Ep.13 軋轢


 そうして海風達が車で来たのは事件現場などではなく、とある施設。皇居の桜田門前に建つ、別名「桜田門」とも呼ばれる日本の治安維持組織の中枢を担う場所である。


「……久しぶりだな、警視庁」


 そう、車から降りた海風が見上げる建物は警視庁本部庁舎だった。公安と警察では組織が違うので海風はあまり来ることがなかったが、正直言っていい思い出がある場所ではない。海風がここに来ると基本的に「警察への嫌がらせ」になりがちなのだ。


「ほら、ちゃんと歩いてね。眠いのは分かるけど」


 何とか立ち上がせることは出来たムクロだが、まだ夢見心地といった印象だ。立っているものの常に上体がふらふらと揺らいでおり、少し目を離せば地面に寝転がってしまいそうである。

 彼女には戦闘だけを期待することにして、海風は耳にインカムをつけてグノーシと回線を繋いだ。球体とは一時おさらば、ここから先は携帯デバイスからの視覚入力である。


「見えてる?」

『見えてるヨ。聞こえてる?』

「大丈夫。……行こう」


 ふぅっと息を吐いて意を決した海風が正面入り口から入っていくと、途端に彼は奇異の視線に晒された。

 海風が公安に来てから一年あまり、加えて警視庁に来た回数など両手で数えられるほどだ。故に齢16にして公安特務課の執行部にいる特殊な人間である橘海風を知る者は警視庁に少なく、来る度にこうした状況になってしまうのだった。

 それでも疑問を呈してこないのは、隣に明らかに人間離れした外見を持つ少女がいるからだろう。彼女を見て『咎人』であると理解すれば、海風が公安特務課の人間だと理解するはずだ。


「失礼します」


 海風が戸を叩いたのは、警視庁の中でも殺人にまつわる事件を捜査するスペシャリストが集まった場所、捜査第一課である。

 部屋の扉を開けて中に入った瞬間、海風の全身を威圧感が襲った。流石は強行犯捜査や特殊犯捜査を専門とするプロが集まる場所である。彼らのストイックさが織りなす張り詰めた空気感が海風の神経を刺激した。気の緩みを許さない空気は公安で知っていると思っていた海風だったが、それでも彼らの放つ威圧感には息を呑んだ。

 しかし、気圧されてばかりではいられない。この殺人などのここへわざわざ訪ねて来た理由は一つ、本件を捜査中の警察から情報を提供してもらうためだ。


「なんだお前──あぁ、『咎人』といるってことは公安特務課だな。何の用だ?」


 海風の前を通りがかった男に軽くお辞儀をし、単刀直入に本題を切り出した。


「特務一課の橘海風です。課長はいらっしゃいますか? 『食人の仇人』の事件に関する捜査資料の提供をお願いしに来ました」

「───」


 ピリ、と空気がひりつくのを肌で感じる。部屋にいた捜査員達が全員海風の方を向き、海風は虎に睨まれているような錯覚を受けた。彼らの視線は決して好意的なものではなく、むしろ敵意に近い。しかし、海風は汗ひとつ流さずに毅然として立つ。


「……待ってろ。今、その件を担当してる捜査官を」

「ん? どないした?」


 目の前の男が渋々海風に対応しようとしたところで、こてこての関西弁で話す男が海風の背後の扉から現れる。年齢は30過ぎほどだろうか、顎髭と口髭を伸ばした男は海風の横に立つ。


「おい、岩動いするぎ。お前、例の件に力入れてたよな」

「おー、アレか。せやで、地道な捜査のおかげでだいぶ犯人も絞れてきと──」

「捜査資料、コイツに渡してやれ。公安特務一課だそうだ。ウチでの捜査は打ち切り、以降は公安に引き継がれるってさ」


 そう、『仇人』が出現することが予想される場合、特殊な訓練を受けていない警官では太刀打ちできない可能性が高い。そのため、こうして捜査資料だけを受け取りにきて公安が捜査を引き継ぎ、警察には捜査を打ち切らせることがあるのだ。


「…………は?」


 男が海風のことを親指で指して言うと、関西弁の岩動と呼ばれた男がゆっくりと海風に視線を移す。その瞳は驚きで剥かれていたが、すぐにそれは明確な敵意に変わる。


「おいおいおい、正気か? ワイらが汗水流して集めた情報を、何処の馬の骨とも知らへんコイツに渡せって言うんか?」

「……」


 初耳、というわけではあるまい。岩動だって、危険が伴う『仇人』が関連する事件については公安特務課に回されることがあると知っていた筈だ。ただし、今回のように成果だけを掠め取っていくようなやり方は納得ができなかったのだろう。


