Ep.19 姫さまと騎士さま


 波乱の夜を超えて翌朝を迎えた海風は二人分の朝食を作り、まだ眠たそうに微睡むムクロの口に食事を運んだりなどしながら、穏やかに過ごしていた。通信の向こうでグノーシが起きたのを確認すると、海風は今日の予定について話し出す。


「今日明日ぐらいは任務ないよね」

『流石にネ。昨日あんなことがあったばかりだし、配慮はしてくれるでしょ』


 グノーシも眠たげにしているので、どうやら昨日は遅くまで起きていたらしい。例の件について調査を進めていてくれたのだろうか。だとしたらこちらばかり気持ちよく寝てしまったことに若干の罪悪感を感じなくもなかったが、気を取り直して主題を切り出す。


「なら今日は買い物をしに行こう。二人暮らしに足りないものもあるし、グノーシに差し入れもしたいからね」




 公安の車は任務以外でも、大義名分があれば使用することができる。『咎人』を連れたまま電車やタクシーに乗ったら車内がパニックになりかねないので、今回は『任務を遂行するのに万全なコンディションを整える必要があるので、共同生活に際して必需品を揃える』という理由で車を手配してもらったのだ。


「すみません、こんなことに公安の車を使ってしまって」

「いえいえ、橘様のご活躍は兼ねてより存じておりますので。今日ぐらい羽を伸ばしても誰も文句は言いませんし、私に出来ることがあるのなら精一杯勤めさせていただきますよ」

「あはは、ありがとうございます」


 そう言って紳士的な対応を見せたのは運転席に座る白髪交じりの男性、草薙康生である。彼は公安の運転手としては古株で、海風もずっとお世話になってきたベテランである。海風が知る中で紳士という言葉が最も似合う人間だ。海風が目的地を指定すると、草薙は見事な手捌きで移動を開始した。


『そういえば、最近はあんまり一緒の仕事してなかったネ』


 グノーシは作業をしながら話しているのだろう、電子キーボードの文字盤を叩く軽快な音が通信に入っている。ふと思い返してみると、確かに以前共に仕事したのは2か月は前だったはずだ。


「グノは忙しい身だし、俺の任務とかよりもっと重要な案件を担当してたんでしょ? しょうがないよ」

『まぁグノちゃんは解析部のエースだしネ。どっかの変態とは周りからの期待度が違うわけヨ』

「一言多いんだよなぁ」


 相変わらずの口の悪さに苦笑する海風。グノーシは大概誰に対しても厳しい態度をとるが、海風に対するそれは激しいながらも彼女なりの愛情を感じるので、海風はなんやかんや言って心地よく思っている。


「俺はまた一緒に仕事出来て嬉しいよ。監視役ってことは向こう一か月は常に一緒なわけだし」

『まーたそういうことを何気なく言う。…………ワタシもだヨ』


 ボソッと小さく呟いたグノーシの言葉は、海風に届く前に運転の音と通信のノイズで掻き消されてしまうのだった。


*****


「ムクロー、着いたよー」


 車中で眠り続けていたムクロを揺らして何とか起こし、車から降りて店の前に立つ。歩道に面したやや小さめの店舗だ。矢面に立った緑の看板には『あらくね』と白いペンキで書かれており、それが店名なのだと一目で分かった。


「いらっしゃーい……って、おや! ミカ坊じゃないか! 久しぶりだねぇ!」

「お久しぶりです、麗奈さん」


 麗奈、と呼ばれた人物はこの店の店主であり、海風と既知の関係である。鼈甲の丸眼鏡、エメラルドグリーンのストール、白いトップスにアースカラーのボトムスを身につけた、小洒落た女主人であった。


