Ep.10 奇妙な同居人


 またも公安の車で移動する海風は、歌舞伎町から海風の住むアパートに帰っていた。新たな同居人を真横に乗せて。


「えっと……ムクロは住んでる家はないの?」

「……? あります。最初に会った場所です」

「え? あー……いや、あれは、家、なのか……?」


 そう主張されて、海風はあの洞穴のセールスポイントを考えてみる。面積三万畳、ワンルーム、敷地礼金なし、泥棒も絶対に入ってこれないセコム万全の広々空間。巨大な骸骨のインテリアに骨のベッド。悠々自適な生活を送れる地下空間は気に入ること間違いなし。


「あれ……意外と暮らし心地よかったりする?」

『そーんなわけないでしょ。餓死するヨ』


 呆れたような声が愚考に至っていた海風に突っ込みを入れ、驚いた海風は声の主を車内で探す。四人乗りの車には運転手と海風とムクロ以外には誰もいないので、その行動は徒労に終わることになった。いや、冷静になって考えてみれば、声は確か随分と近くから──


『どこ見てんの。ここだヨ、こーこ』

「ここ……って、この球体?」


 運転席と助手席の間に置かれていた黒い球体に気づき、首を傾げる海風。顔を近づけて観察してみたところ、どうやらドーム型のガラスの中に黒い機械があるようだ。しばらく見つめ続けていると、駆動音と共に中の機械がぐるりと向きを変えた。海風の正面に現れたのは円形のレンズで、直径5cmほどの大きさのカメラが海風に向いており、焦点を合わせているのかカシャカシャと絞りが動いていた。


『アホ面晒さないでくれる? 視界が汚れるじゃん』

「人のことを汚物みたいに……って、その毒舌! グノか?!」

『せいかーい。真神局長から聞いてない? 今回の監視役に選ばれんだヨ』

「……?」


 横に座るムクロが不思議そうにするのが分かった海風は、通信の向こう側にいる相手について彼女に説明する。


「えっと、この向こうにいるのはグノっていう子だ。解析部に所属してて、前から任務で一緒になることが多くてさ。ほら、自己紹介してよ」

『はいはーい。そんじゃ自己紹介をば!』


 機械のどこかに取り付けられていたのであろうスピーカーから快活な女の子の声が響いてくる。どこかブリっ子ぶった声の戯けた調子の女性。


『やぁやぁ我こそは! 公安特務課解析部の頼れるエース! 罪咎因子『侵入罪カタパティティス』を保因したネット史上最強のハッカー! 『電脳の咎人』グノーシちゃんだヨ! グノって呼んでネ!』


 公安特務課解析部における唯一の『咎人』の職員──グノーシは、カメラの向こうで胸を張ったまま意気揚々と自己紹介をしたのだった。


「っていうか、グノが監視役なのか……。先が思いやられるなぁ」

『おや随分な言いようだネ、クソ童貞の分際で』

「どどどっどど童貞ちゃうわ! じゃなくて! そういう所だって言ってんだよ!」


 なははー、と悪戯心満載の笑い声を通信電波に乗せるグノに顰めっ面をする海風。彼女は『電脳の咎人』の名に違わず、公安に属するホワイトハッカーとして世界トップクラスの力を持っている。ただし、『咎人』にはありがちな話ではあるのだが、彼女もまた人格面にやや問題があった。それがこの悪戯気質である。悪戯を生き甲斐とする彼女は、特に海風に対して本領を発揮する。

 簡単に言うと、海風にメッチャ悪戯してくるのだ。


「忘れてないからな、携帯をハッキングして夜な夜な合成音声の泣き声を流したあのイタズラ! 未だにトラウマだし!」

『お、トラウマレベルになってる感じ? そりゃよかった、イタズラ冥利に尽きるってもんだネ』


 人の心に傷を負わせることにやり甲斐を覚えるな、と顳顬に青筋を立てる海風だが、隣でポカンとしているムクロに気づいたので咳払いをして場を仕切り直す。


「あー……とまぁ、こんな感じに全ての能力値をハッキングと性悪に振り切ったような奴なんだよ。こんなのが監視役な時点で不安しかないっていうのは至極当然だし、俺としてもすごい共感するところなんだけど」

