Ep.23 馨る死臭


 愛逢月達と分かれて別行動を開始した海風達は、グノーシの指示の元でグランザムの居場所へと足早に向かう。


『まずい、グランザムが燐葉の方に向かってる。このままじゃ鉢合わせになるヨ!』

「っ、今すぐ向かう! グノ、ナビゲーション頼んだ!」


 迷路のように入り組んだ研究所内を進み、監視カメラをクラッキングしたグノーシが海風達をグランザムのいる方向へと誘導した。移動すること5分、ようやく待ち望んだ、しかし会いたくなかった相手に遭遇することになった。


「! あれが……!」

『間違いない。ソイツが『剛腕の咎人』グランザムだ!』


 遠目で視認して、海風は全身が震え上がった。

 巌のような体躯、肩から生えた四本の腕、顔に浮かべた不敵な笑み。かなり遠くにいるはずなのに、足音がここまで響いてくる。グランザムの筋肉量によってこのフロア全体の床が軋んでいるのかもしれない。見ただけで分かる圧倒的な強者のオーラ、そして彼と今から対峙せねばならないという緊張感。濃密な死の気配に晒され、海風は全身から湧き出る汗を感じていた。

 分かる。あれは間違いなく怪物だ。触れてはならないタイプの存在だ。今すぐに逃げるべきだ、と脳味噌が警戒信号を出す中、ふと隣に並び立った存在に気づく。


「ムクロ……」


 ぎゅ、と海風の服の袖を掴んだムクロに、海風は思わず笑みを零した。これは彼女なりの励ましなのだろう。


(そうだ。別に戦うって決まったわけじゃない)


 グランザムと戦うのは義務ではない。海風達の目的はグランザムを愛逢月達から遠ざけること。戦う必要は全くないし、そもそも初っ端から戦うのはグノーシから禁止されている。


「行こう」

「はい」


 覚悟を決めて、グランザムに走り寄っていく海風達。気づいたグランザムがこちらを向くと同時、海風が声を張り上げた。


「グランザム氏! こちらにおられたのですか!」

「あぁ? 誰だお前ら」


 腹の底に響くような図太い低音。冷や汗が服を濡らす中、グノーシが言う内容をグランザムに伝える。


「所長がお呼びです。積もる話があると」

「はぁ? めんどくせぇなぁ……」


 ガシガシとドレッドヘアーを掻いたグランザムが身を翻すのを見て、ほっとした海風。これで時間を稼げる、と安堵したのも束の間、グランザムがこちらを振り向いて話しかけてくる。


「おい、待て」

「!」


 怪しまれたか、と警戒態勢をとった海風に、グランザムは腰に手を当てて宣った。


「所長室ってどっちだ。案内しろ」「……え?」





「よし、これだな。グノーシ君、終わったよ」『おつかれ。じゃあ研究所から脱出して』


 機密の書かれた紙の文章に目を通して、愛逢月はグノーシにタスクの完了を告げた。催眠した研究員で遊んでいるサニンフラに声をかけて、部屋からの撤退をしようとした愛逢月。


「おっとと……落としてしまった」


 机に足をぶつけた衝撃で落としてしまった書類を拾い上げ、元の位置に戻そうとした愛逢月は、何となくその書類に目を走らせてしまった。


「これ、なんの書類……………………」


 思考が止まった。


 そこに書かれていたのは、目を疑うような事実。こんなものを誰に伝えようが、絶対に信じてもらえないであろう内容だ。愛逢月も信じたくはない。しかし、実際問題として目の前に存在している。


「馬鹿な。こんなことが」


 これが本物なのだとしたら、と考えるだけで、愛逢月は目の前が真っ暗になる。しかし、本物なのは見ただけで理解できた。だとしたら、だとしたら、それは───


「グノーシ君! 聞こえるか!」

『?! な、なに? 聞こえてるけど───』

「今すぐ海風君達を撤退させろ! 有無は言わせるな、今すぐだ!」


 芝居掛かった演技も捨て、冷静さを失った愛逢月は大声でグノーシに言い放つ。





「グノ。次はどっち?」


 グランザムに案内を申し付けられ、所長室までのルートをグノーシに聞いていた海風。次の進路をグランザムに聞かれないよう訊ねるが、何故か応答がない。何度か話しかけてみるが、一向に返事が返ってこないのだ。


