第22話 未来は見えない。だから託すよ

 瞼の奥に赤黒い眩しさを感じると、俺は目を細めながら瞼を上げた。そして一気に眩い光が差し込む。細めても大量に入るそれらは、俺の顔を不機嫌にした。


 「……ここは……」


 「あっ、紅さん。私が見えますか?」


 「…………は、はい。見えます」


 「すぐに担当医を呼びますので、もう少しだけ寝ててくださいね」


 「……分かりました」


 頭が痛い。返答に困るほど頭痛がした。なんて言われたのか分からないけど、取り敢えず起きとくのはきつい。体を横に倒して、俺は瞼を閉じずに待った。


 「なんで……はっ!俺、確か事故って……」


 思い出した轢かれる瞬間のこと。激痛が体の中を巡った時、俺は意識を失った。それは覚えてる。そして、もう1つ重要なこと。足への激痛。俺はゆっくりと足元を見た。


 「うわっ……これは流石にか」


 両足を固定され、自由に動かすことすら出来なくなった足が視界に入る。痛みはないが、きっと複雑骨折は確実だろう。それほどの勢いだった。


 受け入れたくはないと思って足元は見た。けど、いずれ見るし、今から担当医が来れば知らされる。残り1ヶ月半だというのに、こんなことで時間を取られるとは、俺の幸運も消えたらしい。


 ゆっくりと何も考えずに脱力していると、担当医と先程の看護師さんが来た。目覚めたことを喜ぶ姿からしてそういうことなのだとは悟った。


 それから全てを聞いた。丸2日意識がなかったこと、全治1ヶ月の比較的軽症で済んだこと、歩けるようになるにはリハビリを何度も繰り返すこと、そして、彼女がついさっきまで手を握って側に居てくれたこと。


 聞いていても、俺は落ち着いていた。この怪我では一生歩けなくなることはないらしいと聞いて、ラッキーだったとそれだけを強く思った。普通なら後遺症あってもおかしくないというのに。


 「それでは、何かあればナースコール、若しくは君の父さんに」


 「はい。ありがとうございます」


 俺の体を確認し、担当医たちは踵を返した。そして交代で、ナイスタイミングの登場をすることになった彼女が居た。


 「夢灯!」


 「美月。息切れしてるじゃないか」


 どこかで俺のことを聞いたか、整わない息をしながらも俺の目をしっかり見ていた。まるで死人が蘇ったかのように。


 「夢灯……良かった……」


 「うおっ!何々?」


 近づいてくると、優しく俺を包み込む。その小さな体躯で、柔らかな肌を接触させて。思わず狼狽した。彼女からの素直なハグを、俺は初めて受けたのだから。


 「ごめんね……私があそこで立ち止まらなければ……」


 弱々しく伝えてくる。本当に幼子になったかのように、俺のすぐ目の前で顔を埋めて。俺は彼女が生きていたことが良かったと、ホッとして頭を撫でる。


 「いいんだ。手を繋いでなかった俺が悪いんだし、あの時の美月の気持ちも十分分かってるから」


 手には病院の1階にあるコンビニの袋が提げられていて、その中にはおにぎりや水が入っていた。ついさっきまで居たと聞いたので、もしかしたら離れずにずっとここに居てくれてたのかもしない。だったら、俺はもう満足だ。


 「それ、食べるんだろ?いつまでも抱きつかれてると、もし父さんが来た時に恥ずかしいから、離れて食べなよ」


 「……うん」


 「弱ったな。いつもの元気はどこに行ったんだ?」


 「……ごめん」


 弱った彼女を少しいじめるのも楽しいかもしれない。今更気づいても、だが。


 「あの時は、やっぱり記憶が消えたのか?」


 椅子に座る彼女に、俺はそっと問いかけた。


 「……うん。私、夏祭りからそれまで、記憶が消えることはなかったから、すっかりそのこと忘れちゃってて。そしたら突然、願い事何だっけって思い出せなくなって、フラッシュバックしてから止まっちゃったの」


