Ep.17 死神式アイコクラズム


「着きました」


 そう小さく告げると、ムクロは更地の中から骸骨の上半身を作り上げてキャッチさせる。巨大な骸骨は包むようにして二人を両手で囲い、静かに手を地面に着けた。

 痛みで小さく悲鳴を上げていた黒狼が身を起こした時には、ムクロ達は更地の上に降り立っている。周囲に障害物も何もない、土の戦場。誰の邪魔も入らないという点で、決着の場所には相応しい場所だろう。


「おおおおえええええええッッッ!」

『さっきも見たなぁ。滑りギャグは天丼しても笑えないヨ?』

「人の苦痛をエンタメとして取らないでくれる?!」


 ボロボロの三半規管を気合いで叩きなおしながら、海風は黒狼を見据えるムクロの横に並んだ。黒狼の黒い毛並みは土で汚れ、ある種の気高さもあった毛艶は既に失せていた。


「グノーシ。狙うのはどこがいい?」

『もし仇人化しても骨格とか内臓の位置とかが変わって無いのなら、やっぱり心臓が急所だネ。前足のやや後方、その位置に真下からムクロが骨を貫けば一発だヨ。あの硬度と速度を誇るんだ、犬の肋骨程度じゃ防げやしない』


 設定をスピーカーにして説明するグノーシ。ムクロも今の説明は聞こえていたはずなので、指示通りに動いてくれるはずだ。


「聞こえた? そういうことだから、心臓を―――」


 狙ってくれ、と言おうとして、海風はムクロの表情に気付く。月明かりのおかげで横顔が見えるようになって、明らかに彼女の顔色が蒼くなっており、ついでに汗が滲んでいることが分かった。息も心なしか荒く、両手を胸元でギュっと握られている。


(異能の副作用? いや、昨日はこんな風になってなかったし……)


 彼女の異変の原因を考え続けた結果、海風は一つの結論に辿り着く。


「もしかして」


 その答え合わせをしようと瞬間に黒狼は痺れを切らし、海風達に高速で突撃してきた。ハッとなったムクロが先刻までのように肋骨で対応しようとしたが、海風の声でそれは急遽変更される。


「いや、頭蓋骨だ! 時間を稼いでくれ!」

「っ!」


 その要望に答えて出現した髑髏は、二人を呑み込むようにして上から覆いかぶさった。やや歪なドーム型のシェルターは黒狼の突撃を見事防ぎ、黒狼は再び一撃離脱の戦法で二人を守る髑髏を攻撃し始める。髑髏が削られていく音が八方から反響する中で、海風はムクロに問いかける。


「ムクロ。もしかして……殺したくないって思ってる?」

「─────」


 どうやら図星だったようだ。海風の指摘にムクロは大きく肩を震わせて俯いた。その様子で、海風は彼女が抱えていた葛藤を理解する。


「任務だから殺さなきゃいけないのは分かってる。でも、命を奪う覚悟ができない。そうだよね」


ムクロに目線を合わせ、海風は優しい口調で話す。斬撃の音が轟く場には不釣り合いなほど、優しい声で。


「……ごめんなさい」

「謝らくていい。こっちこそごめん。当然のように辛い役目を押し付けようとしてて」


 今から殺すのは人ではない。黒狼は『仇人』であるものの人ではなく、法律上は『物』として扱われる存在だ。だから海風は人相手ほど殺害をためらっていなかったし、任務だからと割り切っていた。けれど、彼女は違うのだろう。


「公安の『咎人』として任務するの、多分初めてなんだよね。それどころか、あの場所から出たことすら殆どなかったんじゃない?」


 ムクロは小さく頷くだけだ。ただ、その事実は海風でも容易に想像がついていた。

 彼女はあまりに現代について知らなすぎるのだ。物を知らないわけではない。しかし、近代に出来たものに関しては殆ど無知に近いのだ。知識が異常なほどに遅れている───それが昨日と今日で会話して、海風がムクロに抱いた違和感の答え。



 彼女は恐らく、現代に生まれた『咎人』ではない。



 理屈は分からない。少なくとも、罪咎因子なるものが人間に発現し、猛威を振るうようになったのは20年前だ。しかし、彼女の知る世界の文明レベルは明らかに現代のそれではない。地下でずっと眠っていたことに起因するのか、それも確証がない。ただ、それこそが彼女が『異端』である理由なのだと海風は思う。


