第17話 病気といったら秘密、秘密といったら病気

 彼女から夏祭りで聞いた青年期病の症状。実はそれだけで終わるものではなかった。


 夏休み明け、俺は9月の真っ只中を学校で過ごしていた。彼女と出会ってから早くも1ヶ月半が経過した今、既に恋心という自分とは縁のなかった感情に芽生えさせられた俺は、彼女の病状が悪化してるのを知る由もなかった。




 学校に来たのは1ヶ月ぶりだが、久しぶりでも嫌だとは思わなかった。大きくあるのは彼女への恋心だ。好きだと自覚してから、夏休み中時々しか会えなかったことが億劫だった。それが改善される今、俺は性格に反して内心ではハイテンションだった。


 「お前……なんか変わったか?」


 「いいや?特に何も無かったけど?」


 「表情が柔らかいってか、初めて見る顔してるから」


 「それはお前の見間違いだろ。変わったのはお前の目だ」


 俺の恋心を察するかのように詮索を始める男。名前を藤山祐希ふじやまゆうきといい、俺の友人だ。誰とでも分け隔てなく接することで人気のある、陽キャの1人だ。


 「そうか?俺こそ夏休み特別なことは何もなかったけどな」


 「お互いさまだ。どうせ高校3年生の夏休みなんて充実する方がおかしいんだからな」


 「確かに。お前の夏休みは暗そうだもんな。何かある方がおかしい」


 「それは言い過ぎだろ」


 冗談を言い合えるのも仲の良さの1つ。これは本当に思ってることなので違うが、包み隠さず思ってることを言い合えるのも仲の良さの1つだ。


 祐希とは幼馴染に近い関係で、中学からの縁だ。こうして他愛のない会話を出来るのもあるが、何よりも悩みを相談しても親身になって解決へと尽力してくれる重宝すべき存在でもある。


 だから俺はこうして、まだ抜けきらない夏にクーラーをつけて対応する涼しい教室の中で、祐希の帰宅のバスが到着する5分前までの時間潰しを手伝ってる。ただの暇潰しの会話だが。


 「なぁ」


 「んだよ。また夏休みの話すんのか?充実してないの分かってるだろ?」


 「それはお前の妄想の中の俺だ。現実は違うことを聞く」


 「なーんだ。じゃ、現実の夢灯くんの話聞いちゃおうかなー」


 相変わらず呑気で良い性格をしている。ムードメーカーなだけあって、自分の性格を曲げずに自分らしく居るのは変わらない。そんな祐希の背中に、俺はその聞きたいことを投げかけた。


 「お前のこれまで生きてきた記憶が全部消えるってなったら、お前はどう思う?」


 「……は?何だって?俺の記憶が消えたらどうするか?」


 「うん。生まれてから今までの全ての記憶が消えるってなったら、それを受け入れれるか?どう思う?」


 もちろん彼女に関することだった。夏祭りのあの夜。花火が鮮やかに打ち上がった時、確かに震えていた彼女の手。肩すらもガクガクしていて、恐怖に駆られた子供のようだった。それを見て俺は、自分も怖くなった。記憶が消えることを知らないから、共感出来ないと何度も言ってきたが、それでも知ることを忘れることは、あまりにも耐え難いことだった。


 それがあの日から脳裏に焼き付いて、どうしても彼女の今を心配してしまう。あれから消えていないのか、と。俺は約束した。彼女が忘れたならば思い出させるために何度も言うのだと。


 それすらも忘れられては困るが、彼女もまた言った「夢灯のことを絶対に忘れない」という言葉を信じて、俺は今は気にしていない。


 「いきなり変なこと聞くんだな」


 「悪い。少し気になってな」


 「んー、記憶が消えるなら…………俺は受け入れたくはないな。だけど、受け入れないと生きては行けないと思う。消えることが確定した未来なんだろ?それなら、抗っても抗っても無駄だから、嫌だけど受け入れる」


 一瞬言い返しそうになった。まだ確定してない、と。抗うことは無駄じゃない、と。でもこれはあくまで仮定の話で、彼女のことではないのだから、ここで何を思ってもお門違いだ。


 「そうか」


 「どうした?記憶が消えるのか?」


 「いいや。知り合いがこの先記憶を失うかもしれないんだ。それを聞いてから、ずっと悩んでてな。今は少し落ち着いたけど、少しでも考えれば、記憶を失う恐怖ってのがって思って」


 「親戚の話か……それはつらいな」


 少し申し訳無さそうにするのが伝わる。俺からの例えばの話だと思ったから、どうも慣れない真面目なことには反応が遅れるらしい。でも、真面目な話だと思えばすぐに切り替えて話を聞いてくれる。祐希の良いところだ。


 「共感を求めたわけじゃないけど、やっぱり人って、お前みたいに受け入れることを選択するんだろうな」


 「お前は違うのか?」


 「いいや、多分受け入れるさ。だけど、それでも嫌じゃないか?恐怖に追われて生き続けて、死にはしなくても過去のことを忘れてまた1からなんて」


 人は不安を恐れる。特に命に関わることならば、不安を感じれば病気になるほどに恐れることもある。そんな不安の中で、1番恐れるものは、俺は記憶の消滅なのだと思う。


 骨折したらどうなるか、それは激痛を伴って最悪一生生活が困難になる。食事を出来なくなればどうなるか、それは空腹になって最悪死ぬ。海の中で溺れていけばどうなるか、それは呼吸困難になって最悪死ぬ。


