Ep.29 「ただいま」


 揺れる護送車の中、コンテナの中にいる人物は二人だけだった。対面するように座った真神とムクロは沈黙を保ったままである。それもそのはず、敵同士である両者が積極的に話すことなど何もなかったから。


「変に暴れないのは殊勝な心掛けだな。手間が省けて合理的だ」

「……」


 煙草を食んでいた真神が口から煙を吐き、向かい合って座っていたムクロは真神を睨む。とはいえ、元から気性が温厚な彼女だ。睨むと言っても眼力が足りないので圧力はない。


「よく一ヶ月も不老不死だと仲間にバレなかったもんだ。それほどまでに怪我をしないよう守られてたのか? だとしたらアイツらも無駄な労力を要したな。どうせ放っといてもお前は死ななかったのに」

「ミカゼとグノ様の優しさは無駄じゃないです」

「どうだか」


 鼻で笑う真神は、足を組み替えるとムクロの体に隅々まで視線を巡らせた。


「不老不死を失った気分はどうだ、化け物。そこまで傷が治らないのは初めてだろう」


『首枷』を中心として体を厳重に拘束されているムクロの体には、いくつもの生傷がつけられており、それらは破れた血管から血を滲ませる。

 海風に不老不死の異能を渡してしまったムクロには最早その傷を治すだけの力は無く、残滓として残された僅かばかりの再生能力が体の修復を遅々として行なっていた。身体中を蝕む壮絶な痛みに耐えながら、ムクロは俯いて微笑む。


「……ミカゼを助けられたのなら、何でもいいです」

「……健気だな。俺の術中に見事にハマっているわけだ」

「? それはどういう……」


 鈍感なムクロに苛ついたのか、真神は眉間に皺を寄せると自身の練り込まれた計画を語り出した。


「お前らの共同生活を上に提案し、強引に実行させたのは俺だ。狙いは一つ、単純接触効果による恋愛感情の芽生えだった」

「───」

「お互いを深く恋慕し、愛し、相手のためなら全てを投げ出し、世界ですら敵に回す。……そこまでの強い感情があって、初めて『罪』の共有が行われる。罪を共に背負い、共に生きるとはそういうことなんだろうな」

「……なぜ、そんなことを」


 罪咎因子の生みの親とも言えるムクロですら、そんなことが出来るなど知らなかった。だというのに、真神は隠された罪咎因子の特性についてまで熟知している。ムクロの質問に、真神は煙草の煙を吐き、少しして喋り出す。


「19年だ」

「え?」

「俺がこの計画を考えついたのは、19年前だった。俺からしたら長かったと感じる年数だが……何万年も前から生きるお前にとっては瞬きするぐらいの長さかもな」

「……何を」

「俺の全てが始まったのは、19年前のあの日だ」


 真神が首から取り出したのは、銀のネックレスだ。その先端につけられているのは一つの指輪である。傷がついているので新しいものではなさそうだが、真神は目を眇めてネックレスを強く握った。



「2031年8月2日。それが、



 *****


「ここだ」


 護送車から体を拘束されたままのムクロを降ろした後、真神はとある場所へムクロを連れてきていた。

 そこはとあるマンションの一室。かなり高級そうで綺麗なのだが部分的に壊れているようで、壁には黒く焦げたような跡や罅が入っている。それに一見したところ5階まであるというのに、人の気配を一切感じない。恐らく誰も住んでいないのだろう。都市近郊にあるマンションだというのに住人が一人もいないというのは、些か奇妙に思える。

 エレベーターで最上階まで上がり、真神は503と書かれた部屋の前に止まり、鍵を使って中に入っていった。


「来い」


 その短い命令に従い、ムクロは部屋の中に入った。外観に違わず内装も高級そうだが、人が住めそうではなかった。というのも、中は天井やら壁やらがあちこちで倒壊していたからだ。床は綺麗にしてあるが、壊れた部分は補修されておらず、そのままの状態で放置されている。流石にここで暮らす人間はいないだろう。


