第8話 外でランチの日はやっぱりちょっとだけファッションに気合が入りがち

 翌日、出社するなり樹利亜が腹を立てた様子で声をかけてきた。


「清水さん、昨日うちの課の上原さんと飲みに行ったでしょう! どうして私も誘ってくれないんですか」

「樹利亜ちゃんも行きたかった? ごめん、気が利かなくて」


 とりあえず謝っておいたけれど、それはおかしくないか? 上原さんはただ私と二人で飲みに行くことを想定していただけ。いくら彼女と樹利亜が同じ課だからといって、必ずしも声をかけなければならない義理はないと思うのだ。しかも、私は誘われた側。勝手に樹利亜を呼びつけるなんてこと、していいはずもない。


「本当ですよ。ただでさえこの会社は女性率が少ないんですから、ちゃんと協力していかなきゃいけないっていうのに」


 昨晩の上原さんの言葉を思い出す。――樹利亜は、男性が苦手かもしれない。

 IT企業は今でもやはり、男性が多い職場である。そして、これは偶然そうなったというだけの話であるようなのだが、今の商品企画部と商品開発部は、ともに女性社員がとても少ない部署となっている。そのようなところに投げ込まれた樹利亜は、戸惑ったのではないか。数少ない女性社員と仲良くしなきゃいけない、皆に置いて行かれてはいけないと躍起になっているのではないか。そんな彼女のことをのけ者にしたつもりはなかったけれど、まだ入社一年目、周りの見えていない彼女にはそう映ってしまっても無理はない。これからは、彼女を積極的に誘うほかないか。私は静かに心の中に留める。





 それから数日後。普段はコンビニや売店で軽食を買い、デスクで昼食をとる。しかし今日は珍しく近くのカフェに来た。――樹利亜を誘って。

 そもそも私がこのように先輩ムーブをするのはとても珍しい。上原さんとは違って私はどうも、「おごるから飲みに行こうぜ」みたいなことを言って後輩を連れ出すという行為がとても苦手なのだ。他人を誘う場合、どうしても何かしら有意義な情報もしくは面白いトークをしなければならないというプレッシャーが生じ、そういった義務感に押しつぶされてしまうことは目に見えている。「この間、清水さんにランチ誘われたから行ってやったんだけど、なんも有意義な情報聴き出せなかったわー、時間の無駄すぎ。おごってもらえたからまだいいけど」みたいな陰口をたたかれる想像をするだけで、背筋が凍る思いなのだ。

 昼のチャイムが鳴るや否や席を立ち、エレベーターへと向かう。昼休みが始まったばかりのエレベーターは非常に混雑するので好きではない。いつもなら、昼休みが始まって十分ほどしたころにようやくエレベーターに乗り、さっと昼食を買ってさっとデスクに戻るのだ。


「ここにきて初めて外で食事するので、ちょっと楽しみです」

「いつもはどこでお昼食べてるの」

「社食ですよ。同期と一緒に行くことが多いです」

「ああ、一年目のときは私もよく行ってたな」


 入社したばかりは、私も同期と一緒にしょっちゅう社食でお昼を食べていたものである。――樹利亜が同期とはうまくやっているようで少しだけ安心した。





 ハンバーグの有名な店で、樹利亜は豆腐ハンバーグランチセットを注文していた。私は和風おろしハンバーグセット。付け合わせはライスを選択した。


「実は私、ここ最近肉を抜いていて――」


 豆腐オンリーのハンバーグを用意しているなんて準備が良い、とその店のことを褒めてはいたものの、そういう事情があるなら先に言ってくれれば、わざわざハンバーグの店には連れて行かなかったのに。店は事前に伝えてあったのだから、教えてくれよとは思わなくもない。

 二人で向かい合って座り、食事を待つ時間はそれはもう気まずかった。仕事の調子はどう、先輩は優しいか、研修は終わったのか。いかにも「面倒見の良い先輩」が質問しそうなことを一通り訊き終える。


「……ところで樹利亜ちゃん、私のこと、どのタイミングで気づいてた」


 少し気になっていたことをようやく質問してみる。


「私が四月の頭に挨拶したときあったじゃない? そのとき清水さん、遅れて入ってきたじゃん。そのときに、ああ、清水さんだなって」


 会社の外では敬語はなし、という私の提案を律義に守り、樹利亜は会社の敷地を出た瞬間に言葉遣いを崩している。


「そうか。――一瞬見ただけでも、気づくものなんだね」


 まともに顔を合わせたのは十年以上ぶりなのに、すぐに私に気づいたということは、やっぱり私はあの頃からほとんど変わっていないってことか。これでも、メイクやおしゃれ、結構頑張ったと思うんだけど。身長だって、小学校六年生の頃から五センチほどは伸びているはずだったのに。


「まあ、大学敷地内でも、遠目に見かけたことはあったし、別にそんなに驚くようなことでもないと思うけれど」

「ああ、そうか。そういえば同じ大学か」


 正直、こちらは樹利亜を直接見かけたことはなく、大学の広報誌にキャンパス美女として特集されている彼女の姿を見つけたことがあるだけなので、なんだか同じ大学に通っていたという実感が湧かないのだ。


 暫し、沈黙が訪れる。私が頑張るターンは、終わったと思うのだけれど。――そう、樹利亜の方から私に何かを質問してくることなんてないのだ。うすうすと感じていたことではあるが、彼女は私に興味を持っているわけではない。それは小学生の頃から何の変りもない。彼女が入社後、妙になれなれしく私に話しかけてきたのはやはり、「女性社員同士仲良くしなければ」という想いが強かったというだけのことなのだろう。

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