第16話 祭りといったら花火、花火といったら祭り

 階段を駆け上がり、未だ上がる気配のない花火を待った。隣、動けばくっつくほどの間隔。暗くて見えなくても、それはしっかりと分かった。


 左から伝わる夏の淀んだ重たい空気感。右からはそれを打ち消して、更に感じさせるほどよい空気感。彼女の居る方へ寄り掛かりたいほど酔っていた。


 「残り3分だよ。それまで何して待とうか」


 「3分って言っても早いからな。このまま会話してていいんじゃないか?」


 「大賛成」


 勝手に次から次に出てくる話題に頼った。考えなくても、ふと天啓のように降りてくる言葉を、俺たちは待っていた。意図して生み出した言葉でも良いけれど、雰囲気がそうさせてくれなかった。


 「海水浴の後にも聞いたけど、今日は楽しかった?」


 「久しぶりに右往左往連れ回されたから、結構楽しめた。瑠璃さんと一緒じゃないと行かないようなとこにも行けたし、今回も満足」


 「そっか。私も、夢灯くんとだからここまで来て笑えて楽しめたよ。ありがとう」


 「こちらこそ。まだ花火も残ってるし、満足するには早かったかもしれないけど、花火は別腹ということで」


 「それはそうだよ」


 人と関われば、どうせテンプレが出来て慣れて飽きるだろうと思っていた。しかし、それを彼女は覆してくれた。何度同じ笑顔を見ても、何度同じ声で話しかけられても、何度同じ誘われ方をしても、彼女となら何でも楽しい。


 満足も限界になると思っていたが、そんなことはなかった。彼女と関われば、限界なんてなかった。どう関わろうと幸せで、デメリットがないという、相性抜群の域を超えたような関係に正直驚いてるくらいだ。


 凸凹。逆にハマる関係。まさにその通りだな。


 残り2分。


 「……ねぇ夢灯くん。私がナンパされる前のこと覚えてる?」


 少し間があると、彼女は空から手元へ目線を変えた。


 「覚えてるけど?」


 彼女の声は低かった。ここを駆け上がる時に満面の笑みだった彼女とは思えないほどの、低くて怯えるような、現実から離れたいような寂しい声音。


 「私が……覚えてないって言ったらどう思う?」


 「……え?」


 彼女の質問の意味が分かったけど、分かったからこの先なんて言われるのかも察せた気がして、「え?」しか出なかった。聞くべきか、その声音に載せられる言葉は、確かなる過去を語る。


 「私が今日遅刻した理由って知ってる?」


 「……準備に時間がかかったからだろ?」


 いや、違うんだってなんとなく分かった。でも、彼女は言った。準備に時間がかかったのだと。だから俺は聞いたまま、記憶を確かに答えた。間違いじゃないと確信を持って。


 「それも大正解なんだけどね」


 苦しい。彼女のこれ以上の寂しさと悲しさと、未来に対して絶望に引きずり込まれるような真実を知るのが、俺は嫌だった。それも。そう言われた時に、自分の賢さを呪ったほどに。


 同じように、彼女の顔から手元へ目線を動かした。見ていられなかった。彼女がこの空気感に負けて、吐露してしまう時の表情を。記憶の消滅なんて共有出来るわけもないのに、隣りに座ってることが俺の心臓を握るようにキュッとさせた。


 そんな、今にも落ち着かせたいけど、方法が分からずに下を見つめるだけの俺の右手を、彼女はそっと触れて握った。


 「私、この青年期病に罹ったのが3ヶ月前なんだけど、その時に誕生日を迎えれば記憶が消えるって言われたの。そして同時に、それまでの段階で、薄々とその青年期病の影響で記憶がふとした瞬間に消えるっても言われたんだ」


 「…………」


 黙って最後まで聞くこと。それが握られた俺のやるべきこと。彼女は今俺からの意見も同情も求めてない。聞いてほしいんだと、その意図を汲み取ったからこそ、俺は相槌すらも忘れたかのように打たない。


 「もう分かる通り、さっき言った2つのことは、記憶が消えたからなんだよね。遅刻の時も家で、今日は何のために夏祭りに行って、何時に集合かを忘れた。ナンパされてるって思った次の瞬間に、私はなんで夢灯くんと離れてるのか分からなかった」


 スマホを見て集合場所とか時間は確認したのだろう。だが、ナンパされた時に何で離れてるか分からなくなるのは、ただの恐怖で安心なんて出来ない。


 次第にその時が近づいてきて、その影響で記憶がふとした瞬間に消える。これほど怖いものはあるだろうか。いきなり記憶が消えてしまって、今自分は何をしているのか分からなくなること。そんなのパニックになってもおかしくない。


 だから彼女は時々その不安に駆られて元気を失っていたのかと、記憶を遡って思い出す。その時に、毎回同じように震えるよう元気を出していた……。


 信じられない。彼女のこれまでの元気は全て、その不安を押し殺していたというのだから。俺には楽しんでるように見えた。その上で病気と闘っていたなんて、そんなことが……。


 「怖いんだ。いつか夢灯くんのことを忘れるかもしれないことが。いつか友達のことを忘れることが。いつか記憶を失う病気に罹っていたことを忘れるのが。さっきからずっとそう思ってて、ここで夢灯くんの隣りに座っちゃったら、何でか吐き出したくなって……」