「ここは……」

「黙ってろ」


 真神は振り返らず進み続け、最奥の部屋の前に立って、ムクロに顎をしゃくって急かした。ドアを開けたムクロは、その中へと足を踏み入れる。

 あちこちが壊れていた先程までの部屋と対照的に、そこは比較的綺麗なままだった。部屋の一面がガラス張りにされており、それ以外は何もなく何の変哲もない空間だ。ただ、異様な物体が窓に対面する位置で壁に取り付けられていることを除けば、の話だが。


「……これは」


 壁からぶら下がっていたのは二つの手錠だった。肩幅ほどに離れた位置で設置されたそれは、どうやら年季が入っているらしい。傷だらけのままにされた鉄製の手錠を見て、ムクロはそこで何が行われていたかを一瞬で察した。


「監禁……」


 ムクロも同じようなことをされたことがある。牢屋の中で壁に取り付けられた手枷に縛られていたことが。


「体験談か? 人生経験が豊富なだけあるな」


 どうやら、ムクロの想像は正しかったらしい。真神は誰かをそこに監禁していたことをあっさり認めた。誰を監禁していたのか、というのは鈍感なムクロでも分かる。


「まさか……婚約者の方を」

「あぁ。『殺人罪ドルフォニアス』だったからな、こうでもしないと大人しくさせることなんざ出来なかった」

「『殺人罪ドルフォニアス』……?!」


 真神が口に出した言葉にムクロは目を剥く。

 それはつまり、真神の婚約者は『殺人罪』の『仇人』であったということだ。しかも、真神はその人を監禁していたという。それが真実なら、真神らしくもない行動だ。

 正義を掲げ、『仇人』や『咎人』を強く憎んでいる真神嵐杜が『仇人』を監禁する。それが示唆する事実をムクロは理解できない。


「何のために……」

「匿うためだ。俺達から殺されないように、な」

「───」


 間違いない。真神は『仇人』となった婚約者を公安特務課に殺されないように、この部屋に隠していたのだ。


「どうして」

「……言う必要ねぇだろ。無駄話は終わりだ」


 真神が腰につけていた小刀を取り外し、鞘から抜いてムクロの足元に転がした。コン、とムクロの足に小刀がぶつかると、真神は中指でメガネを直しながら言い放つ。


「自刃しろ。今、ここで」

「!」


 ぎらりと輝く白銀の刃を見て、ムクロは息を呑んだ。


「『首枷』の電源は切ってやる。この距離で自爆でもされたら敵わん」


 手に持っていたリモコンでムクロがつけていた『首枷』の電源を切り、刀の柄に手を置く真神。異能を発動したところですぐに殺せる、という意思表示だろう。真神の間合いに入っているムクロの首は、彼がやろうと思えば1秒にも満たずに吹き飛ばされる。


「……なぜ」


 もうすぐそこまで死が迫っている。不老不死にとって最も遠い概念であったそれが、今にもムクロの命を刈り取ろうとしている。その事実に震えながら、ムクロは真神に真意を問うた。


「なぜ、私を殺すのですか。その……婚約者の仇、ですか。私が『仇人』を生み出してしまったから……」


 ムクロの質問にピク、と眉を動かした真神は、しかしそれ以上の反応を見せない。


「勘違いするな。アイツの死はあくまできっかけであって動機じゃない。それに生憎、19年を復讐に費やせるほど暇じゃない」

「じゃあ」

「俺の行動原理はいつでも『正義』だ。俺は正義を成すためにこの計画を打ち立てた」


 柄から手を離さないまま、真神は己の内に秘めた計画の最終到達目標を述べた。




「罪咎因子の生みの親であるお前が死ねば、罪咎因子が。それがお前を殺す理由だ」


「────」




 それは、あまりに現実味がない言葉だった。

 異常なまでの合理主義、実測値を予測値に限りなく近づけることを是とする真神が、「罪咎因子が消えるかもしれない」という可能性で話をしている。

 そんな、根拠も証拠もないような推定に基づいて。


「俺の掲げる『正義』とは、『仇人』及び『咎人』の撲滅。だが、公安特務課で任務に準じるだけではそれは叶わない。奴らはどこからでも湧く。ただの人間が不運で変化した存在、人間の親から偶発的に生まれる存在。撲滅しようと思って撲滅できるものではない」