「紹介するね。こちら、灰田麗奈さん。ここの店主さんだよ」


 ぺこり、と頭を軽く下げたムクロを見て、麗奈は一瞬驚いたような顔をしたものの、ハッと息を呑んですぐに黄色い悲鳴を上げた。


「きゃああああああ! かっっっっっわいいいいいいいいいいい! 何この子?! 天使みたいにかわいいじゃないか!!」

「あはは……新しいバディになった子です。この子に服を身繕ってあげてくれませんか? お金は気にしなくていいです」

「あら、バディなの? てっきりガールフレンドかと」

「ガっ……?! ち、違います! バディです!」

「へぇ、そう。ふぅーん……?」


 二人の顔を見比べながらニヤニヤと品定めするような笑みを浮かべる麗奈に気まずさを感じ、逃げるようにして店から出ていく海風。


「あら、どこに行くのー?」

「他に必要なものを近くのデパートで買ってきますのでそれではッ!!」


 発進した車を目で追う二人と一機。少しして麗奈がはぁと溜息をつき、黒いレインコートに身を包んだムクロの全身に目を光らせた。


「うーん……あなた、折角可愛いのにこれじゃ素材が台無しだわ。来て、あなたをとびっきり可愛くしてあげる!」


 そう言って胸を張る麗奈に、ムクロは首を傾げるのだった。




「えーと、歯ブラシにタオル、適当なパジャマと……こんなもんか。あとは布団とグノへの差し入れだなー」


 デパートで色々な店を回り、二人暮らし用の品を揃えていく海風。ムクロが物に無頓着なタイプの人間なので、品選びが楽で助かる。グノーシへの土産は何にしようかなーとぼんやり考えながら歩いていた海風だが、通りすがった家具店に置いてあるものに目を向けた。目に留まったのはダブルベッドが陳列されたコーナーである。ムクロと二人暮らしするにあたって、海風は床に布団を敷き、ムクロはベッドに寝かせるつもりだったのだが。


「だ、ダブルベッド……あり、なのか……?」


 正直、ムクロとの距離感は常軌を逸するほどに近い。多分だが、ダブルベッドで一緒に寝ると言っても彼女は快諾するだろう。彼女のパーソナルスペースは無に等しいのである。海風も年頃の男だ、考えが及ばなかったと無知を装い、しれっとダブルベッドを買って、あの柔らかい存在と密着する機会を増やしてしまいたいという下卑た願望を抱えているのだ。下心満載の海風が値札に手を伸ばしかけて、その横から店員の声がかかる。


「ご興味がおありですか?」

「いえ全くッッッ!」

「全く?! さ、左様ですか……」


 下心で動いてる時に声をかけられると、大抵の男はその行動を否定するものである。こうして、反射で断ってしまってダメージを受けた店員へのフォローに時間を割かれることになったのだった。




「うーん……このゴスロリ系も可愛くて似合うけど……いや、やっぱりここはオフショルダーでまとめた方がセクシーを強調できるし無難……?」


 ブツブツと服を片手に思考する麗奈に困惑しながら着せ替え人形にさせられるムクロ。それを退屈そうに見つめるのは球体から通信しているグノーシだ。コンピュータ室住まいで自由にファッションも楽しめない彼女からすればいい気はしないのかもしれない。


「あの……」「んー? なんだい?」


 服を脱がされ肌着姿のムクロは、服を重ね合わせて色合いを確かめる麗奈に気になっていたことを問いかける。


「ミカゼと麗奈様は……どういう関係なんですか?」

「気になるかい? まー、あまり真っ当な関係ではないね」


 麗奈はそう言うと、店内をぐるっと見回して腰に手を当てる。


「元々、ここの店はうちの旦那とやってたんだ。けど、今は一人で切り盛りしてる」「?」


 その言葉の意図を察せなかったムクロに、麗奈はカラッと笑いかける。


「夫は半年前くらいに『殺人罪』の『仇人』になったんだよ。そりゃあもう暴れまくっててね……我が夫ながら、恐ろしかった」

「───」

「腰が抜けて逃げられなくなったアタシが夫に殺される寸前、任務で駆けつけた公安特務課の子に助けられたのさ。夫を殺される形でね」

「それが」

「そ、ミカ坊だよ。凄かったねぇ、生身の人間が簡単に『仇人』を倒しちまったんだ。圧巻だったよ」

『ま、若き死神の名は伊達じゃないよネ』


 聞き覚えのないその異名に疑問符を浮かべたムクロへ、グノーシが淡々と解説を行う。


『海風の異名だヨ。公安に来てたった一年余りで『殺人罪』の『仇人』をその手で42人も処理し、しかもその殆どが単身撃破っていうとんでもない記録を打ち立てたことに対する、畏怖と軽蔑の意味を込めた蔑称。本人は気にしてない風だけど』

