Ep.26 有言実行


「ミカゼ……ミカゼっ……!」

「あはは。そんな顔しないでよ。別に死ぬわけじゃないし……づっ……」


 右腕に簡易的な止血を施して壁に寄りかかる海風。破裂した眼球はどうしようもないので、ガーゼを無理やり詰め込んで止血した。壮絶な痛みが伴ったのは言うまでもない。そうして血だらけになっている海風に泣きそうな顔で抱きつくムクロ。思えば、彼女が泣いている姿を見るのはこれが初めてだ。泣き笑い、とかも見たことがない。


「……さ、帰ろう。もう愛逢月さん達も脱出してる。俺達もそろそろ行かないと。あ、でも俺もう戦えないから、途中で敵に出会ったらお願い」

「……はい」


 ムクロが左肩を担ぎ、ゆっくりと研究所の廊下を歩いていく。襲撃を恐れていた海風だったが、それは杞憂に終わった。研究所内は人っ子一人おらず、閑散としていたのだ。海風達が戦ったせいで施設はボロボロで、あちこちに罅が入ってしまっている。発電設備をやられて真っ暗になった研究所を、海風達はかなり時間をかけて進み切った。


「……?」


 正面出口の近くまで来た時、海風は外からやけに強い光が差しているのを感じた。時間的にはもう暗くなっている時間帯なので、夕陽ではない。それに、光が白いのだ。明らかに人工的な光である。


「……あれ? あの人影……」


 光の中にぼんやりと浮かぶ人影に見覚えがあった海風は、残った左目でムクロにアイコンタクトすると、壊れていたガラスの自動ドアから外に出る。


「……やっぱり、真神局長ですか」

「あぁ、俺だ。どうやらお疲れのようだな」

「そりゃもう散々ですよ……右眼も右手も失くなっちゃいましたし。酷い目に合いました」

「若き死神でも死に目に合う、と」

「こんな時まで言葉遊びとか……キツイですって……」


 はは、と力無く笑う海風は、光の先を見て首を傾げる。


「局長。その人達、誰ですか?」

「あぁ、俺の私設部隊だ」

「私設……うわ、局長になるとそんなのも作れるんですね」


 全身を黒い強化外骨格スーツで包んだ男達が、真神の後方で半円状に並んでいた。その手にはアサルトライフルが携帯されており、臨戦態勢にあったことが分かる。ここの研究施設を叩きに来ていたのだろうか。だとすればグノーシが申請したに違いない。仕事の出来る奴だ。