「なぁワレ。分かっとるんか? あんたらがやろうとしとるのは、盗みと同じや。ワイらが一生懸命集めた情報を何の苦労もなく奪っとるんや。さぞ気持ちええんやろなぁ、ええ?」

「……失礼なことを言っているのは承知の上です。だから、こちらはお願いをしているんです」


 海風の発言に対し、岩動は肩をわざとらしくすくめて言葉を返した。


「お願い? はっ、どうせ拒否権なんかないんやろ! あんたらはいつもそうや。エリートだかなんだか知らへんが、汗だくで捜査するワイらを鼻でわろておる。ワイらを奴隷だとでも思うてんのか?」

「いえ、そんなつもりは」


 否定しようとする海風の言葉を途中で遮るように、岩動はぐいっと顔を近づけて威圧してくる。


「いーや、思うとるやろ。だからワレみたいなふざけたヤツを寄越すんやろ。なぁ、聞いとるんか? ずっと涼しい顔しとるけど、本当に申し訳ないと思うとるんか?」


 表情の一つも変えない海風に段々と岩動は苛立ってきたのか、岩動の声は怒りのボルテージが上がるのに合わせて荒ぶってきていた。


「しっかし、随分とガキ臭い顔つきやな。ワレいくつやねん」

「……今年で17です」

「17…………って、は?! 警察学校は?!」

「出ていません。真神局長の紹介で公安に入局していますので」


 ざわ、と部屋全体がどよめくのが分かった。捜査資料の引き渡しをする相手が未成年、警察学校すら出ていないコネ入局の人物となれば、彼らの不満だって並大抵のものではあるまい。


「おい、馬鹿にすんのも大概にせぇよ」

「馬鹿になど」

「しとるって言うとるやろ黙って聞けやッ!……ええか? ワイら警察は情報を公開するけど、公安は秘密主義や。ワイらが情報を渡せば、公安は全部内部で済ませて事件を終わらせる。その過程でどんな犠牲が出ようとお構いなしや。『仇人』の処理さえ出来ればええと思うとる。そんで、その結果はワイらに報告されへん。機密情報として扱われるからな」


 その通りだ。公安は『仇人』への対応のみを目的にする。その過程で被害者がどんな心的障害を得ようが、周囲に禍根を残す形になろうが、解決さえしてしまえばそれでいいと判断するのだ。

 そして、それを警察に伝えることはしない。情報提供をさせておきながら、自分達の情報は決して引き渡さない。それが公安だ。


「……なぁ。お願い、って言うとったな。なら、それ相応の態度を見せぇや」

「と、言うと」

「決まっとるやろ。土下座や」

「───」


 床を人差し指で指して、岩動は海風の顔を覗き込むようにして睨む。抗えない命令、そのせめてもの抵抗として海風に恥を晒させようと。まだ子供に過ぎない海風を下に見て、岩動は海風をいびり続ける。


「ちゃんと地面に頭擦り付けて、誠心誠意お願いせぇや。『僕たちに資料をどうかお与えください。お願いします』ってな。そしたら渡したる」


 その発言に、今まで黙っていたグノーシが反応する。


『従わなくていいヨ。そんなことしなくても、その屑は上からの命令に逆らえないし。さっきまでみたいに堂々と資料を要求すれば』

「分かりました」

『……え?』


 そう言うと、海風は流れるように地面に手をついて土下座する。一切の躊躇いもない、そして無駄な動作もない完璧に近い土下座だ。


「僕たちに資料をどうかお与えください。お願いします」

『はぁ?! ちょっ、何やってんの!? そんなことする必要ないって言ってんじゃん!』

「いいんだよ。土下座には慣れてる。知ってるだろ?」

『ッ、いや、いつものとは訳がちが……』


 海風の奇行に悲鳴のような声を上げるグノーシ。海風の気持ちを気にしてくれているのなら非常にありがたい。しかし、彼らが悪い訳ではないのだ。こんな風に無碍に扱われては、彼らのプライドだってズタズタだろう。それが海風の土下座ひとつで収まるなら本望なのだ。それに、生憎だが土下座は得意分野である。失うものはあまりない。