「若き死神……」

「ま、そのうちの一人がアタシの旦那だったわけで……当時のアタシは荒れてたからさ。そりゃあもう、助けてくれた命の恩人に対して酷い言葉を浴びせたもんだよ。ろくでなし、人殺しってね」


 双眸を眇めて当時を語る麗奈の顔には、悲壮感と共に罪悪感が滲み出ていた。まだ16歳の少年に人殺しの責任感を押し付けようとしたことを、麗奈は未だ悔いていたのだ。


「それで、事件の後すぐだったね。アタシの口座にすごい額のお金が振り込まれたんだ。唖然としたよ。最初は政府からの補償金かと思ったけど……送金主が自分の夫を殺した公安局員だったからさ」

「!」

「あの子、まだボロのアパートに住んでるんだろ? 公安特務課の給料なんて桁違いのはずなのに、自分が殺した『仇人』の遺族に慰謝料を払ってるから極貧なんだよ。あそこのアパートの管理人も『仇人』の遺族だろ?」

『そー。馬鹿だよネ。支払い義務なんてありはしないのに、必ず遺族に何らかの形でお金を払うんだ。偽善もいいとこだヨ』


 まぁ助かってるんだけどね、と苦笑いして補足した麗奈は、ムクロに服をあてがいながら話を続ける。


「今でもちょくちょく店に顔を出してくれるんだ。罪滅ぼしのつもりなのかね……人によっちゃ、挑発にも映りそうなもんだけど」

『相手は選んでるヨ。遺族それぞれに合った方法で償いをしてるっぽくて、たまに相談も受けるし。いつも放っとけって言うのに聞きやしない』


 その一連の話を聞いて、ムクロはギュッと両手を握る。

 自分にも優しい温もりをくれる、とても温かい人。彼のために自分ができることはあるだろうか、と。


「そうねぇ……ま、年頃の男だし。一緒いる女の子が可愛い格好してくれるだけで、案外救われたりするんじゃない? ほら、これ可愛い」

「そういうものでしょうか」

『単純だしネ、アイツ』


 けらけらと笑う二人の女性にムクロは戸惑いながら、麗奈の着せ替え人形として役割を果たすのだった。


*****


「すみませーん、遅くなりました。服選び終わってますか?」

「おー、ミカ坊。終わってるよ。下着も少ないって聞いたから、こっちで適当に補充しといた。ほれ」


 紙袋の中に詰められた女性用の下着の数々に、初心な海風は思わず赤面してしまう。麗奈がニヤニヤしながら見ているので、どう考えても分かってやっているに違いない。


「ありがとうございます。それで、ムクロは?」

「最高に可愛くなったよ。ほら、出ておいで」


 麗奈から呼ばれて店の奥から出てきたムクロを見た時、海風は世界が止まってしまったかのような錯覚を覚えた。


 頭に被るは、黒いリボンの付いた大きな麦わら帽子。身を飾るのは、前面に黒のボタンがついた白地のハイウエストワンピース。手に提げられたのは、籐で編まれた小さなポーチ。足に履くのは、タイのついた厚底のサンダル。ハイウエストに合わせて腰の位置に巻かれたベルトがまたいいアクセントになり、夏の涼しさと程よいカジュアルを兼ね合わせている。

