Ep.31 死線、連ねて


「生きることが贖いになる。それこそが、彼女と俺が一生を懸けて背負っていく罰だ」


 それが彼女を守る理由だ。向けられる憎悪を分かち合い、罪を認めて、生き続けることで罪を贖う。それこそ、この二人が歩むべき道なのだ。


「もういい。時間の無駄だ」


 真神が体を前傾させて距離を詰め、海風に刀を抜いた。対して海風は手を後ろに回し、ムクロがそれに合わせて地面から骸征剣を生み出す。海風はそれを掴み、引っこ抜いた。


「おおッ!!」「はぁぁぁあッ!!」


 真神と海風、義父と養子。彼らが振るう剣が斬り結ばれ、剣戟の度に火花が散る。右薙ぎ、唐竹、袈裟斬り。放たれる無数の剣筋が空に弧を描き、そしてぶつかり合う。刀の打ち合う音は無音になる時間がないほど連続しており、暴風雨による雨音を想起させた。


「すごい……互角……!」


 剣の腕は確実に真神が上だ。上どころか、彼の剣技は海風には決して到達できない領域にまで昇華されている。海風がいくら研鑽しようが真神には届かないし、勝てるはずもない。しかし、それでも海風は真神に食らいつけていた。


「っ……なぜついて来れる!」


 想像以上の海風の粘りに、鍔迫り合いになると同時、真神が困惑の表情を浮かべる。真神の剛力を必死に耐えながら、海風は真神に叫んだ。


「何回アンタと稽古してきたと思ってる! 剣の癖、剣筋は全部見知ったものだ! 反射神経さえ間に合えば、なんとか互角ぐらいには持ち込めるんだよ!」


 罪咎因子『原罪』。その罪の重さに比例するように、授けられる身体能力の向上も一般的な罪咎因子よりも遥かに大きい。膂力だけなら真神に追随し、動体視力といった体性感覚系の能力なら真神を上回るのだ。剣の腕が圧倒的に劣っていても、剣の癖が分かっており、それに追いつくための身体能力があれば、戦いは互角になる。それはグノーシの想定しなかった嬉しい誤算、見えた一縷の希望。


「ッ、馬鹿なっ……!」


 想定外の事態に驚愕する真神、その足元が突如としてぐらつく。反射的に地面を見ると、足裏に小さな骨が生み出され、足を上に押しているところだった。体勢を崩された真神の隙を狙い、海風が刀を上に斬り払い、ガラ空きになった胴に肘鉄を撃ち込む。


「ッ!」


 体を抉る衝撃に吹っ飛ばされ、真神が大きく後方に跳んだ。攻撃をモロに喰らった腹をさすり、真神が苦悶の表情を浮かべる。


「忘れてもらっては困ります」

「げほっ……チッ、小賢しいことだな」

「なんとでも。ミカゼのお陰で、震えは止まりましたから」


 海風の後方で控えるムクロが骸骨達を生み出し、真神に襲い掛からせた。それらを蹴りや刀で木っ端微塵に壊しながら対応する真神だったが、そうして生まれた隙を虎視眈々と狙う少年が一人。真神の死角に入っていた海風が、骨を踏み台にする形で上から斬りかかる。それを刀で防御すれば、横から生えてきた骨が脇腹を襲う。膝と肘で挟んで骨を止めても、意識が逸れた瞬間に海風が蹴りを打ち込んでくる。完璧なタイミングで一番嫌な手を放ってくる、完成された二人の連携。絆なんて陳腐な言葉では言い表せないほどに深く繋がった二人だからこそ出来る猛攻。


 ───おかしい。


 押されている。海風による剣撃が、ムクロによる打撃が、継ぎ目なく真神に降り掛かり、圧倒的に強いはずの真神が押されている。焦燥が思考に生まれるのを感じながら、真神は苛立ちに任せて反撃を行う。


「鬱陶しいッッッ!!」


 膂力に任せて振り払われた豪剣が海風を襲い、骸征剣ごと海風の体を断ち切る。内臓を両断されて口から血を滝のように流した海風だが、彼はその怪我に見合わないような表情を見せた。ニヤリ、と笑って見せたのだ。


「ッ!? しまっ───」


 それが海風の仕掛けた罠だったと気付くのが遅れた。真神の視界から度々消えていた海風が、この攻撃の寸前に仕組んでいたから。ムクロに持たせて、いざという時には骨を使って海風に届けさせるように示し合わせていたもの。グノーシではなく、海風自身が考えついた作戦。


「殺したな」


 首につけられた『首枷』を指差しながら、海風は間もなく絶命する。そして、不死の異能が発動した。外部に作用するものではないとはいえ、異能は異能。使用されれば『首枷』は罪咎因子の高まりを感知し、己の役目を果たさんと内部の圧縮火薬を起爆させる。

