第9話 夏といったら海、海といったら夏

 女子から君がいいなんて似たようなことを言われてしまうと、どうも俺の感性では素直に反応してしまう。よく耐性がないとかあるとか、こういう話では付き物だが、俺はそんな耐性ないと思ってる。


 素直に反応するかツンツンして突き放すか。この2択だけで、俺はその素直に反応する方だっただけ。耐性なんて付きそうにないし、このままでも不便ではないのだから、赤く染めてもいい。


 「相変わらず、染めやすいね」


 「覗かないでくれ。見られるのは好きじゃないんだから」


 「そう言われると覗いちゃうんだよね。カリギュラ効果ってやつ」


 「でもこういう時なんて言えば正解なのか分からないから、そう言うしかないんだよ」


 「なら照れないように鍛えるんだね」


 「……鍛え方知らないんだけどな」


 自分の性格との相談だ。


 話しながらも着実に一歩ずつ奥へ進んでいて、今は彼女の首元まで海水は迫っている。爪先立ちせずとも届くらしい。目指すは目付近まで海水に浸かるとこ。


 ゆっくりと冷たい海底にサンダルを着けて、急に深くならないよう足先で確認している。海の恐怖は浅ければ大丈夫なんてことはない。それなりに危険は伴うのだから、決められた範囲内でも慎重に。


 「ここ、今爪先立ちだけど、普通に立ったら……」


 と、静かにブクブクと額まで水が彼女を包んだ。


 「なら、ここで顔を出して浮けるようにしようか。って言っても、脱力する程度しか分からないから、焦らずに泳げるんだって思って浮く感覚で足を離して浮いてみて」


 小学生未満の子供に泳ぎ方を教えるんじゃない。高校生にもなれば、ある程度何が原因で泳げなくてどうすれば泳げるようになるのかを、自分なりに知っているもの。だからその本能的な思考に任せて、後は脳からの指示に体が従ってくれたら浮けるはず。


 「分かった!夢灯くんのこと、信じてるから」


 だからそれが正解だと思って離すよ。そう自分の脳内で繋げて、海の中で浮こうとする彼女をそっと見つめた。


 「……ふぅぅ。はい」


 足を離しただろう彼女は――沈まなかった。落ち着いていて、沈みそうになると両腕をそっと動かした。浮く原理を知るかのように、その天啓に従って動かすことで浮くことを可能にしたような無駄のない動きは、独学で大雑把な俺の泳ぎ方を嘲笑うような綺麗さだった。


 脳内で美化されてる。その可能性は捨てきれない。けれど、完璧に顔を出して「ふっふっ」と息を吐いて浮く姿は、泳げない人の初めての浮遊とは思えなかった。


 「……ホント、怪しい。なんで今まで泳げないって嘘ついてたの?って聞きたいくらいに」


 「私も、なんで浮けてるのか聞きたいくらいだよ」


 浮いてることに表情で驚きを表すと、すぐにニコッと笑う。どうしようもない人なのは相変わらずだ。毎回毎回、不意に見せるその日差しにも負けない笑顔は、俺の心臓を刺激してくる。


 こんな子の記憶が消えるのが4ヶ月半後ならば、俺は激しく反対する。どうにかして彼女の見せる笑顔と生き様を、彼女自身にも記憶してもらいたい。そして、そのついでに俺との、短いけど濃い記憶だって。


 「そのまま、奥に泳いでみるか?俺はまだ足は届くし、掴まれる役にはなれるから」


 「それは、私の体が全部海水の中に入るとこまでってこと?」


 「そういうこと」


 彼女との身長差はおよそ20cm。彼女が沈んでも、爪先立ちすれば届く場所はある。


 「よし、行こう。とことん泳ぐんだから」


 まだ彼女は泳げるようにはなってない。ただ、海面に浮かび上がることが出来ただけ。息継ぎなんて不可能で、泳ぎ方も知らない。だから、それを見届けるまでは戻らない。


 元気に引っ張られる俺。彼女よりも先を歩くことは、この海の中ではない。


 「元気だな」


 「夏の暑さにも負けたくないから、私は抵抗するよ。嫌なことには何が何でも抵抗する。それが結果としていい方向に繋がるならね」


 「そっか。そう言われると、俺も瑠璃さんみたいに元気で居たいと思える」


 「そう?だったら嬉しいな。闘病中に誰かに元気を与えた。それも一緒に闘ってくれるって誓った夢灯くんなら、私は最高に嬉しい」


 満面の笑み。決して水面に反射する陽光に目を逸らしたんじゃなく、しっかりと、愛おしく思える笑顔を作った彼女から逸らした。特別に見てくれているように勘違い出来て、落ち着くために時間が無限に必要。


 「俺も」


 「ふふっ。照れ屋さんめ。もう私を好きになったのかな?」


 「なってない。まだ」


 きっとこの海水浴場で、俺たちよりも充実した海水浴を行う人は居ないだろう。闘病という肩書きで築いたこの関係は、そこらのカップルや家族たちとはが違うから。


 「まだ、ね。しっかり好きになって、約束の日に私に夢灯くんを教えてね。忘れる気はないから、別に明日でも明後日でも良いけど」


 「それは流石に早いな。けど、約束の日までに伝えるのは絶対だ。それまで瑠璃さんとの時間に、耐えられる忍耐力はないから」


 絶対に。どうしても彼女を視界に入れては、好きになるのだと未来予知をしてしまう。背中を捉えても、腕だけを見ても、声音だけ聞いても。それらは俺を刺激するだけの材料でしかないけど、本質を司る彼女自身を俺は知ってる。だから繋げて思う。彼女は好きになる人だと。


