第23話 託された想いを、私は紡ぐよ

 2週間強。完全に孤独の世界へと誘われたような哀愁を漂わせ、私は部屋に籠もっていた。聞こえる音は近くの道路を走る車の音。歩道を歩く人の声。たったそれだけが、私の耳の中に入った。


 いや、まだあった。両親のドアをノックする音だ。声を出してたかなんて思い出せない。それは病気の症状だからとかではない。単に私が覚えれるほど心に余裕を持ってないだけ。


 毎日決まった時間に確認しに来ては、私はそれに答えなかった。悪い気持ちは持ってるけど、それよりも、もっと強い気持ちを抱いていたから。


 彼――紅夢灯が亡くなった。


 それを聞いたのは、12月10日の彼の退院日。彼の父から直接言われた。そして、彼が難病に罹り、助からなくなる状態まで体を蝕まれていたことも。


 聞けば、彼は2年半前から青年期病に罹ったという。それから月を跨ぐごとに、体の衰退を感じ、そして亡くなった。私は信じられなかった。彼は、私が青年期病に罹る前から青年期病で、それも私の青年期病よりも難病で耐えられない苦痛を日々背負うもの。なのに、この半年もの間を、全く衰退していると私に思わせなかった。


 もしかしたら、私が見逃してただけで、彼なりに苦痛に耐えていたのかも知れない。でも、どうしても病気なんて思えなかった。私の我儘にも頷いてくれて、一緒に乗り越えようとしてくれて……その先だって。


 私は泣くことすら出来なかった。彼の葬式にも足を運べなかった。病気に罹る彼を、彼よりも易しい病気を理由に連れ回してしまった。そう思うと、心底申し訳なくて、自分を嫌悪してしまう。彼はそれを望まないのに。


 ――俺を忘れないでいてほしい。


 病院で約束した、彼との最初で最後の約束。その意味を、私は理解した。その時から、彼は自分が長く生きられないことを知っていたのだ。だから、死んでも忘れないでと、そう伝えたんだ。


 そして、私の闘病生活にも頷いた。今思えば、青年期病で記憶が消えるなんて、普通に生きていたら1度は疑う病名を、彼は初めて聞いたと言った割には不思議に思った様子はなかった。もう、罹っていたから、疑問がなかったんだ。


 だから私のために、私の願いを叶えるために頷いた。


 「どうして……」


 どうして言ってくれなかったんだろう。どうして闘病生活を共に送ってくれたのだろう。どうして元気で私の前に立てたのだろう。どうして何も言わずに遠くへ行ったんだろう。どうして……どうして……。


 ベッドの上で膝を抱えて気力をなくす。過去1番絶望し、精神が保てなくなっている。病気を聞いた時よりも、今がきつい。それほど、私には彼が大切な存在だった。そんな存在を失った今、もうどうでも良かった。


 私は、明日記憶を失う。明日と言っても、もう時間はない。それは家族も知ってる。夜はもう私の部屋に来ないでと、そう伝えたから、最後まで独りだ。両親の記憶は消えないだろうけど、それ以外が消えてももういい。


 彼の存在しない世界なんて、私には空虚な世界と何も変わらない。いつだって支えてくれた彼が、実は1番弱かった。支えられてた。私はそれを思うと情けなくてちっぽけに見える。そんな私に、記憶が残るなんてどうでもいい。


 時計の針がカチカチと進む。迫る記憶の消滅。明日になると、私は意識を失い、次起きた時は不必要な情報を整理しているらしい。もう、今から寝てやろうか。なんて思ったりする。


 しかし、それはほんの少しのどうでもいいことで妨げられる。


 静かだから鳴り響いた。それは、家への訪問者を伝える音だった。こんな夜遅くに、配達でも頼んでいるわけでもあるまいし、非常識な親戚を呼ぶことも聞いていない。


 うるさいな。そう思うだけで、私は即座にそれらを忘れた。時計すら見ない。いつ記憶を失ってもいいのだと、準備万端だから。真っ暗な部屋の中。本当なら、彼と会った、事故から目覚めた日、その時にこの部屋を明るくしてパーティーでもしようかと思ってたのに。そんな儚い希望も、悉く目の前で潰された。