「はははは! 嘘やろぉ、プライドないんかワレぇ! 天下の公安サマがみっともないなぁ! ははは!」


 土下座する海風を見て腹を抱えて笑う岩動に、そこまでではないにしろ海風の無様さに笑いを零す捜査員達。お高くとまりがちな公安が土下座している姿はさぞ滑稽なのだろう。それが16歳の少年であろうが。


「……」


 別に、笑われようが気にしない。そんなことより辛いことを経験してきている。

 こんな恥は些事だ。

 些事、だから。


「…………っ」


───この滲む涙だって、別に大した問題ではないのだ。


 唇を噛み締めた海風の、いや、その場にいた全員の耳に、


 ピピピ、ピピピ、と。その異音の正体を彼らは知らなかったが、海風と、そして誰よりもグノーシが知っている。



『───ッッッ!! 海風ッ! その音を止めてッッッ!!』



 インカムから鼓膜を破りそうな程の音量で叫んだグノーシに、海風は弾かれるようにして横にいる白い少女に顔を向けた。


「っ、駄目だ! 抑えてくれ!!」


 異音を発していたのは、ムクロの首に付けられていた『首枷』である。二股に分かれるような形になっているので、その中央に浮かび上がるものが見ることが出来る。少女の白くて細い首にぐるりと巻き付くように現れた棘の紋様。それはつまり、彼女が異能を行使しようとしていることを意味している。

 人が大勢いるこのフロアで、岩動に対して何の躊躇いもなく異能を行使しようとしているのだ。


「ひっ……」


 ムクロから発されるただならぬ雰囲気を察したのだろう、数秒前まであれだけ気を大きくしていた岩動は完全に腰を抜かし、地面に尻餅をついた。徐々にアラームの感覚が短くなっているのが、彼女の中にある罪咎因子の高まりを示している。

 もはや間隔が無くなるほどに鳴り続ける『首枷』は、既にいつ爆発してもおかしくない状況だ。


「『首枷』が起動してる状態で異能を使っちゃ駄目なんだ! 首が吹っ飛ぶんだよ!」


『咎人』に付けられる『首枷』は内部に小型爆薬が仕込まれている。罪咎因子によって異能を行使しようとすると、罪咎因子の高まりを感知した『首枷』は自動的に爆破するのだ。任務以外で異能を行使させないようにする、公安特務課にとっては必需品である。それを付けたままのムクロが異能を行使すれば、彼女の細い首などひとたまりもないのだ。

 しかし海風がムクロの手を掴み必死に訴えかけても、ムクロは無表情のまま岩動を見つめるだけだ。何にも動じないかのように思えたマイペースな彼女が、どうして突然このように荒ぶったのか。


(なんでっ……きっかけなんて、どこに……!)


 動転する脳で原因になりそうなことを思い返しながらムクロの顔を見て、海風はハッとする。


(もしかして……怒ってる? 俺が馬鹿にされたから?)


 無表情に見えたムクロだが、海風は感覚的に彼女が憤慨していると気づいた。原因となりそうなのは、海風が彼らに馬鹿にされたことであろう。だが、果たして彼女が海風のことで気持ちを荒立てるだろうか。思い過ごしかもしれないが、それでもやらないよりマシだ、と意を決して、海風は立ち上がる。

 そして、立ち尽くすムクロの頭を自分の胸に引き寄せた。


「……ありがとう。怒ってくれるんだな。でも、大丈夫」

「……」

「落ち着いてくれ。せっかく出来たバディなんだ、一日で解消なんて嫌だよ」

「……そうですか」


 どこか他人事のように小さく頷くと、ムクロは気迫を緩める。同時にアラーム音は消え、彼女が異能行使を中断したことが分かった。どうやら、やはり彼女は海風のために怒ってくれていたらしい。信じ難いことだが、彼女は海風を守ろうとしてくれていたのだ。


「……な、なんや、ソイツ。全然手綱握れてへんやないか、監督行き届いてんのかいな、お?」


 地面にへたり込んだまま凄む岩動だが、先ほどまでの威圧感は完全に薄れてしまっていた。ムクロに恐れを成したのだろう、声もどこか震えている。


「なーんだ、騒々しい。何があった?」


 全員が呆然と立ち尽くす中、部屋に新たに現れた人物がそう訊ねる。海風の背後に立ったのは、齢が60に近そうな恰幅のいい男だ。その禿頭を指でポリポリと掻きながら気前の良さを滲ませる彼は、警視庁捜査第一課の課長を務めるベテラン刑事である。