 握る手が一層強くなる。お願いだから記憶から消えないでと、直接お願いされてるようで、その小さくて細い手は冷たく感じた。


 「ホントは言うつもりはなかったの。そういう雰囲気にしたら、きっと思い出が霞むし、夢灯くんにも迷惑だろうって。だから耐えてた。頑張って我慢してたんだけど……無理だった……」


 いつも天真爛漫で過ごす彼女から初めて聞いた「怖い」という言葉。彼女から直接聞くと、彼女のその怖さがよく伝わった。今にも泣き崩れそうな、微かな希望も抱いてない、可能性という言葉も信じられない。それほどに落ち込んだ思い。吐露してから、彼女の手はずっと冷たいまま。


 俺はそれを放置したくなかった。だから、手の甲に優しく触れる手に、俺は自分の手をひっくり返して重ね合わせる。


 残り1分。


 「我慢しなくていいと思うぞ。お化け屋敷行ったら怖いって口に出すし、1人でホラー映画見終わった後にトイレに行くのも怖いって口に出す。それと何も変わりはないんだからな。迷惑とかも思わないし、思い出は霞むこともない。記憶が消える不安に駆られてしまうことはあっても、可能性は忘れたらダメだ。絶対に忘れないために、可能性を信じるって言ったのは君なんだから。そうでしょ?


 どんな記憶が失われても、彼女の軸である可能性を忘れてはダメだ。約束を忘れたら、きっとその時から流れるように崩れ落ちる。約束の日が消えてしまう。それでは記憶が消えるだけの一直線を歩くだけの人生になる。


 生まれてから18歳までの記憶は、人生に於いて1番大切な期間の記憶。それを悉く忘れるなんて、絶対にあってはならない。信じてほしかった。彼女には――美月には、それが絶対後押しとなるのだから。


 「……そうだけど……その言葉も忘れたらどうしよう」


 「何回も言うさ。特別なことは何もないけど、覚えるまで何度だって」


 「ホントに?」


 「美月に嘘はつかない。飽きるほど名前を呼んで、脳内に俺から名前を呼ばれることだけを充満させるよ」


 忘れたってそれは仕方ないこと。忘れたならば俺がいる。俺がその記憶について語れる。だから流れに任せて今を生きればそれでいい。絶対に俺は見捨てる気はないし、離される気もない。


 「嫌でも思い出させれるように」


 嫌なものは嫌でも刺激なのは変わりない。覚えてくれる刺激な思い出があるならば、俺は気持ち悪がられることだってする。彼女のためなら、俺は手を差し伸べられるから。


 「……出来るかな」


 とことんネガティブらしい。でも、そんな彼女でも俺は握る手から愛おしかった。


 「美月だから出来る。その誰にも負けない天真爛漫なとこを発揮してくれれば、不可能を可能にだって出来る。射的だって、取れると思わなかったそのクマのぬいぐるみを取れるほど、美月には後押しされたんだ。誰かにしてあげられることは、自分でも出来る。だから自分を信じて、消える記憶に抗おう。俺が支えて、俺も抗うから」


 今度は俺が強くその手を握った。お互いの手のひらが握り合う。決して触れ合う可能性のなかったお互いの手が、巡り合わせでそれを可能にした。これも1つの運命だ。


 彼女と出会って、運命だの可能性だの、非現実的なことに浮かされてばかりだ。でも、どれもこれも何1つとして悪くない。だからきっと、彼女の病気すらも俺と出会った運命で消え行く。現実的に信じて、運命なんて思わずその時を待つ。


 そしてついに、長く感じた時間経過。その最終地点。毎年恒例らしいカウントダウンすらも聞こえないここで、最初の花火が、まるで一番星のように轟音と共に花開いた。


 「…………」


 先を見つめる彼女。やっと上げた顔には、薄っすら涙の跡が。花火の明かりに照らされて見える横顔。初恋なんてしてこなかった俺は、いつにも増して可愛いと強く思う。


 あぁ。思ったより早かったかな。


 虹色に、次から次に変化する色彩。それに倣って彼女の表情に反射する。一切の曇りなき相好。


 俺は彼女――瑠璃美月が好きだ。


 「……。こうやって、花火が終わるまで私の手を握っててくれる?」


 「もちろん」


 「ありがとう」


 言われなくても伝わった。握ってくれることで、安心して抗えるんだよ、と伝えたいんだということは。彼女は病気のこともそうだが、自分のことをあまり口に出さない。聞かないと答えないし、進んで話すこともない。


 それを知るから、俺は彼女と思い出作りを始めて分かった。言葉足らずでも、言いたいことを汲み取れるようになった。浅くない関係になれたことを、今実感した。自意識過剰なんかじゃない。彼女の握り返してくれる手が、そう言っていた。


 「元気も出たし、怖さも和らいだよ。やっぱり、私は夢灯と一緒にここに居られることが幸せだよ。これだけは忘れない。夢灯との思い出は絶対に」


 そう言って寄せ合う肩に、彼女は起きたまま寄り掛かった。ふわっと軽い彼女の体躯。受け止める俺の筋肉質な体躯。小さく浴衣と甚平が擦れる音がした。


 「俺も、忘れないし、忘れさせない」


 「約束だよ」


 「約束だ」


 落ち着いた声音。今は目の前に輝く、色とりどりの星屑を眺める以上に、俺たちの中で大切なことがあった。花火を見に来たこの場所で、花火以外のことばかりを意識する。


 新たな約束を交わした今。肩に載る彼女の頭部に、優しく俺の頭部を重ねた。

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