 「……夢灯。夢に灯りを……これだけは……この名前と思い出だけは……」


 覚えていたいな。我儘を言うなら、声だって顔だって、癖だって体躯だって、全てを覚えていたい。でも、これも不必要だとして消されるんだろう。もう底に着いたからこれ以上は寂寥に包まれることはないと思ってたのに。


 自意識過剰になれば、まるで私との闘病生活を過ごすための名前のような、カッコよくて優しい名前。彼は私に退屈を教えてくれなかった。寂しいを教えてくれた。不満を教えてくれなかった。幸せを教えてくれた。だから、理想郷に立つ私の想い人のように、想いを寄せていた。いや、寄せている。


 あの時に、彼の言うことを無視して伝えていれば、後悔はなかっただろうか。死ぬと分かっていたから止めただろう、私の想いを伝える瞬間。聞いて、死にたくなかったのだろう。約束した私から破るのはタブーだけど、そんなことをなかったことにしたいほどには――。


 残り少ないこれまでの記憶と向き合う時間を、ドアのノックが邪魔をした。記憶に残る数少ない、強い思いを持つ相手。


 「美月……紅さんっていう病院の人から、貴女に渡してって頼まれたものがあるんだけど。出てきてくれる?無理ならドアの隙間から何とか入れるけど」


 母だった。弱りきった声音で、私の胸を叩いてくる。紅。それは間違いなく彼の父だろう。そんな人から手紙なんて……。


 私は無視をしようとした。けど、母からのその名を聞いて、それはダメだと一瞬で考えを改めた。受け取るべきだから。きっとその手紙は、彼からのものだから。


 「……分かった。取るよ」


 ゆっくりと、久しぶりに体を動かす感覚に違和感を感じながらも、その進む足は止まらなかった。千鳥足でぎこちない。でも、彼より痛くも辛くも悲しくもない。そんな足取りで。


 ドアをゆっくりと開く。そこには何日ぶりか、心配で顔色の悪い母が立っていた。


 「……美月……」


 「……手紙って?」


 「これよ」


 渡される真っ白の封筒。そこには左下に小さく、紅夢灯の文字。


 やっぱり。


 「……ありがとう」


 「大丈夫?」


 「うん。明日起きたら、色々と説明お願い」


 「……分かったわ」


 もう話をすることもないと、私はドアを閉じた。母には申し訳ないけど、残り少ない時間で、彼からの手紙を読むためには、優先順位があった。


 流石に暗闇で読めるほど私の視力は長けていない。電気をつけて、明順応するまで目を細めたまま、私はその時を待った。


 僅かな時間で思う。彼はどんな人だったかを。そうして記憶に沿って彼の手紙を読めば、彼の伝えたいことが分かると思った。


 病院で会った日。実はあの日から前に、既に好感を持っていた私。2年生の時に接した、彼の優しすぎる笑顔と話し方に、自然と私は興味を惹かれてた。そして奇跡か、彼との思い出作りの日々が始まった。運命だと思った。絶対に幸せになれると思った。だから、私は彼に向かって何度も何度も言った。


 ――可能性だから。


 もしかしたら、彼と出会ったことが、病気を治す運命なんじゃないかって信じたから、そう言った。それが後々の、心の余裕と安らぎとなり、私を支えてくれた。


 そんな彼は最期に、私という我儘の権化で、鈍感で、最低の女に、何を遺してくれたのだろうか。


 封筒から文字のびっしり詰まった手紙を取り出して、私は何もかもを忘れるつもりでそれらを読み始める。





 『【やっ】多分これが、俺と美月を紡いだ第一声だったよな?今思い返すと、出会った時のことを曖昧にしか思い出せないほど、長くて濃い思い出作りの日々を送ってきたと思う。勘違いするなよ?忘れたとかそういうわけじゃないからな?