 「なるほど……その願い事は覚えてるのか?」


 「うん。今も覚えてて、ただその時に思い出せなかっただけだった。そのせいで夢灯を……」


 「そっか。覚えてるんだな。あれ以降忘れてないってことなら、良かった。俺は今この怪我だけど、そんなことよりも無事で記憶も残ってるなら不幸中の幸いだ」


 「そんな……」


 「美月が俺よりも心配してどうする。努力次第で1ヶ月以内にまた遊べて思い出も作れるんだから、その時を楽しみにしててくれよ。そうじゃないとリハビリ頑張れないからな」


 多分何を言っても今の彼女は負い目を感じているから立ち直れない。でも、俺はそれでいいと思う。彼女は今まで俺の前では強く居た女の子だ。そんな強い子が、何日も同じことでくよくよするはずもない。元に戻る日も遠くはない。


 俺はもう信じてる。彼女がどんなことからも復帰して記憶を失わないように立ち向かうと。


 「おにぎり食べて、紅葉狩りの記憶を思い出してくれ」


 「うん……ホントにごめんね」


 「もう謝るのはそれで最後だ。次からは普通のテンションで話す美月と話したいな」


 「頑張る」


 おにぎりを取り出して、丁寧に包装を取ると、それを小さな口でパクリと。梅味を選んでるのは好みだろうが、ここは俺と合わなかったと密かに思う。


 「次、美月は何がしたいんだ?」


 「んー……混乱してるから思いつかないや」


 「まぁ、そうか。26日も近づいてるけど、クリスマスも近づいてるよな。イブは一緒に過ごせるんじゃないか?」


 「そっか、クリスマスもあったね。それは良いかも」


 「よし、寒い季節の中を駆け回ろうか。今度は厚着してこいよ?」


 「それはどうだろう。また夢灯のを借りるかも」


 「なんで。俺が寒くなるだろ」


 「夢灯のが良いもん」


 「……そうか?」


 弱りきったら、人は素直になると言うが、これが彼女の素直なら、少し期待しても良いのだろうか。嘘を言ってる様子もないし、そんな雰囲気でもない。少し自意識過剰になってるかもしれないが、可能性は0じゃないと思う。


 そう思っていた時だった。


 「ねぇ、夢灯」


 「ん?どうした?」


 嫌な予感がした。何度目か、記憶が消えるとかそういう予感じゃなくて、俺が強く突き放したいと思うことを言われる気がした。


 「今言うのもなんだけど、私は――」


 「待って。それ以上は今は聞きたくないかもしれない。何を言うかは曖昧だけど、感覚が良くないって言ってるから」


 ゾワッと悪寒がした。彼女には全くのデメリットがないことだけど、だからこそ、俺に大きなデメリットが生まれる。彼女は善意で吐き出したいのだろうけど、それは俺が許可しない。嫌だから。まだ違うから。


 「……なんで?」


 「俺の思う、美月の言うことは、約束した日までは口に出したらいけないと思うんだ。俺だけに向けられたものだってのは分かってるけど、今は違うと思う」


 彼女には俺を忘れないことを約束した。そして俺は、彼女が記憶を失った日以降に、想いを伝えると言った。これに、彼女の今から言おうとする言葉の制限は皆無だが、絶対に俺の鼓膜に振動させたくなかった。


 「そっか……だったらもし26日忘れたらどうする?」


 「その時のために俺がいる。思い出させるための役割を担ってるんだから、それくらいは果たすよ。それに、美月は忘れないから。そこは安心してる」


 「そっか」


 「でも」


 我儘だから。可能性を信じてしまうと、俺もその甘い言葉に誘惑されるから、希望を抱いてしまう。その結果、思うことは変わってしまう。


 「クリスマスを過ごすなら、その時に、もう1度その言葉を口にしてくれるのも、良いと思う」


 可能性は途轍もなく低い。だけど、縋りたい。俺は彼女の口から特別になれる言葉を聞きたい。無理なのはもうほとんど確定しているようなもの。だけど、俺は彼女と共に過ごして、可能性を最後まで信じると決めたのだから、自分の可能性も信じる。