 だけれど、記憶が消えたらどうなるか。その先が分からない。骨折も飢餓も呼吸困難も、全てはその先が見える恐怖だ。でも、記憶はその先が全く分からないのだ。先の見えない恐怖。自分がどうなるか分からない恐怖。それらが一心に精神を追い詰める。だから耐えられない。


 不安を駆る恐怖。その最上位が記憶の消滅。


 「でも、記憶が消えるのも怖いけど、死ぬより良くないか?」


 「そうか?記憶が消えれば、何をすれば良いのか分からなくなるようなもんだろ?仕事にも就けないし、友人もいない。そんな世界で虚無な記憶の中で暮らして行けると思うか?」


 死はそこで人生の終わりだ。だけれど、これから先、何の希望もないのに、希望があるかのように地球に立たされるのは辛くないだろうか。知識を再構成したとしても、それは何年後かの未来。その時までを寂しく生きるなんて、俺には。


 「なぁ、さっきからお前の言うこと、全てが主観的な当たり前を言ってるだけだぞ?」


 「……え?」


 「そうだろ?だって、記憶が消えたら何もかも忘れて1人になるのは分かる。だけどよ、友人は違うだろ?例えば俺の記憶が消えても、お前は俺との思い出を知ってる。それなら俺は1人じゃない。記憶が消えても、お前ら友人が支えてくれるなら、きっと虚無な記憶の中でも生きて行けるんじゃないか?その立場になったことがないから、適当言ってるように聞こえるかもしれないけど、俺はそう思う」


 「……でも、でも消えた本人は友人を、俺を俺だって分からないんだぞ?」


 「そうだな。なら形で見せればいい。これまでの俺とお前が写った写真でも、動画でも、絵でも、何でも。絶対に、消える恐怖からは逃れられないんだから、その後にどう思い出させるかが大切なんじゃないのか?辛いだろうさ。自分との思い出が消えるのは。けど、それを耐えないと、失った記憶と対面することも、蘇らせるなんて可能性もないだろ」


 「……そうか」


 言われながらも、自分でしっくりとくるような感覚があった。空いた穴にしっかり嵌るような。パズルの最後のピースを嵌め込んだような。


 祐希の言うことは、思い返せば俺が彼女に言っていたことじゃないだろうか。ずっとここ最近は、彼女の記憶が消える恐怖に駆られて、何故か俺が不安に押し殺されそうだった。


 だから主観的にしか考えられなくなって、彼女の思うようなことを考えていた。


 祐希の言葉は俺に響いた。実際俺の記憶は消えないけど、それでも、不安からは少し解放された気分だった。信頼出来る友人が、記憶を失ったと聞きつければ、隣りに寄り添ってくれるのだと。


 俺よりも友人の多い彼女なら、もっとそれを理解するんじゃないだろうか。それならば、今まで側で伝えたことも、彼女には伝わってるのだろうか。そうだったら良いと、今更ながら心底思う。


 余裕が出来たような気分だ。


 「思い込みすぎだ。自分のことだって考え込んで背負いすぎると、逆に失敗したり、意味ないことをするぞ」


 思い込みすぎ。そうだったかもしれない。杞憂まではいかないが、確かに不要なこととかを考えていた。彼女には友人がいる。寄り添ってあげられる人がいる。なら、それで良い。


 「おっ、そろそろ時間だから、俺はバス停行くから。まだ話したいなら……あそこの机の人、まだ残ってるらしいから聞いてもらえ」


 周りを見渡して、1つだけ机の上に載ってるカバンを指差す。その席は奇跡か、まだ帰っていなかった彼女の席だった。


 そして同時に、俺は違和感を覚えた。


 「ちょっと待ってくれ、お前あの席誰の席か分かるか?」


 「ん?あの席……あの席……え?誰だっけ?」


 「……は?」


 間違いなく「誰だっけ?」と言った。冗談でもなく、学校でも有名な彼女のことを。席だって知られているのに。


 するとまたもやタイミングが噛み合ったか、彼女がどこからか戻って来た。


 「あぁ、思い出した。あの瑠璃美月の席だな。顔見て思い出したわ」


 聞こえないようにぼそっと。


 「そんじゃ、マジでぎりぎりだから、また明日な」


 「あっ、まだ」


 俺の呼び止めに聞く耳持たず、そのまま後ろの扉から颯爽と走って帰った。そして残された俺と、戻って来た彼女の2人だけの空気が完成した。でも、気まずくはなかった。


 「ふふっ。フラれたの?」


 「……いいや、そういうわけじゃ……」


 胸に抱いた確かな違和感。彼女を見るまで気づかなかった祐希が、わざとそうしたわけでもないだろう。


 「これから帰るのか?」


 「うん。帰るよ。どうかしたの?」


 「少し聞きたいことがあるんだけど」


 「……何だか良くないこと聞かれそうな雰囲気だね」


 「もしかしたらそうかもしれない」


 「いいよ。聞いてから帰るから」


 もし彼女が今から言うことを自覚してるならば、それは聞きたくなかったことにはならない。でも、もし自分でも知らないことを言われたならば、どう思うだろう。


 俺は絶対に知っていると信じた。だからカバンを置いた瞬間に聞く。


 「もしかしてだけど美月の病気って、誕生日に記憶が消える他にも、ふとした瞬間に消えるのと、もう1つ――他の人から美月自身の記憶を消すことも症状としてあるのか?」

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