Ep.28 共犯者の約定
温かい水の中を揺蕩っているようだった。
鉛のように重い体は沈むかに思えたが、案外そうでもなく、水面が見える位置で浮かび続けている。このまま水の中に溶けしまおうか、とぼんやりと思っていた思考は、次の瞬間に強制的に呼び起こされる。
というのも、水面から現れた白い物体が気泡を伴って、落ちてきたのだ。輪郭は曖昧だが、それが何かはすぐわかった。
───骸だ。
落ちてきていたのは骸骨だ。
最初は一つだった骸骨が、次々に水面から投下されては落ちてくる。ゆっくりと、下に落ちていくのだ。緩やかに、穏やかに。しばらく悠然とした骸骨達の様子に目を奪われていると、ふいに背中を何かに押されたような気がした。そして揺蕩ってばかりだった体は水面へ急激に浮上し、やがて水を突き抜けて外気のもとに晒される。
「げほっ……」
肺の中に溜まっていた水を吐き出して、辺りを見回す。どこまでも暗く、何もない空間だ。しかし、光源が無いわけではない。頭上から一筋の光が、水で濡れていた体を覆うようにして降り注いでいる。理外の光景に呆然としていたところで、やがて水面から大きな物体が現れる。
水を掻き分けるようにして出現したのは七体の巨大な骸。その全てがこちらに向かって祈るようなポーズをしていた。と、そこで地面を見て、足元が花のように重なり合ってできた手骨によるものだと気づく。背中を押したのもおそらくこれなのだろう。
『祈りを』
一体の骸が、カタカタと顎骨を鳴らして語る。
『願いを』
また別の骸が、ひどく不細工な声で喋った。
『救いを』
一言につき一体ずつ、話す骸が横にずれていく。
『かの白き骸の姫に奏上す』
崇拝の形は全く損なわず。
『贖罪は永遠では非ず』
祈祷の姿勢は決して崩さず。
『問おう。汝の在り様を』
そして、目の前の骸が最後に告げた。
『かの貴き御方の罪咎を、共に背負う覚悟はあるか』
その言葉が何を意味するのか、何となく分かる。そして、自分が──橘海風が、何を誓うべきかも。
「誓う。この命の限り、彼女と共に歩み続けることを」
自分でも驚くぐらいに声がはっきりしていた。まるで、明瞭で確固たる意志を象徴するように。
『約定は為された』
その誓約を以て、橘海風はこの世で最も罪深き存在に至る。
『『『『『『『その身に相応しき罰を』』』』』』』
海風は斯くして、ムクロの犯した罪を贖うために再誕を果たしたのだ。
*****
「───はぁっ!」
突如として意識が覚醒して、海風は上体を跳び上がらせた。肩で息をしながら、『怪物』の旅の遍歴を思い返す。
(あれは……夢? でも、夢にしてはリアリティがあって……)
それに、『怪物』の正体に心当たりがあった。であればこそ、あの夢は夢でないと確信できる。あれは『怪物』こと、ムクロが生きてきた記憶だ。
「おっ……」
「「『起きたぁぁぁぁぁあああああ?!』」」
「うわ何びっくりした!?」
真横から3人の絶叫が聞こえたので、そちらを向く海風。そこには愛逢月とサニンフラ、そしてお馴染みの黒い球体があり、全員が海風を見て腰を抜かしていた。海風の反応を見て真っ先に反論したのは、球体を通じて会話するグノーシだ。
『びっくりはこっちのセリフだってのッ! こっちの気も知らないで勝手に死んでっ……グノちゃんがどれだけっ……!』
「グノ……そっか、俺、親父に撃たれて」
グノーシの言葉で死ぬ前の記憶を思い出した海風は、起きてしまった惨劇を冷静に分析する。『剛腕の咎人』グランザムとの戦闘で消耗した後の真神による襲撃、そして不意打ちによって心臓を撃ち抜かれた海風は致命傷を負い、彼らから逃げる最中で真神が──
「……まさか、『仇人』だったなんて」
「信じがたい光景だったね。あれほどまでに理性的な行動に徹底できる『仇人』なんて見たことがない。あの状態についてどう考える、グノーシ君?」
真神が『仇人』であったという事実を前にして、愛逢月は額に汗を浮かべながらグノーシに意見を求める。
『……仮説はある。『仇人』が異能使用時に罪咎因子に応じた欲望を発現させて暴れるのは知られた話だけど、もしも……その罪咎因子を抑えられるほどの強い理性を持っていれば?』
「まさか……ノーリスクで異能をコントロールできる……?」
「いや、そんな馬鹿な! 大体、理性が強いって人間ならいくらでも見てきたろう! それでも『仇人』になれば大なり小なり理性を失うものだ! けれど、真神局長にはその片鱗が全くと言っていいほど無かったぞ!?」
グノーシの仮説に悲鳴のような声で反論する愛逢月だが、グノーシはその反論にさらに仮説を重ねた。
『並大抵の理性じゃダメだ。合理性があるなら、何の躊躇いもなく息子を撃ち殺せるぐらいの鉄の理性じゃなれば、ネ』
「……正義、か」
