Ep.15 『食人の仇人』解決編


 夏とはいえ、午後8時ともなれば外はすっかり暗くなってしまう。住宅街をぼんやりと照らす街灯を眺める海風の耳に、インカムからグノーシの声が響いた。


『これで容疑者は全員だけど……まー、見事に全員怪しいネ』


 今日の捜査を打ち切って帰宅する際中の車の中で、海風は苦笑いをする。


「確かに……誰が犯人でもおかしくないよなー……」


 思い返してみれば、全員に疑わしい動機があり、犯人だとしても納得できるほどの要因はあった。


『血に魅せられた狂気の芸術家、プライベートに人を一切関わらせない不審者、夫からのDVに数年悩まされ続けた被害者女性、遺体をどっちも最初に発見したホームレス』


 グノーシが容疑者四人の特徴を述べると、更に疑いが深まっていく。不審な点がこれほどまでに散らばっているのにもはや美しさすら感じるレベルだ。


「ちなみに『咎人』目線で何か気付いたこと、とか……」


 隣に座るムクロへ目を向けて意見を求めるも、そのムクロは完全に瞼を落として休眠モードに入っている。ずっと眠そうにしていたので、車に乗った瞬間に眠りにつくのも想定できることだったが。


「考えてみれば、あの場所だもんな……こんな連れ歩かされること自体、久しぶりで疲れたのかも」


 ムクロがいた場所には歩き回るようなところはなく、彼女の性格的にあの骸骨の腕の中でずっと眠っていた可能性が高い。であれば、こうも捜査で歩くことは運動不足気味の彼女にとって負担になったはずだ。今は眠らせてあげるのが筋というものである。


「あれだけ強くても、限界はやっぱある、んだ、な……」


 そう言いかけて、海風は自分の言葉に引っ掛かりを覚える。


「───限界?」


 それが海風の意識を突いた言葉であり、なぜ気になったのかを海風はやがて理解する。


「グノ!」

『わっ何急に』

「一人目と二人目の被害者発生のスパンは?!」

『え? えーと……6月4日と6月18日だからぴったり2週間……って、まさか!?』


 そこまで言って、グノーシも「その事実」に気付いてしまう。


「今日は7月2日、つまり6月18日から二週間だ。もし二週間が罪咎因子を抑えられる限界なんだとしたら……!」

『今夜にも三人目の被害者が出る……!?』


 気付いてしまった最悪の可能性に、海風とグノーシは事態の深刻さを理解する。もし想像通りであれば、今日中に犯人を特定しなければならない。さもないと『食人の仇人』による新たな被害者が生まれてしまう可能性があるのだ。

 時刻は午後8時、7月2日が終わるまでにはあと4時間しかない。張り込み要員を用意するには時間が足りず、犯人を特定するにも時間が足りないだろう。タイムリミットに気付くのが遅れたのが仇になった。


「でも抑えるのが限界って言ったって、様子がおかしかった人間なんかいなかった!」

『いるとしたら垣根隆史だけど、あれはあれでデフォルトらしいし……やっぱり容疑者の張り込みを本部に要請するしか──』


 グノーシが手続きを進めようとする中、海風は自身の脳を必死に回転させて事実を探る。今回の捜査で見てきたものを余すところなく使い、真相をこの短時間で探り当てるしかないのだ。


(考えろ……考えろ……! あるんだ、材料は揃ってるはずなんだ……!)


 額に汗玉を浮かべて思案する海風。グノーシの言葉もシャットダウンし、自身の思考に集中する。材料を並べ、組み立て、読み解く。その繰り返しを続け、しかし真実に辿り着けない。頭につられて体も熱くなってくる中、海風はそれでも諦めなかった。

 マンション。酒浸り。賭博。ホームレス。腐敗。絵。赤。血。電気屋。小心者。部屋。DV。怪我。冷蔵庫。身売り。犬。河原。力自慢。仇人。毛むくじゃら──



 ────今回の件、少し妙だ。くれぐれも気をつけてくれ。



「あっ」


 最後のピースがはまる。あのベテラン刑事の一言で、海風の中で何かが弾ける音がした。


「……分かった」


 繋がる。全てがつながる。一つの仮定によって、海風が見聞きしていた材料が全て揃ったのだ。真実に辿り着き得る可能性を見出し、海風は一気に目を見開く。聡明なグノーシでも気づけないのは仕方ない。カメラのように一方向だけでなく、周囲に視線を張り巡らせていた海風でなければ気付けないのだ。


『分かった、って』

「全部繋がった。多分、犯人も分かったよ」

『うっそぉ?! 海風が分かってグノちゃんが分かんないとか悔しいんだけど!』

「負け惜しみは後! とにかく今すぐ向かうべき場所が──」

『ちょっと待って犯人だけでも教えてヨ!』


 懇願するグノーシに根負けし、海風は己の仮説に基づいた『食人の仇人』の正体を語る。


「『食人の仇人』、もとい今回の犯人は───」


 *****


 そこは暗かった。光源と言えば天井から、もとい地上から漏れる月光のみ。それでも空間全体を照らすには不十分で、相手の顔すらうまく見えない。傍から見て分かるのは二人の人間が向かい合っており、一人は立って、一人は座り込んでいること。