「……」

「だから、罪咎因子自体を消そうとした。だが無意味だった」


 眼鏡に月明かりが反射する。真神が今どんな目をしているのか、ムクロには分からない。


「お前らが襲撃した研究所には元々、人間の中から罪咎因子を消すための研究をさせていた。しかし得られたのは、『他生物への罪咎因子の移植が可能』という研究結果と……『人間の中から罪咎因子を消すことは不可能』という結論だった」


 考えてみれば当然だったのだ。

 罪咎因子を消すということは、それをコードする遺伝子を除去するということ。百歩譲って遺伝子切除による罪咎因子消去を可能にしたとして、それを全国民に施せるほどの医療費は国に存在しない。

 仇人化は前触れもなく偶発的に起こる。『仇人』となる人間を予測する方法がない以上、そんなことをしても焼け石に水なのだ。


「一握りの人間しか救えない……それでは意味がない。正義が不平等を生むなど言語道断だ。だから、他のアプローチを試すことにした」

「……それが、罪咎因子を生み出した私を殺すという結論に」

「そうだ。異能で生み出された物質が異能使用者の死亡で消滅するのは確認済みだからな。罪咎因子も大元の死亡で消える可能性がある」

「消えなかったら……」

「その時はその時だ。お前らに壊された研究所を建て直して、また研究を再開させるだけの話だからな」


 おそらく、『食人の仇人』を生み出したのは試運転の意味があったのだろう。罪咎因子を消す研究の上で生まれた副産物。それが被害者を二人も出した事件に繋がったのだ。


「長話は終わりだ。それで腹を掻き切れ。首は俺が落としてやる」

「っ……!」


 真神の底冷えした声に体を跳ねさせてムクロは縮こまる。両腕で体を抱きながら、横目で転がった小刀を見た。月光を反射して冷たく煌めく切先が、お前の天命は尽きているとでも言わんばかりにムクロに向いている。


 死ぬのは怖い。本当に怖いのだ。

 けれど、心のどこかで安堵しているのも理解していた。


 今まで、死にたいと願ったことは何度もあった。

 喰われ、千切られ、焼かれ、砕かれた。尊厳を貪られた。

 その苦痛に耐えかねたからこそ、ムクロはマグマの中に身を投げた。しかし、塵まで溶かされてもムクロは死ななかった。結局、岩の中に閉じ込められただったのだ。


 けれど、海風に出会い、彼を好きになり、その彼が自分を守って死にそうになったことで、ムクロは不死性を譲渡した。白き骸の姫としての威光は絶えたのだ。今やムクロは不死性を失っている。なれば、この身が尽きることも叶うに違いあるまい。


「はぁっ……はぁっ……」


 死の恐怖で過呼吸になりながら、ムクロは小刀に手を伸ばす。


 やっと終われる。この長すぎる人生に終止符を打てる。


 大好きな海風が死ぬことはもうない。彼一人を救って、罪深い自分は一人で死ぬ。それでいいではないか。真神は正しい。それがただの可能性の一つだったとしても、罪滅ぼしとして自刃するのは当然の道理だ。


