Ep.20 『電脳の咎人』
「橘海風……はい、確認できました。どうぞお入りください」
「ありがとうございます」
警備員に公安局員証を見せ、廊下の先へ進むことが許可される海風。金属扉の前に立ってしばらくすると、扉は重厚な音を立てながら開いていった。埋め込み式のシーリングライトだけが照らす無機質で殺風景な廊下を、海風は一人で歩いていく。その道中で声紋認証、虹彩認証、指紋認証、歩容認証など、数多くの個人識別審査を受けることになり、ヘロヘロになりながらようやく目的地にたどり着いた。ただお土産を差し入れるだけだというのに、えらく時間がかかってしまったものだ。
「ま、匿ってる人物の重要性を考えたら当たり前なんだけどさ……」
今までの扉とは一風変わったド普通のドアを数度ノックして、中にいる人物からの返答を待つ海風。数秒ほどで「どうぞー」との声が聞こえたので、遠慮なく扉を開けて中へと入る。そこは海風の部屋の数十倍はある二階建てのフロアだった。壁には縦長の直方体の機体に入ったコンピューター達が所狭しと並べられており、全体的に暗いフロアを照らすのはあちこちに設置されたパネルから放たれる青白い光だ。四方八方からファンの排気音やコンピュータの電子音が聞こえてくる中、海風は視界の中にいない目的の人物に向けて声をかける。
「おーい、グノー。お土産持ってきた───」
そう言って中に一歩足を踏み入れた海風の足元から、ピコン、という小さな起動音が聞こえてくる。
「ん?」
音に反応して下を向こうとした海風だったが、それは叶わなかった。足元に設置されていた放電装置から凄まじい勢いで電撃が放たれ、海風の体を感電させたからだ。
「いびゃあああああああああああああああああああああッッッッッ!!???」
体の中をうねるようにして暴れまわる電撃によって海風が思わず手に持っていた土産を落とした瞬間、横から椅子に乗ったまま高速でスライドしてきた人物がお土産だけを落下直前にかっさらい、数メートル進んだところで急ブレーキをかけて静止した。床に煙の立ち上るブレーキ痕を残した張本人は、お土産を落としかけた海風に対して不満の意を述べる。
「危ないじゃーん。ちゃんと持っててよネ、大事なお土産が潰れたらどうすんの」
「誰のせいだ誰の! 死ぬところだったでしょーが!」
「死ぬわけないじゃん。誰が調整したと思ってんの? 天下のグノちゃんだヨ?」
倒れ込んだ海風の顔を上から覗き込んできた人物に、海風は苦い顔をして精一杯の抵抗をする。
襟足を胸元まで伸ばした金髪のウルフカットが特徴的で、上半身は黒のキャミソールに下半身はショートパンツを履く、マニッシュ系の格好をした女性。猫のように鋭い瞳孔を持つ切れ目は、対峙した人間に気の強そうな印象を与える。
自信家にして悪戯好きの悪魔系お姉さんという表現が相応しそうな、公安特務課解析部のエースを務める『咎人』。
「グノーシ……!」
通信機越しではない正真正銘の生のグノーシは海風の憎らしげな呟きに、なはは、と意地悪な笑みを浮かべるのだった。
「おっ、みたらし団子じゃん。大阪土産ってカンジだネ。ん、うまひ」
「早速食ってるし……」
大阪からの任務帰りに海風が買ってきた土産のみたらし団子を頬張りながら、グノーシは椅子の上で上機嫌にくるくると回る。みたらし団子が気に入ったのか、久しぶりの生の人間による訪問に浮かれているのか、真相は定かではないが。
「そんな風に食べてたら蜜が垂れるんじゃ……あ、ほら言わんこっちゃない」
箱から取り出してみたらし団子を食べていたグノーシが折角の蜜を垂らしてしまうのを見て、海風が溜息をつきながらハンカチを取り出す。
「んー? じゃあ拭いてヨ」
「えぇー……自分で拭けばいい、の、に」
グノーシが蜜を垂らした場所として指で示したのは、彼女のキャミソールから見える胸元だった。キャミソールに圧迫され、今にもまろびでてしまいそうな乳。彼女持ち前の巨乳が眼前に差し出され、海風は生唾を呑み込んだ。
