第5話

「はぁ……はぁ……」


 俺は今脇目も振らず走っている。どこへ向かっているのかも分からず、あの場から逃げたかった、あの恐怖から逃れたかった。

 生徒会室を飛び出した後はよく覚えていない。あの時の強い後悔だけが胸の中に深く刻み込まれていた。

 

 ふと足が止まる。目の前を見ると古ぼけた公園があった。遊具は型が古いのかくすんだ色の遊具が置いてあり、地面は数センチ丈の雑草が大量に生えている。俺は近くにあった所々ペンキが剥げたベンチに座る。

 ここまで来る道中疲れなんて一切感じなかった。しかし、座ったことで体が疲れを思い出したかのようにドクドクと早いリズムで鼓動する心臓と、じんじんと足の痛みが俺に疲れを自覚させる。

 どうしてこの公園へ来たのかは分からない。ただ、どこか懐かしい感じがするのは気のせいだろうか。

 けれどそんなノスタルジックな気持ちはすぐに心の奥底に沈殿し、代わりに生徒会室の出来事に対する後悔がとめどなく溢れ出てくる。

 何も出来なかった。自分では最善の手を打ち続けていたと思っていた。

 しかし実際はあのざまだ。俺は何一つ対処することは出来ず、プレゼン内容は何一つ伝わらなかった。それは全て自分の勘違い、自己満足でしかなかったのだ。

 悔しいと言うよりも何も出来なかった自分自身に対する失望が大きい。

 どうして、どうして何も出来なかったのか。次々と考えが浮かんでは消え、絶望の中やがて一つの考えにたどり着いた。

 それは自分の弱さではないかと。

 今までの行動を思い返してみると実際にそうだったではないか。俺は一人では何もできない。彩乃や、部長や副部長の力を借りないと企画案を満足に完成させられない。

 そんな企画案なのにプレゼンで全てを無駄にしてしまった。今はこんな俺に協力してくれた人たちの意志を踏みにじってしまった。ただただ申し訳ない気持ちで一杯だ。

 ここまで走ってきた疲労が一気に来たのだろうか? 罪悪感で心が蝕まれる中、俺は深い意識の底に落ちていった。


                  

           


             ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ん……」

 目を開けると辺りはすっかり暗くなっていて、街灯の小さな明かりが辺りを照らしていた。

 どうやらかなりの間眠ってしまったらしい。

 少し眠れたのか気持ちも幾分か軽くなっている。今は何時か分からないが家に帰らないといけない。そう寝ぼけながら考えていたが、ここで一つある疑問にぶつかる。

 いつ横向きで寝たんだ……?