 刀を腹に押し当てる。ひんやりとした刀が腹に宛てがわれ、白磁の肌に一筋の血を流させた。


「はあっ……はあっ……っ!」


 死ね。死ね。死ね。

 死んでしまえ。この罪を、死をもって償え。そう念じながら、刀を押し当てて。


「それでいい。あのバカも真実を知れば納得するだろ」


 その言葉でピタリ、と臓腑を切ろうとしていた刃が止まる。


「……どうした」

「……本当のことを聞かせてください。あなたは、ミカゼをどう思っているんですか」


 正義の為にと息子すら手にかけた真神。彼が本心で海風のことをどう思っているのか、この命を絶ってしまう前に聞きたくなった。

 一人で無実の人々を殺し続け、その罪を一人で背負ってきた彼を、真神はどう思っているのか。

 たった一か月しか共に過ごしていないムクロが気にすることではないのかもしれないけれど、それでも彼の頑張りを知る人が一人でも多くいたのなら、と願ってしまっていて。


「なにも」


 だから、真神の冷淡な一言にムクロは耳を疑ったのだ。


「……え」

「ただの気色悪いガキだ。命令無視してまで怪物になった人間を次々に殺して、それを気に病むふりをしてやがる。本当に人を殺したくないと思ってるなら、あれだけ厳命されてる命令を無視するはずがない」


 真神は嫌悪感を言葉の端々に滲ませて、ムクロに言い放った。


「あいつは善人ぶってるだけの快楽殺人者サイコパスだ。俺が一生理解できないタイプのクズだよ」


 そんな真神の態度を見て、ムクロはある一つの事実を確信する。


「……貴方は、何もわかっていないのですね」

「……何?」


 ムクロは心の奥底から何かが沸々と湧き上がるのを感じながら、顔を伏せたままに真神へ「その事実」を突きつけていく。


「知っていますか。ミカゼは睡眠薬がないと眠れないんです。吐いてしまうから肉もほとんど食べないんです。休暇には被害者の方のお墓参りばかりしているんです」

「……何が言いたい」


 彼は苦しんでいた。周りから理解されようともせず、死神と揶揄されようと、それでも孤独に戦い続けていた。


「貴方たちは、『仇人』を『怪物』として処理する。ミカゼはそのことをずっと悔やんでいました」


 たった一ヶ月。何万年と生きてきた彼女にとっては、あまりに短い時間。それでも、ムクロにとってはそれは数万年の生涯に吊り合うぐらいの素敵な日々だったから。


「だったら、せめて自分だけは彼らを『人間』として葬りたいと! 自分だけは命に等しく在りたいと、そう考えていたから! 命令を無視してまで『仇人』となった人々を自分の手で葬っていたんじゃないですかっ!?」

「……っ!?」


 彼が自分の口でそう言ったわけではない。けれど、彼との暮らしの中で、彼の優しさに触れて、ムクロはその心根を理解していたのだ。

 永い時の中で、人とは相容れぬと自ら心を閉ざした彼女が。

 そして、合理主義の真神は彼の信条を理解できなかったから、「ただの命令違反」として捉えて海風に怒っていたということもムクロは分かっている。


 それらを踏まえた上で、ムクロは敢えて言う。


「貴方はミカゼを理解しようとすらしていない。貴方に彼を語る資格などありはしません」


 真神が海風のことを何も理解していないということ。

 理解できないから異常者だと一蹴し、理解をする努力すらしていないのだということを、ムクロはこの一連の会話で感じ取っていたのだ。


「───黙れ」

「あぐっ……!」


 真神が顳顬に血管を浮かせながら、ムクロを蹴っ飛ばす。小さくて軽い体躯は宙を舞い、拘束具のついた壁へと勢いよく激突した。


「バケモンが一端の理論を語るな。お前こそ、俺を語る資格なんざねぇよ」

「……っ、だとしても! あの人を馬鹿にすることだけは許せません!」


 蹴られた腹を抱えて、苦悶を滲ませる声で反論するムクロ。その首を掴んだ真神は、ムクロを持ち上げて壁に叩きつけた。肺から空気が一気に吐き出され、ムクロは一時的な呼吸不全に陥る。