「機材トラブル……?」


 グノーシに限って、通信を遮断されるということはあるまい。であれば、機材トラブルのせいだと考えるのが妥当だが、タイミングが最悪だ。背後に巨人の足音が付いて来るのを感じながら、海風は必死に頭を回して解決策を生み出そうとする。


(しょうがない……こうなったら、どこかのタイミングでグランザムを撒くしかないか)


 やりようはいくらでもある。幸い、グランザムは海風達が研究員でないと気づいていないので、適当なところに案内してしまえば──


「なぁ、ひとつ聞かせてくれよ」

「っ……はい、なんでしょう? グランザム氏」

「お前ら、研究員コードを言え」

「……………!!」


 まずいことになった、と海風は焦る。

 グランザムが海風達に疑いを持っている上に、研究員コードなるものを聞いてきた。そんなものはグノーシから伝えられていないし、グノーシに聞こうにも通信が悪くて会話できない。


「……あぁ、あれですよね! 研究室に配属された時に伝えられたアレ! 聞いてはいるんですけど、なにぶん新入りなもので……まだ覚えていないんです」


 海風が出した結論は、何となくグランザムの話と合わせること。変にしらばっくれるより良い、と思ったのだが、果たして。口から心臓が出そうになる海風に、グランザムはゆっくりと口を開き。


「──へぇ。新入りか! 通りで見たことねぇ顔だと思ったぜ!」

「あはは、そうなんですよ!」


 あっぶねぇぇぇぇえ!と内心で絶叫する海風は、何とか作り笑いでその場を乗り切ろうとする。どうやら海風の反応は間違っていなかったらしい。緊張で確実に寿命が縮まった自覚がある。

 今度からグノーシに事前情報を全部聞き出しておこう、と固く心に決めた海風。そして、背後で立ち止まるグランザム。




「まぁ、研究員コードなんてもの存在しねぇんだけどよ」




 嵌められた、と気づくより先に、体が動いていた。

 ムクロの頭を掴んで押し下げると共に、何とか姿勢を低くした海風。その頭の上を、台風が過ぎ去った。それの正体はグランザムが降った腕による風圧である。一瞬遅れて研究所の廊下には壮絶な破壊が齎され、壁や天井がめちゃくちゃになった。


「〜〜〜〜〜っ?!」


 目の前で起きた破壊に目を剥き、ムクロを引っ張って咄嗟に壁の向こう、現れた広い部屋へと転がり込む海風。実験用机や実験道具が置かれた広い空間で、高さ以外は体育館に匹敵するほどの大きさである。


「クソっ…… グノ! グノーシ! 頼む、返事をしてくれ!」


 耳元のインカムを抑えて叫んでも、グノーシは返答しない。ノイズ混じりの音が流れているだけで、海風の望む答えは返ってこなかった。グノーシが許可を出さないと、ムクロの異能が使用できない。『首枷』が起動しているので、骨を一つでも生み出せば即爆発してしまう。首と胴が泣き別れだ。


「ハッハァ! マジかよ、今の避けんのか! お前タダもんじゃねぇな!」

「お褒めにあずかり光栄です……って、ぬお!?」


 苦笑した海風に、グランザムが引っこ抜いた机が投げ飛ばされてくる。飛び込むようにして何とか躱した海風に、グランザムは更に上機嫌になった。


「いいな、お前! 久しぶりに楽しめそうじゃねぇかよぉ!」

「っ……戦闘狂バトルジャンキー……!」

「おお、そうだ。俺は殺し合いにこそ生き甲斐を見出す。それが俺の罪咎因子だからな」


 四本の腕を広げて、鷹揚と語ったグランザムは、口端を吊り上げて海風を睨む。


「さぁ、やろうか。人間の身でどこまでやれるのか、見せてもらうぜ!」

「……待った。その前に一つ、頼みがある」

「あ?」


 現時点でグランザムと戦う場合、どうしても海風の脳内によぎる懸念点が思考を邪魔する。敵に要望するなどおかしな話だが、グランザムは戦闘狂だ。だから、戦闘を理由にすれば譲歩を引き出せると考えた。


「俺が全力で相手する。だから、その子に手を出すな」

「……ミカゼ? それは──」

「あぁ? そこのガキか? まぁ、お前が愉しませてくれてる間は手をださねぇよ」


 ムクロの矮躯を見て明らかに興味を無くしたグランザム。今のムクロは一般人の見た目をしているので、『咎人』だとは気づかなかったらしい。海風を止めようとしたムクロを無視して、実験台の上に立った海風はグランザムに向けて疾走した。



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