Ep.27 原初の罪咎



 それからは地獄の日々だった。否、地獄というのも生温い日々だ。


 数年かけて極北の極寒域を抜け出し、そして少女の約束を果たすために、全てを捨てでも自分と過ごすことを選んでくれる一人を探し続けた。

 目的が人と巡り合うことなのだ、人の集まる場所に行くことが必然的に求められる。けれど、それは同時に迫害を受ける可能性の高い場所に向かうということ。運命の人に出会うために向かった先で、そんなことに専念する余裕もないほどに痛めつけられる、なんてことがあり得る。実際、少女を除けば村の人々は全員が怪物を疎んだのだから。


 けれど、二つの可能性を秤にかけて、運命の人と出会う可能性の方が遥かに低くても、怪物は人のいる場所へ向かった。一縷の希望に賭けて、怪物は人と触れ合い続けたのだ。


 しかし、結果は惨憺たるものだった。


 ある村では、不老不死を得られると噂されて肉を喰われた。

 ある町では、悪魔の使徒として拷問され、迫害の限りを尽くされた。

 ある都市では奇怪な生物として見せ物にされ、大衆の前で殺され続けた。


 痛かった。苦しかった。死にたかった。

 涙は出ないけれど、心は確実に死んでいった。それでも彼女の約束があったから、怪物は人の心を信じて流浪の旅を続けた。

 何度殺されようと、何度食われようと、何度甘い言葉で嘯かれ、裏切られ、心が傷つこうと。

 それでも、どこかに希望はあると信じたくて。


 だから、そんなことを繰り返して。


 繰り返して繰り返して。


 繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して。


 繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して───















 長い放浪の時が過ぎた。数百年は経ったはずだ。

 怪物がそれだけ旅を続けようと、その身が救われることはなく、少女との約束が果たされることはなかった。誰も怪物を愛さなかったし、一部の奇人が怪物を好こうが、周りからの圧力があればすぐに怪物を見放した。

 蔑まれ、謝られ、捨てられ。それは、この極東の地でも同じだった。妖怪と言われて斬り殺されたり、見せ物として飼われたり、飢饉があれば食糧として使われたり。結局のところ似たり寄ったりだ。


 だから、もう疲れてしまった。心も擦り切れて、何も感じなくてしまったのだ。少女には申し訳ないが、ここらが自分の限界だと考えた。


「……どうせ、この身は滅ばないのでしょうが」


 少女は噴火したばかりの活火山の火口の側に立ち、溶岩の湖の中に視線をやった。

 人の噂でここの火山は頻繁に噴火するので、村の人間も中々近づかないと聞いたことがある。それが理由でここを選んだ。


 ここならば、もう誰かに見つけられることもないだろうから。


 怪物は火口の際まで歩み、最後の一歩を踏み出す。




 私を傷つけた沢山の人たち。


 私は、貴方たちを恨んだりしません。


 私から貴方たちに近づいたことが気に障ったのなら申し訳ないです。


 でももう、私は貴方たちに近づいたりしませんから。


 だから、二度と私を見つけないでください。


 このままずっと、誰にも見つからない場所で静かに眠らせて欲しいのです。




 そして、怪物は溶岩の中に身を投げた。

 灼熱の風で背中が燃えていくのを感じながら、怪物は顔を歪める。長い年月、形骸化した約束を果たそうとする中で、自分に生まれていた一つの願望すら叶わないことを知ったから。


「一度でいいから、また誰かと一緒に眠りたかったな」


 そんな呟きは、業火の中で跡形もなく焼き払われた。




 ∞∞∞∞∞




 怪物が旅したことで、世界の人々には知らず知らずの変化が起きていた。

 その異変は誰にも気づかない形で、けれどひっそりと刃を隠して、欲望のままにその肉を食らった罪深き人間の血統であることを証明していた。

 不滅の存在が持つ内因子もまた、同じく不滅。何十世代、何百世代経ようと、薄まることこそあれど無くなることはない、不朽の因子。その因子によって引き起こされた内部での変化──遺伝子の突然変異。

 その遺伝子がコードした因子の名こそ、人々の潜在的な罪の証、罪咎因子であった。

 その因子は表面化することこそなかったが、その沈黙は一つのきっかけを皮切りに破られることになる。

 2030年8月8日。地質調査に来ていた研究員達が山の中に出来ていた洞窟を発見し、興味本位でその奥へと歩みを進めた。そしてその最奥で土に埋まっていた存在を、呼び起こしてしまったのだ。

 悲嘆の眠りから強制的に目覚めさせられた怪物は、人の姿を見た瞬間にどうしようもなく絶望した。


 ───静かに眠ることすら、貴方達は許さないというのですか。


 自分から繋がりを絶ってあげたのに。

 それでも怪物を求める、その強欲で傲慢で、嫉妬深くて色欲に塗れた猛り狂う悪食の人間達に、怪物は今まで感じたことのないような黒々とした感情を覚えた。


 よくも、この眠りから醒めさせたな。罪人の分際で私を絶望させたこと、決して赦さぬ。


『ああああああああああああああああああああああッッッ!!』


 そして、白き怪物の姫の号令を以て、人々の中にある罪咎の因子が覚醒する。それはやがて『仇人』や『咎人』の所有する異能として表面化し、彼らは遠い先祖が犯した罪の清算を強制されることになったのだ。


 その時、怪物に科せられた罪咎因子の名。

 それは、人々に自らの肉を与えてしまった、罪の味を教えてしまった、その赦されざる罪を示していた。




 罪咎因子『原罪オリジン』。




 それこそ、怪物ことムクロが背負った原初の罪。

 そして───世界に『仇人』と『咎人』を生み出してしまうきっかけとなった、災厄の罪の名だった。




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