「あ、通信……ちょっとすみません」


 インカムから雑音混じりに聞こえてきた通信に集中するため、真神から目を逸らす海風。


『やっと繋がった! 海風! 今どこにいるの?!』

「やっとはこっちのセリフだよ。繋がんなかったせいで大変だったんだから」

『いいから答えてヨ! 今どこ!?』


 やけに切羽詰まった様子のグノーシに怪訝そうな顔をする海風。事件は解決したというのに、何をそんなに焦っているのだろう。


「研究所を出たところ。真神局長が迎えにきてくれたから、局まではそれで帰るよ」

『───────真神が、そこにいるの』

「え?」


 明らかにトーンが下がったグノーシ。それは残念がるとか、そういうのではなく、例えるなら絶望したような声に近い。


『……お願い。そこからすぐに離れて』

「え? なんで?」

『ムクロちゃんに頼めば一瞬でしょ! いいから早く!』

「待てって! 何のことだかさっぱり分かんないよ! 説明してくれ!」


 そう海風が叫ぶと、グノーシが戦慄きながら答える。


『そいつだったんだ』

「? 何が?」







『その研究所の所長は! 真神嵐杜だったんだヨッッッ!!』






「……………え?」


 ゆっくりと顔を上げ、目の前に立つ真神を見た。ライトの逆光を浴びながら、微動だにせず立ち続ける真神。その表情は霞んだ視界ではよく見えない。



『全部ソイツが仕組んでたんだヨ! 『食人の仇人』の件もそう! 戸島綾香を操って人工的に飼い犬を仇人化させたのも! 戸島吾郎を公安特権で河原まで連れ出したのも!』



 話が分からない。彼女は一体、何を言っているのだ。




『それにっ……上層部を唆してムクロちゃんを海風と同棲させたのも───『骸の咎人』、のも、全部ソイツの思惑だったんだって!!』




 なに、を。


「相手はグノーシか」


「ぁ」


「チッ……もう気づくとは。流石と言いたいところだが、察しが良すぎるのも考えものだな」


「……ちょっと、待ってくれ」


「今、グノーシから聞いただろ。なら、そこの罪人を渡せ」


「待ってくれって!」


海風を置き去りに話を先行させる真神に、思わず大声で叫んだ。


「意味が分からないんだよ! あの殺人事件の黒幕だとか……ムクロを、殺そうとしてるとか! 大体、ムクロは不老不死でっ……殺せるものじゃないはずなんだ!」


 理解できない現状について散々喚き散らした海風は、真神からの否定の言葉が欲しくて、真神を見つめる。

 けれど、その仏頂面には何の感情も無かった。 

 淡々と、冷静に。悔しいぐらいいつも通りの、真神嵐杜の姿がそこにあったのだ。


「不老不死? 知っている」

「じゃ、じゃあ」

「それで? 俺が何の考えもなしにこんな行動を起こしていると?」

「な」


 メガネを中指で直す真神に、海風は言葉を失う。確かにその通りだった。真神のような計算高い人間が、勝算がない賭けに乗るはずがないのだ。


「本当に」「あぁ。殺す。『骸の咎人』は、俺が殺す」


「どうして」「言う必要がどこにある。お前は帰って寝ればいい」


「見殺しにしろって言うのか」「そうだ。そうしろ。俺に従え」


 真神が黒革の手袋を付けて、惨憺と言い放つ。


「これは命令だ。10秒内に『骸の咎人』をこちらに引き渡せ」

「───」


 真神は本気だ。本気でムクロを殺す気だ。どうやるのかは知らないが、絶対にやり遂げる自信があるのだ。


「ミカゼ。私は大丈夫ですから……」


 側から聞こえてきた彼女の声は少し震えていた。不老不死が絶対とは言え、真神の自信の持ち方からして裏があるのは確かだ。その得体の知れなさに恐怖するのも道理である。


「ミカゼ」


 ぎゅ、と裾を掴んでムクロは言う。ムクロの癖だ。嬉しい時に体が揺れるのも、励まそうとする時に袖を掴むのも、辛いのを我慢する時に目を細めるのも。全部、知っている。この一ヶ月で知ったのだ。彼女の可愛いところも、少し抜けているところも、天然っぽいところも、寂しがり屋なところも、温かいのが好きで寒いのが嫌いで──そして、とっても魅力的な女の子であることを。


「5」


 時間が迫る。選択肢がない。どうすべきか分からない。真神が本当にムクロを殺せるのか分からない。何が正しいのか分からない。

 何も、決められない。


「待ってください」


「3」


「っ、話を!」


「1」


「─────親父!!」



 パン。


 乾いた音が山中に響き、鳥や虫達が飛び立っていく。音に驚いたのだろうか。けれど、海風は全く驚かない。だってそれは、海風にとってあまりに聞き馴染みのある音だから。


「かふ」


 口から溢れる血を吐き出して、自分の胸を見る。元々血だらけだった服に、急速に血が滲んでいった。すぐに気管に血が溜まり、口から湧水のように血が溢れ出る。


「ぉ、ぼ」


 視界が歪んで立っていられなくなり、顔から地面に倒れ込む海風。鼻の骨が折れる音が聞こえるが、それももはや些事だった。


「……みかぜ?」


 地面に大きな血溜まりを作る海風に、ムクロは震える声で彼の名を呼ぶ。返事はない。彼は痙攣しながら土に自分の血を染み込ませるだけだ。




「心臓を撃った。もう死んでいる」




 真神が冷酷に言った。育ててきた息子が死んだというのに、全く気に病んでいない。それどころか、頬に飛んだ血を気にするだけだった。


「みかぜ。みかぜっ」

「死んだと言った。聞こえなかったか?」

「いやっ……みかぜっ……みかぜぇ…………いやぁぁぁ……」

「チッ。鈍間め」


 目尻から大粒の涙をこぼすムクロに侮蔑の目線を向ける真神。哀憫などない。状況判断の遅さに怒りを覚えるだけだ。


「とっとと来い。時間がない」

「いやっ、いやぁっ! ミカゼッッッ! ミカゼぇぇええええ!!」


 泣いてばかりのムクロの髪を乱雑に掴んで引きずる真神。今までにないほど大きな声で叫ぶムクロにうんざりとした顔をする真神には少しも意識を向けず、ムクロは地に伏せる海風に手を伸ばし続けた。