ムクロも大きいには大きいのだが、それはあくまで彼女の小柄な体に比べては、の話だ。女性にしては身長が高く、スタイルも抜群なグノーシはまた別の破壊力を保持している。ムクロのをアサルトライフルに例えるのなら、グノーシのは迫撃砲だ。何を言っているのか分からないと思うが、実のところ海風も自分が何を言っているのかあまり分かっていない。
「ほーら、はやくー」
ほっそりとした長い脚を組み替え、グノーシが胸元を両腕で強調するようにして海風に迫る。これは
「……し」「し?」
ゆさゆさと胸を揺らすグノーシに、海風は脳内の神経を焼き切れそうな速度で働かせながら最適解を弾き出す。
「し、心頭滅却ッッッ!!」
「あだぁ!?」
結果、目を回した海風はハンカチをグノーシの胸元に叩きつける。ハンカチを投げつけられるという予想外の行動に出た海風に対して、グノーシはジト目でその根性をなじった。
「……そういうところだぞ童貞」「放っとけ……っ」
地面の上に四つん這いになってシクシクと泣く海風は、それしか言うことが出来なかった。
そこから数分して両者が気を取り直すと、海風はグノーシが海風を呼んだ真意について問いただす。
「それで、何で今日は俺一人で来いって言ったの? ムクロも来たがってたよ?」
「ムクロちゃんネ。いやー、初の生対面の時のアレは傑作だったなー」
以前ムクロがグノーシの仕事場、もとい監禁部屋に来た際、生のグノーシを見てたいそう驚いていたのだ。どうやら本気であの黒い球体がグノーシの本体だと思っていたらしく、グノーシを前にして『えっ……グノーシ様って二人いるのですか……? どっちが本物ですか……?』と本気で困惑したことがあったのである。あの時はグノーシも海風も大爆笑したものだが、グノーシは未だに思い出し笑いをしていた。
「懐かしいネ……もう、あれから一か月が経ったなんて思えない」
そう、今日は8月1日。ムクロと出会ってから一か月が経ち、そして、ムクロとの共同生活が終わる日なのだ。
グノーシは罪咎因子『
『侵入罪』の名の通り、彼女が生まれ持った異能は侵入することに長けているのだが、この侵入という行為が凄まじいのだ。
インターネット上でどれだけ厳重なロックをかけようが、物理的に遮断しない限り、彼女はあらゆるセキュリティを概念的に突破することが出来る。故に国の最大機密情報をサーバーに保管しようものなら、彼女はその情報を難なく抜き取れてしまうのだ。様々なものがインターネット化した現代において、その異能はあまりにも強力。彼女一人の存在が世界中の機密情報を丸裸にしたようなものだ。彼女の重要性ときたら、大国の保持する全機密情報でも釣り合わないほどである。
そういうわけでグノーシは野放しにしておくことは出来ず、国家による首輪をつける必要があった。反社会組織や他国のエージェントから狙われぬよう、核シェルター並みの防護性能と世界屈指のセキュリティ力を誇る監禁部屋で生活することが義務付けられているのだ。
しかも、グノーシは罪咎因子がある程度昂っても『首枷』が発動しないようにされている。任務のために常に異能を使用しているため、軽度の異能使用なら許可されているのだ。勿論、異能など無くてもグノーシのクラッキング技術は確かなため、一般的なロックでは彼女の前に数秒と保たないのだが。
「やっぱり、首の紋章がはっきり出てる。こんなまじまじと見れることなんて中々ないよ」
「そりゃ今は異能使ってるし……あんま見ないでヨ。…………なんか、恥ずかしいし」
グノーシの首に浮かんだ異能使用の証拠である黒い紋章を見て、海風は新鮮さを覚える。いつもは救命優先度が出て異能が許可されている時にしか見ることがないので、こうして間近で観察できることに少し興奮していたのだ。しかしグノーシが少し顔を赤らめるのを見て、すぐに彼女から離れる。流石にデリカシーが無かったらしい。
「いきなり本題に入るけど……伝えたいことは二つ。一つは『食人の仇人』の真犯人の目途。もう一つは『骸の咎人』の情報について、だヨ」
「っ! 遂に犯人が……ってそれもだけど、ムクロについて何か分かったことが?」
「色々と、ネ。まずは真犯人の方」
グノーシがそう言ってEnterキーを押すと同時、目の前のディスプレイに表示されたのはとある建物の画像だ。
