Ep.27 月明かりは冷ややかに


「はあっ……はあっ……っく」


 もつれそうになる足を必死に動かして、ムクロは森の中を走っていた。肩に脱力した海風を背負ったまま、真神から逃げるために。


「こっちだ! 急げ!」

「っ、はい!」


 合流した愛逢月はムクロを先導しながら、額に手を当てて芝居掛かった喋り方をする。


「あぁ、なんて数奇な運命なんだろうね! 仲間だったはずの人間が黒幕で、その惨劇の中で愛するバディと死に別れるとは! まさに悲劇だ!」

「……まだっ、ミカゼは死んでいませんっ……まだっ……」


 そう言って顔を歪めるムクロを尻目で捉え、愛逢月は先導していた足を止める。


『何してんの! 早く逃げて!』


「いや、ここまでだ。死に体の人間一人を連れて逃げるのはこれが限界だよ」


「それは、どういう……」


 観劇の主人公気取りの話し方をやめた愛逢月は、真剣な顔でムクロを見つめた。


「ここで彼は置いていけ。もう連れては逃げられない」


「な……なにを」


「……その子は、もうとっくに死んでてもおかしくない怪我だ。まだ生きているのが異常なくらいだよ。でも、そろそろ限界だ」


 ちら、と肩に背負われる海風の状態を見て、愛逢月は少し目を伏せる。


「時間はあまり無いが……警戒はしておく。ここでお別れをするんだ」


 サニンフラを連れて離れていく愛逢月を呆然と見送ると、インカムからグノーシの声が入ってくる。


『……お別れをしよう。ムクロちゃんだけでも逃げなきゃ』


「ぐ、グノーシ様はそれでいいのですか?! ミカゼの命を、そんな簡単に───」



『いいわけないだろぉっ!』



 グノーシが初めて出した悲痛な叫び。ムクロはもちろん、きっと海風すら聞いたことがないはずだ。グノーシの豹変っぷりに肩を震わせたムクロを置き去りに、グノーシは独白をする。


『……ずっと、側で見てきたヨ。あの子が公安に入る前から、ずっとだ。ムクロちゃんが思うよりっ……私自身が思うよりっ……私は、海風のことを大事に思ってた!』


「……グノーシ様」


『けど……私は死に目にすら立ち会うことができない。一人だけ安全な場所で映像で見ることしかできないんだ』


 外に出ることができないグノーシの悲壮な声にムクロはかける言葉が見つからなかった。


『お願い。あなたが看取ってあげて』


「───……分かり、ました」


 グノーシの頼みに流石に頷き、海風の体を木にそっと置くムクロ。もう殆ど息をしていない海風の状態を再確認してしまい、ムクロは視界が再びぼやけ始めた。


「……ミカゼ」


 もう意識すら残っていないであろう彼に、ムクロは優しく声をかける。聞こえていなくてもいい。この胸に燻る想いを告げられるだけでいいのだ。


「ミカゼ」


 もう目を醒まさない彼に、せめてもの感謝の言葉を。


「私は……ミカゼに出会うまで、ずっと寒かったんです」


 思い起こすのは、長く苦しい、迫害の日々。

 行く先々で捕まり、罵られ、虐げられてきた悲痛な記憶。どれだけ生きてもその繰り返しで、自分の心はとっくに壊れたと思っていた。

 けれど、この胸の奥では、捨てきれなかった最後の願いがいつまでも燻り続けていたのだ。


「あなたが全て叶えてくれた。日の差す世界も、心優しい人々との出会いも」


 ねぇ、ミカゼ。

 私は、あなたの救いになれたでしょうか。

 罪なき人々を殺し続けて心を痛めていたあなたを、少しでも支えてあげられていたしょうか。


 ……もう、あなたは応えてくれないけれど。

 少しでも伝えたいから、言葉に出そうと思います。


「私に新しい世界を教えてくれて、ありがとうございました」


 ありがとう。ありがとう。ありがとう。


「私に温もりをくれて、ありがとうございました」


 海風の顔に手を添わせ、割れ物に触るような慎重な手つきで頬を撫でる。


「私を……こんな、罪深い私を好きになってくれて、ありがとうございました」



 海風の血に濡れてしまった顔に、自分の顔をゆっくりと近づけ、そして。




 そっと、唇を重ねた。


「大好きです、ミカゼ」




 大粒の涙を流して、ムクロは微笑む。


 両目を瞑って眠る彼の顔を数秒見つめ続けて、やがてムクロは立ち上がった。


 最愛の人を殺した男を、殺すために。






 *****


「一応聞いておこう」


 刀の鵐目に手を乗せて、真神は立ち塞がる少女に問いかける。今までの眠たげな顔ではなく、意を決した精悍な面持ちをした彼女へ、少しばかりの戯れとして。


「なぜ、戻ってきた?」


 なぜ逃げなかったのかと問う真神に、対峙する少女は堂々と答えた。


「貴方を倒すためです」


 は、と鼻で笑う真神に、少女は続けて訊ねる。


「分かっていたんですね」

「……何がだ?」


 自身の胸に触れて、少女は真神の計画の核心を理解した。


「こんなことが出来ると思っていませんでしたから。……結論から言うと、貴方の企みは成功しています」

「───ふっ。はははははははははっ!」


 真神は一度目を大きく見開き、そしてらしくもない大声を上げて、自身の賭けが成功したことを喜んだ。


「そうか。お前、?」


 コクリ、と頷いた少女は、「とはいえ」と次の言葉を紡ぐ。


「貴方に捕られるつもりは無いので。私なりに反抗させていただきます」


 背後から巨大な骸骨を何十体と生み出し、『骸の咎人』は『雷霆の仇人』に宣戦布告する。対して真神は眼鏡の位置を中指で直しながら、傲然と笑った。



「粋がるなよ、鈍間。罪人はとっととお縄に付いとけ」



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