『首枷』による自爆。ロマン溢れるこの攻撃こそ、海風の仕組んだ奥の手だった。


「〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!?」


 爆発が生み出す豪炎、そして襲い来る大爆発。その衝撃波を近距離で喰らってしまった真神は大きく吹き飛ばされ、錐揉みにされながら中洲の上を転がった。


「……やった」


 体のあちこちを爆炎で焦がされ、泥の中に臥せった真神。皮膚は焼き爛れており、骨も内臓もダメージを受けているだろう。明らかに重症だ。

 ムクロがその光景を見て、勝利を確信した、その時。


「…………ぉ。ごっ」


 真神が体をガクガクと震わせながら立ち上がる。常に毅然とした態度をとっていた真神らしくない異様な動きだ。


「…………まさか」


 その姿に異変を察知したムクロは、まだ再生途中の海風の体を抱き抱え、尻尾で体を守りながら足元に生み出した骨で自分自身を吹き飛ばす。

 刹那。真神を中心として巨大な雷が発生し、川の水を一気に爆発させたのだった。


 *****


 電車の中で揺られていた一人の女性。隣にはまだ小さな子供が座っており、窓の外を身を乗り出して見ていた。夜景を見て目をキラキラとさせる愛しい息子に、くすっと笑みを零す女性。人がまばらに乗っている電車の中、平穏だったはずの日常の光景が、耳をつんざくような爆音によって打ち破られる。走行している電車が爆風に煽られ大きく揺れ、天井につけられていた照明が点滅した。思わず悲鳴をあげて、息子を胸の中に抱いた女性。爆風が治まった後、身を縮こませていた女性の腕の中をすり抜け、子供は窓へと再び乗り出す。


「おかーさん、あれなにー?」「……え?」


 息子が小さな指で示した視線を移し、愕然とする女性。その先にあったのは、完全に蒸発した多摩川と、電車の前で巨大な赤い電雷を迸らせる一人の人間の姿だった。





「……うそ」


 あれだけ大きな河川に今や全く水が流れていない様子を見て、ムクロは震えが止まらなくなった。真神による全力の放電、それによって見渡す限りの水が蒸発した。発生した水蒸気が大気まで上昇したのか、夜空には暗雲がかかり、頭上からは雨が降り注いでいる。一つの異能が天候すらも変えたという事実に戦慄したムクロ。


「……え? これ、何が……?」「っ! ミカゼ!」


 再生が終わって起き上がった海風に振り返り、現状を伝える。海風の切り札で真神が一度昏倒したこと、その後立ち上がり、理性を失って凄まじい規模の放電を行ったこと、それにより川の水が蒸発してしまったこと。そして、真神は死んでいないこと。


「なんでっ……爆発に巻き込まれたんじゃ?!」

「爆発の直前に見えたのですが……すごい量の電気と光が爆発を打ち消していたんです」

「それは……水蒸気爆発を生み出した光熱で相殺した……ってことだよね。そんなことが出来るなんて……」


 想定外の事態に動揺する海風は、ハッとして真神の立つ場所へと目を向ける。地面が抉れているので確信はないが、先程の中洲があった場所で真神はフラフラと立っていた。周囲の土はガラス状になっており、降る雨が瞬間的に蒸発して湯気を上げていた。だが、そんなことはどうでもよかった。


「な、んだ、あれ」


 海風が目を取られたのは真神の体の状態だ。左腕が光熱により蒸発し、肩から先がドロリと溶解している。服は焼け落ち、胴体は炭化している。そして顔の半分は抉れており、なぜ立っていられるのかも分からないような火傷痕だった。その悲惨さに思わず目を背けたくなるような重傷、いや致命傷だ。


「あんな怪我……もう死んでいてもおかしくないのに……!」


 真神は立っていた。上体を揺らしながら、それでも膝を決して地につけなかった。そうするのが矜持だとでも言わんばかりに。


『ぉ、ぉ、ぉ』


 真神の口から溢れるのは、もう理性の欠片も感じられないような、亡霊のような声だった。その声を聞いて、真神の状態を察した海風。真神は理性で罪咎因子を抑えながら異能を使用していた。しかし、海風の一撃によって真神は思考力を一時的に奪われ、それと同時に抑えられていた本能が爆発したのだ。その結果があの大爆発である。


『ぁ、とぅらび』


 そのたった一言で、優勢だったはずの状況が一気にひっくり返される。残った右腕で乱暴に振られた刀、その剣先が描いた軌道に赤雷の太刀筋が走る。悪寒を感じてムクロの頭を押し下げなければ、海風達は塵も残さず消え去っていただろう。理性の崩壊により出力とレンジの両方が飛躍的に上昇した真神の『雷光一閃』は100mは離れていたはずの二人にすら届いた。しかも、威力は一切減衰していない。


