第7話 夏といったら海、海といったら夏

 夏は中旬。8月はまだ上旬の今日。雲1つも見つからない空を仰ぎ見ながらも、俺たちは乗っていたバスを降りた。麦わら帽子をかぶる彼女は、サングラスも掛けて、その紫外線から身を守ろうと必死の様子。


 生き物に対して、紫外線はメリットもデメリットも多く持つが、今この夏場の必要以上の紫外線は、どうしても敵に思える。だから俺も、黒寄りの色彩は着用してない。が、それだけで、紫外線から身を守るか、暑さ――主に熱中症から身を守るかの2択を迫られた結果、俺は紫外線を捨てた。


 隣には、つい最近まで縁がないと思っていた美少女――瑠璃美月さんが立っていて、どうも信じられない。しかも2人だけで、思い出を作ろうと海水浴場まで足を運んだのだ。友人関係を築き始めて半月もない。そんな短期間で2人なんて、少しハードルは高い。


 炎天下にやられて、早速幻覚を見ているわけでもない。1つ目の大きな思い出を作り、記憶が消えるその時までの最大で最高の抵抗するための1日。決して無意味に来てるんじゃないと、自分の胸にそう言い聞かせた。


 「いやー、暑いね。夢灯くんはいつぶり?もしかして初めて?」


 胡粉色のワンピースに、薄めのカーディガンを羽織った彼女。面倒だからと、中に水着を着ているらしく、お披露目はまだ先らしい。


 「久しぶりだな。中学1年の時が最後で、それ以降は一切。海水浴場にすら来たことはない」


 「そうなんだ。じゃ、5年ぶりかな?」


 「そうなるな」


 そう言って、降りたバス停から下に繋がる階段の、更に奥を眺める。


 「でも、こんな良い景色の砂浜と海を見たのは初めてだな」


 水平線までキラキラと星屑のように疎らに輝く海。海は青色。それを忠実に再現したかのような色彩は、久しぶりの海というのと相まって、とても綺麗に思えた。


 カモメが飛ぶなんて、理想郷である話なんて一切起こらないが、目を凝らさずとも、1秒眺めればその感想が口に出る。それほどに海だった。


 「瑠璃さんは海は去年ぶり?」


 「うん。まだ病気じゃなかった頃に、友達とここに来て遊んでたよ」


 彼女も同じだったようで、その景色を見て、去年のことと重ねて、どこか寂しげな人数と雰囲気に、今の自分の病気について、少し考えさせられているようだった。


 本当は俺じゃなくて、大人数の友達と来て、帰りにバスで寝てしまうほど楽しみたかっただろう。受験期間でも、彼女ならそうしそう。いや、そうしていたはずだ。そんな未来を、あり得ない未来を見てしまうのも、感慨深いものがある。


 「そっか。なら今年ってか今日は、去年の友達との思い出と並ぶかそれ以上のものにして帰ろう」


 「珍しくノリ気だね」


 「いつもノリ気だ。どうしても瑠璃さんの笑顔が見たいからな」


 正直彼女の友達との思い出を超えることなんて出来ないと思ってる。人数もその友達としての期間も短いし、抵抗するためという理由がないと保てない関係だから。でも、今出来ること、投げ掛けてあげられる言葉は、それしかなくてそれで十分だった。


 「それじゃ、私の笑顔をとことん見て惚れたまえ。レッツゴー!」


 両足で優しく丁寧に1段降りる。階段はまだ長く、その1歩目が俺たちの記憶に強く残る最初の移動だった。物理的にどれだけ小さくてもいい。俺らが良かったと思える1歩目なら。


 「そうだな」


 それに続くように踏みしめた。この時には、隣が俺でいいのかという心配は既に消えていた。彼女が選んだ相手が俺だった。その運命に従い、もう邪念は消そう。そう思った。


 夏もまだ終わりの気配を見せないから、暑さをどんどん送り続ける。それを勝手に受け取る体だから、多くの人がその熱から逃れようと海水浴場へ足を運ぶ。だからそれだけ人は多い。マイナーでもない海水浴場を選んだらしいが、人混みで迷ったりクラクラしそうで慣れないのは大変だった。


 おまけに両手には海水浴で使いそうなグッズを持ってるので、体力は多く奪われていく。これが夏なのかと、久しぶり炎天下の中で動き回ったのを後悔した。


 「大丈夫?」


 「全然ではないけど大丈夫。少し人の少ないとこに行ければ、気分的に休めるかも」


 「おっけー、なら端っこ行こうか」


 「ありがとう。助かる」


 彼女も人混みはそんなに耐えられるタイプでもないらしく、元々比べて閑散としたとこに行こうと言われていたので、我儘を言うつもりなく、気安くどこに行こうと言えた。


 端に行けば行くほど人は少なくなる。けれど、暑さは全く変化しない。サンダルを履いていなければ、今頃砂浜の熱さにダッシュしていた頃だ。下からも上からも熱気が飛ばされて、俺は少しずつ汗を滲ませていた。


 でも彼女は鼻歌を歌う余裕がある。麦わら帽子はそれだけ暑さを和らげてくれるのかと、意味のない学習をする。


 「ここでいい?」


 「うん。いいよ」


 着いた場所。そこはまだ人は残るが、中央と比べれば四分の一程度には人が少なく、落ち着いた人たちが多かった。老若男女の家族連れ、カップルなど、様々な人たちで埋め尽くされた海水浴場も、海の上に浮く人たちが圧倒的に多かった。