「戸島綾香の言い分では、あの暗渠は自分で見つけたって言ってたけど……調べてみたら、あれが嘘だったことが分かった」
「え? 嘘って……」
「あの暗渠は元から用意されていたものだったんだヨ。きな臭いとは思って執行部のバディに調査してもらったら……ビンゴだった。暗渠に繋がってた通路をかなり行ったところに謎の建物があるのが発見されてネ。多分だけど、敵組織のアジトだ。このカンジは研究施設っぽい」
拡大された画像には、暗渠よりも巨大な空間に立派な建物が建っているのが確認できた。どうやら地上にも繋がっているらしく、画像で見えているのは研究施設の一部なのだと考えられる。そこでこそこそと隠れて何を研究しているのか、それは『電脳の咎人』には丸わかりだった。
「もちろん非合法組織だった。研究内容は『人間以外の動物における罪咎因子の後天的な発現について』……ここまで言えば分かるネ」
「他生物の『仇人』化……! まさか、本当に人為的なものだったなんて……」
「戸島綾香だって研究機関の人間と接触したはず……だけど、本人は口を割ろうとしない。情報を漏らした時の報復を恐れてるみたいだったネ」
デスクトップ上に研究レポートの内容や研究員のリストが表示される中、グノーシが顔を歪ませて話したのは、『決定的な情報が足りない』ことだった。
「色々漁ったけど、検挙するには一歩届かないもどかしい物ばかりだった。多分、最重要事項については物理的に保管してる。つまり、今回の任務はこの研究機関への潜入と検挙に必要な決定的な証拠の回収だヨ」
「検挙……ただ潰すだけじゃダメなの?」
「それだと徹底的にたたくことが出来ない。一部を討ち漏らして外部に逃げられたら、そこからまた研究が始まってしまう……いたちごっこだヨ」
グノーシの言い分はもっともだが、それよりも海風には気になることがあった。
「潜入任務……か。正直、俺達のバディには向いてないと思うんだけど」
「検挙じゃない場合に動員できる特務課のバディは二組まで……つまりもう一組のバディに情報の奪取に向かわせる。異能も潜入調査に向いたものだし問題はないヨ。ただ……こいつが厄介」
研究レポートを押しのける形で表示された一人の男の写真。巌のような体つきをしたドレッドヘアーの男で、肌は全体的に黒い。堀の深い顔には不敵な笑みが浮かべられており、一筋縄ではいかなそうな気配が満々だ。そして、最も特徴的な点がある。
「腕が四本……まさか!?」
「そう。罪咎因子『
『剛腕の咎人』グランザム。その名は海風も聞いたことがある。丸太のように太い腕を四本持ち、肉弾戦に特化した異能を持つ凶悪犯。政府要人の暗殺に携わるなど、反社会的勢力からの信頼を築く『咎人』だ。腕一本でクルーザー船を持ち上げたとの逸話もある、本物の犯罪者である。
「そしてコイツがやばいのは……あの真神嵐杜が逃した相手ってこと」
「な……親父が?!」
特務課執行部のレジェンドともいえる存在、真神嵐杜は過去に凄まじい戦歴を持っている。それはこの国の人間はもちろん、他国の人間にすら知られているような輝かしいものだ。
「『玩弄の咎人』ハルク・ベンが率いるマフィアとの全面抗争、『殲滅の咎人』メル=ハナとの三日三晩に渡る戦闘、『偽証の咎人』ベラフェケス封印のための大規模作戦における多大な尽力───あの数々の武勇伝を残してきた英雄が取り逃したんだ。それだけで危険度が分かる……でしょ?」
「……とにかくヤバイのは分かった」「そそ。ヤバいの」
頬杖をついたまま説明を続けるグノーシは、カーソルをグランザムの画像に合わせてドラッグする。
「つまり、海風達の任務はコイツが情報奪取班の方に行かないように監視、あるいは妨害すること。荒事にするのは出来るだけ避けて。奪取班の方が動きづらくなる」
「なるほど。だから戦闘力の高いうちのバディなのか」
ムクロの異能は攻守を兼ねた戦闘系のもので、海風自身も非常に高い身体能力を有する人間だ。このバディは特務課執行部の中でも随一の火力を持つと一部の界隈で話題だったりするのである。
「いけそう?」
「善処するよ。ムクロとの特訓の成果も試したいしね」