「うるせぇな! だから死んでるって───」


 振り返って怒鳴った真神。だが、結果的にそれは正解だった。そうしなければ、放たれた銃弾が頭蓋を撃ち抜いていたから。


「がっ……がぇぜ……」

「……ゴキブリ並みの生命力だな」


 膨大な量の血を体から流し続けながら立ち上がる海風に、真神は心底気持ち悪そうに言う。左手に持った拳銃からは硝煙が立ち昇り、それが真神を狙ったものであることが丸わかりだ。


「ミカゼ!」


 地面から骨を生やして真神を振り解くと、ムクロは海風に走り寄ってその体を支える。計画に妨害が入ってばかりなのに苛ついた真神が、後続の部隊に発砲許可を出した。


「ッッッ……! ぉ、おおおおおおおおおおおおおお゛ぉッッッ!」


 発砲される直前でムクロを抱いて部隊の列に突貫した海風は、火事場の馬鹿力というべき膂力で部隊の屈強な男達を突き飛ばし、包囲網を抜けることに成功した。


「何ボケっとしてやがる! とっとと撃ち殺せ!」


 真神の喝にハッとした隊員達がアサルトライフルを構えるが、彼らの足元から生まれた巨大な骸骨によってそれは中断される。


「なっ、なんだ?!」

「落ち着け! 異能で操られた骨だ!」

「冷静に対処しろ! 距離を取れ!」


 途端に混乱し始めた部隊を置き去りに、海風達はなんとか林の中に入り───



「『雷霆弾ケラヴーノス』」



 その一言と同時、鼓膜を破りそうなほどの爆音を伴って網膜を焼く赤い光が迸り、暴れていた骸骨が一瞬で炭と化した。


「え?」


 背後で起こった怪現象に理解が追いつかないムクロの視界に、目を疑うような光景が映った。骸骨を焼き払うほどの熱量を放っていたのは武器などではなかったのだ。それが一目瞭然だった。


「なぜ……人間の貴方がっ!」


 腰に帯刀していた刀剣を抜いて立っていた真神嵐杜。


 その周囲に、凄まじい量の赤雷が迸っていたから。


「簡単だ。


 真神と骸の間にあった護送車に向け、真神が居合の態勢を取る。そして、先程と同じように一言。


「『雷光一閃アストゥラピ』」


 俊速で抜かれた刀身に纏われた赤い閃光が雷鳴と共に空間を切り裂き、護送車とその後方にあったの木々をまとめて真っ二つにした。ロングレンジの抜刀術。それはもはや、人間の領域ではない。


「嘘……『咎人』……!?」


 これは異能だ。真神は間違いなく異能使いである。その証拠に、真神は首の周りに雷を模した黒い紋章が浮かんでいたのだから。


「惜しいな。俺は『咎人』じゃない──『仇人』だ」


 その告白にムクロは絶句するしかない。『咎人』のような体の異形化は確かに起きていない。しかし、『仇人』というには理性的過ぎるだろう。ムクロの知る『仇人』は理性を失い、本能のままに暴れ回る姿をしていた。しかし、真神にはその傾向が一切見られない。


「信じられねぇだろうな。だが真実だ。訳ありなんだよ」


 話は終わりだ、と言わんばかりに納刀し、先ほどと同じような居合の姿勢を取る真神。それを見てムクロは遮蔽物として数多の骸骨を生み出し、自身は瀕死の海風と共に森の中への逃走を図った。


「無駄だ、鈍間が」


 そして放たれた一閃が空を滑り、雷電を帯びた太刀筋が拡散、射程範囲にいた存在を全て焼き切る。それはもちろん逃げるムクロも例外ではなく、その体は半分に溶断された。地に伏せったムクロの死体を確認するため、真神は体から放電を続けた状態で近寄る。

 しかし、いつまで経っても再生が行われないムクロの死体を見て、真神は悪態をついた。


「チッ……愛逢月、いやサニンフラか。アイツらも排除対象だな」

「え? 死んだんですか、コイツ?」

「馬鹿言え、幻覚だよ。『譫妄の咎人』の異能だ。香りが抜けるまでは待機しろ。奴の香りの効果時間に攻めるのは危険だからな」

「局長は追うんですよね。我々は?」

「護送の準備だ」


 それは真神が二人を追ってムクロを捕まえて戻ってくるという前提の下で成り立つはずの会話なのだが、隊員と真神本人はそれを微塵も疑ってなどいなかったのだった。






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