 砂溜まり対策のレジャーシートを敷き、その場に手に持ったものを置く。簡易的な小さなパラソルも固定し、少しでも日陰を作って涼めるように。


 「これで一通りは大丈夫だろ」


 「お疲れ様。助かるよ」


 乗車したバス停までは彼女が運んで来たので、その後は俺が設置までする。「私が全部する」とは言ってくれたが、流石に重い荷物をずっと持たせて、俺が手持ち無沙汰になるのは嫌だったので断った。


 「ふぅぅ、取り敢えず少し休んで行こうか」


 「だな。悪いが、暑さに弱くて休まないと生きていけないんだ」


 「ふふっ。それって日頃外に出て無いからじゃない?」


 「だって何もすることがないから仕方ないだろ?」


 「友達から誘われたら出来るじゃん」


 「誘われないんだ。誘われても暑いの嫌いだから誰も泳ぎ行くとか言わないぞ。多分瑠璃さんの周りの人たちくらいだ。この受験期間に海に行こうとするのは」


 「そうかな?」


 彼女の周りは賢い人が多いから。そう言えば俺もってなるが、残念ながら接点の欠片もない。だから受験は?という心配は杞憂でしかない。陽キャで暇を潰せる相手が居るのは羨ましい。正直1人家に居てもすることなんて無いからな。


 しかも今は部活も引退したから尚更。1年2年の時は部活で大忙しで、日々汗をかいては体育館の中で、決められた範囲内で四肢を動かしていた。それがもう無いなんて、時間の流れは早い。


 「それじゃせっかくだし、水着を着た私へのコメントを今貰おうかな」


 「……悪化したらどうする」


 「その時はもっと悪化させようかな。夢灯くんの普段見れない驚き顔を楽しめるから」


 「面白いと思わないけどな。俺の表情見ても」


 ワンピースを慣れた手付きで脱ぎながら、次第にその姿を見せ始める。抵抗は全く無いようで、脱ぐという行為自体に、俺は自然と見ないように目を逸らしていた。


 見渡せば水着を着た人は多い。カップルを始めとした若い女子グループなんて全員スタイルを見せつけているほど。誰も彼も、やはり夏の海には気合いを入れてくるのかと思う。


 そんな人たちから目を逸らし、彼女へと戻す。


 「どう?」


 タイミング良く脱ぎ終えたところを捉えた俺は、褒めてもらいたそうにポーズを決める彼女に目を奪われた。誰が着ても水着なんて然程変わらないと思っていた。だが、それが今この瞬間に消え去った。だから狼狽なんてせず答えた。


 「似合ってる。多分、薄黄色の水着じゃなくて良かったと思うほどに、瑠璃さんに似合ってる」


 「えへへ、そう?嬉しい」


 笑い方も見慣れたのに何度も可愛いと思う。照れるように隠さず頬を赤らめてくれると、言って良かったと、恥ずかしさなんて感じなくなる。この笑顔が見られるのが、記憶の失われるその日までなのは、心底嫌だと思った。


 「そんな笑う瑠璃さん見てると元気出てきた」


 「私って夢灯くん専用の薬か何かかな?」


 「そうみたいだな」


 「だったら良いかな。夢灯くんなら、大切にしてくれそうだし」


 「するだろうけど、口だけならなんとでも言えるからな。俺のこと全部知った上でそういうことは言うんだぞ」


 「はーい」


 褒められた影響で、どうしても口角が下がらないのか、ニコニコとした相好は変わらない。暑さでおかしくなったわけでもない。これが彼女の普通なら、どこまでも可愛いで埋め尽くされている。


 体調も良くなってきたように思えるが、それも勘違いの可能性があるので、もう少しだけ休む。時間はまだ残ってるのだから、そんなに急ぐこともない。


 「休んだら先に何する?」


 寝そべる俺の横にも、日陰は大きくある。そこに座って、日に焼けたくないと日焼け止めを塗りながら俺に聞く。


 「何って、することはあまりないだろ?2人で泳ぐか、ビーチフラッグか、ビーチバレーか」


 道具は一応持って来ている。寂しくも2人なので、ワイワイは出来ないだろうけど。


 「そうだね。それくらいか」


 「なら先に泳いで良いんじゃないか?」


 「おっけー、なら浮き輪持って行こ」


 「ん?何かに使うのか?」


 「もちろん。私は泳げないから、浮き輪ないとダメなんだよ」


 「え?マジで?」


 初耳だ。てっきり泳ぎに行くと誘うのだから泳げるものだと思っていた。学力も高く運動能力も高い彼女なら、そんなの当たり前と思っていたのだが、そんなこと無いとは。人の得手不得手は分からないものだ。


 「マジマジ。これまでも何回も泳いで来たけど、1回も浮き輪無しで泳げたことないもん」


 恥じらいもないところ、世間一般では泳げない人が多いと思っているのだろうか。正式な数は分からないけど、多分泳げる人が多いと思うのだが。


 「以外だわ」


 彼女と出会って2番目に驚いた。まさか泳げないなんて、思わず目を腕で隠していたが、それをサッと退かして彼女を見るほどだった。その細くて白い体躯を見ても尚、信じられはしなかった。


 泳げない……か。


 「そうだ。泳げないなら、泳げるようになるか。そうすれば、今日が初めて泳げるようになった日って印象強く残るかもしれないし」


 「おー、なるほどね!それはありあり」


 カチッと日焼け止めを閉じる。共感してくれたことで、今日のいい目標が出来た。これで果たせれば中々良い記憶として残るんじゃないだろうか。

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