「ぁ、かっ」

「罪人が何を許すって? お前は許す側じゃなく、赦しを乞う側だ。何を許可する権限もありはしねぇよ」


 手足が冷たくなる感覚。久方ぶりに感じた圧倒的な恐怖に体が震え上がっている。なんたって、目の前の男はやろうと思えばいつでもムクロを殺せるのだ。


「あの人はっ……優しいからっ……!」


 窒息の息苦しさを振り払うように大声を上げるムクロ。首を掴んだまま微動だにしない真神を睨んで、ムクロはありったけの感情をぶつけた。


「罪のない人を殺すことにずっと苦しんでいます……でも、どんなに苦しくても絶対に逃げないんですっ……」

「……」

「どうしてか分かりませんでした。辛ければ逃げればいい……私は、一生をそうして過ごしてきましたから」


 思い返せば、逃避の日々だった。良好な関係が結ばないと勘づけばすぐに逃げ出し、二度と会わないように願いながら、それでも無謀な旅を続ける。


「あの人は逃げない……自分が逃げたら、必ず他に苦しむ人が生まれてしまうから!」


 逃げなかった理由は単純明快。自分がやらなければ、その役目は誰かに回ってしまうから。そうなれば、誰も幸せになんてなれないから。


「──」

「決して逃げなかったあの人みたいに! 私も、絶対に逃げない……っ!」


 そう言い切ると同時、ムクロは骨の尻尾を生み出して真神へ叩きつける。

 対する真神は驚異的な反応速度で刀の鞘を使って防御し、大きく後ろに跳んだ。戦闘体勢に移ったと判断して抜刀の構えをとる真神に、ムクロは噎せ込みながら、転がっていた小刀を不器用に握り、真神にその剣先を向ける。


「貴方が彼を理解しなくてもいい! 私が彼を認め続ける!」


 そうだった。彼に罪咎因子を渡したのは、自分が死ぬためではない。彼と共に生きるためだ。


 だから、まだ死ねない。


「私が終わる場所はここではありませんッ!!」


 今度は逃げない。不朽の身でなかろうと、この命が尽きる時まで真神と戦う。

 勝ち目がなくても関係ない。それが、彼の隣に並び立つということなのだから。


「もういい。死ね」


 そう言うと真神は体から赤雷を迸らせる。ムクロに自害する気がないと分かったからだろう。赤雷の凄まじい熱量により空間がひずむのを感じ、ムクロはその威圧感に息を呑む。これほど強力な異能、しかも近距離。ムクロが彼の放つ絶死の一閃を防げる道理はない。


「『雷光一閃───」


 特注の鞘の中に異能によって高電圧を発生させ、生み出した磁界によって刀身を弾き出す。超電磁砲レールガンと同じ原理で絶速で抜かれた刀身が異能によって雷霆の力を帯び、その抜刀の軌跡を赤雷が駆けることで完成する防御不可能の斬撃。

 射線上に存在する物体を溶断、プラズマ化させるほどの熱量を持った、真神の生み出した奥義である。

 それが放たれれば、ムクロに勝ち目はない。けれど、骨で真神を攻撃する暇もない。死を覚悟したムクロが目を瞑る、その時だった。



「───ぅおおおおおおおおおおおッ!?」



 真神の背後にあるガラスが盛大に割れて、とある人物が部屋の中へと転がり込んでくる。


 特務課の白い戦闘服を着た、ムクロが到来を切望していた人物。

 咄嗟に反応した真神が体勢を変え、背後へと刀を一閃する。放たれた斬撃は射線上の建物は勿論、空気すらも溶断して莫大な熱量を生み出し、すんでのところで回避していた彼の体を電雷と爆風で吹っ飛ばした。


「ぬぉ?!」

『ちょっ……馬鹿! ちゃんと回避してヨ!』

「無茶言うな! 避けられただけ奇跡だっての!」


 壁に激突した彼は、唖然とするムクロの手を引っ張って、真神の横をくぐり抜けて割れたガラスの向こうへと飛び出す。

 空中に投げ出された二人の体は緩やかに重力に従い、地面へと落下していった。握られた手の先で、ムクロは彼と目が合う。そこにあったのは、ムクロがこの世で一番大好きな笑顔。



 もう二度と見ることは叶わないと思っていたから。けれど、こうして会うことが出来て、彼と会えて、その温かい手を握れたから。



 ムクロは眦に一杯の涙を溜めて、大きな声で彼の名前を呼んだのだ。



「───ミカゼっ!」



 再臨を果たした黒髪の少年は、ムクロの呼びかけに笑って答えた。


「あぁ───ただいまっ!!」




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