それは、真神がよく信条として掲げているものだった。合理性の塊のような男である真神が自身の行動理念とする、大衆を救うための些細な犠牲は致し方ないと完全に割り切る非情さの根源だ。
「あり得る。あの超人なら……あ、でもそっか。あの功績も、本人が『仇人』だったから出来たものなのか」
「……そうだね。罪咎因子によって齎される身体能力の向上、それもあれほどの高出力を持つ異能だ。超人と呼ばれるほどの身体能力を獲得していても不思議ではない」
唯の人間にしては異常なほどまでの身体能力を持っていても、いつしか実績が彼の人間としての実力を裏付けていた。誰も真神が『仇人』だと考えないし、真神だから、真神ならあり得る、と思考を停止するだろう。
『海風。その……ムクロのことなんだけど』
「分かってる。親父に連れ去られたんだよね」
「私達も彼と戦うのは避けるべきだと言ったんだ。けれど、あの子は真神局長に立ち向かい……そして負けた」
仮にも真神が『最強の咎人』と称したムクロだ。その彼女が負けてしまった理由に、海風は心当たりがある。
「たぶん、これだよな」
破けた服から覗く左胸の肌を見て、海風は確信する。真神に撃たれたはずの心臓が再生していた。それだけではない。失ったはずの右眼、そして右手もだ。体の再生、いや、保存と言った方が正しいか。これの正体はまず間違いなく───
「『不老不死』の異能」
『骸の咎人』であるムクロが有していた異能の一つ。それが海風の身に宿り、死んでいたはずの体を蘇らせたのだ。
「やはりそうなんだね。しかし、どうしてムクロ君の異能が君に?」
『……その顔、理由は分かってるんだネ?』
こくり、と頷いた海風は再生した右手を開閉しながら、夢の終わりに見たあの光景を思い出す。七体の骸に囲まれ、海風の覚悟を問われた場所。あれが決定的な証拠だ。
「俺は、ムクロの罪をどんなことがあっても共に背負うと誓った」
それは生涯をかけての契約であり、違うことを許されぬ約定。
「あの子の傍らで贖罪を続ける覚悟。それを決めたから、俺はあの子と一生一緒にいるための異能を授かったんだ」
罪咎因子によって擬似的に背負わされる『罪』という概念を共に背負い、贖罪をするという決意の下で、罪咎は分たれた。屍を操る異能を少女に、不老不死として存在を永続させる異能を少年に。
そう。異能が二分されたのだ。
「……罪の共有」
『嘘……もしかして、罪咎因子を分散させたの?! そんなこと出来るだなんて、聞いたことも……!』
「俺もなかったよ。けど、実際に出来てしまった。そして、これこそが親父の思い描いていた計画だったんだ」
ムクロから不老不死の異能を奪い、第三者に分与させる。それこそ、真神が考えていた『ムクロの殺し方』だったのだ。正確には殺し方の内の一つでしかないのだろうが。
今、ムクロは骸骨を操る異能しか持っていない。『最強の咎人』の名の成立は二つの異能があることが前提なのだ。元々、ムクロの異能はあれだけの高出力の異能を持つ真神とは相性が悪い。ごり押しタイプの異能には弱いのだとグランザムとの戦闘で判明したばかりだ。そうなると、真神はやはりムクロを殺せてしまうことになる。
だが、分からないのは真神の動機だ。何故ムクロを殺そうとするのか、海風には正直見当もつかない。計画の周到さを見るに、一朝一夕で考え付いたものでは無く、何年、いや下手すれば何十年も前からムクロの殺害を仕組んでいたのだ。異常なまでの執着である。
『……動機については考えても仕方ない。いま真神の経歴を洗ってるところだけど、
これだけの情報じゃ推測の域を出ないし。ただ、一つ確認はしておく』
グノーシが海風にカメラを向け、機械を通じた音声で問い掛けた。
『───ムクロちゃんを助けるつもりなんだネ?』
「……!」
その質問の意図が分からないほど海風も馬鹿ではない。
『この計画の首謀者は真神だヨ? 日本を牛耳る組織の上部に食い込んだ存在。それがムクロちゃんを殺そうとしてる。よしんば真神からムクロちゃんを救い出したとして、その後は?』
「ッ……」
「……国家から昼夜問わず追われることになるだろうね。国が地下深くに隠していた最終兵器なんだろう、あの子? なら、計画が失敗したからと野放しにするはずがない。全力を持って君たちを潰しにくるだろう」
愛逢月に指摘は最もだ。幸運にも真神に何とか勝ったとしても、この場を切り抜けた後に待ち受けるのは逃亡の日々だ。安寧は二度と訪れないだろうし、捕まれば想像するのも憚られるような仕打ちが海風を苦しめるだろう。
『もう一回聞くヨ。……全てを敵に回しても、君はあの子を助けるつもりなの?』
再度投げかけられた質問に、海風が出した答えは───
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