Ep.6 初任務は唐突に


 東京の夜景というのは、いつ見ても美しいと感じる。車中から見ると尚更だ。

 高層マンションから漏れ出る光、ホテルのサインランプ、電光掲示板の赤い文字。夜の闇に包まれているはずの世界が、人間の開発した技術の結晶によって明るく照らされているのだ。文明の光、とまで言うつもりはないが、この光が存在することは自分の仕事が平和の維持に繋がっていることを自覚できて、海風にとっては好ましいものだった。見ているのと精神が落ち着く。

 今のように気まずい空間の中だと、一層外を眺めていたくなる。


 そう、気まずいのだ。沈黙が1時間以上に亘って続いているから。


「……なんで誰も喋らないの……」


 洞窟から帰る車中には4人が集っている。黒服の運転手、真神、海風、そして白の少女。

 洞窟内では包帯しか身に纏っていなかった少女だが、今は違う。黒色のフード付きレインコートで全身をすっぽりと覆っている。

 白銀色のボタンで前を留めるタイプのレインコートで、革の質感によって滑らかな表面に光が反射されていた。先端に銀ボタンが取り付けられた革紐が全身の所々を縛っており、傍目から見ると拘束具にも近い印象を受ける。

 本人が窮屈そうにしている感じはしないのだが、なにせ梅雨明けの7月だ。普通ならそんな厚着をしていたら暑くてたまらないだろうに、少女は汗一つかかずに平然な顔をしていた。見てる側からしたら暑苦しくて堪らないというのにだ。

 ちなみに彼女は車の中からの景色にずっと目が釘付けで、微動だにしていない。声も車に乗ってからは一回も聞いていなかった。

 海風は彼女に聞きたいことは沢山あるのだが、聞きづらくて仕方ないのだ。というのも、彼女とのファーストコンタクトが原因だったりする。


 2時間前の、例の骸の洞窟内での話だ。巨人の腕から降りてきた彼女はフラフラと歩きながら、真神達の前にやってきた。真神が顎をしゃくったので、海風は彼女に自己紹介をしようとした。

 と、眼前まで来た少女を見て、改めて海風は圧倒される。顔は黄金比かというぐらいに整っており、大きな目からは灰色、というより白に近い瞳孔の中には黒の十字架があるのが見えた。『咎人』は人ならざる外見を持つが、瞳の十字架もその一つだろう。肌は磁器のように滑らかで、触り心地は絹に近そうだ。

 そして体つきは幼いながら、出るところは出ている印象。際どいところは包帯で隠されているものの、そのボリュームは隠せていない。

 特に、包帯を窮屈そうに押し退けている胸部の二つの大きな山とか───


「……おい」

「いえ柔らかそうだなとか全く思っていないです」

「聞いてねぇよ勝手に自滅すんな」


 自分で仕掛けた地雷を自分で踏んだ海風に大きく舌打ちする真神。気を取り直すためにコホンと咳払いをひとつして、海風は少女に右手を差し出した。


「初めまして。紹介に預かった橘海風です。よろしく」


 精一杯の優男スマイルを再現しながら、海風は少女を見つめる。

 そして訪れる沈黙。真神も、海風も、少女も何も言わない。誰一人言葉を発さない。いや、真神と海風は沈黙するのは分かる。だが、少女は海風のアクションに対して何の反応も起こさない。ただ海風の顔を見つめるだけで、表情を全く変化させなかった。眠たげな目の中の十字架を見ながら、海風は冷や汗をかいて困惑する。


「えっ……と。あれ? 言葉通じてない?」


 チラリと真神の様子を伺うが、軽く首を振って海風の疑問を否定する。言葉が通じないわけではなさそうだ。だとすると、何故彼女は何も言わないのだろう。


(もしかして、胸を凝視したのが気に障った……? そっか、やっぱり不躾だったよな、まずは謝った方がいいのか)


 そう考え、いつもの土下座ムーブに移行しようとする海風。安心してほしい、土下座には慣れている。どんなに激昂している人間でもこの完成された土下座を見れば言葉を失くす自信があった。一日に二回も伝家の宝刀を抜くのは気が引けたが、背に腹は代えられまい。スッと膝を軽く曲げて滑らかに地面に手を突こうとした海風に、少女は初めて声をかけた。