 さて、これを読む前に先に謝ることがあるな。これが美月の手に届いてる頃には、俺はきっとその世界で笑うことはなくなって、美月とも一生会えなくなってるだろう。それは本当にごめん。隠しててごめん。実はあの病院で会った日から病気に罹ってて、あの日も検査の日だったからあの場に居たんだ。そして、長くないことも確定してたんだ。だから、あの時美月に話しかけられた時は焦ったよ。やべっ!なんて言おう!ってな。でも、美月も青年期病だって知って、その気持ちはどこかに飛んでいった。そして色々と話が始まって、説得されて思ったんだ。まだ希望のある美月を支えようって。その時には死を恐れなくなってたから、すんなりと青年期病については受け入れるようになってた。その日からだな。それから、俺との思い出作りの日々が始まったよな。


 海水浴。あの時は1番焦った。日差しに負けたようにしたけど、実は体の限界でさ、倒れるのよく耐えた方だった。海に入っては、美月が泳げるようにサポートしたり、ビーチボールで遊んだり、それはもう俺の人生で初めて彩りが添えられたような時間だった。そしてここでだ。俺の体は既に痛みを伴ってたのに、泳げばそれを感じなくなった。不思議だったんだ。突然消える前例もなかったから、どしてだろうって。でも、その時はそれくらいしか思わなくて、何も変わらず死を待つだけの体に違和感はつきものだって考えないようにした。それからバスに乗って疲れ果てた体を少しだけ触れ合わせて帰ったよな。あの時は本当に幸せで、美月に気持ちが揺らされ始めた時だったよ。起点ってやつだな。本当にありがとう。


 次に夏祭り。海水浴で水着のことを書かなかったから、ここで触れるが、夏に着た服は、全部可愛くて似合ってた。誰にも見られたくないって思いが強くて、周りの男たちに殺意を振りまいてたくらいにな。そんなこと見ず知らずの美月はナンパされたりしてたけど、やっぱり1番残るのは記憶が消え始めたことだな。手を握ってその不安を理解したけど、恐怖を共感出来なくて心底自分が嫌になった。けど、それでも前向きに居ようとする姿勢に、俺も心を動かされた。花火が上がる中で、美月の横顔を見た時、俺は体の痛みなんて忘れてた。そして、その時に確信したんだ。俺は美月のことが大好きだって。好きとかちっぽけに思ってなかったよ。本当に、可愛くて触れたくて、美月のことばかりを見ていたかった。約束の日までって制限をかけて見なかったけど、それくらい好きだったよ。本当にありがとう。


 最後に紅葉狩り。美月の肌の色が際立つ色彩に囲まれて、本当に、美月以外を見ようと意識しないと見惚れて景色も楽しめなかった。まぁ、しっかり景色は見たけどな。ジップラインに乗った時が、初めて体を大胆に接触させた時で、高いとこの怖さと相まってドキドキが凄かった。もし気づいてたら、笑ってくれ。それでジップラインに乗ってると、願いが叶うからって教えてくれた赤色の紅葉。


 願ったのは、美月が俺を好きでいてくれることだ。


 そしてジップラインが終わって、思い出作りも終わった。


 めちゃくちゃ楽しかった。幸せで、何にも代えがたい至福の時間だった。半年もない短い時間を、俺は美月と過ごせて良かったよ。


 そしてここで、だ。何故こんなにも長々と俺視点で思い出を語ったのかというと、色々と大切だったからだ。その中で1番なのは、美月の想いだ。


 俺は美月のことが大好きだ。出会ってから美月を忘れたくないと思うほどには大好きだ。誰にも取られたくないと思うほどに大好きだ。毎日ずっと一緒に過ごしたいほどに大好きだ。


 じゃ、美月は俺のことを今どう思ってる?


 俺はもう話せないし、答えも聞けない。だから、俺の最後の我儘を聞いてくれ。


 もし、俺を心の底から好きで居てくれてるなら【時計】を見てくれないか?』





 ここで私は読むのを1度止めた。力強く噛み締めて、溢れ出す想いを止めた。だが、震える手は止まらない。もう限界が近いんだ。分かる。


 だって、今よりもずっと前から。紅葉狩りをした日より前から、彼のことは、夢灯のことは――何よりも大好きだから。そんな彼の最後のお願い、そして私の失われる記憶の最後に聞いた我儘。私はゆっくりと心の中に従って掛けられた時計を見た。ただ好きだと、大好きだと思って。溢れ出しそうな記憶たちと、涙を堪えて。