 「待ってるよ」


 待っててくれ。


 「あーっ。こういう話すると、何でも出来る気がしてくるよ。だから泳いじゃおうかな」


 「深くまで行くなよ?」


 「付いてきてくれるから、溺れても心配ないでしょ?」


 「もちろん助ける。けどそんな俺を信じても、もしもの時は俺も沈むから、行き過ぎるのはよろしくない」


 「了解。少し深いとこで泳ごう」


 「大賛成」


 俺も泳ぎは大得意なんてもんじゃない。久しぶりだし、足をつることだってあるかもしれない。その時パニックになることもあるから、一応を避ける。思い出には種類があるが、命の危機で濁らせた思い出は好みではない。


 浮き輪も俺の頭付近まで来ている。もう手に持つのではなく、支えるようにして真ん中に手を置いて運んでいる。花柄の大人用の大きな浮き輪。チョイスは彼女だ。


 それに掴まりながら、波のない海を歩き続けて止まる。少ししか進んでないが、俺の足ももうぎりぎり届かない。そんな横で彼女はしっかりと、両手両足使って浮いている。


 「ここなら好き勝手泳いでも大丈夫だな」


 「おっけー、なら浮き輪借りるよー」


 サッと潜って浮き輪の真ん中にヒョコッと顔を出す。慣れ始めた泳ぎ方に、抵抗は全くない様子。彼女の運動能力を加味すれば当たり前か。


 「何をするんだ?」


 「このビーチボールを膨らませるんだよ」


 「……どこに持ってたんだよ」


 「ん?この腰の水着の部分に引っ掛けてた」


 「手に持つか俺に持たせるかすれば良かったんじゃないか?」


 「手が塞がるし、申し訳ないかなって」


 「なるほどな」


 ほぼ無風のこの場所では、風船だって多分まともに飛ぶ。それくらい静かな波に、少し厚めのビーチボールは真っ直ぐ飛ぶ。砂浜で遊ぶのが普通というイメージがあるが、それを変えてくるのが彼女だ。


 「それを使ってここで打ち合うのか?」


 「私は浮き輪してるから、夢灯くんは浮き輪なしで打ち合う。負けたら夏祭り行った時に何か奢る。で」


 「先を見越して今から勝負か。ありだな」


 夏祭りに行くことは何となく予想ついていた。だからそんなに驚くことではない。


 「でも、それならここまで来た意味あるのか?」


 「夢灯くんが不利になるから」


 「そういうことか。負ける気しかしないんだけど」


 「そんな心配しなくても、しっかり負かせるから」


 「杞憂にはしてくれないんだな」


 「優しくないからね」


 「どうだか」


 浮く俺にニヤニヤとずる賢そうな視線を送る。本当ならウザったくて、反撃をしたいと思えるような表情なのだろう。友人関係とかならその気持ちも分かる。だけど、俺はこの時一切そんな気にはならなかった。


 「肺活量とか考慮して、俺が空気入れようか?」


 「私の神聖なる二酸化炭素で膨らんだビーチボールを打ちたくないのかな?」


 「……そう言われると、流石の瑠璃さんでもラインぎりぎりだな」


 「うん。自分でも思ったよ」


 バシャンっと、顔を海面につけて恥じらいを見せないよう頑張る。一瞬だけ見れたので満足だったが、更に不可思議行動も相まって可愛いとまで思った。


 「でも、これくらいは私がするよ」


 「そう。なら浮き輪を揺らしたり、空気抜いたりして遊んでいいか?」


 「そうなったら私溺れるけど?もしかして、私に抱きついてもらいたいからいじわるするのかな?」


 「暇潰しに言った冗談でここまで尾びれがつくのは初めてだ」


 「あははっ。天才かも」


 「間違いない」


 空気を吹き込みながら途中で笑うので、入れた空気が少し抜けていった。萎むビーチボールがシュシュシュと音を鳴らすので、どこか共鳴しているようで笑える。


 そして1人で頑張り、5分ほどでパンパンに膨らませたビーチボールを、そっぽを向く俺に投げつけることで終わったと知らせた。


 「どこにエッチな水着を着てる人居るの?」


 「見てる前提なんだな。どこにも居ないのは見て分かるだろ?」


 「目の前に居るでしょ?」


 「あー、確かに。瑠璃さんは除いてかと思ったから」


 「まだまだだね」


 「だな」


 跳ね返ったビーチボールを掴み、強制的に言わされた俺を見てクスクスと。どんなことでも笑って楽しそうにする姿は癒やされる。ビーチボールを投げられたのは納得いかないが。


 「さっ、勝負だ」


 「俺の不利戦な」


 「それは男子の優しさということで」


 「瑠璃さんの頼みなら仕方ない」


 「ふぅー!流石」


 「調子には乗らないからな」


 「精神攻撃失敗かぁ」


 どこまでもずる賢くいくらしい。ただでさえ有利だというのに、それでも更に圧をかける。勝ち負けに貪欲で、負けず嫌いなのは分かるが、正々堂々勝ち負けをつける負けず嫌いじゃなく、悪辣でも勝てば良いという不平等で勝ち負けをつける負けず嫌いなのはどうかと思う。


 しかし、そんなこと言っても承諾したのは俺なので、どの道セコくても勝負に挑まなければならない。沈んで浮いてを繰り返し、なるべく足が早くつくとこへ移動する。


 「それじゃ、始めるよ?」


 「いつでも来い」


 「ほれ!」

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