「……これは、なんですか」


 鈴のように透き通った少女の肉声に危うく陶酔しかけるが、それより少女の疑問に答えなければという本能でそれを抑え込む。「へ?」と顔を上げて少女の指すものを見ると、それは少女に向かって突き出されていた海風の右手だった。


「あ、握手、だけど」

「あくしゅ」

「そう、握手。あれ、君の国だと握手の文化はなかった?」

「私の国?」

「うん。君の生まれ育った国」


 少し上を見上げて逡巡する少女に、海風は戸惑いを隠せなかった。日本語は通じているが、どうにも話に要領を得ない。見るからに異国風の外見をしているが、人とは一風異なる外見を持つ『咎人』相手にその手の常識は通用しないので、とりあえず出身の国を訊ねたつもりだった。

 しかし、少女の反応は芳しくない。言葉が分からないというより、本質を理解できていないような、そんな違和感がある。


「……あくしゅ、というものは知りませんでした。どういうものなのですか」

「うーん……親愛の証というか。これから仲良くしていきたい人にすること、かな」

「仲良く……。あなたは私と仲良く?したいのですか」

「え? そ、そりゃもちろん。バディになるわけだし」


 再び海風の右手に目を向けて、少女は一言。


「……意味が分かりません。不要では?」


 そう言って首を傾げた少女に、あ、これ嫌われてるわ。と、海風が半ば確信したのだった。


 そして時は進み、送迎の車中。あれから少女とは一切口がきけず、海風はやや絶望しているところだ。公安特務課のバディシステムは有名で、例に漏れず海風もその存在は知っていた。実際にバディを組んでいる人とも会っているし、彼らは彼らなりの信頼関係を築いていたのだ。その姿がいかにもプロ、という感じで、海風は心のどこかでバディというものに憧れていた節があった。

 しかし、ようやく出来たバディがこれだ。捉えどころの無さすぎる正体不明の少女に初手から嫌われ、現に今も会話は全くなし。正直、先が思いやられる。


(まだこの子のこと、何も知れてないのにな……)


 真神から彼女についての言及はない。普通なら資料を手渡されるものだと思うが、それすらもない。プロフィールも、罪咎因子も、発現能力も、何も知らないのだ。こんな状態で任務をこなすことなど可能なのだろうか。

 底知れぬ不安に駆られていた海風が窓にもたれかかっていると、助手席に座る真神に特務課解析部より通信が入った。真神が短く返答し、解析部の用件に頷くと、くるりと振り返って二人に話しかける。


「緊急要請だ。歌舞伎町で『窃盗罪』の『仇人』が出現──てことで、お前ら。早速出動な」

「……はい?」

「……」


 あまりに急で軽く決まった初出動の指令に、海風は頬をピクピクと痙攣させ、少女は黙って真神を見つめた。冗談かと思ったが、真神は至って真面目な顔をしている。


「……親父って、真顔で冗談言うタイプの人間でしたっけ」

「冗談じゃねぇよ馬鹿タレ。言葉通りだ、出動の準備をしろ。制服はトランクに置いてある。あと真神局長と呼べ。次に親父って言ったら鉛玉撃ち込むぞ」

「脅し文句が怖すぎるッ!」


 相変わらずのブラックジョークは切れ味抜群だが、どうやら指令は本気らしい。お互いを全く知らない状態でいきなり命に関わる仕事に放り込まれるこちらの身にもなってほしいのだが。


「ちょ……演習だって一度もやってないのに?! 名前も能力も戦い方のクセも知らないまま任務?! 殺すつもりですか?!」

「知らなくてもいいんだ。お前はいつも通りにしてろ、救命優先度が出るまで耐えれば、あとはソイツが何とかしてくれる。それだけの力があるからな」

「……マジですか」


 隣で沈黙している白い少女はそう凶悪そうには見えないが、真神の言うところが真実ならば、彼女には作戦など無くても簡単に事件を解決できるほどの能力があるということだ。身長3メートルの豪傑が目の前にあるのなら容易に信じるだろうが、こんな矮躯の少女を『最強の咎人』と認める真神の正気を疑うが、真神の実力と観察力は確かだ。

 となると、この少女は本当に───


「そういうことだ。あぁ、それと名前だったか。コードネームは『ムクロ』だ。それで呼べ」



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