『……命を奪うことに躊躇いを持つ『咎人』なんて、見たことないんだけど』


 グノーシの驚愕は真っ当なものだ。真神が言っていた通り、『咎人』と人間とではしばしば倫理観が異なる。自身の利益のために殺しをすることを躊躇する『咎人』なんて滅多にいないし、相手が犬となれば尚更だ。ここまで殺しを厭う『咎人』は珍しいのである。海風も『咎人』は殺しに何の抵抗もない、という認識でいた。事実、公安特務課の『咎人』達はそういう者の集まりだ。

 しかし、彼女を他の『咎人』と同じように扱ってはならなかった。

 彼女はあくまで仲間として、異能が強いだけの心優しい一人の少女として、海風は接しなければならない。なれば、海風はすべきことは一つ。


「ムクロ。殺さなくていい。拘束だけしてほしい。出来る?」

「はい。でも……」

「動きを止めるだけでいい。殺すのは俺がやる」

「……えっ?」


 瞠目するムクロを見て、海風は些かばかりの新鮮さを感じた。そういえば、自分の異名を知らない人間と任務を共にするのは久しぶりだったと。戸惑うムクロの震える両手をそっと握り、海風は膝をついて目線を合わせた。


「で、でも」

「いいんだ。


 この穢れなき純白を、罪に染めたくない。

 命を奪うことに未だ躊躇いを持っている優しい彼女は、許される内は血に濡れなくてもいい。

 彼女は、『慣れてしまった』自分とは違う。


 冷ややかに微笑む彼にムクロが何を思ったかは分からない。けれど、ムクロがどんな決断を下すのかは何となく分かっている。


「……ごめんなさい」

「だから謝らなくていいってば。これは俺の信条だから」


 ──けろっとした様子の海風に、ムクロが顔を少し歪ませたような気がした。


『……そうやって、また背負うわけネ。新しいバディが来て、ようやく重圧から解放されるかと思ったのにさ』

「はは。ごめん、心配かけて」

『し、心配とかじゃ……あぁもういいや。じゃあ好きにしたら? 42さん』


 皮肉たっぷりに海風の異名で揶揄するグノーシに海風は笑うことしかできない。彼が背負っている業をこの一年で一番間近に観察してきた彼女にも精神的負担はあったろうに、また自分と同じく苦しめてしまうのだ。彼女には本当に頭が上がらない。


「よし。じゃあ作戦を説明しよう」


 そうして海風は笑顔を絶やさないまま、かの黒き獣を倒すための手段について論じ始めるのだった。






 海風達が髑髏の中で話し込む間も、黒狼は攻撃を繰り返していた。爪、牙、尻尾、牙、爪。己の持つ武器を最大限に利用して髑髏を壊し、内部の獲物を引きずり出そうと画策する黒狼。その努力の甲斐あってか、やがて髑髏に大きな亀裂が入り始める。亀裂は髑髏全体に及び、骨の耐久力を格段に落としていた。そして、遂にその時が訪れる。


『ガァウッッッ!!』


 サマーソルトキックのような体勢で放たれた尻尾による鞭撃をきっかけに、髑髏は木端微塵に破壊される。骨片が宙に舞う中、一度距離をとった黒狼は中にいた二人の人物を双眸に映した。

 一人は骨を生み出していた白い少女。彼女の反応速度は黒狼にとって脅威であり、トップスピードから放たれた一撃も彼女は防いでみせた。

 そしてもう一人は、少女の傍にいるだけの少年。彼に関してはどうでもいい。あの武器は厄介だが、どうせ当たらない。

 少女さえいなければ初撃で死んでいたはずだ。そう考えていた黒狼は、少年の奇妙な行動に気を取られる。

 少年はその場でぐるぐると回りながら、何か手に持った白い棒を同時に振り回していたのだ。いわゆるハンマー投げのような動きで回り続ける少年は、あるタイミングで持っていた白い棒を放り投げる。回転しながら空中へ飛んで行った白い棒の正体を、それが月と重なった瞬間に黒狼は理解した。


 あれは、たしか、ご主人様が以前、自分が小さいころに、投げてくれた、あの。



「取ってこぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉいッッッ!!!!」



 ──────気付けば、黒狼の体は勝手に骨に向かって走り出していた。





 遡ること数十秒前。海風が提案したのは、ムクロが生み出した巨大な大腿骨を海風が放り投げ、黒狼が喰いついた瞬間を狙って、ムクロが黒狼を拘束するというものだった。


『そんな手にホントに引っ掛かる? 攻撃にフェイントを入れるぐらいの知性があるんだヨ? そう簡単には』

「いや、行けると思う。罪咎因子で理性が壊れてる状態って、動物の本能みたいなものが強く現れるんだよ。昨日の『仇人』も因子が強く働いたときに四足歩行になってたし」


 罪咎因子は動物の本能を呼び起こす。理性を無くした動物が本能に頼るのであれば、それは黒狼に関しても同じ。つまり、投げたものを本能的に追ってしまうという性質は、普段よりも強く出ているはずなのだ。