 「……分かった。その時まで我慢だね」


 「助かる」


 彼女に我慢させたくはない。けど、今聞きたくなくて、聞きたい葛藤。俺は起きてからずっと胸が苦しい。この葛藤が、更に強く苦しめる。俺の抵抗なんて無駄にするように。


 少しの間気まずい沈黙が続く。そう思われたが違った。彼女のスマホが鳴り響く。


 「あっ、ごめん。今日検査の日だから、今から行ってくるね。また後で来るから、その時もっと話そ」


 「うん。分かった。いってらっしゃい」


 「じゃ」


  あっさりとした別れだった。これから毎日お見舞いに来てくれると思えば、少しは早く退院が望めるだろうと、そう思う。


 彼女の気配が消える。静かになった室内だったが、この病院もタイミングは完璧のようで、今度は入れ替わりで父が歩いて俺のとこへやって来た。この病院で働く、いつもお世話になる医者だ。


 「あの子が、夢灯の言ってた仲の良い子か。可愛らしくていいな」


 「いい歳してキモいこと言うなよ」


 「すまんすまん。あの子が夢灯と仲の良い子で、青年期病の子って思うと、なんだか辛く思う」


 父は病院の繋がりで、彼女のことを知っていた。以前家で会話した時に、名前を出したら「知ってる」と一言言って説明をしていた。彼女の病気についてのことを。


 「俺の心配よりも美月の心配かよ。まぁ、普通だろうけど」


 医師として、重症患者を優先して治療するのは当たり前のことなのだろうか。そこらへんは知らないけど、彼女の病気について知れば、きっと誰もが俺の骨折よりも優先して心配するのは変わらないだろう。


 「ところで、時速何kmでその怪我を?」


 「分かるわけないでしょ」


 「それもそうか。余裕無いだろうしな」


 「言えるのは死ぬほど痛かったことだけ。マジで痛すぎて意識なくしたようなもんだった」


 「そりゃそうだろ。鉄の塊がお前の体に当たるんだからな。父さんでも耐えられない」


 大人になればなるほど体は強くなるが、同時に衝突面積も大きくなる。耐えられても痛みは大きい。あの時の痛みは、多分忘れないな。


 忘れる……か。記憶に関することがあれば、俺はいつだって彼女を思い出した。今のように、心配だらけの過保護かってくらいに。


 それほどに今は好きだし、想いは強まるばかり。約束の日よりも先に伝えたいくらい。でも、それは許されない……んじゃなくて、俺が嫌なだけ。


 今、体を起こせたのも奇跡だった。彼女に抱きつかれた時は激痛が走ると思ったけど、そんなことはなかった。やっぱり恋はそういうことなんだって、今気づいた。


 体は俺の言うことを無視する。リハビリの意味なんて今後意味はない。事故での怪我なら、きっと俺は今頃父に激しく怒られてた。でも、怒られないのはもう慣れたから。


 俺の怪我に、もう鈍感になっていた。そして、俺も。


 「夢灯……」


 父はため息のように吐き出した。俺の名前を、今までで1番寂しく悲しく。俺は無言だった。何も話したいと思わなかったから。でも父は続けた。


 「良いのか?」


 何が?


 俺は聞かない。もうなんでか知ってるから。何年も前から知ってて、父と一緒に探していた――彼女の望むもの。俺はやっと手に入れたんだ。


 手遅れだったけど、もういいんだ。これが、俺が最後に遺したかったことなんだから。


 俺は父さんの質問に答えなかった。そして言う。


 「父さん。お願いがある」





 ――12月10日。彼の退院日だと聞いて、私は思ったよりも早い回復だと、全力で地を駆けた。


 けど、病室に彼は寝てすら居なかった。そしてすぐに知った。


 彼は12月9日の夜に――亡くなったのだと。


 死因は――次第に体が衰退していくという――青年期病だった。

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