『言うじゃん童貞』

「どどど童貞ちゃうわ! あとさっきからなんなのその童貞イジリっ?!」


 ムクロを放置して漫才を繰り広げていた二人だったが、ムクロの「あの」という遠慮がちな声でそれは中断される。同時にムクロに目を向けた二人に、彼女はさも不思議そうに訊ねた。


「あの……公安、ってなんですか」

「『えっ』」




 日本における治安維持組織は大まかに分けて二つ存在すると一般的には考えられているだろう。一つが刑事警察、もう一つが警備警察。前者が警察と呼ばれ、後者が公安と呼ばれるものだ。そしてこの二つには行動目的の違いがあり、警察が民間人の犯罪を取り締まるものであるのに対して、公安は国家の治安維持を目的にしている。警備や国家に対する反社会的活動の予防や取り締まりなどを行っているのだが、これには反社会的組織への潜入捜査なども含まれるのだ。つまりスパイである。


「だけど、特務一課は違うんだ。そもそも公安特務課が『仇人』と『咎人』の取り締まりを目的にしてるから境界線が曖昧なんだけど、中でも一課は役割が刑事警察寄りなんだよ。街のパトロールもやるし『仇人』化した民間人にも対処する。その代わりスパイ活動とかはあんまりやんないけど」

『まぁ海風にはスパイとか到底無理だよネ。頭弱いし』

「よ、弱くないし……そりゃ学校には行けてないけど……」

『あっやばい地雷踏んだ』


 明らかに声のトーンが落ちていった海風の様子を察して、グノーシは悪ふざけが過ぎたことに冷や汗をかく。任務のせいで学校に行けていない彼にとって、学校を思い出させる言葉は禁止カードなのだ。


「とっ、とにかく! 公安っていうのはそういう組織で、俺達はその中の特務課に属してるわけ。俺らは執行部っていう法執行行為を実際に行う部署で、グノは解析部っていう執行部の補助をメインに情報の集約と統制をする部署なんだ」

「なるほど……ありがとうございます。分かりやすいです」

「え? そう? へへ、なんかいつも馬鹿にされてばっかりで褒められることってあんま無いから新鮮だな」

『まるでワタシが海風を蔑んでるみたいな言い方するネ』

「事実じゃん」

『事実だけど』「否定してほしかったなぁ!」


 なははー愛のムチだヨ、と海風への数々の悪行をそう宣うグノーシ。その愛のムチとやらのせいで海風の心には生傷が絶えないのだが、この悪戯猫はそこのところを理解して言っていないのだろうか。いや、理解している(反語)。

 そんな悪辣なグノーシに対し、ムクロの性格の素直さときたら、もう雲泥の差だ。もちろんグノーシが泥の方である。こうして車中で話してみて分かったことだが、ムクロは純朴な子だった。

 最初の印象で性格がキツいのかとも思ったが、どうやら海風の思い違いだったらしい。日本語が不器用な部分があるので、おそらくニュアンスの問題だったのだろう。声に抑揚があまり無いのも原因かもしれない。


「淡白……っていうより、純粋無垢って感じ」


 世の穢れを知らぬ純白。彼女と話して得た第一印象ならぬ第二印象はそれだった。


「ご歓談中のところ失礼致します。橘様のご自宅に到着いたしました」

「あ、ほんとだ。ありがとうございました」


 運転手の言葉で海風が窓の外に目を向けると、確かに眼前に海風の住むアパートがあった。グノーシと繋がっている球状の通信機を抱えてからムクロに車から降りるように伝えると、運転手の男がおずおずと海風に訊ねる。


「……あの。住所は本当にこちらで合っていますでしょうか?」

「? はい、合ってますよ」

「そ、そうですか。申し訳ありません、妙なことを聞いてしまい」

「いえ。送っていただき、ありがとうございました」


 海風がドアの横で恭しく腰を曲げると、運転手は戸惑いの表情を微笑に変えて、颯爽と車で公安局に戻っていった。運転者の質問に首を捻っていた海風に、グノーシが呆れるように質問の真意を解説する。