「やばいやばいやばいやばいッ! あれは無理だ! ムクロ、一旦退こう!」

「で、でもっ……」

「水が蒸発してる時点で地の利は失ってる! それにあんな威力でポンポン技を打たれちゃジリ貧だって!」


 ムクロの腕を首に回させ、背中にしがみつかせるような形で海風は走り出す。逃げようとした二人を察知したのか、白目を剥いたままの真神は周囲に赤雷の弾を無数に作り出して海風達に放った。


「ぬあわああああああああああああああああああああッッッ?!」


 頭上からは雲の雨、背中からは光線の雨。一発でも触れてしまえば即死する弾丸を躱しながら、海風は疾走する。完璧なタイミングでムクロが生み出す骨を足場に、海風は超人的な身体能力を駆使した立体的な回避を実践した。時折放たれてくる赤雷の一閃も回避する海風は流石と言えるだろう。しかし、相手が悪い。


「あれ、どこ行っ」『ゔろんぃ』


 音速を超える速度で迫った真神が、海風が振り返った瞬間に突如として背後に現れる。回避より先に海風はムクロをつかんで投げ飛ばし、不死ではない彼女を先に離脱させる。そのコンマ一秒後、真神から放たれた三本の剣閃が海風の上半身を炭にした。


「ミカゼッ!」


 地面に着地したムクロが墜落する海風に近寄ろうとすると、真神の首がぐりんと曲がり、ムクロの姿を感覚的に捉える。ムクロが咄嗟に骨を生み出して真神に向かわせるが、それは雷の弾丸によって一瞬で灰燼と化した。ムクロに致死の刃を振るわれ、その命が潰える未来が確定しかける。


「あ」


 碌な抵抗もできないまま真神に殺されることを悟らされたムクロが目を瞑った。真神はそれを好機として刀を振るおうとして───。


『!!』


 パァン、と、真神の刀を弾き飛ばしたのは、彼に飛来していたはずのスナイパーライフルの弾丸だった。




 銃弾を躱しみせた真神に、隠れていた狙撃手は思わず苦笑する。


「おいおい……ノールックで狙撃を躱すとか、冗談だろう?」


 川から200m離れた場所にあるアパート、その最上階。真神が借りて、婚約者を監禁していたあの部屋から銃弾を放ったのは特務課に所属する狙撃手、愛逢月燐葉だ。スナイパーライフルのスコープで真神の離れ業を見ていた愛逢月。本当は真神本人を狙ったものだったのだが、刀を壊しただけでも及第点としよう。何を隠そう、実は愛逢月は海風達が戦い始めた直後にグノーシによる命令でこの部屋に待機していたのだ。いざという時に二人を助けられるように、という話だったが、まさか狙撃に失敗するとは思っていなかった。


「これでも狙撃の腕には自信が……って、ん?」


 スコープで真神がこちらに向いたのに気づき、やば、と危機を察知してベランダから飛び降りる愛逢月。その危機感は正しく、真神の放った一閃によって愛逢月のいたマンションは三階から上が蒸発した。


「愛逢月様の援護……けど、もう……!」


 愛逢月のいたマンションが消された以上、彼女からの援護射撃はないと考えていいだろう。けれど、刀を失わせたのは大きい。これで『雷光一閃』は使えなくなった。壊れた刀をじっと見つめる真神に戦闘態勢を崩さないムクロだったが、彼の次の行動にあっけにとられることになる。真神は刀の次にムクロの背後を見て、そして空を少し見上げると、ムクロを放置してどこかへ行ってしまったのだ。


「え……?」


 ポカンと口を開けるムクロが、真神の向かった先に目線を移した。彼が向かっていたのは、多摩川に架かる爆発によって壊れかけの大橋、その途中で止まっていた電車だ。彼が何をしようとしているのか困惑していたムクロだったが、少し遅れて「その可能性」に気付く。


「……まさか!?」


 生み出した骨に乗って真神の後を追うムクロ。しかし、反応するのが遅かった。もう間に合わない。


「待っ───」


 真神は線路の上に辿り着き、最大威力の『雷霆弾』一つを電車の先頭にブチ当てた。


「───」


 大爆発によって電車の先頭は空へと跳ね上げられ、その持ち上がった電車の頭を踏み台にして駆けあがり。そして、『纏雷』をしたまま雲の中へと跳び上がった。反作用で電車は橋の上に叩きつけられ、車体は大きく跳ね上がる。そんな動きをされてしまえば、中の乗客は無事では済まない。電車に乗っていた若者も、母親も、老人も、全員スクランブルエッグ状態だ。


「っ、なんてことを……!」


 雲の中へ消えた真神を睨むムクロは、まだ再生の終わっていない海風を抱き起こして、悲鳴のような声を上げる。


「起きてくださいミカゼ! このままでは、この近くにいる人みんなが死んでしまいます!」


 救えなかった命を悔やみながら、大粒の涙を流してムクロは海風に訴えるのだった。


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