「なっ、なんでだよ……約束通りアンタのことはちゃんと言わなかったぞ?! それなのにっ……は、話が違う! やめろ、近づくなぁ!」


 少しずつ座りながら後ずさる人物を、もう一人は見つめるだけだ。ただし、彼の叫びには応える。左手を上げ、ゆっくりと振り下ろす。


「暗渠とは……考えましたね。ここなら長期間いても人目にもつかない」


 そこへ乱入するように二人以外の人間が現れた。二人に比べて若いが、その声には確かな冷静さがある。他でもない、橘海風であった。彼の声に二人は同時に振り向き、丁度そのタイミングで月光が二人の横顔を照らした。


「やっぱり、貴方が首謀者だったんですね」


 月光で照らされる左手に立った人物を見て、海風は双眸を眇める。



「───戸島綾香さん」



 そう言い当てられて、左手を上げていた彼女は、戸島綾香は口角を吊り上げた。


 その笑みに驚愕の感情はなく、あるのは冷酷さだけだ。しかも笑っていると言ってもそれは口だけ、目は細くするだけでそこに享楽の感情はない。


「……どうして分かったの?」

「きっかけは些細なものです。それですよ、その包帯」


 綾香の左腕に巻きつけられた包帯を指さし、海風は彼の洞察力の賜物を披露する。


「なぜまだ傷が残っているのか、気になったんです。DVをしていた夫が死んだのは約1か月前で、それだけの期間があれば傷は普通治るはずだと。健康状態が原因で治癒力が下がっていたとしても、体中の痣は最近できたのが丸わかりです。青痣は時間経過で茶色くなりますからね」

「……」

「最初、包帯は傷跡を見せないように巻いているのかと思いました。でも違った。その左腕の包帯は新しいのに血が滲んでいたんです。つまり、1か月経っても血がすぐ滲むほどの傷ということになりますが……不自然ですよね。であれば、それは最近になって出来た傷です。夫もいないのに何故それほどまでに傷が残っているのか。それが疑問でした」

「ふふ……君ってば、探偵が向いているわ。素晴らしい推理。でも、それだけで私を首謀者と判断したわけでは無いのでしょう?」


 綾香の問いかけに頷いた海風は、続いて綾香を首謀者だと確信した理由について話していく。


「この時点で俺の中にはある仮説がありましたが……あまりに突拍子がないので、仮説を裏付けるために205号室の垣根さんの所へ行きました。理由はお分かりですか?」

「なんとなくね」


 おどけるように肩を小さくすくめた綾香。理由が分かっているというのが海風にとっては理解できないものであるのだが。


「……貴女のいる305号室の下に住んでいた垣根さんは、貴女を盗撮していました。下の階のベランダから小型カメラを忍ばせたんでしょうね。流石にもう回収していましたが、映像を提供すれば盗撮の罪は見逃すと言ったら素直に見せてくれましたよ」

「脅したの? やっぱり撤回、君って公安向きだわ。そういう小賢しいところ」

「し、司法取引ですし……」

『うろたえるな単細胞』「はい」


 通信でグノーシに叱られて落ち込む海風を見て不思議そうな顔をする綾香。彼女から見れば海風がいきなり落ち込んだように見えたのだろう。


「それで? どうして垣根くんが盗撮していると気づいたの?」

「絵ですよ。隣室の酒井さんが描かれていた血まみれの女性の絵。モデルは貴女だったんですね」


 酒井が描いていた、檻に閉じ込められた赤い女の絵。あれは綾香がモデルになっていたのだ。血を好む彼は、常に傷だらけの彼女にインスピレーションを得たのだろう。


「絵を見た時に檻かと思った鉄格子があって、それが貴女のベランダから見えた柵に似てたんです。多分、垣根さんが盗撮した映像に柵が映ってたことで檻のイメージを得たんですよ」


 酒井がなぜ垣根の盗撮映像を見ることができたのかは疑問だが想像はつく。

 恐らく、酒井は傷だらけの綾香を見かけて題材にしようと思ったが、吾郎のせいで近づきがたかったため、垣根と同じようにベランダからの盗撮で彼女を観察しようと試みたのだろう。その際に垣根が実家の電気屋で用意した映像機材を目撃、垣根の部屋に押し入って盗撮の件を警察に言うと脅し、映像を見たのだ。

 想像でしかないが、こう考えると垣根が初対面の時に「人を入れてもいいことなんかない、嫌な思いをする」と言っていたことに納得がいく。海風は酒井の絵から垣根の盗撮に気付き、そして彼が撮った映像から綾香が首謀者であることの確信を持った。


「俺が見たのは、6月4日の動画でした。その動画に映っていたのは、貴女と揉める吾郎さんの映像、そして吾郎さんの足元に転がる動物です」


 彼女がついた嘘。それこそ、今回の事件の真相だったのだ。


「犬が吾郎さんに殺されかけたのは6月4日。彼の死亡した日です。そして───



 そう言い放ち、海風は視線を横に移動させる。そこにいたのは人間ではなく、全長5メートル近い巨大な黒い犬───『食人の仇人』だった。



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