『そりゃそんな反応にもなるヨ。相当な高給のはずの公安特務課に属する人間が、こんなボロ屋に住んでるって知ったらさ』


 そう言ってグノーシが溜息をつくのと同時にカメラの絞りが動く。感情に合わせてカメラも変化するのだろうか、そうなら中々にハイテク──ではなく。


「人の住処をボロ屋って言うな」『事実じゃん』

「事実だけども!」「事実なんですね」


 散々な言われ様の自身の住処を改めて眺めて、海風はその外見を冷静に分析する。老朽化でひび割れた壁はあちこちにあり、階段に取り付けられた手すりは錆び付いてボロボロ、今だと販売すらしていないタイプの蛍光灯は弱々しく点滅し、蛾や羽虫が集っている。

 二、三世代ほど前に流行った、二階建ての昔ながらの古式アパート。住人一人いない幽霊アパートと呼ばれても違和感のない古ぼけた印象だ。2050年にこういった建物が未だ存在しているのが不思議なくらいである。これこそ、紛れもなく海風の住んでいる家なのだ。


『こんな家に女の子と二人暮らしとか本気なの? 馬鹿なの? 死ぬの?』

「俺もそう思う……じゃなくて。文句なら真神局長に言ってくれ。あの人の独断なんだから。上からの許可も降りたって言ってたし」

『上って……まさか公安委員会? あのカタブツが許可を出したの?』

「らしい。こんなセキュリティガバガバの家に仮にも真神局長に『最強の咎人』を言わしめた存在を住ませることを許可する、ってな」

『異例……というより異様だネ。何か裏があるのかも。できる範囲で調べておこうか?』

「頼める?」

『おまかせー』


 それは上部組織の公安委員会に探りを入れるという、かなり危ない橋を渡ることを意味しているのだが、グノーシは何の躊躇いもなく海風の頼みを了承した。こういう時の彼女の頼もしさはありがたい。


「それじゃ、狭いと思うけどゆっくりしてよ」


 二階の一番隅の扉を鍵で開けて、ムクロを中に招き入れる海風。しばらく海風を見つめていた彼女は、やがてゆっくりと視線を部屋の中に向けた。最初こそ海風は戸惑ったが、やけに緩慢とした動きはどうやら彼女の癖らしい。いつも眠たげにしているのでイメージには合っているし、どこか野生の動物じみていて面白いとは思う。ただ、迅速に動くことを是とする真神とはソリが合わなそうだな、と海風は心の中で密かに考えていた。

 ムクロが家の中に入ったのを確認してからドアを閉め、回りの悪い鍵と錆びたチェーンをかける海風。やろうと思えば強行突破で壊せそうなセキュリティである。こんな家に強盗は入らないだろうが。玄関から続く廊下にキッチン、ユニットバスの扉、洗濯機が並んだ何の変哲もないワンルーム。

 ゴミなどはキチンと片付けているとはいえ、元が一室10畳ちょっとの家だ。とてもではないが、二人の人間が快適に過ごせる広さではない。ここでシェアハウスと言われれば普通の人なら顔を顰めるだろうが、ムクロは普段は眠たげな目を少し見開いて、海風の部屋を見回している。


「ここが……みなさんが住むような家なのですね」

『いや、一般的かと言われれば絶対にノーだヨ。普通の人はもっと文化的な家に住んでるって』

「コンピュータ室住まいの人に言われたくないです」

『グノちゃんはいーの。大体、好きでここに住んでるんじゃないヨ。任務のために仕方なくだし。それより、ムクロちゃんは大丈夫なわけ? あんな広いところに住んでたのに、いきなり独房みたいな部屋に入れられて不満じゃない?』


 ムクロの心境を慮った発言をするグノーシに、当の本人は何のことか分からないと言わんばかりの顔をする。どうやら気にしていないらしい。それどころか、少し嬉しそうにも見えたのだから驚きだ。


「……似ているので。思い入れのあるところに」


 ポツリと出た思わせぶりな台詞。珍しく揺らいでいた声に得体の知れない彼女の内面が僅かに垣間見えた気がしたのは、おそらく海風だけではない。手に持ったカメラの向こう側にいるグノーシもそれを感じたはずだ。


