Ep.2 腰椎は大切に

 時と場面は変わり、翌日の公安局公安特務課局長室にて。


「……おい」

「……はい」


「おい」「はい」「おい」「はい」


「オイごらぁッッッ!!」

「ハイすみませんでしたァッ!!」


 怒号が大気を震わせ、それと同時に海風の体も震え上がる。ついでに鼓膜が破れかける。怒鳴られた瞬間、流れるように地面に手をつき頭を下げた海風の動作──伝家の宝刀『ジャパニーズDO☆GE☆ZA』も、何十何百と繰り返せば慣れたものだ。なんなら現代日本で一番土下座が上手い自信がある。全日本土下座選手権があったらぶっちぎりの一位だ。そんな不名誉な大会があるわけもないが。

 そして怒号を発した人物はというと、黒革の椅子に腕組みして座り、トントンと人差し指で腕を叩いていた。顳顬こめかみに青筋をピクピクと浮かべ、両目を限界まで剥きながら、スーツに身を包んだ男は目の前で土下座する少年を睨む。


 癖っ毛の掻き分けた黒髪が特徴的な少年。年齢不相応にスーツを着た彼は16歳らしく童顔で、人の良さそうな雰囲気を醸し出していた。耳にイヤリングとピアスを付けているのは彼なりの背伸びなのだろう。身長は175cm程だが、成長期なのでこれから伸びる可能性もあるに違いない。


 公安特務一課『執行部』所属、橘海風。やや特殊な経歴を持つ、今年で16歳の明るい少年だ。


 彼を見つめたまま今日一番の溜息を吐き、煮えたぎる憤怒を抑えた声で威圧する男。


「今回で命令違反は何度目だ」

「……確か、148か」

「違う150回だ」


 即座に訂正してくる几帳面でクソ真面目な上司を恐る恐る見上げる。勿論ばっちりと視線が交錯し、気まずさは本日最高潮。身体中から冷や汗が湧き水のように溢れて出てくるが、何とか取り繕おうと、口端をぎこちなく吊り上げて不器用な笑みをニッコリと一つ。


「き、キリがいいなぁ! 150回ですよ150回! 今日みたいな良く晴れた穏やかな日に相応しい回数ですよね!」

「あぁ、その通りだな。次は200回の大台でも目指してみようか。はっはっはっ」

「はっはっはっ」

「「はっはっはっ」」


 不自然な笑い声が虚しく響き、そして沈黙。さっきまでの気まずさが間髪入れずに場に戻ってきた。もう少し実家でゆっくりしててもいいんだよ、気まずさ君。

 そんなくだらない思考を最後に、続いた沈黙は破られる。よりにもよって、スーツ姿の男の踏み落としによって。


「オラァッ!!」「ふんぐるいっ!?」


 土下座したまま背中を思いっきり踏み抜かれ、背骨が雷に打たれたような錯覚に陥る海風。目の前が唐突に白明して意識が飛びかけたが、スーツ姿の男はそうはさせまいと追撃を仕掛ける。海風の背中に馬乗りすると、両足を力一杯に持ち上げ、海老反りの状態を作り上げた。そして意識を無くす間もなく襲い来る激痛。


「あだだだだだだだだぁ!? ギブギブギブギブッッッ!?」

「黙れ! 何度言えばお前は理解するんだ、この朴念仁が!」


 先程から執拗に背骨を攻撃してくる男。なんだろう、脊髄に恨みでもあるのだろうか。あと背中はやめてほしい。下半身不随になりかねないから本当にやめて欲しい。

 その後も一通り背骨を苛め抜かれた後、ようやく男から解放される海風。涙目で背中をさすりながら、何事もなかったかのように椅子に座り直して煙草を吸い始めた男を恨めしそうに見つめる。


「なんだ、何か文句があるのか?」

「……イエ、ナニモ」


 本当は恨み言の一つでも言ってやりたいが、そんなことをすれば今度こそ背骨がお釈迦だ。長い人生、背骨は大事にしていきたい。


「今回で150回目の命令違反だ。『鎮圧部隊が来るまで待機しろ。独断専行はするな』。そう予め釘を刺していたにも関わらず、お前は『仇人』出現に合わせて戦闘行為に移行。現場を担当していた警察官の制止も振り切り、単独行動を行った──と。さて、遺言は?」

「そこは普通『申し開きは?』とかだと思いますッ! なんで死ぬこと前提なんですか!」

「そういえばお前、遺書は書いてあるんだよな」

「なんでこのタイミングで再確認するんですか?! 不穏すぎる!!」


 痛む背中を庇いながら立ち上がり、涙声で必死に反抗する海風。男はそんな海風を見て大きな溜息をつくと、長い脚を組み直した。


 艶の良い整えられた黒髪に黒縁のメガネ。鼻に刻んだ傷痕が特徴的な、精悍という言葉がよく似合う高身長の男。性格は生真面目、遊び心を許さない仕事人間であり、口がやや粗暴だが、実績と能力は折り紙付きだ。


 頼れる上司の代名詞とも言えるであろう彼の名は、真神嵐杜まがみ あらと。公安特務課の指揮を担う、完璧主義者の超人だ。公安の一員である海風にとっては直属の上司にあたる。


「ほ、ほら。結果としては軽傷で終わりましたし……大目に見てくれません?」

「そうか。軽傷なら命令違反していいんだな。よし、次に命令違反してみろ。俺が心臓に穴を開けてお前を重傷にさせてやる」

「死んじゃう死んじゃう死んじゃうッ!! それ絶対重傷じゃ済まないでしょう!!」


 真神のような超人なら心臓に穴を開けられても死なないのかもしれないが、流石に真人間の海風は即死する。


「……ふん。お前への怒りが収まったわけじゃないが、本題だ。報告を」

「……はい」


 真神が報告書に目をやる間、海風は今回の事件についてスラスラと報告を行う。


「今回の被疑者は畠中恭輔43歳男性。事故現場となった工場の社長を務めていましたが、経営は芳しくなかったとの噂です。時代遅れの設備が経営悪化に拍車をかけていたようで、人員不足もあり、事件当時は恭輔氏の妻も業務を手伝っていたらしいのですが……」

「それが今回の被害者か」

「……はい。罪咎因子『殺人罪ドルフォニアス』の発現時に居合わせ、真っ先に殺害されたものと推測されます。妻を殺したことで精神が崩壊したのか、過度の殺人衝動と異形化が見られ……対応に当たった解析部が救命優先度を黒と断定。排除に至りました」

「そうか。……今回も胸糞悪い結果になったな」


 かけていた眼鏡をずらして眉間を抑える真神。窓からは憎たらしいほどに青く澄み切った空が覗いていた。



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