「あ、厳木きゅうらぎさん。お久しぶりです」

「ん? おぉ!? ミカゼ君か! 久しぶりだな!」


 にかっと笑った男──厳木茂は、海風の肩を無遠慮にバンバンと叩いた。


「いやー、半年ぶりくらいか! また大きくなったんじゃないのか?」

「成長期のお陰です」

「いいねぇ! 若者ってカンジだ! 真神のヤロウは元気だろうな?」

「元気も元気です。昨日もお得意のパワハラをされました」

「だはははっ! 変わらずで何よりだ!」


 軽快に言葉を酌み交わす二人に唖然とする捜査官達。孫と祖父ほど歳が離れた海風と厳木は、真神繋がりで海風が小さいころからの旧知の仲である。


「しっかし、ミカゼ君が一体ウチに何の──……」


 そう言って視線を巡らせた厳木は、海風の隣にいる少女に目を留め、次に捜査員達の顔を見渡した。


「……なるほど。そういうことか」


 その一瞬で全てを理解した洞察力は長年の経験が為せる業なのだろう。気前のいい近所のおじさん、という雰囲気から一転、厳木は虎のような眼光で地面にへたり込む岩動を貫いた。と、岩動の側まで早足で移動したかと思えば、手に持っていたバインダーで岩動の頭を思いっきり叩いたのである。


「あがぁっ?!」

「このアホンダラがッッッ! なに呑気に座ってやがる! とっとと資料持ってこいッ!」

「は、はいっ!?」


 屁っ放り腰のまま自分のデスクへと走り、引き出しから捜査資料の入ったUSBを引っ張り出して持ってくる岩動。封筒を厳木の前に差し出すと、厳木は奪い取るようにしてUSBを取り、すぐに海風に手渡した。


「わりぃな。どうしても今回の件を担当する奴には資料を手渡ししたくてよ。最初からデータで送っとけば、こんなことにはならなかったんだがなぁ」

「いえ……えっと、どうして手渡しを?」

「あー、いや。ちょっと伝えたいことがあってな」


 頭を人差し指で掻きながら、その瞳に鋭い光を宿して厳木は言う。


「今回の件、。くれぐれも気をつけてくれ」

「……?」

「刑事の勘ってやつだよ。ま、最近じゃ痴呆とも言われるがな」


 怪訝そうな顔をする海風に、厳木はわざとらしく肩をすくめてそう付け足した。彼なりの渾身の自虐ネタに思わず吹き出し、ずっと強張らせていた体から力を抜く海風。


「では、失礼します」「おー、頑張れよー」


 その言葉を最後に部屋を後にした二人を手を振って見送った厳木の背後から、「あの」と声が掛かる。声を掛けたのは乱れたスーツを直した岩動だ。


「……なんで、あんな子供に大事な資料を渡さないかんのです。あれは、ボクらが体張って集めた情報で──」

「馬鹿野郎。お前、相手が子供だからって舐めてんじゃねぇぞ」


 岩動が伏せていた顔を上げて厳木を見ると、彼の顔は非常に険しい物に変わっていた。


「お前、公安特務課の殉職率知ってるか」

「……えっと」

「知らんだろ。あそこな、んだ」

「……はっ?」


 厳木は岩動を見ない。二人が消えていった廊下の先を見つめ続けている。


「そんだけ危険な場所で、たった16年しか生きてない少年が一年間任務を遂行してるんだ。本来なら警察学校を出たエリートが入る公安で、だぜ? それがどんだけ異常なことか、分からねぇか?」

「…………」

「……本当ならよ。年齢的には高校生だからな。学校で友達と何にも考えずに遊んでいていい時期なんだ。でも、あの子は特務課で戦ってる。本当なら大人の俺達が背負うべき危険な役目を率先して担ってくれてんだ」


 そこでようやく厳木は岩動に目を向けた。先程の虎のような鋭い目ではなく、子を諭すような優しい目で。そんな目をして、どこまでも救いのない言葉を投げかける。


「なぁ岩動───お前、あの子の代わりをできるかよ?」

「ぁ……」

「あんなに優しい子にお前が何をしたのか。……その意味をしっかり考えるんだな」


 仕事に戻れと言い残して厳木がデスクに向かった後も、岩動はしばらくその場に立ち尽くしたままだった。



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