ここ一か月でムクロとの連携も鍛えられた自覚はある。今の自分達の実力がどの程度なのかは分からないが、グランザム相手でもやるだけやってみるしかないだろう。
「りょーかい、任務の詳細は後でデータで送るから。そんじゃもう一つの方を話すヨ」
「……ムクロについて、だよね」
『骸の咎人』たるムクロの情報について、グノーシは詳細を掴んだと言った。この一か月間でムクロから自発的に情報を話すことはなかったため、本人から話すのを待つと言っておいてあれなのだが、結局は現時点で何も彼女について得ていないのだ。
「どうせ、また本人から聞きたいなーとか言うんでしょ? だから、個人的に知っておいてほしい情報だけ伝えるヨ」
今度の画面に表示されたのはムクロについて書かれたファイルである。顔写真以外は殆ど黒塗りされているので見ることができないが、唯一黒塗りされていないのは『懲役年数』の部分だ。
「懲役年数……この概念は知ってるよネ」
「公安特務課に属する『咎人』の危険度に応じて科せられる罰則年数……だったっけ。確か、公安の『咎人』として任務をこなして出した成果ごとに減っていくんでしょ?」
「そう。懲役年数が0になると任務から解放されて、一般人と同じ生活が出来るようになるんだってさ。もちろん監視はつくみたいだけど……それでも、束縛だらけの生活から解放されるたった一つの方法。公安の『咎人』はこれを達成するために任務をこなしてるっぽいネ」
「ぽいって、そんな人ごとみたいな」
「人ごとだヨ。グノちゃんは、一生解放されることなんてないんだから」
その言葉に瞠目する海風。言われて見ればそうだ。グノーシほど強力な異能を持った『咎人』が一般人と同じように生活することが許されるはずがない。彼女は生涯をこの陰鬱な部屋で過ごしていくしかないのだ。
「……話が逸れた。ちなみにだけど、グノちゃんの懲役年数はいくつだと思う?」
「え? えっと……ひゃ、百年とか」
「おー惜しい惜しい」
「違うのね。いくつなの?」
「8000年」「全然惜しくないな!?」
そこまで言って、彼女に科せられた懲役年数の長さに言葉を失う海風。そんな途方もない年数を生まれた時から定められ、任務で微々たる年数を減らしていき、結局懲役年数を0にすることは叶わずにここで一生飼い殺しにされるという人生。往く先に絶望しか見当たらない最悪のロードマップ。ただ『咎人』に生まれてしまったという、ただそれだけのために、自由など微塵も存在しない未来を歩まねばならない彼女の境遇の悲惨さを、改めて知ることになったから。
「まぁ、それはいいんだヨ。諦めてることだし。問題はここから……ここ見て」
ムクロのプロフィールで黒塗りされていない唯一の部分を指さして、海風に読み上げるよう催促する。そこに書かれていた数字に目を走らせ、海風は首を傾げる。何か、おかしなことが書かれているのだ。
「あれ、これ数値おかしくない? なんか違う数を書き間違えたんじゃ」
「そんなわけないでしょ。ちゃんと現実見て」「いやでも、これ……桁が……え……?」
だって、あり得ない。このグノーシですら8000年なのに。そこに書かれている年数は、どう見ても誤字にしか思えない。だって、こんな───。
「懲役年数───50億年」
呆然と言葉に出した海風に、グノーシは頷いて事実を認める。
「……見間違いじゃない。ミスでもない。あの子に科せられた懲役年数は、50億年なんだ」
「いや、だって……どんな罪咎因子を持ってれば、こんな数になるんだよ!? こんなの絶対おかしい!」
「でも事実だ。それは受け止めなければいけない」
世界を脅かす存在であるグノーシですら8000年だ。それなのに、ムクロに科せられた50億年という数の異常っぷり。それは到底看過できるものでは無い。
海風、と名を呼ぶと、グノーシはいつになく真剣な顔をして海風の顔を見つめた。
「あの子は悪人じゃない。それはこの一か月でよくわかった。でも、得体が知れないのは確か。……お願いだから、油断はしないで」
そう警告するグノーシに、海風はただ黙ることしか出来なかった。
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