 私は我慢が出来ない子だ。読み終えるまで堪えようとしたそれらは、時計を見て吹き出した。ポツポツと、涙は大粒となり落ち続ける。


 時計は――0時5分を知らせていた。


 消えていない記憶。それに反応するより先に、私は再び手紙を読み始める。





 『どうだった?この手紙が誰からか分かるか?もし分からないなら、破って捨ててくれ。でも、分かるなら、好きで居てくれて本当に嬉しい。そして、良かった。


 2年半前から探してた、青年期病の治療法。それは【人を想う気持ち】だったんだ。海水浴中に痛みが消えた時、思ったのは美月と楽しむことの幸せさ。夏祭りの時に好きだと気づいてから、俺の体は少しずつ衰退の早さが遅くなった。紅葉狩りでは、ほんの少しだけの痛みと過ごすだけで、激痛を感じることはなかった。衰退してて、本当なら10月上旬が限界って言われてたのに、それを乗り越えた。治療の可能性を見つけたんだ。だから、今この手紙を手に俺を思い出してくれてるなら、俺は後悔はないよ。


 あっ、父さんに日にちが変わるギリギリに渡せって言ってるから、もしもその約束破ってたら殴ってやってくれ。ここまで読んでるなら大丈夫だろうけど。


 俺はやるだけやれた。長生きは出来なかったけど、一生分の幸せは貰えた。笑えて触れて楽しかった。美月と会えなくなるのは寂しいけれど、これも運命だから。俺は美月の記憶を保てて良かった。


 美月言ったよな?俺は【忘れ物をしたら優しく見せてくれる】って。どうだ?忘れ物はする前に届けたから、もう俺が優しく見せなくても良いだろ?だから美月は1人で大丈夫だ。


 きっと今、俺を想って落ち込んでるだろ?嬉しいけど、それは美月に似合わない。だから、近いうちに今までの美月に戻って学校でみんなと新しい思い出を作ってくれ。そして、落ち着いたら俺の寝てるとこに、その愛おしい顔を見せに来てくれ。いつまでも待ってるけど、大好きな人の顔は早く見たいからな。


 俺の分まで笑って、泣いて、楽しんで、悲しんで、人生を謳歌してくれ。それが俺の望みだから。


 俺に希望を持って接した君も

 泳げるようになってはしゃぐ君も

 勝負に勝って喜ぶ君も

 記憶がなくなることに抵抗する君も

 不安で泣き出す君も

 手を差し伸べたら笑顔で触れる君も

 実は俺のことを好きで居てくれた君も


 俺はどんな美月でも大好きだ。そんな君と、想い出を作れたことは何よりの財産だった。


 先に遠くに離れてごめんな。好きなのに、俺から離れて嫌な思いさせてごめんな。


 最後に。


 そんな俺の想いを受け止めてくれてありがとう。想いを持ってくれてありがとう。何よりも、幸せな日々をありがとう。楽しかった』





 そっと手紙を置いた。続きはなかった。あってもきっと、読み出す元気はないけれど。


 「……うっ…………」


 涙が止まらない。全て私のために動き、命を懸けてまで助けてくれたことが、私の胸に響いた。ごめん。それは私の方だ。連れ回して、好き勝手暴れさせてもらって、幸せももらって、治療してもらって。全部私が悪いんじゃないか。


 記憶が消える日の今日。私はまだ彼を想えている。そして、学校のこと、プライベートのことも何もかも思い出せる。これが当たり前なのに、不思議と違和感を感じる。覚悟をしていたのに、それを突き破ってくる。


 どうして私はこうも弱いのか。彼は笑ってと言ったのに。


 分かってる。分かってるけど、今日だけは……今日だけは弱い私でいさせてほしい。彼を想えば次から次に記憶が止まらない。強く思う。大好きじゃないって。これはもうそれ以上の想いだ。


 「夢灯……夢灯……。私も大好き。この世界で夢灯よりも大好きな人は居ないよ。ありがとう……本当にありがとう」


 口に出しても収まらない。恋1つでこうなるなんて、私は一切考えたこともなかった。けれど、バカに出来なかった。人を想うほどに、私の記憶が残る。それは何よりも重要なことだから。


 ここに手紙がある限り、彼の想いは消えていない。ならば、その想いを、願いを叶えよう。


 雪降る26日の夜。右手に優しく握られた手紙を、私は一生忘れないだろう。何よりも記憶に残る、彼からの贈り物を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る