 清純系女子の夏の王道、都会に咲く一輪の百合を想起させる爽やかな着こなし。呼吸すら忘れる完成された美少女の姿がそこにあった。


「うぇっ……あっ……なっ……」

「ほら、挙動不審になってないで! 女の子が頑張ってオシャレしてんだよ、なんか言ってやんな!」


 あまりの可愛さに言葉を失っていた海風に、ばん、と背中を叩いて喝を入れた麗奈。それにハッとした海風は、高鳴る鼓動を一生懸命に抑えて、なんとか一言を絞り出す。


「その……すっごく似合ってる。めちゃくちゃ可愛い」

「……ありがとうございます」


 海風を真っ直ぐ見上げてにこりと微笑んだムクロに、海風は再びノックアウトされる。床に倒れ込んでビクビク痙攣する海風に、ムクロは伏し目がちに訊ねた。


「その……何も言わないんですね」

「えっ? いや、感想なら……」


 ムクロが麦わら帽子を少し上に向けた時、海風は初めて顔の右半分に注目する。元々彼女が取ろうとしなかった包帯が巻かれていた位置だ。指摘されてようやく気づき、その包帯の下に隠されていたものを見ることになる。


「それは……」


 なんと、右頬辺りから顔の上部にかけてムクロの顔は硬質化していたのだ。硬質化した部分は骨そのものと言える色合いと質感であり、顔の骨がそのまま肌に露出したような印象を受ける。とはいえ顔と骨はひと繋がりになっており、それが傷などによって皮膚が剥がれたことによるものではなく、元からそうだったとしか思えないような見た目であった。『咎人』に起こることがある体組織の一部に起きる異形化。ムクロにおいては、それが顔の右半分に出ていたのだ。怯えたような表情で顔を強ばらせるムクロに、海風はしばらくして口を開いた。


「まぁムクロらしい異形化だよね。骨って感じがしていいと思うよ?」

「…………………え?」

「え?」


 今までにないほど目を大きく見開いて唖然とするムクロに、海風もムクロと同じく疑問形で返す。


「はっはっはっ! だぁから言ったろう! ミカ坊はそんなことじゃ驚きすらしないって」

『まぁ特務課で働くにあたって、異形化した『仇人』も『咎人』もたくさん見てきてるしネ。こんなのかわいいもんでしょ』

「あぁそういう……」


 二人の会話から何となくムクロの恐れていたことを察した海風は、頬をポリポリと搔きながらムクロに説明する。


「『咎人』の存在が広く知られてるからさ、異形化については世間は寛容……とまでは言わないけど、想像より耐性はあると思うよ。ただ異能を怖がる人がいるのはどうしようもないから、人目につくところを堂々とは歩けないけど」

「でも、ミカゼは全く怖がらないです」

「そりゃ慣れてるし……それに、ムクロはそれ以上に可愛いし。気にならないよ」

「っ……?!」


 立ち上がって服に付いた埃を払っていた海風は、ムクロが麦わら帽子を目深にかぶって黙り込んでしまったことに気づいた。何か変なことを言ってしまっただろうか、とオロオロしている海風に対し、腕を組んでジト目をする麗奈と通信の向こうのグノーシが見え透いた内緒話をし始める。


「どう思うよ、アレ」

『いやー、ほんと女タラシっていうかクズっていうか。無自覚なのがまた憎たらしいよネ』

「最近の子は皆あーなのかい?」

『まさか。そこのゴミの専売特許だヨ』

「あらやだ女泣かせー」


 聞えているぞ女性陣、と額に青筋を立てる海風。言いたいことは山ほどあるが、今はそんなことよりムクロのメンタルケアが最優先事項だ。せっかく着飾ったのだから、やることは一つ。


「よし! ちょっと散歩しに行こう! グノ、ちょっと行くの遅れるけどいい?」

『いいヨー。お土産楽しみにしとくネ』

「え……でも。この顔を見た人はみんな……」


 ワンピースの端を左手で握り、右手で顔の硬質化部分に触れるムクロ。彼女に目線を合わせると、海風はそっとムクロの絹糸のような白髪に触れた。


「うん、麦わら帽子と髪のお陰で見えづらくなってるし、ちょっとぐらいならダイジョブ! さ、行こう!」


 ムクロに右手を差し出し、海風は太陽のように晴れやかに笑う。彼女がおもむろに右手を重ねた瞬間、海風はムクロの手を引いて店の外へ駆け出した。海風に引っ張られて駆け出すムクロが、二人で輝かしい陽光の差す日向へと走っていく。


 それはどこまでも眩しい、未来ある二人の輝かしい明日へと。



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