『……いいの? 深堀りしなくて』

「……」


 気にならない、と言えば嘘になる。どうして、あの広いだけの空間に独りでいたのか。どうして、そうも現世に疎いのか。どうして、あれだけの強力な力を持っていて今までバディに採用されなかったのか。他にも彼女に関する疑問点は多くある。挙げればきっとキリがない。だから聞き出したい気持ちもあるのだが、これに関しては急いていいものには思えないのだ。

 彼女が自分から身の上を話したくなった時に、自分は静かに彼女の独白を聞いてあげていたい。海風はただ、そう考えていたのである。


『ま、バディのキミがいいって言うんならグノちゃんも聞かないヨ』


 フンと鼻を鳴らして少し不満そうにしたグノーシに苦笑いする海風。好奇心と探求心が旺盛な彼女にとっては謎を謎のまま放置しておくことが耐えがたかったはずだが、それでも海風の意志を尊重してくれたのだ。彼女の細やかな心遣いなのだと思う。「ありがとう」と素直に謝辞を述べると、グノーシはまた鼻を鳴らして音声を切ってしまった。


「拗ねているのか、それとも照れているのか……」

「あの……どうすれば」

「あ、ごめんごめん。狭いけど適当に座ってくつろいでてよ。あとお腹空いてるかな? ちゃちゃっと何か作っちゃうよ」


 コクリと小さく頷くと、ムクロは膝を曲げて畳の上に座った。ちなみに部屋には一人用のベッドと小さなちゃぶ台、それと座布団が一枚敷いてあるだけだ。仕事帰りにシャワーを浴びてご飯を食べて寝るだけの家なので、テレビなんかはない。大体のことは携帯デバイス一つあればなんとかなるから、本やパソコンなどもない。生活感はないと言われても仕方ない殺風景っぷりである。


「とはいえ、二人暮らしならこのままってわけにはいかないよなぁ……。明日にでも一式揃えないと」

「それはなんですか」

「うわビックリした!? なに?!」


 ガスコンロでお湯を沸かしていると、いつの間にか海風の後ろに立ったムクロが海風の手元を凝視していた。どうやら見ているのは鍋の中で揺れている煮干しらしい。


「これは煮干しっていう出汁が出る食べ物だよ。カルシウムたっぷりなんだ」

「かるしうむ……なんでしょう、素敵な響きですね……」

「えっ」


 ……なんだろう。やっぱり骸骨使いとしては感じるところがあるのだろうか。


 どこか恍惚とした表情をしているムクロが「かるしうむ……」と煮干しを見つめているのに僅かばかりの気まずさを感じながら、出汁を取り終わった煮干しを捨てる。食材を刻んだり味噌を溶かしたりとしている内に、やがて香しい匂いが鼻孔をつき始めた。

 捨てられた煮干しに目を奪われていたムクロもようやく臭いに気付き、鼻をスンスンと鳴らしている。先ほどから未知のものに対する一挙手一投足が小動物じみているので、海風はちょっと楽しくなってきていたりするのだが。


「よし出来た。残り物の惣菜ならあるから、おかずはそれね」


 出来立ての味噌汁、冷凍タイプの白飯、残り物の惣菜。客人に出す食事としては下の下だろうが、本人は目を輝かせているので不問にしてほしい。


「さ、どうぞ召し上がれ」


 お椀に入った味噌汁を何度か嗅いだムクロは警戒しながら口をつけて静かに啜る。ムクロは味噌汁を口に入れた瞬間、頬を仄かに染めて口角を上げる。何も言わないままに二口目をすぐに呑み込み、間髪入れずにまた三口目を流し込む。この様子なら聞くまでもないだろうが、一応訊ねておくとしよう。


「おいしい?」


悪戯な笑みを浮かべた海風に、味噌汁を一気に半分ほど飲み切ったムクロは頬を緩ませた。


「……はい、とても。温かくて、おいしいです」

「……そっか。なら良かった」


海風の奇妙な同居人との二人暮らしは、こうして幕を上げたのだった。


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