長、そろそろ時間です」

「わかった。ありがとう」


 ヨーコはふいに私の手をとった。


「ねぇ」

「なに?」

「私たち、どうしてこんなことをしているの? 何も戦う必要なんてなかったんじゃない?」

「それじゃダメだから。任務……」


 私がそっと往なすと、ヨーコは少し寂しそうな顔をした。


「……そう」


 私が背を向けると、すかさず「あ、待って」と彼女が呼び止める。


「ん?」

「最後にひとつ聞いてもいい?」

「どうぞ」

「エウロパに良い湯治場があるの。一緒に来ない?」


 ヨーコはとぼけた顔で笑った。


「――行かない。任務が残ってる」


 ここで生命を見つけるまで、地球には帰れない。


「そう」ヨーコの耳は頭につくほど倒れた。


 とはいえ、今やその任務にどれほどの意味が残っているか、自信がなかった。

 私は無言のままエアロックに向かい、振り返ることなく外へ出た。

 自艦に戻ってすぐ、〈紅狐レッドフォックス〉は氷の裂け目から吹き上がる間欠泉に乗り宇宙へと舞った。第3衛星テティスにむかうと言っていた。

 丸窓からは、リングを大きく傾けた土星が見えていた。

 

 私は気がつけば泣いていた。地球の100分の1ほどしかない重力のせいで、温かい雫は、しばらく私の頬にいた。

 感づいたブンブクに問い詰められたけれど、私は狸寝入りで応戦した。


「ぜんぶ人間都合」


 私はヨーコが言い残した言葉を反芻しながら、探査を続けた。

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