「チャンスは一回。罠だと学習すれば流石に二回目は反応しないと思う。だから、ムクロ。集中して一発で決めてくれ」




 そして時は現在に戻り、黒狼は海風の思惑通りの行動をとっていた。飛んでいく大腿骨を本能で追い、骨が失速して地面に落ちていく直前で大きく跳躍、回転する骨を見事に口でキャッチした。


「今だ!」


 目を回して地面に転がっている海風が叫び、ムクロが異能を行使する。いくら速いとはいえ、空中では回避のしようがない。地中から囲うようにして現れた四本の腕骨によって、その巨躯は上から思いっきり押さえつけられた。小さく悲鳴を上げた黒狼に追い打ちをかけるムクロは、今度は黒狼の左右から十本の肋骨を生み出し、噛み合わせる形で上から体をロックする。四本の腕骨、十本の肋骨。ここまで体を拘束されれば、いかな筋力でも振り払うのは難しい。黒狼が体を大きく捩じらせて抜け出そうとするも、その努力は徒労に終わった。


『ガァウラァッッッ!!』


 加えていた骨を離して黒狼が吠えたのは、目の前に歩み寄っていた一人の少年。無力と舐めた彼にしてやられた事実に憤慨し、黒狼は彼に対して全力で唸る。しかし、海風の方は少しも動じることはない。銃を引き抜き、マガジンを換装して、その銃口を静かに突きつける。


「……どうか、安らかに」


 いつもの言葉だ。海風が『殺人罪』の『仇人』と対峙した時、その命を奪う前に必ず紡ぐ送別と懺悔の台詞。これを呟くのも、43回目らしい。

 そして引き金を引き、その眉間を銃弾で撃ち抜いた。ビクンと大きく振れた巨体に、再び一発。頬に血が飛んだが気にしない。

 すぐに死ねるよう、出来るだけ苦しまないよう、迅速にその命を終わらせる。

 いつも通りの作業。いつも通りのやり方。


 血溜まりに沈む事切れた黒狼を見つめ、何かお別れの言葉でも言おうかと、口を開いたその時だった。


「くろ、ちゃん?」


 いつの間に追いついてきたのか、肩で息をする綾香が目を大きく見開いて黒狼の姿を視界に捉えた。よほど必死だったのだろう、髪は乱れて顔にかかっているし、体中から滲む汗で服はびしょ濡れで、折角の美人画台無しになっていた。彼女は幽鬼のようにふらつきながら、銃弾に斃れた愛犬の元へ近づいていく。震える手で完全に寝てしまった黒い体毛を撫で、両目を涙で潤ませる。


「嘘でしょ……? ねぇ、クロちゃん……起きて……起きてっ……起きてよぉっ……!」


 理解したのだろう。悟ってしまったのだろう。愛犬が海風に殺され、もう二度と生き返らないことを。


「いやっ……いやあああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」


 そのあとは、ダムが決壊してしまったように泣き叫ぶだけだった。体に抱きつき、顔を埋め、ピクリとも動かない愛犬にしがみつく。夫のDVを話すときも、自身の過酷な境遇を語る時も、目撃者の男を喰わせようとした時も、全く態度を崩さなかった彼女は、今や耳を突き破るような号哭を垂れ流している。あまりにも憐れ、あまりにも痛ましい姿だ。それに対し何も言わずに立ち尽くす海風に、綾香は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、溢れんばかりの憎悪を以て叫ぶ。


「どうしてっ……貴方達に何の権利があって! こんなことが許されるのよ!」

「……俺達は特務機関です。いわゆる警察の捜査係などとは訳が違う。通常とは遥かに異なる業務内容が故に、越権も暗に見逃されることも屡々です」


 海風は事務的に彼女の問いに答えていく。それが彼女の求める答えでないと知りながら、それでも。


「例えば、法執行行為に正式な令状が要らないことです。大義名分さえあれば器物損壊はもちろん、解析部が然る手順の後に許可を出せば人すら殺せる。それが特務機関なんですよ」


 特務機関というものの烏滸おこがましさを海風は語る。何もかもを踏みにじってでも与えられた任務を遂げる、その図々しさを。



。……言えるのはそれだけです」



 慰めでも謝罪でもなく、己の立場を述べただけ。そんな回答で、彼女が納得するわけがない。納得せずとも、彼女にも海風にも、出来ることなんてありはしないのだから。


「うぁっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁああッッッ!!」


 ───ほら、やっぱり。

 彼女にしてあげられることなんて、何一つないのだ。



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