 さっきは寝ぼけて気づかなかったが、今の視点は九十度逆時計回りに曲がっている。

 俺はベンチに座りながら寝てたはずだ、少なくともこんな横向きになるはずはない。しかも頭の方が妙に柔らかい気が……。


「あ、起きた?」

「え……」

「体そのままね。こっちも向かない」

 俺は頭上からかけられた声に上体を起こそうとしたが、声の主は俺に動くことを禁じた。

 仕方なく、俺は横向きで話す。

「何で彩乃がここにいるんだ……? しかも膝枕なんてして」

「何か寝苦しそうだったからやってるだけ。恥ずかしいから絶対起き上がらないでね。というか司この場所覚えてないの?」

「この公園が……?」

 正直全く身に覚えがない。ただ突っ走ってたらここに着いただけなのだ。しかし、どうしてここに彩乃がいるのかが気になる。

「はー……。司はもう少し思い出を大切にしなよ。この公園で私と小学生の頃よく遊んでたじゃん。覚えてないの?」

「あ……、懐かしいな……」

 彩乃に言われて初めて思い出した。

 確かここは小学生低学年の頃よく遊んでいた。あの頃はこの公園で疲れ果てるまで一緒に遊んだ記憶がある。

「でしょ? 初めて来た時帰り道分からなくなって、通りかかったお巡りさんに見つけられて交番に行ったよね」

「それで一緒に母さんにこっぴどく怒られたよな」

「ふふ、そうだね」

 彩乃とここについて話していると幼少期の記憶がありありと浮かび上がってくる。

 あの頃は何も考えなくても楽しかった。今の俺とは違って。



「あのさ……、武藤先輩って人から聞いたよ。司が学校を飛び出したって」

 少しの沈黙の後。言いづらそうに、しかし事実を俺に投げかける。

「すまん……」

 俺は今にもはち切れそうな胸から声を絞り出して答えた。

「プレゼン、失敗したんだ……」

「すまんな……。あんなに協力してくれたのに。こんな無様晒して。本当にすまん……」

 謝罪の言葉しか出なかった。

「別に私は大丈夫だよ。それより司はどうなの?」

「何がだよ……?」

「だからさ、司はどうなの? さっきからいじけてるけど、もう一回挑戦とかしないの?」

「今更やったって無駄だよ」

 もう一回やってもまたこうなる。実際俺自身が証明してみせたじゃないか。また明日行っても今日の日と全く同じことになる。

「無駄って……、そんな事言わなくても」

「事実じゃないか……」

「事実って、もう一回やったら何か変わるよ」

「うるさい!」

 俺は半分泣きながら叫んだ。

「何が分かるって言うんだよ! 俺はもう失敗したんだ、もう何もかもお終いなんだ……」

 どんどん言葉に力が入らなくなってくる。もう叫ぶ気力すら残っていない。 


「えい!」

「痛……、何するんだよ……」

 いきなり側頭部に痛みがはしった。彩乃が俺に向けて拳を振り上げ叩いていた。

「馬鹿じゃないの! さっきから事実だとか無駄だとか。そんな事言わないでよ!」

「彩乃……?」

 彩乃の剣幕に少し凄んでしまう。

「あの時はもしかしたら司自身が万全じゃなかったのかも知れないし、色々要因があったかもでしょ! それを何でもかんでも自分の責任にして、そんなの……、そんなのあんまりだよ……」

 俺の右頬に熱い液体が伝う。

「少しぐらい相談してよ、私だって司と一緒に作ったじゃん。なんで私は仲間はずれなの?」

 彼女は俺のために涙を流していた。俺と一緒に悲しんでくれている。その認識を持った時、心が軽くなった気がした。

「ごめん……」

 この謝罪の言葉は、さっきとは違い自然と口から溢れた。

「じゃあさ……、話してくれる?」

「分かった」

 そして、俺は生徒会室の出来事を事細かく話した。

 それは懺悔などとは違う、失敗を分け合うような感じであった。



「はぁ……、呆れた。私の涙返してくれる?」

 彩乃の呆れた声が聞こえる。

「普通そこまで言うか……?」

「いやだってさ……、一言で言うと『怖い生徒会長さんに怖気づいて、正常なパフォーマンスが発揮できませんでした』だよ? 正直情けないにも程があると言うか……」

「おい泣くぞ? さっきは何とか堪えてたダムが今ここで決壊するぞ? 彩乃のスカートビシャビシャにするぞ?」

「そしておめおめとここに逃げ込んで、幼馴染に膝枕して慰めてもらってる。ふっ……」

「何笑ってんじゃお前!」

 堪えきれず、思わず彩乃の膝の上から飛び起きた。

「あー、動かないでって言ったのにー。まあその調子だったらもういいか」

「おかげさまでな」

 嫌味たっぷりに言い放つ。

「それじゃあ明日はまたこわーい生徒会長さんにプレゼンしてきてね。またここに来たら許さないから」

「分かってるよ……。その……、今日はありがとな……」

「なーんだ。そんな事? 私が司の事を何年見たと思ってるの?」

 ああ、頑張らないとな。俺の、そして彩乃や先輩たちの思いものせてまた行くよ。

 今度は同じ轍は踏まない。そう強く決心した。

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